学位論文要旨



No 129256
著者(漢字) 中村,達朗
著者(英字)
著者(カナ) ナカムラ,タツロウ
標題(和) 腸管粘膜の創傷治癒過程における細胞外ヌクレオチドの役割
標題(洋)
報告番号 129256
報告番号 甲29256
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第3961号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 尾崎,博
 東京大学 教授 西原,真杉
 東京大学 教授 桑原,正貴
 東京大学 准教授 山内,啓太郎
 東京大学 准教授 堀,正敏
内容要旨 要旨を表示する

【緒言】

腸管粘膜は日々の生活の中で、摂取する食物やそれを消化するための腸管運動によって損傷を受けている。この日常的な粘膜損傷は、主に腸管上皮細胞に起こる。腸管粘膜が再生する過程は創傷治癒と呼ばれ、腸管上皮細胞の遊走、増殖、分化の3つの段階から構成されている。これらの段階のうち、細胞遊走が創傷治癒過程における律速段階であり、特に重要な過程である。一方、腸管上皮細胞の直下に存在し、平滑筋細胞と線維芽細胞の中間の特徴をもつ筋線維芽細胞も、上皮細胞の創傷治癒過程に関与している。様々なサイトカインや増殖因子を分泌することにより上皮細胞の遊走・増殖・分化を促進したり、自身が収縮することで損傷面の面積を縮小させるといった働きをもつ。腸管粘膜の創傷治癒は、全身の恒常性維持や二次的な全身疾患を防ぐといった点において重要であるが、その詳細な機構については未だ不明な点が多い。

ヌクレオチドは、生体の全ての細胞内に存在し、普遍的なエネルギー通貨(ATP)として利用されている。一方で、機械刺激やアゴニスト刺激、低酸素などのストレスによって細胞外へ積極的に放出されることで(細胞外ヌクレオチド)、細胞間の情報伝達物質としても機能していることが知られている。また損傷刺激などにより細胞破壊が生じた場合にも、含有されていたヌクレオチドが放出され、局所的にはmMレベルの濃度で周囲に刺激を伝達する「危険信号」としての役割ももつ。この様な細胞外ヌクレオチドによる情報伝達系は、細胞外ヌクレオチドの受容体であるP2受容体を介して行われる。イオンチャネル型のP2X受容体及びGタンパク共役型のP2Y受容体があり、それぞれP2X(1-7)の7種、P2Y(1,2,4,6,11-14)の8種のサブタイプに分けられる。生体内では、シグナル伝達系の異なるこれら複数の細胞外ヌクレオチド受容体サブタイプが同じ臓器の複数種の細胞に分布し、極めて複雑な系を構築している。

以上の背景から、本研究では日常的に生じる腸管上皮細胞への損傷を想定し、細胞損傷によって瞬間的に放出される細胞外ヌクレオチドが創傷回復機構を開始する因子であると仮定した。腸管粘膜の創傷治癒過程における細胞外ヌクレオチドの役割を、上皮細胞の遊走および筋線維芽細胞の収縮に注目して明らかにすることを目的とした。

【結果】

1) 腸上皮細胞の遊走に対する損傷細胞由来の細胞外ヌクレオチドの作用

腸管上皮細胞株(IEC-6)を用いて検討をおこなった。コンフルエントの状態に培養したIEC-6に損傷刺激を与え、8時間後に損傷面から遊走してきた細胞数を定量し細胞遊走を評価するwound-healing migration assayを行った。損傷刺激を与えると自発的な細胞遊走が確認された。この細胞遊走はヌクレオチド分解酵素であるアピラーゼを前処置すると、約40%抑制された。この結果から、損傷刺激によって生じたヌクレオチドが自発的な細胞遊走に関与していることが示唆された。各種ヌクレオチド受容体遮断薬を同様に処置したところ、P2Y6受容体遮断薬で損傷刺激誘発性の細胞遊走が有意に抑制された。次に、損傷刺激によって細胞外に放出されるヌクレオチドをHPLCで測定したところ、メディウム中に約1 μMのATPおよびUDPの放出が検出された。P2Y6受容体は各種ヌクレオチドの中で特にUDPに親和性が高い。以上のことから、損傷刺激によって放出されたUDPがP2Y6受容体を介して細胞遊走を促進している可能性が示唆された。

Boyden chamberを用いたTrans-well migration assayで外因性にヌクレオチドを処置したときの細胞遊走への影響を検討した。その結果、10 μMのUTPおよび1-10 μMのUDPで有意な細胞遊走が見られた。さらに、wound-healing migration assayで各種ヌクレオチドの影響を検討した。その結果、UDP(1-100 μM)でのみ濃度依存的に細胞遊走が促進された。なお、UDP(1-100 μM)に細胞増殖促進効果はみられなかった。このUDP誘発性の遊走促進効果は、P2Y6受容体遮断薬(0.1-1 μM)によって濃度依存的に抑制された。以上の結果より、損傷刺激によって放出されたUDPが細胞遊走を促進していることが明らかとなった。

P2Y6受容体がGqタンパク結合型受容体であることから、UDP/P2Y6受容体による細胞遊走促進は細胞内Ca(2+)濃度([Ca(2+)]i)上昇によって生じていると予想された。しかしながら、UDP(100 μM)はIEC-6の[Ca(2+)]i上昇を誘発しなかった。そこで、腸管上皮細胞の遊走に重要な因子であるTGF-βの関与を検討した。その結果、UDP(100 μM)による細胞遊走促進がTGF-β受容体遮断薬で抑制され、さらに、UDP(100 μM)刺激によってIEC-6におけるTGF-βのmRNA発現量およびタンパク産生量が上昇した。この上昇はP2Y6受容体遮断薬によって阻害された。以上の結果から、UDPはP2Y6受容体活性を介してTGF-βの産生および分泌を上昇し細胞遊走を促進していることが明らかとなった。

