学位論文要旨



No 129207
著者(漢字) 山口,洋子
著者(英字)
著者(カナ) ヤマグチ,ヒロコ
標題(和) フグ類可食部の呈味性と有効利用に関する食品化学的研究
標題(洋)
報告番号 129207
報告番号 甲29207
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3912号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 潮,秀樹
 東京大学 教授 松永,茂樹
 東京大学 教授 浅川,修一
 東京大学 特任教授 渡部,終五
 東京大学 准教授 木下,滋晴
内容要旨 要旨を表示する

トラフグTakifugu rubripesはフグ類の中でも最も美味とされ、わが国で水産上、最も重要な魚種の1つである。トラフグの筋肉の食味は独特の強いテクスチャーと繊細な味とされるが、一般的に養殖魚は天然魚より食味が劣るとされ、養殖魚の市場における評価は低い。しかしながら、これを裏付ける科学的な分析はほとんど行われていない。一方、皮膚は、湯がいた後のテクスチャーが好まれるほか、煮凝りの原料としても利用される。筋肉および皮膚のテクスチャーは、結合組織の主成分であるコラーゲンによって決定される。トラフグの皮膚は上述の通り、煮凝りなどの加工品にも利用されるが、その利用率は高くない。皮膚はコラーゲンに富み、その有効利用が望まれ、その機能性を明らかにすることは、トラフグ皮膚コラーゲンの高度利用へとつながる。

このような背景の下、本研究では、養殖トラフグの食味の改善を目指す研究の一環として、養殖トラフグ活魚の活け締め後の処理法の違いによる食味とエキス成分の差異、天然魚と養殖魚間における食味とエキス成分の違いを明らかにすることを試みた。また、フグ類の食味に影響を及ぼす因子を明らかにするため、食味の違いが明確であるとされる日本産および中国産輸入シロサバフグLagocephalus spadiceusの食味とエキス成分を比較した。さらに、コラーゲンのテクスチャーに及ぼす影響および加工食品における機能性の基礎的知見を得ることを目的とし、トラフグの皮膚および筋肉コラーゲンの生化学的性状を調べるとともに、皮膚コラーゲンのプロテアーゼ消化物から血圧降下作用を示すアンジオテンシン変換酵素(ACE)阻害ペプチドの精製およびアミノ酸配列の同定を試みた。成果の概要は以下の通りである。

1. フグ類の食味と呈味成分の比較

養殖トラフグ活魚を活け締め後、身欠きを調製し、この身欠きを氷水で2時間浸漬する試験区(氷水処理区)と、5時間2°Cで冷蔵する試験区(直接冷蔵区)を設定した。次いで両区ともクッキングペーパーで包み、真空パック後、2°Cで一晩冷蔵した。一方、天然魚および養殖魚の食味の比較においては、直接冷蔵区の標品のみを対象とした。官能検査は11-12名のパネルを用いて古川(1994)の一対比較法で行った。テクスチャーの比較においては、直径3 mmの円柱型プランジャーを用いて背側筋肉の破断強度および80%押し込み時の応力を測定した。エキス成分の分析では、厚さ2 mmのトラフグ肉片に100倍量の冷エタノール、3倍量の10%過塩素酸(PCA)または10%トリクロロ酢酸(TCA)で抽出液を調製し、遊離アミノ酸、ATP関連化合物などを常法によって定量した。

養殖トラフグの氷水処理区の加工処理工程中におけるエキス成分の変化では、グルタミン酸、グリシンなどの遊離アミノ酸量および遊離アミノ酸総量がクッキングペーパー処理後で高かった。また、クレアチニンおよびグルコース量についてもクッキングペーパー処理後で高い値が得られた。クッキングペーパー処理によって筋肉中のエキス成分が濃縮された結果と思われる。しかしながら、旨味成分とされるイノシン酸(IMP)、ATP関連化合物総量、および酸味に寄与するL-乳酸量については、両区とも有意な変化はみられなかった。

次に、クッキングペーパー処理後の標品につき、氷水処理の効果を検討したところ、厚さ5 mmのスライス肉の破断強度では、氷水処理区の方が直接冷蔵区より高く、即殺後の氷水処理が筋肉の破断強度に影響を及ぼしたものと推察された。しかしながら、厚さ2 mmのスライス肉の破断強度、官能検査およびエキス成分では、両区の差はほとんどみられなかった。

