学位論文要旨



No 129248
著者(漢字) 村田,健
著者(英字)
著者(カナ) ムラタ,ケン
標題(和) 雄効果フェロモンの同定に関する研究
標題(洋)
報告番号 129248
報告番号 甲29248
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3953号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森,裕司
 東京大学 教授 西原,眞杉
 東京大学 教授 前多,敬一郎
 東京大学 准教授 高橋,伸一郎
 東京大学 准教授 武内,ゆかり
内容要旨 要旨を表示する

フェロモンは同種個体間のコミュニケーションに使われる化学物質であり、微生物から哺乳類まで多種多様な動物において、生存や生殖のために重要な役割を果たしていることが解明されてきた。しかしながら哺乳類においては、受容した個体に行動的な変化をもたらすリリーサーフェロモンを同定した報告が存在する一方で、内分泌系に作用することで繁殖や発達を制御するプライマーフェロモンに関してはいまだかつて同定に成功した例はない。

ヤギやヒツジでは、雄効果という強力なプライマーフェロモンの作用が知られており、成熟した雄が発するフェロモンを非繁殖期にある雌が受容すると、生殖内分泌系が刺激され、排卵が誘起される。この現象は、雄効果フェロモンが視床下部からの性腺刺激ホルモン放出ホルモン(Gonadotropin-Releasing Hormone: GnRH)および下垂体からの黄体形成ホルモン(Luteinizing Hormone: LH)のパルス状分泌の頻度を上昇させることに起因すると考えられている。このことから、雄効果フェロモンが作用する部位はGnRH分泌のパルス形成を司るGnRHパルスジェネレーターであると想定されている。パルスジェネレーターの実体は長年不明であったが、新奇脳内ペプチドであるキスペプチンがGnRHの分泌を誘起することが発見されたことで、視床下部弓状核のキスペプチンニューロン群が候補として浮かび上がってきた。本研究では、シバヤギを研究モデルとして、視床下部弓状核キスペプチンニューロン群近傍の神経活動を多ニューロン発火活動(Multiple Unit Activity : MUA)として記録することでGnRHパルスジェネレーターの活動をMUAの顕著な一過性上昇(MUAボレーすなわちGnRHのパルス状神経分泌を生み出す短期的神経興奮)としてとらえるシステムを利用して、雄効果フェロモンリガンド分子の同定を目指すとともに、雄効果フェロモンの受容機構を解明することを目的とした。

第1章は総合緒言であり、哺乳類におけるフェロモン現象、リガンド分子の同定および受容と作用メカニズムに関わる先行研究について概説し、本研究の目的を述べた。

第2章ではフェロモン分子同定のための適切なバイオアッセイ系を確立することを目的に、雄効果フェロモンに対するGnRHパルスジェネレーターの反応性について解析した。具体的には、実験当日の平均MUAボレー間隔をTとし、任意の内因性ボレーから1/4 T、1/2 Tもしくは3/4 Tが経過したタイミングで、約1秒間雄ヤギ被毛呈示を行った際のMUAの反応を比較した。その結果、早いタイミング(1/4 T)の呈示では、呈示直後に一時的にMUAが上昇するもののボレーに至ることなく、すぐに基底値へと戻った。呈示タイミングが遅くなるにつれて(1/2 T、3/4 T)、呈示直後の一時的なMUAの上昇の数十秒後にMUAボレーが誘起される率が高まった。呈示タイミングに関わらず一時的なMUAの上昇があることから、フェロモンシグナルは常にGnRHパルスジェネレーターに伝わるものの、早いタイミングではその後のMUAボレーの誘起が抑制される機構が備わっていることが示唆された。この発見を利用することで、被験物質の特性に応じて早めのタイミングの呈示では強いフェロモン活性だけをとらえ、遅いタイミングの呈示では弱いフェロモン活性もとらえられる効率の良いバイオアッセイ系が確立された。

