学位論文要旨



No 129244
著者(漢字) 中西,もも
著者(英字)
著者(カナ) ナカニシ,モモ
標題(和) 栄養膜細胞特異的なDNAメチル化パターン形成の研究
標題(洋) Studies on establishment of trophoblast cell lineage-specific DNA methylation profile
報告番号 129244
報告番号 甲29244
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3949号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 田中,智
 東京大学 教授 塩田,邦郎
 東京大学 教授 内藤,邦彦
 東京大学 准教授 今川,和彦
 東京大学 准教授 杉浦,幸二
内容要旨 要旨を表示する

緒言

ほ乳類のゲノムには,細胞種・組織間でDNAメチル化状態の異なる領域(T-DMR)が数多く存在し,T-DMRにおけるメチル化状態の集約であるDNAメチル化プロフィールはそれぞれの細胞に固有である.これはつまり,細胞が分化する際にはDNAメチル化プロフィールの刷新が起こることを意味する.細胞分化に伴う新たなDNAメチル化プロフィールへの置換とその保持が,細胞形質の発現・維持に重要であると考えることができる.

ほ乳類の胚発生では,最初の細胞分化によって栄養膜細胞系譜と胚体細胞系譜が分岐する.本研究では,この細胞分化において栄養膜細胞特異的なDNAメチル化プロフィールが形成されると考え,その機構を明らかにするべくマウス胚組織,および初期胚より樹立された培養細胞株trophoblast stem (TS)細胞,embryonic stem (ES)細胞を用いて解析を行った.

第1章

ほ乳類の胚発生における最初の細胞分化により,胚盤胞期に栄養外胚葉(TE)と内部細胞塊(ICM)が生じる.これが栄養膜細胞系譜と胚体細胞系譜の分岐が形態的に明らかになる最初のステージである.本研究はまず,(1)マウス胚発生において,栄養膜細胞系譜特異的なDNAメチル化パターンの形成は起こるのか,(2)そのメチル化パターンの差異は胚盤胞期においてTEとICMの間ですでに生じているのか,の2つの疑問について検証することから開始した.

TE,ICMから樹立された幹細胞株であるTS細胞,ES細胞はそれぞれ元となる組織の分化能,および遺伝子発現パタ-ンをよく反映する.そこでまず,両細胞株間でメチル化状態の異なるゲノム領域(TS-ES T-DMR)を探索し,これをもとにin vivoにおいても栄養膜-胚体細胞系譜間でT-DMRである領域(trophoblast-embryonic T-DMR, T-E T-DMR)を同定した.T-E T-DMRは,6.5日胚の胚体外外胚葉(ExE)と原始外胚葉(Epi)の比較においてもメチル化状態に差が見出された.また,これらマウスで同定されたT-E T-DMRの配列はヒトゲノムでも保存されており,ヒト胎盤絨毛組織とヒトES細胞の間でもマウスと同様のメチル化傾向を示すT-DMRであった.つまり,T-E T-DMRにおける細胞系譜特異的なメチル化パタ-ンは,種を超えてヒトでも保存されていた.しかし,マウス3.5日胚盤胞におけるメチル化状態を解析すると,TEとICMは形態も遺伝子発現様式も全く異なり,両者の分化は明らかに起こっているにもかかわらず,TE,ICMのいずれにおいてもT-E T-DMRはほとんどメチル化されておらず,両組織の間に差は見られなかった.この結果から,栄養膜細胞-胚体細胞系譜間の分化において,細胞系譜特異的なメチル化パターンの確立は形態的な分化に遅れて起きることが明らかになった.

また,着床遅延胚,胚盤胞の接着培養で得られるoutgrowth,およびHanging drop中で接着させずに培養した胚盤胞,の3条件で,いずれも受精から7.5日が経過したサンプルを解析に供した,着床遅延胚は胚盤胞の構造を維持したままであるが,Hanging drop中で培養した胚盤胞は形態が変化しegg cylinder様の構造をとる.また,種々のマ-カ-遺伝子の発現を解析したところ,outgrowthおよびegg cylinder様胚では3.5日胚盤胞と比較して,栄養膜細胞の分化進行に伴って発現する遺伝子の発現上昇が見られた.DNAメチル化解析の結果,着床遅延胚では,3.5日,4.5日胚と比べほとんどメチル化の亢進は見られなかったのに対し,outgrowthとegg cylinder様胚ではT-E T-DMRのメチル化の上昇が起きていた.以上の結果から,栄養膜細胞特異的なDNAメチル化は時間の経過によって自動的に施されるのではなく,分化・発生段階の進行に伴って起こることが示唆された.

