学位論文要旨



No 129251
著者(漢字) 岩永,剛一
著者(英字)
著者(カナ) イワナガ,コウイチ
標題(和) 消化管粘膜損傷回復機構における腸筋線維芽細胞の薬理学的研究
標題(洋)
報告番号 129251
報告番号 甲29251
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第3956号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 尾崎,博
 東京大学 教授 西原,真杉
 東京大学 教授 桑原,正貴
 東京大学 准教授 山内,啓太郎
 東京大学 准教授 堀,正敏
内容要旨 要旨を表示する

【緒言】腸筋線維芽細胞は粘膜上皮細胞直下に存在する間葉系由来の細胞である。腸筋線維芽細胞の機能を解析するために、マウスやラット等の実験動物から単離した腸筋線維芽細胞が実験に用いられている。しかし、これらの実験動物の消化管は小さいため、多数の細胞を得るためには一度に多くの動物から単離する必要がある。したがって、より多くの細胞を一個体から得られる単離腸筋線維芽細胞を樹立する必要がある。

腸筋線維芽細胞は粘膜上皮細胞とともに粘膜バリア機能を担う。例えば、腸筋線維芽細胞は粘膜上皮細胞同士が形成するtight junctionの強度を高める。また、粘膜上皮細胞の増殖活性や遊走活性を調節することで、粘膜上皮細胞が損傷した際に、損傷からの回復を促進する。潰瘍性大腸炎やクローン病等の慢性腸炎の罹患患者数が近年増加している。慢性腸炎時には粘膜バリア機能が破綻して、感染症罹患の危険性が高まる。そのため、粘膜バリア機能回復促進機構を解明することは非常に重要である。しかし、腸筋線維芽細胞の損傷回復機構に関しては未解明な点が多い。

Cyclooxygenase(COX)はアラキドン酸を代謝してプロスタグランジン類(PGs)を産生する酵素である。COXには恒常的に発現しているCOX-1と、炎症時に発現が誘導されるCOX-2の2つのサブタイプがある。PGE2はCOXによって産生される主要なPGであり、4つの受容体EP1-4に作用して機能を発揮する。マウスの消化管潰瘍モデルにおいて、PGE2はEP4を介して潰瘍の治癒促進に関与することが報告されている。また、マウス慢性腸炎モデルにおいて、腸筋線維芽細胞はCOX-2を強く発現していることが明らかとなっている。以上から腸筋線維芽細胞におけるCOX-PGE2シグナル経路が粘膜損傷治癒に重要であることが示唆される。

ATPをはじめとするヌクレオチドは、細胞外において炎症性メディエータや神経伝達物質として働く。細胞外ヌクレオチドはP2受容体を介して機能を発揮することが知られている。P2受容体はイオンチャネル型のP2X(P2X(1-7))とG蛋白質共役型のP2Y(P2Y(1、2、4、6、11-14))に分類される。マクロファージや好中球等の炎症細胞はATPを放出することが知られている。また、ダメージを受けた死細胞からもATPは放出される。放出されたATPは炎症反応を増強してアレルギー性の喘息等を悪化させる一方で、組織の損傷回復を促進することも分かってきた。例えば、ATPは角膜上皮細胞のP2X7や気道の上皮細胞のP2Y2を介して、細胞の損傷回復を促進するという報告がある。以上よりATPが腸管の粘膜損傷回復過程においても重要な役割を果たしている可能性が考えられる。

【目的】これらの背景を踏まえて、本研究では以下を目的とした。

(1)一個体のウシ結腸からは多くの腸筋線維芽細胞を単離できる。さらに、ウシの結腸は食用として採取されているため、新たに実験動物の命を奪う必要がない。以上の理由から、ウシの結腸より腸筋線維芽細胞の単離を試み、その細胞の特徴解析を行う。

