学位論文要旨



No 129206
著者(漢字) 古川,史也
著者(英字)
著者(カナ) フルカワ,フミヤ
標題(和) ティラピアの鰓塩類細胞におけるカリウム及びセシウムの排出とその調節機構に関する生理学的研究
標題(洋) Physiological studies on potassium and cesium excretion and its regulatory mechanisms in gill ionocytes of Mozambique tilapia
報告番号 129206
報告番号 甲29206
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3911号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 金子,豊二
 東京大学 教授 潮,秀樹
 東京大学 准教授 大久保,範聡
 東京大学 准教授 兵藤,晋
 聖マリアンナ医科大学 准教授 廣井,準也
内容要旨 要旨を表示する

魚類を含む全ての脊椎動物において、体液の恒常性を保つことは個体の生存に必須である。中でも血漿浸透圧の調節、すなわち、血漿中の主な浸透圧構成物質であるNa+やCl-、および溶媒である水の調節は必要不可欠である。一方で、Na+、Cl-以外のイオンの調節も生物の正常な活動にとって非常に重要である。体内に最も豊富に存在するK+は、その大部分が細胞内(約140 mM)に局在し、細胞外の濃度は約4 mMと、Na+やCl-に比べて低い値で一定に保たれている。この細胞膜を隔てた濃度差は静止膜電位を生じる一因であり、細胞や個体の正常な生命活動を保証している。哺乳類は、腎臓で尿中へのK+排出量を調節し、血漿K+濃度を正常な範囲内に保つことが知られており、これまでにその詳細なメカニズムが明らかとなっている。一方、魚類においては、血漿K+の調節機構に着目した研究は極めて乏しい。

2011年3月11日に発生した東日本大震災と、それに付随する福島第一原子力発電所の事故の影響により、日本国土や近海において放射性Csによる汚染が発生した。現在も汚染による国民の健康や農林水産業への影響が懸念されており、早急に生物圏への影響を調べる必要がある。とりわけ魚類は日本において食糧としても馴染み深いものであり、魚類の汚染状況をモニタリングするのみならず、放射線物質の魚体内における動態を理解することは、日本の水産業の未来にとって重要な知見となる。生物の体内において、Cs+はK+と非常に類似した挙動を示すことが知られており、魚類でのK+調節機構を解明することで、Cs+汚染へ対処する上での大変有用な情報をもたらすと考えられる。

真骨魚類の浸透圧調節では鰓に存在する塩類細胞が非常に重要な役割を担っているが、K+調節への関与については不明である。塩類細胞は、体内側の膜(側底膜)にNa+/K+-ATPase (NKA)が豊富に存在し、また体外側の膜(頂端膜)と側底膜に多種多様なイオン輸送体が存在することで、Na+やCl-の輸送以外にも酸塩基調節、アンモニア輸送などに関わることが知られている。このことから、本研究では真骨魚類の鰓塩類細胞に着目し、魚類では未だ知られていないK+調節機構を明らかにすることを目的とした。

