学位論文要旨



No 129205
著者(漢字) 寺西,慶太郎
著者(英字)
著者(カナ) テラニシ,ケイタロウ
標題(和) ウナギの腎臓における浸透圧調節機構に関する機能形態学的研究
標題(洋) Morphofunctional studies on osmoregulatory mechanisms of the kidney in Japanese eel
報告番号 129205
報告番号 甲29205
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3910号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 金子,豊二
 東京大学 教授 良永,知義
 東京大学 准教授 兵藤,晋
 東京大学 准教授 大久保,範聡
 聖マリアンナ医科大学 准教授 廣井,準也
内容要旨 要旨を表示する

魚類の体液浸透圧調節は体内環境の恒常性維持に必須であり、その機構の解明は魚類の健全な育成を目指す上で水産学的意義は大きい。水圏に生息する真骨魚類では、体内と環境水とのイオン濃度・浸透圧差により体表を介して、淡水中ではイオンの流出・水の流入、海水中ではイオンの流入・水の流出が受動的に起こる。そのため真骨魚類は陸上動物とは異なる独自の浸透圧調節機構を備えている。この調節には主に鰓、腎臓および腸が関与するが、中でもイオン・水の双方を調節する腎機能の理解は重要である。腎臓の糸球体で血液が濾過され、原尿となって細尿管、集合管を流れる過程で、淡水魚は原尿から1価イオンを再吸収し、低張尿を生成することで過剰な水を体外へ排出する。一方で海水魚は、腎臓において高濃度の2価イオンを含む尿を少量生成し、不足する水を保持しつつ過剰な2価イオンを体外へ排出する。これは、細尿管を流れる原尿中に血中の過剰な2価イオンを排出するとともに、原尿から1価イオンと水を再吸収することで可能となる。このように腎臓は浸透圧調節において重要な役割を担うが、複雑な形態を呈することも影響し、形態学的知見と分子生物学的知見が融合した浸透圧調節機構の包括的な理解は十分ではない。

そこで本研究では、真骨魚類の腎臓における浸透圧調節機構を解明するため、幅広い浸透圧(塩分濃度)環境に適応できるニホンウナギ(ウナギ)Anguilla japonicaを用いて研究を行った。まず、浸透圧調節の基盤となる腎臓の形態を電子顕微鏡レベルの微細構造の観察、細尿管の立体構造の観察など様々な視点から明らかにした。次に浸透圧調節に関与すると考えられるイオン輸送体のmRNAの塩基配列の決定および発現量の定量、免疫組織化学的観察により、各イオン輸送体の役割を検討した。さらに浸透圧調節ホルモン受容体に着目し、mRNAの塩基配列の決定、発現量の定量およびin situ hybridizationを行い、腎臓の浸透圧調節における内分泌系の関与を検討した。一連の研究により、腎臓における浸透圧調節機構の包括的な解明を目指した。

第1章 ウナギ腎臓の細尿管の構造とNa+/K+-ATPaseの局在

腎臓の機能単位であるネフロンは腎小体と細尿管からなるが、細尿管の構造は複雑で不明な点が多い。本章では、後の研究の基盤となるウナギ細尿管の構造を明らかにすることを目指した。またイオン輸送の駆動力を供給するNa+/K+-ATPase (NKA)の局在を検証し、浸透圧調節における腎機能の基礎的知見を得ることを目的とした。

