学位論文要旨



No 129241
著者(漢字) 安藤,康年
著者(英字)
著者(カナ) アンドウ,ヤストシ
標題(和) インスリン抵抗性発生におけるインスリン受容体基質相互作用タンパク質GKAP42の新規機能
標題(洋)
報告番号 129241
報告番号 甲29241
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3946号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 高橋,伸一郎
 東京大学 教授 西原,真杉
 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 特任教授 加藤,久典
 東京大学 准教授 田中,智
内容要旨 要旨を表示する

世界中で罹患者が急増しているII型糖尿病は、血中に十分量のインスリンがあるにも関わらずインスリンの作用が十分に発現されない「インスリン抵抗性」を主因とするメタボリックシンドロームである。一般にインスリンは、標的細胞の細胞膜上に存在するインスリン受容体に結合すると、受容体に内蔵されているチロシンキナーゼを活性化し、インスリン受容体基質 (IRS) をはじめとした細胞内基質をリン酸化する。チロシンリン酸化された基質を認識して、PI 3-kinase (PI3K) などのシグナル分子が相互作用し、これを起点として下流シグナル経路が活性化、広範な生理活性を発揮する。特に、脂肪組織や筋肉におけるインスリン依存性糖取り込みについては、PI3K経路のセリン/スレオニンキナーゼAktが活性化されると、糖輸送担体 (GLUT) 4を含む小胞が細胞膜に移行し、糖取り込みが誘導される。この際、他の細胞外因子によってインスリンシグナル伝達のいずれかの段階が阻害されると、「インスリン抵抗性」に陥ることになる。

我々は、インスリンの生理活性の修飾機構を解析している過程で、IRSが複数のタンパク質(IRS-associated proteins; IRSAP)と結合し、巨大なシグナル分子複合体を形成していることを見出した。そして、IRSAPが他の因子や生理状態の変化に応答してダイナミックに変動し、インスリンシグナル伝達や生理活性を変化させていることを明らかにしてきた。そこで本研究では、複数種存在するIRSのうちIRS-1をbaitとした酵母 two-hybrid screeningによって同定されたIRSAP、42-kDa cGMP-dependent protein kinase anchoring protein (GKAP42) に着目し、GKAP42がインスリンのシグナル伝達や生理活性発現に果たす役割を検討すると共に、「インスリン抵抗性」発生への関与を明らかにすることを目的とした。

インスリン受容体基質と相互作用する分子GKAP42がインスリンシグナル伝達および糖取り込みに果たす役割

GKAP42は、これまで精巣のみで組織特異的な発現が認められると報告されてきたが、今回、インスリン標的細胞の一つである脂肪細胞においても発現していることが確認された。GKAP42の発現量は脂肪細胞の分化の進行と共に増加していることから、分化後の脂肪細胞で機能を発揮するタンパク質と考えられた。また、3T3-L1脂肪細胞を用いた共免疫沈降実験で、内在性のGKAP42とIRS-1との相互作用が確認された。そこで、siRNA法により3T3-L1脂肪細胞の内在性GKAP42を発現抑制し、インスリンシグナルおよびインスリン依存的な糖取り込みに与える影響を解析した。その結果、GKAP42の発現抑制はインスリン受容体の自己リン酸化に変化を与えないものの、インスリン刺激に応答したIRS-1/2のチロシンリン酸化を抑制し、同時にIRS-1/2と相互作用するPI3Kのタンパク量及び活性も減少させた。更に、PI3K経路下流のセリン/スレオニンキナーゼAktでは、活性を反映する473番目のセリン残基のリン酸化の減少が観察された。これに加え、GKAP42を発現抑制した3T3-L1脂肪細胞では、インスリン刺激に応答したGLUT4の細胞膜移行量および糖取り込みが有意に阻害された。一連の結果から、GKAP42はインスリン依存的なIRSのチロシンリン酸化および下流のPI3K経路のシグナルを維持することで糖取り込み能を発揮していると結論した。