(2)腸筋線維芽細胞の損傷回復機構を明らかにするため、腸筋線維芽細胞の損傷回復過程におけるCOXとその代謝産物PGE2の役割について検討する。

(3)腸筋線維芽細胞の損傷回復過程におけるヌクレオチドの役割について検討する。

【方法と結果】EDTA処置により上皮細胞を除去したウシ結腸粘膜層をexplant法により培養して、ウシ腸筋線維芽細胞を単離した。RT-PCR法と免疫染色法により、単離細胞が腸筋線維芽細胞のマーカーであるα-smooth muscle actin(α-SMA)とvimentinを発現していることを確認した。続いて、細胞の形態や増殖活性に対する継代の影響を検討した。その結果、passage 3とpassage 7の細胞では形態や増殖活性に違いは見られなかったが、passage 11の細胞では細胞の老化の特徴とされる、円形化や巨大化といった形態の変化や増殖活性の低下が観察された。一方で、ラット腸筋線維芽細胞では、より早期から(passage 4)細胞の老化の特徴が観察された。細胞内Ca(2+)濃度([Ca(2+)]i)測定により、ATP(0.3-1 μM)、serotonin(0.1-1 μM)、endothelin-1(10-100 nM)、bradykinin(1-10 nM)は濃度依存的にウシ腸筋線維芽細胞の[Ca2+]iを上昇させることが分かった。しかし、passage 11の細胞ではこれらの生理活性物質に対する[Ca2+]i応答が低下していた。

以上より、ウシ腸筋線維芽細胞はラットの細胞と比べてより長期間、形態や増殖活性、生理活性物質に対する反応性を維持していることが分かった。

続いて単離したウシの腸筋線維芽細胞を用いて、腸筋線維芽細胞の損傷回復に対するCOXとその代謝産物PGE2の影響について第4章で検討した。細胞にピペットチップで傷をつけて損傷刺激を与えた。その結果COX-2のmRNA発現量と培養上清中へのPGE2分泌量が損傷刺激1および6時間後にそれぞれ増加していることをRT-PCR法とEIA法により確認した。コンフルエントに培養した細胞にピペットチップで傷をつけて24時間培養した所、傷口は小さくなっていた。COX-1/2阻害薬のindomethacin(1 μM)は細胞の損傷回復を約4割抑制した。COX-2阻害薬のCAY10404(10 μM)もindomethacin(1 μM)と同等の細胞の損傷回復阻害効果を示した一方で、COX-1阻害薬のSC560(100 nM)は細胞の損傷回復に影響を与えなかった。

次に、EP1-4のどの受容体サブタイプが細胞の損傷回復に関与しているかを各受容体拮抗薬および 作動薬を用いて検討した。その結果、EP2拮抗薬(10 μM)、EP3拮抗薬(1 μM)、EP4拮抗薬(10 μM)は細胞の損傷回復を阻害した。また、indomethacin(1 μM)による細胞の損傷回復阻害効果をEP2、EP3、EP4の各作動薬(1 μM)は解除した。

細胞の損傷回復は一般的に傷口周辺の細胞が増殖または傷口に遊走した結果生じる。EP2、EP3、EP4の各作動薬(1 μM)は腸筋線維芽細胞の遊走活性を上昇させた。一方で、PGE2は増殖活性には影響を与えなかった。チロシンキナーゼ型受容体阻害薬はEP2/EP4の活性化による遊走活性上昇を阻害したが、EP3による遊走活性上昇には影響を与えなかった。

RT-PCR法により、EP2/EP4の活性化はfibroblast growth factor-2(FGF-2)の発現を誘起することが分かった。また、FGF-2(10 ng/ml)は細胞の遊走活性を上昇させた。

以上から、腸筋線維芽細胞に損傷刺激を与えるとCOX-2依存的にPGE2を産生することが明らかとなった。産生されたPGE2はオートクライン的に作用してEP3を活性化させ、細胞の遊走活性上昇を引き起こした。また、PGE2はEP2/EP4を活性化させてFGF-2等の成長因子産生を増強することで、二次的に細胞の遊走活性を亢進させ、損傷回復を促進することも分かった。

第4章で、損傷刺激によって生じるCOX-2の発現量およびPGE2の産生量の増加が、腸筋線維芽細胞の損傷回復を促進することが明らかとなった。しかし、損傷刺激によってCOX-2が発現誘導される機構は明らかでない。物理的な損傷を受けた細胞は、細胞外にヌクレオチドを放出することが知られている。そこで第5章では、腸筋線維芽細胞の損傷刺激によるCOX-2発現誘導に対するヌクレオチドの影響を検討した。