光学および電子顕微鏡による観察の結果、ウナギ細尿管は腎小体に近い側から順に、近位細尿管前節・後節および遠位細尿管から構成されることが明らかになった。近位細尿管細胞は頂端部に微絨毛を備え、細胞内にリソソームが多く存在した。このような近位細尿管細胞の特徴は魚類から哺乳類まで共通であり、この部位の機能的な類似を示唆する。特にリソソームは哺乳類と同様に飲作用により再吸収したタンパク質をアミノ酸に分解し、血中に戻すことに関与すると考えられる。遠位細尿管細胞は他の部位に比べてミトコンドリアが多く、細胞基底部の陥入が顕著であった。細尿管全部位の細胞内構造に関して淡水・海水に馴致したウナギで大きな違いは認められなかったが、遠位細尿管と集合管におけるNKA免疫反応は海水ウナギよりも淡水ウナギで顕著であった。このことは、淡水ウナギの遠位細尿管と集合管において能動的なイオン輸送が活発に行われていることを示唆する。次に、淡水ウナギをモデルとして細尿管の立体構造解析を行った。レーザースキャン顕微鏡を用いた立体再構築、連続切片の観察、単離した細尿管の観察において、複数の細尿管が規則的に配置されるような特殊な配置は観察されなかったことから、細尿管と細尿管の間での相互作用は考えにくい。また、同一ネフロン中の細尿管は規則的な構造を示さず、蛇行した形状で存在し、その末端は直線状の集合管に接続する。哺乳類や軟骨魚類では同一ネフロン中の細尿管が規則的なループ構造を形成し、尿生成の機能を効率化する。このような立体構造の差は、生息環境や適応戦略の違いを反映していると考えられる。本章において、ウナギ細尿管は部位ごとに役割が異なり、タンパク質再吸収、浸透圧調節など幅広い役割を担うことが機能形態学的に示唆された。また浸透圧調節に関しては、遠位細尿管と集合管のNKAの発現を調節することが、淡水適応と海水適応の機能を切り替える上で重要な要素の一つであると考えられる。

第2章 ウナギ腎臓の1価イオン再吸収機構

淡水魚は、淡水環境で不足する1価イオンを、原尿から再吸収することで体内に保持する。一方、海水魚は1価イオンと水を再吸収し、海水環境で不足する水を保持しつつ過剰な2価イオンを尿中に濃縮して排出する。本章では淡水魚・海水魚の双方に共通する1価イオンの再吸収による浸透圧調節に着目し、その分子機構の解明を目指した。

まず、哺乳類の腎臓において1価イオン再吸収に関与するイオン輸送体であるNa+/H+交換輸送体3(NHE3)、Na+, K+, 2Cl-共輸送体2(NKCC2)、Na+, Cl-共輸送体(NCC)のウナギにおけるmRNAの塩基配列を決定した。分子系統解析から、mRNAの塩基配列を決定したイオン輸送体はNHE3、NKCC2、NCCであることが支持された。ウナギの他組織で発現するアイソフォーム、他魚種での報告、命名等を踏まえて、これらのイオン輸送体遺伝子をウナギNHE3、NKCC2α、NCCαとした。

次に脱イオン水、淡水、30%希釈海水および海水にウナギを馴致させた後、上記イオン輸送体の腎臓におけるmRNA発現量を定量PCRにより測定したところ、NHE3は海水で発現量が上昇し、NCCαは塩分濃度が低いほど発現量が上昇した。また、NKCC2αは塩分濃度の違いによる発現変動はなかった。さらに抗体を作製し、免疫組織化学的観察を行ったところ、NHE3は海水ウナギの近位細尿管後節を構成する細胞の管腔側細胞膜に局在していた。NKCC2αおよびNCCαはそれぞれ遠位細尿管、集合管を構成する細胞の管腔側細胞膜に局在しており、免疫反応性は淡水ウナギの方が海水ウナギより強かった。以上の結果は、NHE3が海水適応時にNa+の再吸収を担い、原尿の浸透圧を下げることで水の再吸収を促進することを示唆する。一連の再吸収により、過剰な2価イオンの原尿中への濃縮が可能になると考えられる。一方、NCCαは淡水適応時に不足する Na+、Cl-の再吸収に関与することで、浸透圧調節に貢献することが示唆された。また、mRNA発現変化と免疫染色の結果が一致しなかったNKCC2αに関しては、演繹アミノ酸配列のN末端に、細胞質から細胞膜への移動の促進に関与する酵素の結合モチーフ配列、および酵素によりリン酸化されるトレオニン残基が存在していた。このことから、NKCC2αは転写後の調節を受けることで遠位細尿管細胞の管腔側細胞膜への集積が促進され、淡水適応に関与すると考えられる。

第3章 ウナギ腎臓における浸透圧調節機構と内分泌系

鰓の塩類細胞におけるイオン輸送を介した浸透圧調節は内分泌系により調節されることが知られている。しかし、腎臓における浸透圧調節機構と内分泌系の関係については不明な点が多く、特に受容体の発現部位を細胞レベルで明らかにした研究は少ない。そこで、本章では、浸透圧調節に関与する内分泌因子として淡水適応に関与するプロラクチン(PRL)と海水適応に関与する成長ホルモン(GH)の受容体に着目した。

