学位論文要旨



No 129245
著者(漢字) 中野,真一
著者(英字)
著者(カナ) ナカノ,シンイチ
標題(和) 骨格筋多能性幹細胞の分化制御機構の解明および特異的表面抗原の探索
標題(洋)
報告番号 129245
報告番号 甲29245
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3950号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西原,眞杉
 東京大学 教授 眞鍋,昇
 東京大学 准教授 高橋,伸一郎
 東京大学 准教授 田中,智
 東京大学 准教授 山内,啓太郎
内容要旨 要旨を表示する

骨格筋は、ヒトでは体の35%~40%の重量を占めており、その機能は、運動作用や姿勢の保持であり、運動時には膨大なエネルギーを必要とすることから多くの糖質や脂質を代謝する。そして、さまざまな器官や組織と情報のやりとりをしながら、全身の生命機構を維持する役割を担っている。そのため、骨格筋機能の低下は生体にとって大きな影響を及ぼす。骨格筋は、再生能をもつ器官であり、筋線維の壊死や物理的な刺激を受けると骨格筋が傷害を受け、筋再生が起こる。この再生に大きく寄与しているのが筋衛星細胞(Satellite Cell)である。筋衛星細胞は、筋線維膜と基底膜の間に存在する単核の細胞であり、通常休止状態で存在しているが、筋に損傷が起こるとその刺激により活性化し増殖、融合することで筋線維へと分化する。

正常な骨格筋は筋線維で埋め尽くされているが、遺伝性の筋疾患である筋ジストロフィーや加齢性の筋萎縮症であるサルコペニア、また和牛でみられる霜降り肉などでは骨格筋内に脂肪組織が蓄積することが知られており、これが骨格筋機能の低下を招く。この骨格筋内にみられる脂肪組織は筋力低下の要因となるばかりでなく、筋細胞への栄養素供給の妨げとなり病態の進行に寄与し、さらには遺伝子治療における導入遺伝子や細胞移植治療における移植細胞などの疾患部位への到達を妨げ、治療効率を低下させるとも考えられている。骨格筋内に見られる脂肪組織は、前述の筋衛星細胞がその起源の一つと考えられており、この細胞が多分化能を示し、脂肪細胞へと分化したものと考えられていたが、最近の研究において筋衛星細胞とは異なる間葉系前駆細胞がその起源であると考えられている。しかしながら、骨格筋内には筋衛星細胞を含めた多能性幹細胞が存在し、活性化した際には筋細胞への分化能を持ち、脂肪細胞や骨芽細胞にも分化しうる能力を示すと考えられていることも事実である。当研究室では、ラット骨格筋に存在する細胞のクローン化に成功しており、その1つである2G11細胞は培養系において高度な脂肪分化能を示すと共に、筋芽細胞との共培養条件下では筋管細胞を形成する。さらに、脂肪細胞の出現を生じる再生筋や新たな筋線維を生じる再生筋のそれぞれに移植することにより、脂肪細胞や筋細胞に分化することも明らかとなっている。これらのことから、2G11細胞は骨格筋内において多能性幹細胞の分化能がどのような機構により制御されているかを探る上で極めて有用な細胞であると考えられる。従って、この2G11細胞を利用して、骨格筋多能性幹細胞の分化制御機構やその骨格筋内における動態が明らかとなれば、骨格筋内脂肪蓄積機構の理解やその人為的な制御へと繋がることが期待される。

幹細胞は通常未分化な状態で生体内に存在しており、生体内の"ニッチ(niche)"と呼ばれる場所に存在している。ニッチの構成成分には細胞外マトリックスや細胞成長因子が含まれているが、これらの中でも、塩基性線維芽細胞成長因子(bFGF)は骨格筋内で発現が認められ、損傷時には発現が増加し、幹細胞も含めた様々な細胞に対して増殖・分化活性を示す形態形成因子である。以上のことを背景に、本研究の第一章では、bFGFの作用により2G11細胞がもつ分化能がどのように制御されているかを明らかにすることを試みた。続く第二章では、2G11細胞のように高度な脂肪分化能を持つ多能性幹細胞が、骨格筋内に蓄積する脂肪細胞の由来であると考え、その生体内での同定を目指してモノクローナル抗体の作製による2G11細胞特異的表面抗原の探索を行った。

第一章 FGFによる骨格筋多能性幹細胞2G11脂肪の分化制御機構の解明

2G11細胞は、通常10 ng/mlのbFGF存在下で培養・維持され、脂肪分化誘導を行うと高度な脂肪分化能を示すことが明らかとなっている。そこでまず、脂肪分化誘導前の増殖培地中へのbFGFの添加の有無、もしくは脂肪分化誘導期間中のbFGF添加の有無がそれぞれ2G11細胞の脂肪分化に与える影響について検討を行った。その結果、2G11細胞の脂肪分化能発現には増殖培地中で維持する際のbFGF添加が必要であること、さらに、脂肪分化誘導期間中のbFGF添加は脂肪分化に影響を与えないことが確認された。また、同様の脂肪分化能維持作用はbFGFと共通の受容体に結合する酸性線維芽細胞成長因子(aFGF)を用いた場合にも観察された。一方、2G11細胞の筋分化能に対してはこのようなbFGFの分化能維持作用はみられなかった。以上のことから、FGFシグナルの活性化がそれに続いて起こる2G11細胞の脂肪分化に必須であることが明らかとなった。そこでこのようなFGFシグナルの作用をプライミング効果と名付けた。