損傷刺激24時間後の細胞の損傷回復量を測定したところ、P2受容体の非特異的拮抗薬のsuramin(30-100 μM)は濃度依存的に腸筋線維芽細胞の損傷回復を阻害した。第4章で確認したように、indomethacin(1 μM)の処置は腸筋線維芽細胞の損傷回復を約4割阻害した。しかし、suramin(30 μM)を処置した細胞に、indomethacin(1 μM)を追加処置しても細胞の損傷回復に影響を与えなかった。RT-PCR法とELISA法により、COX-2のmRNA発現量およびPGE2の培養上清中への分泌量が、損傷刺激後2および6時間後にそれぞれ増加しており、この増加はsuramin(30 μM)により完全に抑制されることが分かった。以上から、P2受容体シグナルが損傷刺激によるCOX-2の発現量増加に関与していることが示唆された。

次に、どのP2受容体サブタイプが損傷刺激によるCOX-2の発現量増加に関与しているのかを検討した。安定化ATPアナログのATPγS(1 μM)およびP2Y1、11-13作動薬のADP(10 μM)はCOX-2のmRNA発現量を増加させた。ATPγS(1 μM)によるCOX-2のmRNA発現量増加は、suramin(30 μM)やP2X、P2Y(1、4、6、13)拮抗薬のPPADS(30 μM)により完全に抑制された。以上より、P2Y1またはP2Y(13)がCOX-2の発現量増加に関与していることが示唆された。P2Y1はGq蛋白質と共役しており、P2Y1の活性化はphospholipase C(PLC)の活性化を引き起こす。P2Y(13)はGi蛋白質と共役している。PLC阻害薬のU-73122(1 μM)はATPγS(1 μM)によるCOX-2のmRNA発現量増加を抑制した一方で、Gi蛋白質の阻害薬のpertussis toxin(100 ng/ml)はCOX-2のmRNA発現量に影響を与えなかった。以上から、P2Y1が損傷刺激によるCOX-2の発現量増加に関与していることが分かった。

続いて、P2Y1の活性化がどのような細胞内シグナル経路を介してCOX-2のmRNA発現を誘起するのかを検討した。その結果、ATPγS(1 μM)によるCOX-2のmRNA発現量増加は、P38 mitogen-activated protein kinases(P38 MAPK)阻害薬のPD169316(10 μM)、protein kinase C(PKC)阻害薬のbisindolylmaleimide I(1 μM)によって阻害された。

以上の結果より、損傷刺激による腸筋線維芽細胞のCOX-2の発現量増加は、P2Y1シグナルがP38 MAPKとPKCの活性化を介して誘起することが明らかとなった。

【結語】本研究では、まずウシ腸筋線維芽細胞の性状解析を行った(第3章)。その結果、ウシの腸筋線維芽細胞の生理活性物質に対するCa2+応答は、ラットの細胞と同様の応答を示した。また、ウシの腸筋線維芽細胞はラットの細胞と比べて、より長期間形態や増殖活性を維持することも分かった。これらの結果より、腸筋線維芽細胞の機能解析をする上で、この細胞は有用なツールとなりうる。ウシの腸筋線維芽細胞は食用として採取されたウシの結腸から細胞を単離するため、新たに動物の命を奪う必要がない。したがって、本研究の成果は実験動物の使用頭数の削減、ひいては動物福祉の向上につながるであろう。

続いて第4章と第5章で、腸筋線維芽細胞の損傷回復機構におけるCOX/PGE2シグナル経路と細胞外ヌクレオチドの役割を明らかにした。腸筋線維芽細胞の損傷回復促進機構を解明することは、腸管のバリア機能の回復を促進することにつながると考えられる。そのため、本研究でその一端を明らかにすることが出来た点は非常に意義深い。今後、腸筋線維芽細胞を標的とした、破綻した粘膜バリアの修復を促進する新たな治療法の開発に本研究の成果が役立つことを願う。

審査要旨 要旨を表示する

【背景・目的】

腸筋線維芽細胞(IMF)は粘膜上皮直下に存在する細胞である。IMFの機能解析に、マウスやラットから単離した細胞が実験に用いられている。しかし、これらの動物の消化管は小さく、得られる細胞数に限りがある。したがって、より多くの細胞を得られる単離IMFの樹立が必要である。

IMFは粘膜バリア機能を担う。腸炎時にはこの機能が破綻して感染症罹患の危険性が高まるため、粘膜バリア機能回復促進機構を解明することは重要である。しかし、IMFの損傷回復機構に関しては未解明な点が多い。