次に、直接冷蔵区のトラフグの天然魚と養殖魚の食味を比較した。クッキングペーパー処理後の厚さ2 mmのスライス肉を用いた官能検査では、後味、ほぐれやすさ、酸味および苦味が天然魚より養殖魚で強かったが、旨味では違いがみられなかった。同スライス肉の応力測定では、即殺直後およびクッキングペーパー処理直後ともに、天然魚と養殖魚の間に違いはみられなかったが、養殖魚ではクッキングペーパー処理後の応力は即殺直後より低下した。これらの結果から、養殖魚の方が死後変化の進行が速やかであるものと示唆された。エキス成分では、クッキングペーパー処理後で、バリン、ロイシンなどの苦味を呈する遊離アミノ量は天然魚の方が高く、官能検査の結果とは一致しなかった。一方、甘味を呈するグリシンおよびアラニン量は養殖魚の方が高かった。IMPおよびL-乳酸の量も養殖魚の方が高かった。前述のように、天然魚と養殖魚の間で官能検査では旨味に違いがみられなかったものの、酸味は養殖魚の方が強く、L-乳酸量の違いと一致した。L-乳酸量の違いからも養殖魚の方が天然魚より死後変化が早いものと推察された。しかしながら、天然魚と養殖魚の間の食味の差は総じて微妙であった。

そこで、トラフグの食味に関する聞き取り調査を行った。その結果、トラフグの食味を評価する上で弾力、硬さ、旨味、味の深み、先味および持続性が重要であり、生食より加熱肉および煮汁の方が食味の差が明らかであるという意見が得られた。これらの結果を参考に、食味の違いが明確とされる日本産(国産魚)および中国産輸入シロサバフグ(輸入魚)の加熱肉および煮汁を調製した。すなわち、シロサバフグの冷凍身欠きを半解凍後、1 cm角の背側筋肉を同量の沸騰水で3分間加熱し、加熱肉および煮汁を調製した。これら試料を対象に、トラフグの場合と同様の方法を用いて官能検査を行うとともに、10% PCAまたは10 % TCAで調製した抽出液を用いてエキス成分を分析し、食味に影響を及ぼす因子を明らかにするための知見を得ることとした。

シロサバフグの煮汁においては輸入魚で苦味が強かった。メチオニン、チロシンなどの苦味に寄与する遊離アミノ酸量は、輸入魚の方が高く、官能検査の結果と良く一致した。旨味は国産魚の方が強く、高濃度に含まれると旨味を呈するアンセリンの量と相関した。しかしながら、IMP量は国産魚と輸入魚の間に違いはみられなかった。また、L-乳酸量および酸味は国産魚と輸入魚の間に違いは認められなかった。一方、加熱肉においてはL-乳酸量は国産魚の方が高かったが、酸味は国産魚と輸入魚の間に差はみられなかった。加熱肉および煮汁ともに輸入魚の方が鼻孔からの魚の臭いが強かった。魚の臭いを呈するトリメチルアミン(TMA)の量は輸入魚の方が高く、これが輸入魚の鼻孔からの魚の臭いの強さの原因であることが示唆された。また、アミン類は鮮度低下の進行に伴って増加することから、輸入魚の方で鮮度低下が速やかに進行したものと考えられた。

2. トラフグ・コラーゲンの生化学的性状と機能性

養殖トラフグの腹側白色皮膚、背側黒色皮膚および背側普通筋を0.1 N NaOHで処理後、0.5 M酢酸および酵素:基質=1:20の重量比のペプシンを用いて酸可溶性コラーゲン(ASC)およびペプシン可溶化コラーゲン(PSC)を精製した。