第1章 海水馴致ティラピアの鰓塩類細胞におけるK+排出機構の解明

海水環境中では比較的高濃度にK+が存在し、体内にK+が過剰になる傾向にあるため、海水魚は積極的にK+を排出する必要がある。しかし、海水に馴致した真骨魚は水分を保持するためほとんど尿を出さず、またそのK+濃度は低いことが知られている。このことから、まず本研究では主要な浸透圧調節器官である鰓に着目し、海水馴致ティラピアを用いて、鰓におけるK+排出の有無を検討した。K+と反応して不溶性の沈殿を形成するテトラフェニルほう酸を、生体から切り出した直後の鰓に反応させたところ、塩類細胞の外界への開口部に顆粒状の沈殿を得た。この沈殿をエネルギー分散型X線分析に供した結果、Kを多量に含んでいることが判明し、魚類の鰓塩類細胞がK+を排出することが初めて明らかとなった。さらに、塩類細胞に存在するK+排出の分子機構を解明するため、陸上生物の腎臓等でK+の輸送を行うことが知られるK+輸送体、renal outer medullary K+ channel (ROMK)、large conductance Ca(2+) activated K+ channel (Maxi-K)、K+/Cl- cotransporter (KCC)1、KCC2、KCC4をティラピアで同定した。その後、淡水、海水、高K+人工海水に馴致したティラピアの鰓で、上記遺伝子の発現量を定量した。その結果、ROMKのみが環境K+濃度依存的に有意な発現上昇を示し、鰓でのK+排出に重要な役割を持つことが示唆された。そこでティラピアROMKに特異的な抗体を作成し、免疫染色を行った結果、ROMKは海水馴致ティラピアの鰓にあるType-IV塩類細胞の頂端膜に局在し、さらに高K+環境に馴致したティラピアでは高密度に存在することが判明した。ROMKによるK+の排出を確認するため、阻害剤を組み合わせ、再度テトラフェニルほう酸を用いた実験を行った。その結果、ROMKの阻害剤(Ba(2+))存在下で沈殿の形成が阻害され、ティラピアの鰓塩類細胞に発現するROMKが、主要なK+排出経路であることが証明された。これら一連の実験により、魚類の鰓における塩類細胞を用いたK+排出機構の存在と、その分子メカニズムが初めて明らかとなった。

第2章 鰓におけるK+排出経路を介したCsおよびRbの排出

昨今の日本における放射性物質汚染、およびそれに付随する水産業への影響を緩和する指針を考える上で、Csの魚体内における挙動を解明することは喫緊の課題である。この現実を踏まえ、第2章では、生物の体内で同族のK+と類似した挙動を示すことが知られるCs+に着目し、第1章で示した魚類におけるK+排出経路を介してCs+が排出される可能性を検討した。海水馴致ティラピアの鰓を切り出し、入鰓動脈にCs+または同族のRb+を含んだ平衡塩類溶液を注入し、第1章で用いたK+の検出方法と同様の手法に供した。その結果、鰓の塩類細胞の開口部に同様に沈殿が形成され、沈殿部における特性X線分析により、Cs+およびRb+の存在が明らかとなった。この結果は、K+の排出と同様の経路で、魚体内より放射性Csが積極的に排出される可能性を示している。

第3章 淡水馴致ティラピアの鰓塩類細胞におけるROMKの発現

イオン濃度の乏しい淡水中に生息する魚類は、常に体外へとイオンが流出する危険にさらされている。K+に関しても、通常は体内に保持する必要がある。しかし、高K+食やアシドーシス、また細胞や体組織の崩壊などにより、一時的に血漿K+が過剰に上昇する危険性がある。そのため、淡水適応時の魚類でもK+に関してはその排出機構の存在が強く考えられる。第1章では海水馴致ティラピアが塩類細胞からK+を排出することを明らかにした。一方、淡水中では過剰となる水を排出するために、腎臓において多量の尿を産生することから、K+排出における腎臓の貢献も考慮する必要がある。また、淡水に馴致したティラピアの鰓では、Type-IV塩類細胞のみが機能的であると考えられている海水中と異なり、Type-IIおよびType-IIIという異なる2種類の塩類細胞を有することが知られている。

第3章では、淡水馴致ティラピアにおいて鰓によるK+排出の可能性と腎臓の寄与を検討するため、淡水馴致ティラピアを通常淡水と高K+淡水に1週間馴致し、血漿と尿中のイオン濃度、および鰓と腎臓におけるROMKをはじめとした各種イオン輸送体のmRNA発現量を測定した。その結果、高K+馴致群で尿中のK+濃度が有意に増加した。一方、鰓でのROMK発現量が約5倍に増加しており、鰓のROMKが淡水中でもK+の排出に重要であると考えられた。また、鰓の免疫染色の結果、通常淡水群ではROMKのシグナルが僅かであったが、高K+馴致群でROMKの免疫反応が顕著に現れ、さらにROMKがType-III塩類細胞の頂端膜に局在することが明らかとなった。