以上から本研究では、より多くの細胞を単離できる、ウシ結腸よりIMFを単離し、特徴解析を行うことを第一の目的とした。さらに、IMFの損傷回復機構を明らかにするため、組織修復を促進するヌクレオチドおよびCOXとその代謝産物PGE2の、IMFの損傷回復過程における役割検討を第二の目的とした。

【結果】

1) 上皮細胞を除去したウシ結腸粘膜層をexplant法により培養して、ウシIMFを単離した。継代数3-7のウシIMFでは形態や増殖活性、生理活性物質に対するCa応答に違いはなかったが、継代数11の細胞では細胞の老化に特徴的な形態の変化や、増殖活性、Ca応答の低下が観察された。一方でラットIMFでは、継代数4で細胞の老化の特徴が観察された。以上より、ウシの細胞は長期間、形態や増殖活性、生理活性物質に対する反応性を維持していることが分かった。

2) 続いてウシIMFを用いて、IMFの損傷回復に対するヌクレオチドおよびCOXとその代謝産物PGE2の影響について検討した。コンフルエントに培養した細胞にピペットチップで傷をつけて24時間培養した所、傷口は小さくなっていた(損傷回復)。ヌクレオチド受容体P2拮抗薬は細胞の損傷回復を約5割阻害した。また、COX阻害薬とCOX-2阻害薬は細胞の損傷回復を約4割抑制した。P2拮抗薬に加えてCOX阻害薬を追加処置したところ、P2拮抗薬単独処置と同程度の細胞の損傷回復阻害効果を示した。RT-PCRとELISAにより、COX-2のmRNA発現量とPGE2産生量が、損傷刺激2、6時間後に各々増加し、この増加をP2拮抗薬は完全に抑制することが分かった。以上から、損傷刺激によりP2受容体シグナルを介してCOX-2の発現量およびPGE2産生量増加が誘起され、細胞の損傷回復が促進される可能性が示唆された。

3) 次にどのP2受容体サブタイプが損傷刺激によるCOX-2の発現量増加に関与しているのかを検討した。安定化ATPアナログATPγSおよびP2Y1、11-13作動薬はCOX-2の発現量を増加させた。ATPγSによるCOX-2の発現量増加はP2X、P2Y1、4、6、13拮抗薬により完全に抑制された。以上より、P2Y1またはP2Y13がCOX-2の発現量増加に関与していることが示唆された。P2Y1はGq蛋白質と共役し、その活性化はphospholipase C(PLC)の活性化を引き起こす。そして、P2Y13はGi蛋白質と共役している。PLC阻害薬はATPγSによるCOX-2の発現量増加を抑制した一方で、Gi蛋白質阻害薬はCOX-2の発現量に影響を与えなかった。以上から、ATP/P2Y1が損傷刺激によるCOX-2の発現量増加に関与していることが分かった。

4) さらに、ATPγSによるCOX-2の発現量増加は、P38 mitogen-activated protein kinases(P38 MAPK)阻害薬、protein kinase C(PKC)阻害薬によって阻害された。以上から、損傷刺激によるIMFのCOX-2の発現量増加は、ATP/P2Y1シグナルがP38 MAPKとPKCの活性化を介して誘起することが分かった。

5) 続いて、PGE2受容体EP1-4の損傷回復への関与を検討した。その結果、EP2、EP3 、EP4の各拮抗薬は細胞の損傷回復を阻害した。さらに、EP2、EP3、EP4の各作動薬は細胞の遊走活性を上昇させた。チロシンキナーゼ型受容体阻害薬はEP2/EP4の活性化による遊走活性上昇を阻害したが、EP3による遊走活性上昇には影響を与えなかった。RT-PCR法により、EP2/EP4の活性化はfibroblast growth factor-2(FGF-2)の発現を誘起し、FGF-2は細胞の遊走活性を上昇させることが分かった。以上から、損傷刺激によりIMFから産生されたPGE2は、オートクライン的にEP3を活性化させ、細胞の遊走活性上昇を引き起こすことが分かった。また、PGE2はEP2/EP4を活性化させてFGF-2等の成長因子産生を増強することで、二次的に細胞の遊走活性を亢進させ、損傷回復を促進することも分かった。

以上を要約すると、本研究は消化管粘膜損傷回復機構における腸筋線維芽細胞の薬理学的性質を解明したものであり、学術上寄与するところは少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文に値するものと判断した。

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