精製トラフグ・コラーゲンのSDS-PAGEパターンではいずれも130 kDa付近にα1およびα2のバンドがみられ、主な分子種はI型と推定された。アミノ酸組成では、いずれのコラーゲンもグリシンが全体のおよそ3割を占め、続いてアラニンとプロリンがおよそ1割を占めた。コラーゲンに特徴的なヒドロキシプロリンおよびヒドロキシリシンも多かった。いずれのトラフグ・コラーゲンもI型コラーゲンと類似したアミノ酸組成を示し、これらの結果からも精製されたトラフグ・コラーゲンの主な分子種はI型であることが示唆された。ペプチドマップでは、黒色皮膚、白色皮膚および背側普通筋から調製したコラーゲンの違いを問わず、V8プロテアーゼによって生じた30 kDa付近の主要成分のSDS-PAGE易動度は、ASCの方がPSCよりやや小さかった。一方、リシルエンドペプチダーゼによるペプチドマップでは、30 kDa付近のバンドはASCで1本であったのに対して、PSCでは2本であった。0.05 M酢酸中、タンパク質濃度0.7 mg/ml、5-80°C、昇温速度60°C/hの条件で示差走査熱量分析を行ったところ、温度安定性の指標となる転移温度は、ASCおよびPSCともに背側普通筋から調製したコラーゲンは31.9-32.0°Cと、白色皮膚および黒色皮膚のものよりおよそ1°C高かった。0.5 M酢酸中のトラフグ・コラーゲンは、ASCおよびPSCともに4% NaCl以上で急激な溶解度の低下がみられた。NaCl非存在下では、いずれのコラーゲンの溶解度も中性からアルカリ性で低下した。

次に、背側白色皮膚のPSCをプロテアーゼで消化し、ACE阻害ペプチドの精製およびアミノ酸配列の同定を検討した。加熱変性後のコラーゲンに酵素:基質=1:100の重量比でアルカラーゼ、サーモリシン、α-キモトリプシン、コラゲナーゼおよびトリプシンを加え、各々の至適温度で2-24時間消化したところ、コラゲナーゼ10時間消化物のACE阻害活性が最も高かった。その消化物を限外ろ過膜で5-10 kDa、3-5 kDaおよび<3 kDaの分子サイズに分画したところ、<3 kDa画分のACE阻害活性が最も高かった。得られた<3 kDa画分を逆相高速液体クロマトグラフィー(RP-HPLC)に供し、ACE阻害活性の最も強い画分について、さらにRP-HPLCを繰り返して精製を行った。ACE阻害活性が最も強い画分からはGly-Phe-Ala-Gly-Thr、Gly-Phe-Ala-Gly-Ile、Gly-Phe-Leu-Gly-ThrおよびGly-Phe-Leu-Gly-Ileの4つのペプチドが得られた。

以上、本研究により、養殖トラフグ活魚につきクッキングペーパー処理を行った際にエキス成分が濃縮され、食味が強まる可能性が示された。また、天然魚に比べて養殖魚の方が、死後変化の進行が速やかであるものと推定された。シロサバフグの国産魚および輸入魚の食味の比較では、TMA量が食味に影響を及ぼすことから、鮮度管理が重要であるものと考えられた。トラフグ・コラーゲンの温度安定性については、背側普通筋の方が皮膚より高く、生化学的性状がやや異なった。トラフグ皮膚コラーゲンのコラゲナーゼ消化物から高いACE阻害活性を示す4つのペプチドを得ることができた。これらの成果は、フグ類の食味の一端を説明し、コラーゲンの高度利用に貢献するもので、食品化学分野に資するところが大きいと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

山口洋子氏の提出論文 フグ類可食部の呈味性と有効利用に関する食品化学的研究はトラフグを代表とするフグ類の食味を化学成分から明らかにしようと試みるほか、皮のコラーゲンの有効利用の一環としてその酵素分解ペプチドのアンジオテンシン変換酵素阻害作用について詳細に検討したものである。その概要を以下に示す。

トラフグの筋肉の食味は独特の強いテクスチャーと繊細な味とされ、一般的に養殖魚は天然魚より食味が劣るとされるが、これを裏付ける科学的な分析はほとんど行われていない。一方、皮膚は、湯がいた後のテクスチャーが好まれるほか、煮凝りの原料としても利用される。筋肉および皮膚のテクスチャーは、結合組織の主成分であるコラーゲンによって決定される。皮膚はコラーゲンに富み、その機能性を明らかにすることは、トラフグ皮膚コラーゲンの高度利用へとつながる。そこで、養殖トラフグ活魚の活け締め後の処理法の違いによる食味とエキス成分の差異、天然魚と養殖魚間における食味とエキス成分の違いを明らかにすることを試みた。また、食味の違いが明確であるとされる日本産および中国産輸入シロサバフグの食味とエキス成分を比較し、フグ類の食味に影響を及ぼす要因を検討した。さらに、コラーゲンのテクスチャーに及ぼす影響および機能性の基礎的知見を得ることを目的とし、トラフグの皮膚および筋肉コラーゲンの生化学的性状を調べるとともに、皮膚コラーゲンのプロテアーゼ消化物から血圧降下作用を示すアンジオテンシン変換酵素(ACE)阻害ペプチドの精製およびアミノ酸配列の同定を試みた。