第3章では雄効果フェロモンリガンド分子の探索を行った。先行研究では、フェロモン活性を有する雄ヤギ被毛を材料に、定法に従って原材料から活性画分の絞り込みを行っていたが、皮脂成分など生体由来の脂溶性物質や環境由来の揮発性物質が大量に含まれており、これらの夾雑物が微量に含まれるフェロモン分子を隠蔽してしまうためリガンド分子の同定には至らなかった。そこで本研究では、フェロモン産生母地である頭部皮膚から放出される揮発性フェロモン分子を直接捕集することを計画し、吸着剤テナックスの入った自作キャップをヤギの頭部に一週間装着することで、夾雑物を含むことなく生体由来の揮発性分子群を回収することとした。その結果、フェロモン単離精製の効率が飛躍的に高まった。サンプルの活性を評価する際には、第2章で確立したバイオアッセイ系を活用し、呈示タイミングを考慮することでサンプル間の相対的強弱を判断することとした。まず、雄ヤギ頭部由来揮発性成分のガスクロマトグラフィー画分をそれぞれバイオアッセイしたところ、炭素数10前後のアルデヒドやケトンなどの中極性で比較的揮発性の高い成分が含まれる画分において、確実にフェロモン活性が認められた。この画分に存在する成分を雄ヤギとフェロモン活性を含まない去勢雄ヤギで比較したところ、雄ヤギ特異的にエチル基側鎖のある様々な新奇成分(4-ethyloctanal、6-ethyloctanal、3-ethylnonanalなど)が検出された。これらの雄ヤギ特異的成分を中心に18成分から構成される合成品のカクテルを作製してバイオアッセイしたところ、フェロモン活性が確認され、この中に活性成分があることが示唆された。続いて、18成分カクテルに含まれる各単体成分のバイオアッセイを実施したところ、18成分カクテルには劣るものの、4-ethyloctanal単体が最も強いフェロモン活性を示すことが明らかとなった。また、18成分カクテルから4-ethyloctanalを除き、17成分カクテルとすると、4-ethyloctanal単体より活性が弱まることも示された。従って、4-ethyloctanalがフェロモンの主要成分であり、他の成分との共同作用により、さらに強い活性が生じると推察された。

第4章では4-ethyloctanal受容機構の解明を試みた。齧歯類での研究を基に、哺乳類のフェロモン受容体候補遺伝子は、V1RとV2Rという 2タイプの7回膜貫通型受容体ファミリーから構成されると推測されてきたが、ヤギにおいてはV2Rがすべて偽遺伝子であり、20~30種類のV1Rが主な嗅覚器官である嗅上皮と鋤鼻上皮に発現していることから、雄効果についてもV1Rがフェロモン受容体の候補と考えられる。齧歯類の研究において、V1Rは1神経細胞に1種類だけの受容体が発現すること、リガンド分子に反応した嗅神経や鋤鼻神経ではc-FosやEgr1等の最初期遺伝子の発現が上昇することが報告されている。よって、リガンド分子の呈示後、最初期遺伝子と各種V1Rのdouble in situ hybridizationを実施し、最初期遺伝子とシグナルが重なったV1Rが、リガンドの受容体であると考えられる。まず、ヤギにおいてもV1Rが1神経細胞に1種類だけの受容体を発現しているかを確かめるため、各種V1R同士のdouble in situ hybridizationを嗅上皮および鋤鼻上皮で行った。その結果、極めて相同性の高いペア以外ではcross-hybridizationは認められなかった。また、各V1Rグループの混合プローブを用いて、グループ間のdouble in situ hybridizationを行ったところ、お互いにシグナルが重なることはなかった。これらの結果より、ヤギのV1Rについても1神経細胞に1種類だけの受容体が発現していることが示唆された。次に4-ethylocatalを呈示したヤギの嗅上皮および鋤鼻上皮の切片を作製し、c-Fosのin situ hybridizationを行った。その結果、嗅上皮のみでc-Fosの発現が認められ、鋤鼻上皮では発現が認められなかった。そこで、嗅上皮切片を用いて、V1Rの5種混合プローブとc-Fosのdouble in situ hybridizationを行ったところ、シグナルが重なる細胞が認められた。これらの結果より、4-ethyloctanalは嗅上皮のV1Rで受容される可能性が示された。哺乳類において嗅上皮に発現するV1Rが機能している可能性を示したのは、本研究が初めてである。

第5章では総合考察を行った。本研究ではヤギの雄効果をモデルとして、"GnRHパルスジェネレーターの本体は弓状核キスペプチンニューロン群である"という観点から、MUAシステムを用いたバイオアッセイにより、哺乳類で初めて嗅覚呈示によってGnRHパルスジェネレーターの活動を促進するリガンド分子、4-ethyloctanalを同定した。さらに、4-ethyloctanalが嗅上皮のV1Rで受容される可能性を示した。今後は受容体発現神経から弓状核キスペプチンニューロンへの神経回路および作用機構の解明や、4-ethyloctanalと協調して機能するフェロモン分子群が同定されることが期待される。これらを用いて実際に排卵が誘起できることとなれば、真の意味でプライマーフェロモンの同定となり、また人工フェロモンを用いた繁殖制御などへの応用の道も拓けるであろう。