GKAP42とIRS-1との相互作用がインスリンシグナル伝達およびGLUT4の細胞膜移行に及ぼす影響

続いて、GKAP42の種々の欠損変異体を用いてIRS-1との結合領域を検討し、GKAP42のN末端領域 (a.a. 1-95、以下、この領域をGKAP42-Nと呼ぶ) が相互作用に必要であることを明らかにした。GKAP42-NをHEK293T細胞に過剰発現したところ、IRS-1とGKAP42との相互作用が競合的に阻害された。更に、GKAP42-Nを過剰発現しIRS-1とGKAP42の相互作用を抑制したCHO細胞では、IRS-1のインスリン依存的なチロシンリン酸化が減少したのに対して、GKAP42を過剰発現しIRS-1とGKAP42の相互作用を増加させたCHO細胞では、IRS-1のインスリン依存的なチロシンリン酸化が増加した。また、GKAP42-Nを過剰発現した3T3-L1脂肪細胞では、インスリン依存的なGLUT4の細胞膜への移行が阻害された。これら一連の結果は、GKAP42とIRS-1の相互作用により、IRS-1のインスリン依存的なチロシンリン酸化およびGLUT4の細胞膜移行が維持されていることを示唆している。

TNF-αにより誘導されるインスリン抵抗性へのGKAP42の関与

多くのサイトカインは、IRS-1のインスリン依存性チロシンリン酸化の抑制を介して糖取り込みを阻害、すなわち、「インスリン抵抗性」を誘導する。そこで、3T3-L1脂肪細胞において、サイトカインの一つ、tumor necrosis factor (TNF) -αがインスリン抵抗性を発生する機構にGKAP42が関与するかを検討した。まず、TNF-αで3T3-L1脂肪細胞を種々の時間処理し、GKAP42のタンパク量の変動を調べた。その結果、GKAP42がTNF-αの処理時間に依存してプロテアソーム系によって分解されることが明らかとなった。GKAP42はcGMP-dependent kinase (cGK)-Iαと相互作用しているので、次にcGK-IαがTNF-α処理に応答したGKAP42のタンパク量の減少に関与するかを調べることにした。まず、siRNA法により3T3-L1脂肪細胞の内在性cGK-Iαを発現抑制し、この細胞をTNF-αで24時間処理後、GKAP42のタンパク量、インスリンシグナル伝達及び糖取り込みを解析した。cGK-Iαの発現抑制は、TNF-α処理によって起こるGKAP42のタンパク量の減少を回復させ、同時にTNF-α処理によって抑制されるインスリン依存的なIRS-1のチロシンリン酸化および糖取り込みを有意に増加させることを見出した。TNF-α処理がcGK-Iαの活性を上昇させる結果も併せ、「TNF-αはcGK-Iαを活性化し、この活性の増加はGKAP42の分解を促進する。これによりIRS-1を介したインスリンシグナル伝達が抑制され、インスリン依存的な糖取り込みが阻害される」という新しいインスリン抵抗性発生機構が稼働していると考えられた。

サイトカインによるインスリン抵抗性モデル動物におけるGKAP42タンパク量の変動

最後に、種々のサイトカインの増加によってIRS-1のインスリン依存性チロシンリン酸化および下流のインスリンシグナルが抑制され、インスリン抵抗性誘導が報告されている動物モデル、高脂肪食給餌マウス及びリポ多糖 (LPS) 投与ラットの脂肪組織におけるGKAP42のタンパク質レベルを解析した。これらのモデル動物の脂肪組織では予想に反してGKAP42のタンパク量が増加していた。これらの結果は、個体レベルではサイトカインによるインスリン抵抗性が誘導される過程で、GKAP42のタンパク量を増加させ、インスリンシグナルを維持することによって物質代謝の恒常性を維持する仕組みが存在している可能性を示している。

これまでの研究で、TNF-αをはじめとしたサイトカインによって誘導されるインスリン抵抗性の発生機構として、IRSのタンパク量が低下する、あるいは、IRSのセリンリン酸化によりIRSがインスリン受容体チロシンキナーゼによってチロシンリン酸化されにくくなることが報告されている。本研究で私は、IRSと相互作用するGKAP42がIRSのインスリン依存性チロシンリン酸化を維持する機能を有しており、TNF-αによって誘導されるインスリン抵抗性の少なくとも一部はTNF-α刺激に応答したcGK-Iαの活性化を介したGKAP42のタンパクレベルの低下によって引き起こされることを明らかにした。今後、GKAP42がどのような機構を介してIRSのチロシンリン酸化を維持するのかなどを解明することにより、GKAP42をはじめとしたIRSと相互作用するタンパク質を標的とした糖尿病の新しい発生機構の解明や、新規治療法・抗糖尿病薬の開発に直結するものと確信している。