養殖トラフグ活魚を活け締め後、身欠きを調製し、この身欠きを氷水で2時間浸漬する試験区(氷水処理区)と、5時間2°Cで冷蔵する試験区(直接冷蔵区)を設定した。次いで両区ともクッキングペーパーで包み、真空パック後、2°Cで一晩冷蔵した。一方、天然魚および養殖魚の食味の比較においては、直接冷蔵区の標品のみを対象とした。これらの試料を官能検査、破断強度、応力およびエキス成分の分析に用いた。養殖トラフグの氷水処理区の加工処理工程中におけるエキス成分の変化では、グルタミン酸やクレアチニン量などがクッキングペーパー処理後で高かった。クッキングペーパー処理によって筋肉中のエキス成分が濃縮された結果と思われる。次に、クッキングペーパー処理後の標品につき、氷水処理の効果を検討したところ、破断強度は氷水処理区の方が直接冷蔵区よりやや高かったが、官能検査およびエキス成分では、両区の差はほとんどみられなかった。次に、直接冷蔵区のトラフグの天然魚と養殖魚の食味を比較した。応力測定では、養殖魚でクッキングペーパー処理後の応力は即殺直後より低下した。エキス成分では、IMPおよびL-乳酸の量が養殖魚の方で高かった。これらの結果から、養殖魚の方が天然魚より死後変化が速やかであるものと示唆された。しかしながら、官能検査では天然魚と養殖魚の間の食味の差は総じて微妙であった。そこで、トラフグの食味に関する聞き取り調査を行った。その結果、生食より加熱肉および煮汁の方が食味の差が明らかであるという意見が得られた。この結果を参考に、食味の違いが明確とされる日本産(国産魚)および中国産輸入シロサバフグ(輸入魚)の加熱肉および煮汁を調製した。これら試料を対象に、官能検査およびエキス成分分析を行った。シロサバフグの加熱肉および煮汁ともに輸入魚の方が鼻孔からの魚の臭いが強かった。魚の臭いを呈し、鮮度低下に伴って増加するトリメチルアミンの量は輸入魚の方が高く、これが輸入魚の鼻孔からの魚の臭いの強さの原因であり、輸入魚の方で鮮度低下が進行したものと考えられた。これら結果から、フグ類の食味において鮮度管理が重要であることが示唆された。

養殖トラフグの腹側白色皮膚、背側黒色皮膚および背側普通筋から酸可溶性コラーゲン(ASC)およびペプシン可溶化コラーゲン(PSC)をSato et al. (1988)の方法で精製した。

精製トラフグ・コラーゲンのSDS-PAGE分析およびアミノ酸組成から主な分子種はI型であることが示唆された。示差走査熱量分析を行ったところ、ASCおよびPSCともに背側普通筋から調製したコラーゲンは皮膚のものより高く、生化学的性状がやや異なった。

次に、白色皮膚のPSCをプロテアーゼで消化し、ACE阻害ペプチドの精製およびアミノ酸配列の同定を検討した。加熱変性後のコラーゲンにアルカラーゼ、サーモリシン、α-キモトリプシン、コラゲナーゼあるいはトリプシンを加え2-24時間消化したところ、コラゲナーゼ10時間消化物のACE阻害活性が最も高かった。その消化物から限外ろ過および逆相高速液体クロマトグラフィーを用いてACE阻害ペプチドを精製したところ、Gly-Phe-Ala-Gly-Thr、Gly-Phe-Ala-Gly-Ile、Gly-Phe-Leu-Gly-ThrおよびGly-Phe-Leu-Gly-Ileの4つのペプチドが得られた。

以上、本研究で得られた成果は、フグ類の食味の一端を説明し、コラーゲンの高度利用に貢献するもので、食品化学分野に資するところが大きいと考えられる。

以上、本研究で得られた成果は、フグ類の食味の一端を説明し、コラーゲンの高度利用に貢献するもので、基礎生物科学的な知見の提供だけでなく、産業上の応用にもつながるものとして、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として必要十分な条件を満たす、価値あるものと判定した。

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