学位論文要旨



No 129220
著者(漢字) 木村,崇之
著者(英字)
著者(カナ) キムラ,タカユキ
標題(和) 日本農業における新たな協業活動の展開に関する経済分析
標題(洋)
報告番号 129220
報告番号 甲29220
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3925号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農業・資源経済学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中嶋,康博
 東京大学 教授 本間,正義
 東京大学 教授 木南,章
 東京大学 准教授 万木,孝雄
 東京大学 准教授 細野,ひろみ
内容要旨 要旨を表示する

日本農業は、農地面積や農業産出額が減少するなど衰退が進んでいるが、その根本にあるのは、農業の担い手が十分に確保・育成されていないという問題である。地域で農業の担い手が不足することで、耕作放棄が発生するだけでなく、農業のインフラである水路や農道の維持・管理が困難になり、農村のコミュニティが維持できなくなるなど、農村ではさまざまな問題が深刻化してきている。

このような中で、近年、小売・外食企業等の実需者との直接取引ニーズに農業者同士が地縁によることなく協業することで対応しようとする取組が増加している。本研究では、このような取組を「新たな協業活動」と位置付け、このような活動を行う生産者組織を対象に分析を行った。以下、各章ごとにその内容を述べていく。

第1章においては、日本農業をめぐる長期的な動向を分析し、その退潮傾向の背景にあるのは農業の担い手不足の問題であることを指摘した。そして、担い手不足の状況の中でも、近年、従来の協業とは組織や構成員の特質が異なる「新たな協業活動」を行う組織(以下「新協業組織」という。)が増加しつつあり、これを研究テーマとして、このような組織の形成をもたらした農業や食料をめぐる構造変化や組織の仕組み、組織とその構成員との関係等について明らかにしていくことが本研究のねらいであることを述べた。

第2章では、「新たな協業活動」が行われるようになった背景にある農業構造や農産物流通、食料消費をめぐる構造変化について分析した。農業の担い手が減少する中、特に土地利用型農業では規模拡大が進まず、依然として中小規模の農業経営が多く存在する農業構造が維持されている。他方、農産物流通に関しては、生協や食品宅配企業が、近年では、小売や外食企業等も生産者との直接取引を求める動きを強めている。

こうした構造変化の中で、今後の日本農業の担い手のあり方を考えると、単なる経営規模の拡大だけでなく、複数の農業者による協業を進めることが必要であり、実際に、組織経営体の数が増加している状況にある。しかしながら、新協業組織は、農協や集落営農のような従来の協業組織とは全く異なる特質を有していることを実在の協業組織の事例により示した。

第3章では、まず、協業組織に係る政策的な位置付けや既往の研究成果について確認を行った。これまでの政策においては、「協業」は地縁に基づいて主に生産工程について行うものとして位置付けられてきた。また、協業を行う組織に関して、米国では、新制度派経済学やゲーム理論等を用いた分析が行われているが、日本では、このようなアプローチはほとんど見られない。

本研究では、組織と構成員との間に「情報の非対称性」が存在するという新制度派経済学のプリンシパル-エージェント理論の考え方に沿って分析を行った。情報の非対称性は、生産者が組織に加入する前には、技術力や意欲等の生産者の「質」に係る「隠された情報」の問題が生じ、加入後には、決められた栽培方法等を遵守するかどうか等の生産者の「行動」に係る「隠された行動」の問題を発生させる。

協業組織は必然的にこの組織と構成員との間における情報の非対称性の問題に直面し、これに起因して発生する逆選択やモラルハザードといった組織問題への対応が組織の持続を図る上で必要となる。こうした組織問題の発生の態様を分析するため、協業組織の形成過程と組織運営をモデル化し、組織問題への対応のあり方を考察した。

第4章では、「新たな協業活動」の概念を明らかにするとともに、それを行う組織の仕組みや特質等について分析を行った。「新たな協業活動」は、近年の食料消費や農産物流通における構造変化に対応して、直接取引に商機を見出し、それに対応できる生産・出荷の仕組みを生産者の協業により実現した取組であることを示した。そして、生産と出荷を一元的に行っている点や地縁によらずに生産者を組織化している点等が、従来の協業組織にはない革新的な取組であることを指摘した。

また、このような新協業組織の仕組みについて分析を行い、組織への加入要件や組織内の規則やルールといった仕組みが直接取引で求められる高品質な農産物の供給を可能にするとともに、消費者の評価を生産サイドにフィードバックすることで、生産者の意欲や技術力の向上を促していることを明らかにした。また、こうした仕組みを通じて、逆選択やモラルハザードといった組織問題にも対応していることを示した。