審査要旨 要旨を表示する

世界中で罹患者が急増しているII型糖尿病は、血中に十分量のインスリンがあるにも関わらずインスリンの作用が十分に発現されない「インスリン抵抗性」を主因とするメタボリックシンドロームである。一般にインスリンは、標的細胞の細胞膜上に存在するインスリン受容体に結合すると、受容体に内蔵されているチロシンキナーゼを活性化し、インスリン受容体基質 (IRS) をはじめとした細胞内基質をリン酸化する。チロシンリン酸化された基質を認識してPI 3-kinase (PI3K) などのシグナル分子が相互作用し、これを起点として下流シグナル経路が活性化、広範な生理活性を発揮する。特に、脂肪組織や筋肉におけるインスリン依存性糖取り込みについては、PI3K経路のセリン/スレオニンキナーゼAktが活性化されると、糖輸送担体 (GLUT) 4を含む小胞が細胞膜に移行し、糖取り込みが誘導される。我々は、インスリンの生理活性の修飾機構を解析している過程で、IRSが複数のタンパク質(IRSAP)と相互作用し、巨大なシグナル分子複合体を形成していることを見出した。そして、IRSAPが他の因子や生理状態の変化に応答してダイナミックに変動し、インスリンシグナル伝達や生理活性を変化させていることを明らかにしてきた。そこで本論文では、複数種存在するIRSのうちIRS-1をbaitとした酵母 two-hybrid screeningによって同定されたIRSAP、42-kDa cGMP-dependent protein kinase anchoring protein (GKAP42) に着目し、GKAP42がインスリンのシグナル伝達や生理活性発現に果たす役割を検討すると共に、「インスリン抵抗性」発生への関与を明らかにすることを目的としている。

序章では、本研究の背景および意義を概説し、本研究の目的と本論文の構成について述べている。

第一章では、GKAP42がインスリンシグナル伝達および糖取り込みに果たす役割について検討した。内在性GKAP42とIRS-1との相互作用を確認後、3T3-L1脂肪細胞の内在性GKAP42を発現抑制し、インスリンシグナル伝達およびインスリン依存的な糖取り込みに与える影響を解析した。一連の結果から、GKAP42はインスリン依存的なIRSのチロシンリン酸化および下流のPI3K経路のシグナルを維持することで糖取り込み能を発揮していると結論している。

第二章では、GKAP42とIRS-1との相互作用がインスリンシグナル伝達およびGLUT4の細胞膜移行に及ぼす影響を明らかにしている。IRS-1が結合するGKAP42の領域を過剰発現し、IRS-1とGKAP42の結合を阻害した細胞では、IRS-1のインスリン依存的なチロシンリン酸化が増加し、インスリン依存的なGLUT4の細胞膜への移行が阻害された。これら一連の結果は、GKAP42がIRS-1との相互作用により、IRS-1のインスリン依存的なチロシンリン酸化およびGLUT4の細胞膜移行が維持されることを示唆していた。

第三章では、TNF-αによるインスリン抵抗性発生へのGKAP42の関与を検討している。解析の結果、3T3-L1脂肪細胞においては、TNF-αはcGK-Iαを活性化し、この活性の増加はGKAP42の分解を促進する。これによりIRS-1を介したインスリンシグナル伝達が抑制され、インスリン依存的な糖取り込みが阻害されるという新しいインスリン抵抗性発生機構が稼働していると結論した。また、GKAP42の発現が、インスリンシグナルの維持活性とは独立して、GLUT4の細胞膜移行を阻害することも明らかとした。

第四章では、サイトカインによるインスリン抵抗性発生モデル動物におけるGKAP42タンパク量の変動を検討している。高脂肪食給餌マウス及びリポ多糖 (LPS) 投与ラットの脂肪組織におけるGKAP42のタンパク質レベルを解析した結果、これらのモデル動物の脂肪組織では、予想に反してGKAP42のタンパク量が増加していた。これらの結果は、個体レベルではサイトカインによりインスリン抵抗性が誘導される過程で、GKAP42のタンパク量を増加させ、インスリンシグナルを維持することによって物質代謝の恒常性を維持する仕組みが存在している可能性を示した。

これらの結果をもとに、終章では、本研究の成果がインスリン抵抗性発生機構の解明に、どのように寄与しているかを総合的に討論している。

このように、本論文は、IRSに結合するGKAP42が、インスリンシグナルの維持やGLUT4の細胞膜移行の調節に重要は役割を果たしていることをはじめて明らかにしたもので、学術上・応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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