第4章 淡水および海水馴致ティラピアの鰓塩類細胞におけるROMK発現調節機構

第1章、第3章の結果から、海水および淡水の両方の環境中で高K+ストレスに応答し、鰓のROMK発現量が増加することで、K+の排出が促進されると考えられる。哺乳類の腎臓においては、副腎から分泌されるアルドステロンがROMKの発現調節に重要であることが知られている。しかし真骨魚類の体内にはアルドステロンが存在せず、別の何らかの因子によってROMKを調節していることが推測される。

第4章では、未だ不明である魚類のROMK発現調節機構を明らかにすることを目的とした。魚類における重要なステロイドホルモンであるコルチゾルがROMK mRNAの発現調節に関与するのかを、鰓の単離培養実験により検討した。その結果、淡水馴致ティラピアの鰓のみがコルチゾルに応答してROMK mRNA発現量を上昇させ、さらにそれは糖質コルチコイド受容体(GR)のアンタゴニストであるRU486存在下でのみ阻害された。従って、淡水馴致ティラピアではGRを介したコルチゾルによるROMK mRNAの発現調節が行われていると考えられる。一方、海水馴致ティラピアではコルチゾル単体の効果が見られなかったため、海水から高K+への移行実験を行い、ROMK mRNA調節因子の探索を行った。この実験では、血漿中の各種イオン及びコルチゾル濃度とともに、各種下垂体ホルモン、鰓のコルチゾル受容体、およびイオン輸送体のmRNAを定量した。その結果、高K+への移行24時間後に血中コルチゾル濃度が増加したものの、鰓ROMK mRNA、および血漿K+の上昇は移行6時間後から起こっており、さらに下垂体ホルモン群のmRNA発現量に顕著な変化は見られなかった。このことから、ホルモン以外の要素がROMK mRNAの発現に関与している可能性が考えられたため、血漿K+濃度の上昇そのものが鰓ROMKの発現に及ぼす影響を調べた。コルチゾルとFBSを添加したL-15培養液による海水馴致ティラピア鰓の単離培養実験系を用いて、鰓のROMK発現に及ぼす培養液K+濃度の影響を調べた。その結果、高K+培養液で培養した鰓でROMK mRNAの有意な上昇が見られた。これらの結果から、淡水中ではコルチゾルが、一方で海水中では血漿K+濃度が、ティラピアの鰓ROMKの発現を制御していることが示唆された。

以上の結果より、海水に馴致したティラピアではType-IV塩類細胞が、淡水に馴致したティラピアはType-III塩類細胞が、それぞれ頂端膜にROMKを発現することで、体内で余剰となったK+を排出することが示された。また、海水中では血漿K+濃度が、淡水中ではコルチゾル濃度が、それぞれType-IVおよびType-III塩類細胞におけるROMKの発現量の増加を促すことが示唆された。さらに、海水馴致ティラピアの鰓塩類細胞がCs+を排出することから、ROMKを介したCs+の排出が示唆された。本研究では、真骨魚類の鰓塩類細胞におけるK+排出機構を解明したばかりでなく、その機能性を調節するメカニズムに関する新たな知見についても見出すことができた。このことは、真骨魚類のイオン浸透圧調節機構の包括的な理解に大きく貢献するものである。また、東日本大震災から復興に向かう今、本研究により魚体内における放射性Csの挙動が明らかとなったが、この成果は被災地の水産業の復興へ少なからず寄与するものと期待している。

審査要旨 要旨を表示する

本研究では真骨魚類の鰓塩類細胞に着目し、魚類では未だ知られていないK+調節機構を明らかにした。更にそれを応用し、水産業に甚大な被害をもたらしている放射性Cs+の魚体内での挙動を理解することを目的とした。