第2章

ほ乳類は,活性を有するDNAメチル基転移酵素(DNA methyltransferase, Dnmt)を3種類持つ.維持型とされるDnmt1,新規にメチル化を導入する(de novo型)Dnmt3a,Dnmt3bである.第2章では,T-E T-DMRにおける栄養膜細胞特異的なDNAメチル化パタ-ンの形成をいずれのDnmtが担っているのか検証を行った.

Dnmt3a,3bそれぞれを欠損する6.5日胚のExEおよびEpiのT-E T-DMRにおけるメチル化状態を解析したところ,いずれのDnmtを欠損するかによってメチル化率の低下が見られるゲノム領域は異なっていた.また,すべての活性型Dnmtを欠損するTS細胞(TKO TS細胞)に各Dnmtを導入した場合のメチル化変化を解析したところ,この場合にも,ゲノム領域によってDNAメチル化の上昇をもたらすde novo型Dnmtは異なっていた.これらの結果から,T-E T-DMRにおける栄養膜細胞特異的なDNAメチル化を担うDnmtはゲノム領域によって使い分けが行われていることがうかがわれた.一方,TKO TS細胞にいずれのDnmtを導入した場合でも,本来TS細胞では低メチル化状態にあるゲノム領域ではメチル化の亢進は見られなかった.

以上の結果から,(1)栄養膜細胞特異的なDNAメチル化パタ-ンの形成にはDnmt3a,Dnmt3bの両方が寄与しているが,領域によって主にそのメチル化を担うDnmtが異なる,(2)TKO TS細胞におけるDNAの「再メチル化」は,本来TS細胞でメチル化されるべきゲノム領域に特異的に起こる,という結論が導かれた.そして,このDNA再メチル化の特異性には,DNAメチル化の受け手であるゲノム側の状態が関与しているのではないかと推測した.

第3章

第2章の結果から,TS細胞のゲノム上には,メチル化する/しないの目印として機能し,栄養膜細胞のDNAメチル化プロフィ-ルを形成するための基盤となるエピジェネティックマ-クが存在する,という仮説を立てた.そこで,その候補としてヒストン修飾に着目し,クロマチン免疫沈降法によりT-E T-DMRにおける種々のヒストン修飾状態を調べた.得られたヒストン修飾レベルの相対値と,TKO TS細胞にDnmtを導入した際のDNA再メチル化率を各領域についてプロットすると,H3K9me,H3K9me2,H3K36me2修飾レベルと,Dnmt3aによって誘導されるメチル化率との間に正の相関があることがわかった.さらに,TKO TS細胞のヒストン修飾レベルの値について同様にプロットした場合にも,この相関は維持されていた.

この結果から,Dnmt3aによって栄養膜細胞特異的なDNAメチル化パタ-ンが形成される機構として,(1)Dnmt,もしくはDnmtをリクル-トする因子がH3K9me,H3K9me2,H3K36me2修飾を認識し,そのゲノム領域にDnmtがDNAメチル化を施す,(2)これらのヒストン修飾を担うヒストンリシンメチル化酵素がDnmtをリクル-トし,結果として同じゲノム領域にヒストンのメチル化とDNAのメチル化が高いレベルで見出される,という2つの可能性が考えられた.

総括

本研究の結果から,マウス胚発生における栄養膜細胞系譜の分化に伴うDNAメチル化プロフィ-ルの確立は,形態的なTE/ICMの分化に遅れて起こることが示された.過去の報告により,胚盤胞期のゲノムワイドなDNAメチル化レベルはICMにおいてTEよりも高いと考えられてきた.しかし本研究は,T-E T-DMRにおける細胞系譜特異的なメチル化の変化はゲノムワイドなDNAメチル化レベルの変化するパタ-ンとは異なるという知見を示した.そして,この細胞系譜特異的なDNAメチル化は,さらに発生・分化の段階が進行するにつれて生じることを見出した.

また,T-E T-DMRにおけるDNAメチル化を担うDnmtは各ゲノム領域によって異なっており,特にDnmt3aを介した栄養膜細胞特異的なDNAメチル化パタ-ンの形成には,H3K9およびH3K36のメチル化,もしくはその修飾酵素が重要な働きを持つ可能性が示された.

