学位論文要旨



No 129254
著者(漢字) 坂本,光平
著者(英字)
著者(カナ) サカモト,コウヘイ
標題(和) 反芻動物における雄効果フェロモンの中枢作用機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 129254
報告番号 甲29254
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第3959号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森,裕司
 東京大学 教授 西原,眞杉
 東京大学 教授 桑原,正貴
 東京大学 教授 前多,敬一郎
 東京大学 准教授 武内,ゆかり
内容要旨 要旨を表示する

フェロモンとは同種個体間のコミュニケーションに使われる化学物質であり、多種多様な動物において、生存や生殖のために重要な役割を果たしていることが示されている。フェロモンは、大きく二種類に分けられ、受容した個体に行動的な変化をもたらすリリーサーフェロモンと、内分泌系に作用することで繁殖や発達に影響するプライマーフェロモンがある。季節繁殖動物であるヤギやヒツジでは、雄効果という強力なプライマーフェロモンの作用が知られており、性腺の活動が抑制されている非繁殖期にある雌が成熟した雄が発するフェロモンを受容すると、性腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH)および、黄体形成ホルモン(LH)のパルス状分泌の頻度を上げる。その刺激により、エストロゲンの分泌を促進し、発情行動およびLHサージによる排卵が誘起される。GnRHのパルス状の分泌頻度は、生殖の最上位の中枢である視床下部に存在するGnRHパルスジェネレーターにより制御されている。このことから、雄効果フェロモンの中枢内におけるターゲットは、GnRHパルスジェネレーターだと考えられている。しかし、未だに受容されたフェロモンの中枢での作用機構について不明なことが多い。したがって本研究は、嗅覚系で受容された雄効果フェロモンの情報が生殖の中枢である視床下部へと伝達され、ホルモン分泌を引き起こす機構の解明を目的とするものである。

第一章は総合緒言である。フェロモンによる生殖制御についてこれまでの知見を概観し、本研究の背景と目的を述べた。また、本研究では、視床下部へ留置した記録電極により、多ニューロンの発火活動(MUA)を記録し、GnRHパルスジェネレーターの活動を観察している。GnRH、LHのパルス状の分泌と同期しているMUAの特徴的な一過性の発火(MUAボレー)を観察することで、フェロモン作用をモニタリングすることが可能であることを説明した。また、MUA記録により、雄効果フェロモンが、雌動物にだけではなく、去勢を行った雄動物にも作用することを示し、第二章で雄動物を用いている根拠を述べた。

第二章は、雄効果フェロモンの情報伝達路の解明を目的とした。哺乳類の嗅覚系は二種類存在し、嗅上皮で受容され主嗅球へ伝達される主嗅覚系と、鋤鼻器で受容され副嗅球へと伝達される鋤鼻系がある。一般的にフェロモンは鋤鼻系で受容されるとされているが、雄効果フェロモンの刺激で主嗅覚系と鋤鼻嗅覚系双方が反応することが示され、主嗅覚系の関与も示唆されている。本章では、主嗅覚系および鋤鼻系からのフェロモンシグナルが統合される扁桃体内側核と、成熟雄ヤギ被毛の暴露により神経活性化の指標となるc-Fosが発現することが明らかとなっている分界条床核に着目し、トレーサー標識法を用い雄効果フェロモンの情報伝達経路について検討を行った。去勢雄を用いて、扁桃体内側核または分界条床核へ順行性トレーサーであるビオチン化デキストランアミン(BDA)の投与後、脳の連続切片を作成し組織染色を行った。BDA陽性線維の分布を観察し、シバヤギ脳内におけるフェロモンシグナルの伝達に関わる神経経路の模式図を作成した。その結果、扁桃体内側核、分界条床核ともに視床下部の腹内側核および弓状核へ多くの線維が投射していることが示された。また、扁桃体内側核から分界条床核への投射がみられた。このことから、ヤギにおいて雄効果フェロモンの情報伝達経路は、扁桃体内側核から直接視床下部へと伝達される経路と、分界条床核を経由し、視床下部へ伝達される2つの経路がある可能性が示唆された。