次にbFGF前処理の有無により脂肪分化過程における脂肪分化転写因子群の発現パターンに違いがみられるかどうかを調べたところ、bFGFの前処理を行わない群では脂肪分化過程初期におけるC/EBPβとδの発現は正常にみられたものの、それらにより続いて誘導されるC/EBPαおよびPPARγの発現が著しく低下していた。この結果から、FGFシグナルによるプライミング効果はC/EBPβとδによるC/EBPαおよびPPARγの発現誘導機構に関与していることが判明した。

FGFシグナルによるプライミング効果を担う受容体を同定するために、まず2G11細胞において発現するFGF受容体(FGFR)を調べたところ、FGFR1、1c、2b、2c、3が発現していることが判明した。これらのFGFRをsiRNAにより発現抑制したところ、FGFR1およびFGFR2cを発現抑制した場合に限り、FGFシグナルによるプライミング効果が消失した。さらに、2G11細胞においてこれら2つの受容体の下流に存在するシグナル伝達経路を調べたところ、FGFR1の下流ではbFGFによりErk1/2-MAPK、Akt、PLCγの3つの経路が活性化することがわかった。しかしながら、これらいずれかの経路もしくは全ての経路を阻害した場合でもFGFシグナルによるプライミング効果は依然としてみられた。一方、FGFR2c の下流でbFGFにより活性化する既知の経路はなく、未知のシグナル伝達経路が存在する可能性が示された。従って、2G11細胞においてプライミング効果を担うFGFシグナル伝達経路については今後の課題として残された。

これまでの結果からFGFR1および2cの下流にはそれぞれ特異的にFGFシグナルによるプライミング効果を担う因子が存在している可能性が考えられる。DNAチップによる網羅的な解析の結果、FGFR1またはFGFR2cの下流で、bFGF刺激によりそれぞれ特異的に発現変動する因子が転写因子を含め多数存在することが判明した。このことから、これらの転写因子がC/EBPβおよびδによるC/EBPαおよびPPARγの発現誘導機構に関与することでFGFシグナルによるプライミング効果が発現している可能性が考えられた。

第二章 骨格筋多能性幹細胞2G11細胞の特異的表面抗原の探索

2G11細胞を抗原としてマウスに免疫することにより、モノクローナル抗体を作製した結果、2G11細胞を特異的に認識する5C12抗体および5G11抗体の2つの抗体が得られた。骨格筋初代培養細胞の中でこれらの抗体が認識する細胞は、M-cadherin陽性を示す筋衛星細胞とは異なることが確認された。次に骨格筋初代培養細胞中に含まれ、5C12抗体および5G11抗体に陽性を示す細胞が2G11細胞と同様に脂肪分化能を示すかどうか調べたところ、いずれかの抗体に陽性を示す細胞は全て脂肪分化能を有することが明らかとなった。このことから、得られた2つの抗体は骨格筋に存在し、脂肪分化能をもつ細胞を特異的に認識する可能性が示された。また、2つの抗体が認識する抗原はともに、2G11細胞の分化前後を通じて発現していたことから、脂肪細胞系譜の新たなマーカーとなる可能性が示された。

興味深いことに、5C12抗体が認識する抗原は、骨格筋初代培養細胞に由来する一部の筋管細胞や脂肪細胞で発現する一方、5G11抗体が認識する抗原は、筋管細胞では発現が認められなかったが、全ての脂肪細胞で発現が認められた。

以上の結果より、2つの抗体が認識する抗原がそれぞれ異なる分子を認識している可能性が示された。そこで、それぞれの抗原の同定に向けて、まずそれぞれの分子量を明らかにするために、ウェスタンブロッティングを行ったところ、5C12抗体が認識する抗原は約350kDaであり、5G11抗体が認識する抗原は約70kDaおよび55kDaであった。このことから、2つの抗体が認識する抗原は異なることが明らかとなった。また、細胞分画を行った条件下で解析したところ、2つの抗体が認識する抗原はどちらも膜に発現していることが確認された。最後に、抗原同定を行うために免疫沈降法による抗原の精製を行ったところ、5C12抗体のみ抗原の精製が可能であった。

以上、本論文では、骨格筋多能性幹細胞2G11細胞においてFGFシグナルが脂肪分化能維持作用をもつこと(プライミング効果)を見いだした。また、骨格筋内に存在し脂肪分化能をもつ細胞に特異的に発現すると思われる表面抗原を認識するモノクローナル抗体の取得に成功した。これらの知見により、骨格筋内に存在する脂肪分化能をもつ細胞が脂肪分化する際に、FGFシグナルがその脂肪分化能を維持していることが示唆された。このことは、骨格筋内に出現する脂肪細胞の出現機序の一端を担うとともに、骨格筋内に存在しているbFGFの新たな作用を明らかにしたと考えられる。さらに、骨格筋内に存在する脂肪分化能をもつ細胞を特異的に認識するモノクローナル抗体を得たことから、この細胞の動態や骨格筋内における機能を追跡することが可能となる。以上のことから、FGFシグナルや本モノクローナル抗体が認識する抗原に着目することで、今後骨格筋内脂肪蓄積機能の理解やその人為的な制御の新たな方法論の確立に繋がると期待される。