1.海水馴致ティラピアの鰓塩類細胞におけるK+排出機構の解明

第1章では海水馴致ティラピアを用いて、鰓におけるK+排出の有無を検討した。K+と反応して不溶性の沈殿を形成するテトラフェニルほう酸を、生体から切り出した直後の鰓に反応させた。その結果、塩類細胞上に現れた沈殿がKを多量に含んでいることが判明し、魚類の鰓塩類細胞がK+を排出することが初めて明らかとなった。その後、陸上生物の腎臓等でK+の輸送を行うことが知られるK+輸送体数種類をティラピアで同定した。定量PCRの結果、ROMKaが環境K+濃度依存的に有意な発現上昇を示し、鰓でのK+排出に重要な役割を持つことが示唆された。ROMKaの免疫染色を行った結果、ROMKaは海水馴致ティラピアの鰓にあるType-IV塩類細胞の頂端膜に局在した。最後に、阻害剤による実験の結果、ROMKの阻害剤(Ba(2+))存在下でK+の排出が阻害され、ティラピアの鰓塩類細胞に発現するROMKaが、主要なK+排出経路であることが証明された。

2.鰓におけるK+排出経路を介したCs+およびRb+の排出

第2章では、生物の体内でK+と類似した挙動を示すことが知られるCs+に着目し、第1章で示した魚類におけるK+排出経路を介してCs+が排出される可能性を検討した。海水馴致ティラピアの鰓を切り出し、入鰓動脈にCs+または同族のRb+を含んだ平衡塩類溶液を注入し、第1章で用いたK+の検出方法と同様の手法に供した。その結果、塩類細胞の開口部にCsとRbを含む沈殿がそれぞれ形成された。この結果は、K+の排出と同様の経路で、魚体内より放射性Csが積極的に排出される可能性を示している。

3.淡水馴致ティラピアの鰓塩類細胞におけるROMKaの発現

第3章では、淡水馴致ティラピアにおいて鰓によるK+排出の可能性と腎臓の寄与を検討するため、淡水馴致ティラピアを通常淡水と高K+淡水に1週間馴致し、様々な生理学的差異を調べた。その結果、高K+馴致群で尿中のK+濃度が有意に増加した。一方、鰓でのROMKa発現量が約5倍に増加しており、鰓のROMKaが淡水中でもK+の排出に重要であると考えられた。また、鰓の免疫染色の結果、通常淡水群ではROMKaのシグナルが僅かであったが、高K+馴致群でROMKaの免疫反応が顕著に現れ、さらにROMKaがType-III塩類細胞の頂端膜に局在することが明らかとなった。

4.淡水および海水馴致ティラピアでの鰓塩類細胞におけるROMKa発現調節機構

第4章では、魚類のROMK発現調節機構を明らかにすることを目的とし、まず鰓の単離培養実験を行った。その結果、淡水馴致ティラピアの鰓のみがコルチゾルに応答してROMKa mRNA発現量を上昇させ、さらにそれは糖質コルチコイド受容体(GR)のアンタゴニストであるRU486存在下でのみ阻害された。一方、海水馴致ティラピアでは海水から高K+への移行実験を行い、ROMKa mRNA調節因子の探索を行った。その結果、高K+への移行24時間後に血中コルチゾル濃度が増加したものの、鰓ROMKa mRNA、および血漿K+の上昇は移行6時間後から起こっており、さらに下垂体ホルモン群のmRNA発現量に顕著な変化は見られなかった。この結果を受け、血漿K+濃度の上昇そのものが鰓ROMKaの発現に及ぼす影響を調べるため、海水馴致ティラピアの鰓単離培養実験系を用いた。その結果、高K+培養液で培養した鰓でROMKa mRNAの有意な上昇が見られた。これらの結果から、淡水中ではコルチゾルが、一方で海水中では血漿K+濃度が、ティラピアの鰓ROMKaの発現を制御していることが示唆された。

以上の結果より、海水に馴致したティラピアではType-IV塩類細胞が、淡水に馴致したティラピアはType-III塩類細胞が、それぞれROMKaを発現し、K+を排出することが示された。また、海水中では血漿K+濃度が、淡水中ではコルチゾル濃度が、塩類細胞におけるROMKaの発現量の増加を促すことが示唆された。さらに、このROMKaを介したCs+の排出が示唆された。

以上のように、本論文はティラピアの塩類細胞におけるK+排出機構とその調節機構を明らかにし、更にCs+の排出を発見したことにより、学術上及び水産上寄与するところが大きい。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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