審査要旨 要旨を表示する

哺乳類においては、受容した個体に行動的な変化をもたらすリリーサーフェロモンを同定した報告が存在する一方で、内分泌系に作用することで繁殖や発達を制御するプライマーフェロモンに関してはいまだかつて同定に成功した例はない。本研究では、シバヤギを研究モデルとして、視床下部弓状核キスペプチンニューロン群近傍の神経活動を多ニューロン発火活動(Multiple Unit Activity : MUA)として記録することでGnRHパルスジェネレーターの活動をMUAの顕著な一過性上昇(MUAボレーすなわちGnRHのパルス状神経分泌を生み出す短期的神経興奮)としてとらえるシステムを利用して、雄効果フェロモンリガンド分子の同定を目指すとともに、雄効果フェロモンの受容機構を解明することを目的とした。本論文は以下のように5章で構成され、第1章において本研究の背景と目的が論じられている。

第2章ではフェロモン分子同定のための適切なバイオアッセイ系を確立することを目的に、雄効果フェロモンに対するGnRHパルスジェネレーターの反応性について解析した。実験当日の平均MUAボレー間隔をTとし、任意の内因性ボレーから1/4 T、1/2 Tもしくは3/4 Tが経過したタイミングで、約1秒間雄ヤギ被毛呈示を行った際のMUAの反応を比較した。その結果、フェロモンシグナルは常にGnRHパルスジェネレーターに伝わるものの、早いタイミングではその後のMUAボレーの誘起が抑制される機構が備わっていることが示唆された。この発見を利用することで、被験物質の特性に応じて早めのタイミングの呈示では強いフェロモン活性だけをとらえ、遅いタイミングの呈示では弱いフェロモン活性もとらえられる効率の良いバイオアッセイ系が確立された。

第3章では、雄効果フェロモンリガンド分子の探索が行われた。本研究では、フェロモン産生母地である頭部皮膚から放出される揮発性フェロモン分子を直接捕集する方法を開発し、吸着剤テナックスの入った自作キャップをヤギの頭部に一週間装着することで、夾雑物を含むことなく生体由来の揮発性分子群を回収した結果、フェロモン単離精製の効率が飛躍的に高まった。サンプルの活性の評価には、第2章で確立したバイオアッセイ系を活用し、呈示タイミングを考慮することでサンプル間の相対的強弱を判断することとした。まず、雄ヤギ頭部由来揮発性成分のガスクロマトグラフィー画分をそれぞれバイオアッセイしたところ、炭素数10前後のアルデヒドやケトンなどの中極性で比較的揮発性の高い成分が含まれる画分において、確実にフェロモン活性が認められた。この画分に存在する成分を雄ヤギとフェロモン活性を含まない去勢雄ヤギで比較したところ、雄ヤギ特異的にエチル基側鎖のある様々な新奇成分(4-ethyloctanal、6-ethyloctanal、3-ethylnonanalなど)が検出された。これらの雄ヤギ特異的成分を中心に18成分から構成される合成品のカクテルを作製してバイオアッセイしたところ、フェロモン活性が確認され、この中に活性成分があることが示唆された。続いて、18成分カクテルに含まれる各単体成分のバイオアッセイを実施したところ、18成分カクテルには劣るものの、4-ethyloctanal単体が最も強いフェロモン活性を示すことが明らかとなった。

第4章では、4-ethyloctanalの受容機構について検討が行われた。哺乳類のフェロモン受容体候補遺伝子は、V1RとV2Rという 2タイプの7回膜貫通型受容体ファミリーから構成されると推測されてきたが、ヤギにおいてはV2Rがすべて偽遺伝子であり、20~30種類のV1Rが主な嗅覚器官である嗅上皮と鋤鼻上皮に発現していることから、雄効果についてもV1Rがフェロモン受容体の候補と考えられる。まず、各種V1R同士のdouble in situ hybridizationを嗅上皮および鋤鼻上皮で行ったところ、極めて相同性の高いペア以外ではcross-hybridizationは認められなかった。また、各V1Rグループの混合プローブを用いて、グループ間のdouble in situ hybridizationを行ったところ、お互いにシグナルが重なることはなかった。次に4-ethylocatalを呈示したヤギの嗅上皮および鋤鼻上皮の切片を作製し、c-Fosのin situ hybridizationを行った。その結果、嗅上皮のみでc-Fosの発現が認められた。そこで、嗅上皮切片を用いて、V1Rの5種混合プローブとc-Fosのdouble in situ hybridizationを行ったところ、シグナルが重なる細胞が認められた。これらの結果より、4-ethyloctanalは嗅上皮のV1Rで受容される可能性が示された。

第5章では総合考察が展開されている。本研究の結果より、哺乳類で初めて嗅覚呈示によってGnRHパルスジェネレーターの活動を促進するリガンド分子、4-ethyloctanalが同定され、この分子が嗅上皮のV1Rで受容される可能性が示された。こうした研究の成果は、哺乳類フェロモンの受容機構を明らかにする上で重要な知見であり、学術上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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