審査要旨 要旨を表示する

正常な骨格筋は筋線維から構成されているが、筋ジストロフィーや加齢性の筋萎縮症であるサルコペニア、あるいは和牛でみられる霜降り肉などでは骨格筋内に脂肪組織が蓄積し、これが骨格筋機能の低下を招く。骨格筋内に見られる脂肪組織は、筋衛星細胞とは異なる間葉系幹細胞がその起源であることが示唆されている。申請者の研究室で得られたラット骨格筋細胞のクローンの1つである2G11細胞は、高度な脂肪分化能を示すとともに筋芽細胞との共培養条件下では筋管細胞を形成することから、骨格筋内多能性幹細胞の分化制御機構を検討する上で極めて有用な細胞であると考えられる。幹細胞の分化能を制御するニッチの構成成分には細胞外マトリックスや成長因子が含まれるが、中でも塩基性線維芽細胞成長因子(bFGF)は骨格筋内で発現が認められ、様々な細胞に対して増殖・分化活性を示す成長因子である。本研究の第一章では、bFGFにより2G11細胞の分化能がどのように制御されているかを明らかにすることを試みた。続く第二章では、モノクローナル抗体の作製による2G11細胞特異的表面抗原の探索を行った。

第一章では、脂肪分化誘導前もしくは脂肪分化誘導期間中の培地中へのbFGFの添加の有無が、2G11細胞の脂肪分化能に与える影響を検討した。その結果、2G11細胞の脂肪分化能には増殖培地中で維持する際のbFGF添加が必要であることが示された。そこでこのようなbFGFの作用をプライミング効果と名付けた。脂肪分化転写因子群の発現パターンを調べたところ、bFGF前処理を行わない群では脂肪分化過程初期におけるC/EBPβとδの発現は正常にみられたものの、それらにより続いて誘導されるC/EBPαおよびPPARγの発現が著しく低下していた。2G11細胞において発現するFGF受容体(FGFR)を調べたところ、FGFR1、1c、2b、2c、3が発現していることが判明した。これらのFGFRをsiRNAにより発現抑制したところ、FGFR1およびFGFR2cを発現抑制した場合に限りFGFによるプライミング効果が消失した。さらに、FGFR1の下流ではbFGFによりErk1/2-MAPK、Akt、PLCγの3つの経路が活性化したが、FGFR2c の下流ではbFGFにより活性化する既知の経路はなく、未知のシグナル伝達経路の存在が示唆された。DNAチップによる網羅的な解析の結果、bFGF刺激により特異的に発現変動する因子が転写因子を含め多数存在することが判明した。これらの転写因子がFGFR1またはFGFR2cの下流でC/EBPβおよびδによるC/EBPαおよびPPARγの発現誘導機構に関与することで、bFGFによるプライミング効果が発現していることが示唆された。

第二章では、2G11細胞を抗原としてマウスに免疫することにより、モノクローナル抗体を作製した。その結果、2G11細胞を特異的に認識する5C12抗体および5G11抗体の2つの抗体が得られた。さらに、骨格筋初代培養細胞中に含まれ、いずれかの抗体に陽性を示す細胞は全て脂肪分化能を有することが明らかとなった。また、両抗体が認識する抗原はともに2G11細胞の分化前後を通じて発現していたことから、脂肪細胞系譜の新たなマーカーとなる可能性が示された。5C12抗体が認識する抗原は一部の筋管細胞や脂肪細胞で発現する一方、5G11抗体が認識する抗原は筋管細胞では発現が認められなかったが、全ての脂肪細胞で発現が認められた。以上の結果より、2つの抗体はそれぞれ異なる分子を認識していることが示唆された。ウェスタンブロッティングを行ったところ、5C12抗体が認識する抗原は約350kDaであり、5G11抗体が認識する抗原は約70kDaおよび55kDaであった。また、5C12抗体が認識する抗原は膜に局在していたが、5G11抗体が認識する抗原は膜以外にも核や細胞質にも発現していることが確認された。

以上、本論文では骨格筋多能性幹細胞2G11においてFGFシグナルが脂肪分化能維持作用をもつことを見いだした。また、骨格筋内に存在し脂肪分化能をもつ細胞に特異的に発現すると考えられる表面抗原を認識するモノクローナル抗体の取得に成功した。これらの結果は、骨格筋内に出現する脂肪細胞の出現機序の一端を明らかにするとともに、骨格筋内に存在する脂肪分化能をもつ細胞の動態を追跡することを可能とするものである。FGFシグナルや本モノクローナル抗体が認識する抗原に着目することで、今後骨格筋内脂肪蓄積機構の解明やその人為的制御の新たな方法論の確立に繋がると期待され、学術的、応用的意義は少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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