審査要旨 要旨を表示する

ほ乳類のゲノムには、細胞種・組織間でDNAメチル化状態の異なる領域(T-DMR)が多数存在し、それらのメチル化状態の集約であるDNAメチル化プロフィ-ルは細胞種に固有である。これはつまり、細胞が分化する際にはDNAメチル化プロフィ-ルの刷新が起こることを意味する。

ほ乳類の胚発生では、最初の細胞分化によって栄養膜細胞系譜と胚体細胞系譜が分岐する。本研究では、この細胞分化においても栄養膜細胞特異的なDNAメチル化プロフィ-ルが形成されるとの仮説をたて、それを検証すべく、マウス胚組織や栄養膜幹(TS)細胞、胚性幹(ES)細胞などを用いた解析が行われた。

第1章では、栄養膜細胞系譜と胚体細胞系譜との間のT-DMRの同定と、胚盤胞におけるメチル化状態の解析が行われた。ほ乳類の胚発生における最初の細胞分化により、胚盤胞期に栄養膜細胞系譜である栄養外胚葉(TE)と胚体細胞系譜である内部細胞塊(ICM)が生じる。TEおよびICMから樹立された幹細胞株であるTS細胞、ES細胞はそれぞれ元となる組織の分化能、および遺伝子発現パタ-ンをよく反映する。そこでまず、両細胞株間のT-DMRを探索し、これをもとにin vivoにおいても栄養膜-胚体細胞系譜間でT-DMRである領域(T-E T-DMR)を同定した。これらマウスで同定されたT-E T-DMRに相同なヒトゲノム領域においても、ヒト胎盤絨毛組織とヒトES細胞の間でメチル化に違いが見られた。つまり、T-E T-DMRにおける細胞系譜特異的なメチル化パタ-ンは、種を超えて保存されているのである。しかし、マウス3.5日胚盤胞では、TE、ICMのいずれにおいてもT-E T-DMRはほとんどメチル化されておらず、両組織の間に差は見られなかった。この結果から、栄養膜細胞-胚体細胞系譜間の分化において、細胞系譜特異的なメチル化パターンの確立は形態的な分化に遅れて起きることが明らかになった。

第2章では、T-E T-DMRにおけるDNAメチル化パタ-ンの形成を担うDNAメチル化酵素(Dnmt)の検討がなされた。各種Dnmt欠損胚の解析、および、すべての活性型Dnmtを欠損するTS細胞(TKO TS細胞)にDnmtを再導入した場合のメチル化変化を解析したところ、DNAメチル化状態に変化をもたらすDnmtは領域ごとに異なっていた。一方、TKO TS細胞にいずれのDnmtを導入した場合でも、本来TS細胞で低メチル化状態にあるゲノム領域ではメチル化の亢進は見られず、領域特異的なメチル化制御機構の存在が示された。

第2章の結果から、「TS細胞のゲノム上には、メチル化する・しないの目印となるエピジェネティックマ-クが存在する」という仮説が立てられた。そこで第3章では、ヒストン修飾に着目し、クロマチン免疫沈降法によりT-E T-DMRにおける種々のヒストン修飾状態が調べられた。得られたヒストン修飾レベルの相対値と、TKO TS細胞にDnmtを導入した際のDNA再メチル化率をプロットすると、H3K9me、H3K9me2、H3K36me2修飾レベルと、Dnmt3aによって誘導されるメチル化率との間に正の相関があることがわかった。また、TKO TS細胞においてH3K9のメチル化を担う酵素G9aをノックダウンすると、Dnmt3aによるメチル化が阻害された。これらの結果から、1) H3K9me、H3K9me2、H3K36me2修飾を認識する因子がT-E T-DMRにDnmt3aをリクル-トする、あるいは、2) これらのヒストンメチル化修飾を担う酵素がDnmt3aと複合体を形成しており、結果として同じゲノム領域にヒストンのメチル化とDNAのメチル化が高いレベルで見出される、という2つの可能性が考えられた。

従来、胚盤胞期のゲノムワイドなDNAメチル化レベルはICMにおいてTEよりも高いとされてきた。しかし本研究は、T-E T-DMRにおける細胞系譜特異的なメチル化の変化はゲノムワイドなDNAメチル化レベルの変化するパタ-ンとは異なるという新たな事実を示した。また、特にDnmt3aを介した栄養膜細胞特異的なDNAメチル化パタ-ンの形成には、H3K9およびH3K36のメチル化、もしくはその修飾酵素が重要な働きを持つことが示された。これらの発見はほ乳類胚発生における細胞分化のエピジェネティック制御機構に新たな知見をもたらすものである。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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