さらに、「新たな協業活動」を行う実在の組織について分析を行い、数十~百数十名で組織されていることや、構成員が広域に分布していること等の新協業組織に共通の特質を示した。さらに、構成員の分布や経営多角化の度合いにより、新協業組織を類型化し、組織の発展の方向性について考察を行った。

実在の組織の構成員を対象に行ったアンケート調査からは、生産品目や経営規模等が多様であることや、営農意欲が高く経営発展志向が強いこと、組織運営にも関心が高く協力的であることといった点が、新協業組織の構成員の特徴として示された。

第5章では、協業組織における構成員の組織に対する選好について分析を行った。組織の事業内容や組織が提供するサービスの内容等について、構成員がどのような選好を有しているかを把握することは、新協業組織の形成や運営に当たって決定的に重要である。しかしながら、このような選好を直接的に観察することは困難であるため、表明選好法に基づく選択実験により、構成員の潜在的な選好を把握する手法を新たに開発した。

選択実験は、実在の新協業組織の構成員を対象に実施した。推計には、8つの説明変数と2つの交差項を含めた4つのモデルを使用した。推計の結果、組合員は、販売価格が高いこと、直営の直売所を有していること、生協に加え、消費者団体や外食企業が取引先であること、品目別部会の活動としてマーケティングを行っていることといった特質を有する組織を選好していることが示された。

この結果から、組合員を農産物の単なる供給者としてではなく,販売先の選択やマーケティングに積極的に関わる者として組織内に位置付けることが組合員の意欲を高める上で重要である点などが示唆された。

第6章では、協業組織が経営多角化により経営発展を図る際の対応と課題について分析を行った。 新協業組織は、構成員の意欲が高く、原料調達等の面でも新規事業に取り組みやすい環境にあることから、食品加工や飲食サービス等の経営多角化による経営発展を図るケースが多く見られる。このように経営多角化を図る際に、経営者が実際にどのような課題に直面し、それにどう対応してきたのかを分析することは、新協業組織の経営発展を考える上で重要である。

経営多角化の取組は、単なる生産活動とは異なる知識や技術、ノウハウが求められる事業活動であり、その内容も多岐にわたることから、共通の評価の尺度が必要となる。このため、食品事業者や行政等の関係者が参画したFCP(フード・コミュニケーション・プロジェクト)が策定した「協働の着眼点」を活用して、食の信頼に係る取組を定量的に評価するための新たな手法を開発した。この手法を用いて、全国の農業法人を対象に調査を行った結果、「社内での対応」と比較して、「お客様対応」や「緊急時の対応」の取組に遅れが見られること、「お客様対応」が売上高や経営多角化の取組年数の増加とともに改善されるのに対し、「緊急時の対応」は、これらとは相関が無く、食品事故等を契機として改善される可能性などが示唆された。

さらに、DEA(データ包絡分析法)を用いた総合的な評価では、食の信頼向上の取組の水準は、自社ブランドの有無や連携している異業種数といった要因に規定されるが、事業規模や事業経験年数とは必ずしも影響しないことが示された。新協業組織が経営多角化により経営発展を図るためには、このような食の信頼に係る取組の性質を踏まえ、特に、食品事故等の不測の事態への備えを事故経験がなくとも行っておくことや異業種との連携を積極的に図ること等が重要である点が示唆された。

第7章においては、上記の分析結果を取りまとめるとともに、「新たな協業活動」の可能性と課題について考察を行った。新協業組織は、今後のさらなる構造変化に対応してその形成が促進されることが期待されるとともに、農協や集落営農といった従来の協業組織であっても、組織のあり方を見直すことで「新たな協業活動」を行い得ること等を指摘した。一方、新協業組織が直接取引に依存していることによりリスクが伴うことや、理念的なつながりが強い創業世代が世代交代を迎えつつあり、若い世代に対応した組織の仕組みの見直しが必要であること等の課題について提起した。そして、最後に、「新たな協業活動」が地域農業で果たすべき役割や他の経営体や農協等も含めた地域農業全体のあり方等について考察を行った。

審査要旨 要旨を表示する

本研究の目的は、現代のフードシステムに対応するために登場した「新たな協業活動」を分析することにある。日本農業は、農地面積や農業産出額が減少するなど衰退が進んでいるが、その根本にあるのは、農業の担い手が十分に確保・育成されていないという問題である。地域で農業の担い手が不足することで、耕作放棄が発生するだけでなく、農業のインフラである水路や農道の維持・管理が困難になり、農村のコミュニティが維持できなくなるなど、農村ではさまざまな問題が深刻化してきている。しかし担い手不足は、生産分野だけではなく、流通・販売分野でも看過できない問題となっている。このような中で、近年、小売・外食企業等の実需者との直接取引ニーズに農業者同士が地縁によることなく協業することで対応しようとする取組が増加している。本研究では、このような取組を「新たな協業活動」と位置付け、このような活動を行う生産者組織「新協業組織」を対象に分析を行った。