まず、ウナギ腎臓からPRL受容体(PRLR)mRNAの塩基配列を決定し、分子系統解析からこの配列がPRLRであることが支持された。またGH受容体(GHR)はウナギ肝臓より既にGHR1およびGHR2が同定されているが、そのうちGHR2が腎臓で発現することをRT-PCRにより明らかにした。

次にPRLR、GHR2に加え、GHの作用を仲介する因子であり、海水適応能を上昇させるインスリン様成長因子I(IGF-I)の腎臓におけるmRNA発現量を、様々な塩分濃度の環境水に馴致したウナギで定量PCRにより測定した。その結果、PRLRは塩分濃度の違いによる発現変動はなかったが、GHR2は30%希釈海水で発現量が最も高く、IGF-Iの発現量は30%希釈海水で最も低かった。GHRの発現量はリガンドであるGHの血中量と負の相関があることが知られている。このことはGH-GHR2を介した腎臓における IGF-Iの産生が30%希釈海水中で抑制されていることを示唆し、今回のIGF-I発現量の結果からも支持される。一方でIGF-I発現量は脱イオン水と海水に馴致したウナギで高かった。また、PRLRおよびGHR2が細尿管、集合管を構成する細胞で発現することをin situ hybridizationにより明らかにした。PRLの作用の一つに細胞の水透過性の低下が知られている。第1章と第2章で、淡水ウナギ腎臓の細尿管、集合管における原尿からの積極的な1価イオン再吸収が示された。淡水適応ホルモンとして知られるPRLが細尿管、集合管を構成する細胞の水透過性を下げ、水の再吸収を抑制することで低張尿の排出をさらに促進すると考えられる。また、GHR2も管全部位に発現していたことから、細尿管、集合管を構成する細胞でGH-GHR2を介してIGF-Iの発現を上昇させ、海水適応能だけでなく淡水適応能も上昇させることが示唆された。IGF-IはNa+の輸送を促進することが知られている。ウナギ腎臓において淡水適応、海水適応の双方に必要なNa+の再吸収を調節することで浸透圧調節に関与する可能性が考えられる。

本研究により、ウナギの腎臓は必要な物質の再吸収から浸透圧調節まで幅広い役割を担うことが明らかとなった。特に浸透圧調節ではNHE3が海水適応に、NKCC2α、NCCαが淡水適応に関与することが示唆された。また細尿管と集合管を構成する細胞はPRLRとGHR2を発現し、内分泌調節を受けて浸透圧調節を行っていることが示唆された。本研究では電子顕微鏡レベルの微細構造観察から分子生物学的手法まで幅広いアプローチで研究を行い、腎臓における浸透圧調節機構を形態、イオン輸送、内分泌系による調節という視点から明らかにした。このような総合的な研究は前例がなく、魚類腎臓の浸透圧調節機構の全貌解明に向けて大きな前進をもたらしたと考えている。

審査要旨 要旨を表示する

本研究ではウナギAnguilla japonicaを用いて、真骨魚類の腎臓の浸透圧調節機構に関して形態学的知見と分子生物学的知見が融合した包括的な理解を得ることを目的とした。

第1章 ウナギ腎臓の細尿管の構造とNa+/K+-ATPaseの局在

腎臓の浸透圧調節において重要な役割を担う細尿管の構造、イオン輸送の駆動力を供給するNa+/K+-ATPase(NKA)の腎臓における局在を検証した。

光学および電子顕微鏡による観察から、ウナギ細尿管は近位細尿管前節・後節および遠位細尿管から構成されることが明らかとなった。各部位は細胞の形態により明確に分けられ、部位ごとの機能の違いが示唆された。細尿管全部位の細胞の構造に関して淡水・海水に馴致したウナギで大きな違いはなかった。免疫染色の結果、遠位細尿管と集合管におけるNKA免疫反応は海水ウナギよりも淡水ウナギで顕著であり、淡水ウナギの遠位細尿管と集合管において能動的イオン輸送が活発に行われていることが示唆された。次に、淡水ウナギをモデルとして細尿管の立体配置・構造の解析を行った結果、細尿管は規則的な配置・構造を示さなかったので、機能的な立体配置・構造は無いと考えられた。哺乳類、軟骨魚類では同一の細尿管が規則的なループ構造を形成し、尿生成の機能を効率化する。このような差は、生息環境や適応戦略の違いを反映していると考えられた。以上の結果からウナギ腎臓の浸透圧調節は、細尿管の立体配置・構造に依存せず、各部位での機能の分担および遠位細尿管と集合管のNKAの発現調節により行われていることが示唆された。