第三章では、弓状核のキスペプチンニューロンがGnRHパルスジェネレーターであるという仮説を立て、雄効果フェロモンの作用発現への関与について検討を行った。近年、GPR54の内因性リガンドであるキスペプチンがGnRHの分泌を誘起することが発見された。キスペプチンは、ヤギやヒツジにおいては、視索前野および弓状核に発現が見られることが明らかとなっており、弓状核に存在するキスペプチンニューロンがパルス状のGnRH分泌に関与していると考えられている。まず第一節では、扁桃体内側核または分界条床核のニューロンから弓状核キスペプチンニューロンへの入力の有無を検討した。第二章でBDAを投与したヤギの弓状核を含む組織を用いて、BDAとキスペプチンの二重染色を行ったところ、扁桃体内側核と分界条床核ともに、BDA陽性陽性線維がキスペプチンニューロンへ密接していることが観察された。このことから、それら2つの神経核から弓状核キスペプチンニューロンへの直接投射が存在する可能性が示唆された。第二節では、雄効果フェロモンの作用発現にキスペプチンが必要であるか検討を行った。キスペプチン類縁体TAK-683はGPR54受容体アゴニストとして働きLH分泌促進作用をもつが、慢性投与することにより逆にパルス状のLH分泌を抑制することが示されている。本実験ではそのアンタゴニストとしての作用を利用した。卵巣除去(OVX)したヤギを用いTAK-683を慢性投与中に雄ヤギ被毛の呈示を行い、フェロモン作用発現の有無を調べた。その結果、雄ヤギ被毛呈示後60秒以内に全頭MUAボレーが誘起されるが、その直後のLH濃度の上昇が抑制されることが示され、雄効果フェロモンは、キスペプチンを介してLH分泌作用を発現していることが明らかとなった。このことから、雄効果フェロモンのシグナルは、弓状核まで伝達されるとキスペプチンニューロンを活性化し、キスペプチンの分泌を促し、その下流であるGnRH、LHの分泌を誘起することが示唆された。

第四章では、弓状核キスペプチンニューロンに共在しているニューロキニン B(NKB)のフェロモン作用への関与について検討を行った。弓状核のキスペプチンニューロンにはNKBの受容体(NK3R)も発現していること、キスペプチンニューロン同士が密なネットワークを形成していることが示されている。これらのことから、弓状核のキスペプチンニューロン群はNKBシグナルによって同期して発火をすることで、GnRHのパルス状の分泌を引き起こすと推測されている。実際に、ヤギにおいてNKBの投与はMUAボレーとそれに続くLHのパルス状分泌を誘起することが示されている。この現象は、雄効果フェロモンによるMUAボレー誘起作用と同様のものである。よって本章では、NKBが雄効果フェロモンによるキスペプチンニューロンの活性化を仲介しているという仮説を立て解析を行った。第一節では、NKBのLH分泌作用にキスペプチンのシグナルが必要であるかを確かめるために、OVXヤギにTAK-683慢性投与したときのNKB作動薬の投与を行った。その結果、フェロモン呈示時と同様に、MUAボレーは誘起されるものの、LHの上昇は観察されなかった。したがって、NKBの作用はキスペプチンを介して発現することが示唆された。第二節では、NKBの弓状核キスペプチンニューロンへの影響を検討するために、雌ヒツジを用い、脳室内にNKBを投与した時の、キスペプチンニューロンの活性化をc-Fos蛋白の発現により検討した。その結果、NKB投与を行ったヒツジで弓状核キスペプチンニューロンのc-Fosの発現が有意に上昇することが観察され、NKBが弓状核キスペプチンニューロンを活性化し、パルス状のGnRH分泌を制御していることが示唆された。第三節では、フェロモンシグナル伝達へのNKBの役割の検討を行うために、NKB受容体のアンタゴニストを用いて、雄ヤギ被毛の呈示への影響を観察した。NKB受容体のアンタゴニスト投与後に雄ヤギ被毛を呈示したところ、MUAボレーおよびLHの上昇共に観察されなかった。このことから、MUAボレーの誘起にはNKBのシグナルが必要であることが示され、フェロモンによる弓状核キスペプチンニューロンの発火にNKBが関与している可能性が強く示唆された。これらの結果から、フェロモンとNKBのシグナルは並列の関係ではなく、フェロモンが上位のシグナルであることが推察された。

第五章は、総合考察である。今回の結果から、雄効果フェロモンシグナルは、鋤鼻系の伝達経路である扁桃体内側核、分界条床核を介し、弓状核キスペプチンニューロンへの直接伝達される可能性が示された。さらに弓状核では、キスペプチンニューロンを介し、NKB、キスペプチン、GnRHの一連の分泌を引き起こすことで作用を発現する可能性が示された。これまでは、雄効果フェロモンの暴露がGnRHおよびLHのパルス状分泌を誘起するという作用が知られていたが、GnRH分泌に至る機構が明らかではなかった。本研究により、弓状核に存在するキスペプチンという新たな物質を介すことを明らかにし、フェロモンの中枢作用機構における新たな知見が得られた。雄効果フェロモンは、GnRHパルスジェネレーターの働きを促進させる数少ないシグナルである。このフェロモンを用いることで、GnRHパルスジェネレーターの解明に新たな進展が見られることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