第1章では、研究全体の課題の整理がなされた。

第2章では、新しい食の潮流がベースとなり、戦後のトレンドからは大きく異なる農産物流通、食料消費をめぐる構造変化がすでに起こっていて、これまでの農協や集落営農のような旧来型組織では対応できなくなりつつあることが指摘された。量販店や外食企業等と生産者との直接取引が進められている多くの成功事例を紹介しながら、複数の農業者による新しい協業組織によって対応することの優位性が明らかにされた。

第3章では、新制度派経済学のプリンシパル-エージェント理論の枠組みで「新たな協業活動」の分析が行われた。協業する場合、組織と構成員との間における情報の非対称性に起因して発生する逆選択やモラルハザードへの対応が、組織の持続を図る上で不可避的に重要な課題となっている。こうした組織問題の発生の態様を分析するため、協業組織の形成過程と組織運営をモデル化し、組織問題への対応のあり方を考察した。

第4章では、「新たな協業活動」の概念をあらためて定義するとともに、それを行う革新的な組織の仕組みや特質等について分析を行った。新協業組織として全国で先駆け的モデルとなった実在の組織の構成員に対して行ったアンケート調査から、生産品目や経営規模等が多様であること、営農意欲や経営発展志向が強いこと、組織運営にも関心が高く協力的であることなどが確認された。そこでは、組織への加入要件や組織内の規則やルールといった仕組みが直接取引で求められる高品質な農産物の供給を可能にするとともに、消費者の評価を生産サイドにフィードバックすることで、生産者の意欲や技術力の向上を促していることが明らかにされた。

第5章では、表明選好法に基づく選択実験を第4章と同じ新協業組織の組合員に適用して、組織の事業内容や組織が提供するサービスの内容等に対する潜在的な選好を把握した。その結果、販売価格の高さ、直営の販売ルート、消費者団体や外食企業との直接取引、品目別部会のマーケティング機能といった特質への支持の高いことが示された。すなわち、組合員自身が農産物の単なる供給者としてではなく,販売先の選択やマーケティングに積極的に関わる者として組織内に位置付けることが、組合員の意欲を高める上で重要であると示唆された。

第6章では、新協業組織が経営多角化により経営発展を図る際の対応と課題について分析を行った。新しい食の潮流において重要な要素の一つである「食の信頼」を向上させるための取り組みを把握する尺度によって経営多角化を評価する手法を開発し、新協業組織を含む全国の農業法人99社を対象にアンケート調査を行った。その尺度には、FCP(フード・コミュニケーション・プロジェクト)の「協働の着眼点」を利用した。その調査データを基にDEA(データ包絡分析法)による総合評価を行った結果、食の信頼向上の取組の水準は、自社ブランドの有無や連携している異業種数といった要因に規定されるが、事業規模や事業経験年数とは必ずしも影響しないことが示された。そして、新協業組織が経営多角化により経営発展を図るためには、このような食の信頼に係る取組の性質を踏まえ、特に、食品事故等の不測の事態への備えを事故経験がなくとも行っておくことや異業種との連携を積極的に図ること等が重要であるとされた。

最後に第7章では、上記の分析結果を取りまとめるとともに、「新たな協業活動」の可能性と課題について考察を行った。

本研究において、新協業組織は、今後のさらなる食料消費の構造変化に対応してその形成が促進されることが期待されるとともに、農協や集落営農といった従来の協業組織であっても、組織のあり方を見直すことで「新たな協業活動」を行い得ることが指摘された。一方、新協業組織が直接取引に依存していることによりリスクが伴うことや、理念的なつながりが強い創業世代が世代交代を迎えつつあり、若い世代に対応した組織の仕組みの見直しが必要であること等の課題についても言及された。その上で、「新たな協業活動」が地域農業で果たすべき役割や他の経営体や農協等も含めた地域農業全体の構造改革について重要な政策的示唆が導かれた。本研究は、わが国の生産組織研究ではほとんど適用例のなかった新制度派経済学の枠組みにより、一貫した理論的・実証的分析を行ったことで、先進的な農業生産活動である「新たな協業行動」の分析を行うことができた。このように本研究は、学術上、応用上資するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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