第2章 ウナギ腎臓の1価イオン再吸収機構

淡水、海水適応に共通する原尿からの1価イオン再吸収による浸透圧調節機構を解明するため、Na+/H+交換輸送体3(NHE3)、Na+, K+, 2Cl-共輸送体2(NKCC2)、Na+, Cl-共輸送体(NCC)のmRNAの塩基配列を決定し、ウナギNHE3、NKCC2α、NCCαとした。

多様な塩分濃度の環境水に馴致したウナギの腎臓における上記イオン輸送体のmRNA発現量を定量PCRにより測定した。NHE3は海水で発現量が上昇し、NCCαは塩分濃度が低いほど発現量が上昇した。また、NKCC2αは塩分濃度の違いによる発現変動はなかった。免疫染色の結果、NHE3は海水ウナギの近位細尿管後節細胞の管腔側細胞膜に局在した。NKCC2αおよびNCCαはそれぞれ遠位細尿管細胞、集合管細胞の管腔側細胞膜に局在し、免疫反応は淡水ウナギの方が海水ウナギより強かった。以上の結果は、NHE3が海水適応時にNa+の再吸収を担い、原尿の浸透圧を下げることにより海水で不足する水の再吸収を促進することを示唆する。一連の再吸収により、原尿中に2価イオンを濃縮し、海水で過剰になる2価イオンを体外に排出することが考えられた。一方、NCCαは淡水で不足する Na+、Cl-を原尿から再吸収して体内に保持する役割を担うことが示唆された。また、mRNA発現と免疫染色の結果が一致しないNKCC2αは、演繹アミノ酸配列のN末端配列の特徴から哺乳類と同様の転写後の調節を受けることで、淡水適応に関与することが示唆された。

第3章 ウナギ腎臓における浸透圧調節機構と内分泌系

淡水適応に関与するプロラクチン(PRL)および海水適応に関与する成長ホルモン(GH)と腎臓の浸透圧調節の関連性を受容体に着目し検証した。まず、ウナギPRL受容体(PRLR)mRNAの塩基配列を決定し、GH受容体(GHR)は、GHR2が腎臓で発現することを明らかとした。

次にPRLR、GHR2に加え、GHの作用を仲介する因子であるインスリン様成長因子I(IGF-I)の腎臓におけるmRNA発現量を、多様な塩分濃度の環境水に馴致したウナギで定量PCRにより測定した。PRLRは塩分濃度の違いによる発現変動はなかった。一方でGHR2とIGF-Iは塩分濃度により発現が変動し、GH-GHR2およびIGF-Iによる調節が塩分濃度ごとに異なることが示唆された。また、PRLRおよびGHR2が細尿管、集合管を構成する細胞で発現することをin situ hybridizationにより明らかとした。PRLは細胞の水透過性低下作用を持つ。前章までで、淡水ウナギの細尿管、集合管における原尿からの積極的な1価イオン再吸収が示されたので、PRLが細尿管、集合管の水透過性を下げ、水の再吸収を抑制することで、淡水で過剰になる水の排出をさらに促進することが考えられた。また、細尿管、集合管を構成する細胞でGH-GHR2を介してIGF-Iの発現が上昇し、海水適応能だけでなく淡水適応能も上昇することが示唆された。IGF-IはNa+の輸送促進作用を持つ。淡水、海水適応の双方に必要なNa+の再吸収を調節し、浸透圧調節に関与することが考えられた。

本研究により、NHE3が海水適応に、NKCC2α、NCCαが淡水適応に重要なことが示唆された。また細尿管、集合管を構成する細胞はPRLRとGHR2を発現し、内分泌調節を受けて浸透圧調節を行うことが示唆された。

以上のように、本論文は腎臓の浸透圧調節機構を形態、イオン輸送、内分泌系による調節という視点から明らかにした。このような総合的な研究は前例がなく、魚類腎臓の浸透圧調節機構の全貌解明に向け大きな進展をもたらしたと考えられる。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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