季節繁殖動物であるヤギやヒツジでは、雄効果という強力なプライマーフェロモンの作用が知られており、性腺の活動が抑制されている非繁殖期にある雌が成熟した雄由来のフェロモンを受容すると、性腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH)および、黄体形成ホルモン(LH)のパルス状分泌の頻度が上がる。雄効果フェロモンの中枢内におけるターゲットは、GnRHパルスジェネレーターだと考えられているが、フェロモンの中枢作用機構についての詳細は不明である。本研究は、嗅覚系で受容された雄効果フェロモンの情報が生殖の中枢である視床下部へと伝達され、ホルモン分泌を引き起こす機構の解明を目的とするものである。本論文は以下のように5章で構成され、第1章において本研究の背景と目的が論じられている。

第2章では、主嗅覚系および鋤鼻系からのフェロモンシグナルが統合される扁桃体内側核と、成熟雄ヤギ被毛の暴露により神経活性化の指標となるc-Fosが発現することが明らかとなっている分界条床核に着目し、トレーサー標識法を用い雄効果フェロモンの情報伝達経路について検討が行われた。扁桃体内側核または分界条床核へ順行性トレーサーであるビオチン化デキストランアミン(BDA)の投与後、BDA陽性線維の分布を観察した結果、扁桃体内側核、分界条床核ともに視床下部の腹内側核および弓状核へ多くの線維が投射していることが示された。また、扁桃体内側核から分界条床核への投射がみられたことから、雄効果フェロモンの情報伝達経路は、扁桃体内側核から直接視床下部へと伝達される経路と、分界条床核を経由し視床下部へ伝達される2つの経路がある可能性が示された。

第3章では、雄効果フェロモンの作用発現への関与について検討が行われた。キスペプチン類縁体TAK-683はGPR54受容体アゴニストとして働きLH分泌促進作用をもつが、慢性投与することにより逆にパルス状のLH分泌を抑制する。卵巣除去(OVX)ヤギを用いTAK-683を慢性投与中に雄ヤギ被毛の呈示を行い、フェロモン作用発現の有無を調べた。その結果、雄ヤギ被毛呈示後60秒以内に全頭MUAボレーが誘起されるものの、その後のLH濃度の上昇が抑制され、雄効果フェロモンはキスペプチンを介してLH分泌作用を発現していることが明らかとなった。このことから、雄効果フェロモンのシグナルは、弓状核まで伝達されるとキスペプチンニューロンを活性化してキスペプチンの分泌を促し、その下流であるGnRHおよびLHの分泌を誘起することが示唆された。

第4章では、弓状核キスペプチンニューロンに共在しているニューロキニン B(NKB)のフェロモン作用への関与について検討を行った。弓状核のキスペプチンニューロンにはNKBの受容体(NK3R)も発現していること、キスペプチンニューロン同士が密なネットワークを形成していることが示されている。そこで、NKBが雄効果フェロモンによるキスペプチンニューロンの活性化を仲介しているという仮説について検討が行われた。OVXヤギにTAK-683慢性投与したうえでNKB作動薬の投与を行った結果、フェロモン呈示時と同様に、MUAボレーは誘起されるものの、LHの上昇は観察されなかった。したがって、NKBの作用はキスペプチンを介して発現することが示唆された。次に、雌ヒツジ脳室内にNKBを投与したところ弓状核キスペプチンニューロンのc-Fosの発現が有意に上昇することが観察された。一方、NKB受容体のアンタゴニスト投与後に雄ヤギ被毛を呈示したところ、MUAボレーおよびLHの上昇共に観察されなかった。すなわち、MUAボレーの誘起にはNKBのシグナルが必要であり、フェロモンによる弓状核キスペプチンニューロンの発火にはNKBが関与している可能性が強く示唆されるとともに、フェロモンとNKBのシグナルは並列の関係ではなく、フェロモンが上位のシグナルであることが推察された。

第5章では総合考察が展開されている。本研究の結果より、弓状核に存在する新奇ペプチドであるキスペプチンが、フェロモンの中枢作用において重要な役割を果たしていることが明らかとなった。こうした研究の成果は、哺乳類におけるフェロモンによる生殖機能の制御機構を理解する上で重要な知見であり、学術上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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