さらに、P2Y6受容体のmRNA発現がUDPよって上昇した。この発現上昇は、P2Y6受容体遮断薬およびTGF-β受容体遮断薬によって阻害された。これらの結果は、UDPはP2Y6受容体の発現をTGF-β産生を介して上昇させることを示めしている。

以上の結果より、損傷を受けた腸管上皮細胞から放出されたUDPがP2Y6受容体を介して、TGF-β産生を促進し、細胞遊走を促進していることが明らかとなった。さらに、UDPによって産生β分泌が上昇するTGF-βによってP2Y6受容体発現が上昇するポジティブフィードバック機構が存在することも明らかとなった。

2) 腸筋線維芽細胞の収縮に対する細胞外ヌクレオチドの作用

腸筋線維芽細胞はラット結腸から単離し、検討に用いた。筋線維芽細胞の収縮は、培養液中に浮遊させたコラーゲンゲル上に単離細胞を播種することで、ゲルの表面積の変化として評価した。筋線維芽細胞をATP(10 μM)で刺激したところ、刺激15分後をピークとした濃度依存的(1-30 μM)な収縮が誘起された。次に、各種ヌクレオチドを用いて同様な検討をおこなったところ、UTP(1-30 μM)によって濃度依存的な収縮が誘起された。ATPおよびUTPによる収縮はCa2+チャネルブロッカーであるLaCl3の前処置および細胞外のCa(2+)除去によって抑制された。また、ATPおよびUTP(1-10 μM)刺激によって濃度依存的に[Ca(2+)]iが上昇した。さらに、ATPおよびUTPによる収縮および[Ca(2+)]i上昇は、P2Y2受容体遮断薬(30-100 μM)によって濃度依存的に抑制された。

以上の結果より、腸筋線維芽細胞はATPおよびUTPによりP2Y2受容体を介して[Ca(2+)]i依存的に収縮を引き起こすことが明らかとなった。

【結語】

腸管粘膜の恒常性維持は、腸管のみならず全身の恒常性維持に必要不可欠である。本研究は、腸管粘膜の生理的な損傷時において、細胞内から大量に放出される細胞内ヌクレオチドが粘膜の回復過程に果たす役割を、腸管上皮細胞の遊走能とその直下に存在する筋線維芽細胞の収縮能に注目して検討を行った。その結果、腸管上皮細胞の損傷によって細胞内ヌクレオチドの中でも主として、ATPおよびUDPが放出されること、そのうちUDPが残存した上皮細胞上に発現するP2Y6受容体を介してTGF-β依存的に上皮細胞の遊走を促進すること、さらに、ATPもしくはUTPが筋線維芽細胞上に発現するP2Y2受容体を介して[Ca2+]i依存的に収縮を誘起することが明らかとなった。

日常生活の中で「生理的」に損傷を受ける環境下にある腸管において、全ての細胞が含有するクレオチドが、創傷回復機構を通して腸管粘膜の恒常性の維持に寄与することは、非常に合理的なものであると考えられる。また、上皮細胞と筋線維芽細胞で受容する細胞外ヌクレオチドが異なることは、結果として創傷回復機構が効率的に行われることを示しているのかもしれない。つまり、どちらか一方があれば修復機構を開始することがでること、作用するヌクレオチド同士の変換・代謝関係により相互で補償し合えること、また、作用する時間的差違を生み出すことができることより、修復の確実性を担保していると考えられる。病態時における粘膜障害の回復機構についての研究は、これまで数多くなされてきたが、生理的な粘膜障害を想定した研究は多くない。さらに、細胞への直接的な刺激により放出される細胞内ヌクレオチドを、組織修復の開始因子として想定した検討はほとんど行われてこなかった。本研究の成果は、そういった腸管疾患や全身疾患の予防という観点でも粘膜損傷の回復を促進する医薬品や機能性食品の開発につながる可能性がある。

審査要旨 要旨を表示する

【背景・目的】

腸管粘膜は日々の生活の中で、摂取する食物やそれを消化するための腸管運動によって損傷を受けている。この日常的な粘膜損傷は、主に腸管上皮細胞に起こる。腸管粘膜が再生する過程は創傷治癒と呼ばれ、腸管上皮細胞の遊走、増殖、分化の3つの段階から構成されている。一方、腸管上皮細胞の直下に存在し、平滑筋細胞の特徴をもつ線維芽細胞である筋線維芽細胞も創傷治癒に寄与しており、自身が収縮することで損傷面の面積を縮小させる働きをもつ。腸管粘膜の創傷治癒は、全身の恒常性維持や二次的な全身疾患を防ぐといった点において重要であるが、その詳細な機構については未だ不明な点が多い。

ヌクレオチドは、機械刺激やアゴニスト刺激や損傷刺激によって細胞破壊が生じた場合に細胞外へ放出されることで、細胞間の情報伝達物質として機能する。この情報伝達は、イオンチャネル型のP2X受容体及びGタンパク共役型のP2Y受容体を介して行われる。生体内では、シグナル伝達系の異なるこれら複数のヌクレオチド受容体が同じ臓器の複数種の細胞に分布し、極めて複雑な系を構築している。

以上の背景から、本研究では日常的に生じる腸管上皮細胞への損傷を想定し、細胞損傷によって瞬間的に放出されると予想される細胞外ヌクレオチドが創傷回復機構を開始する因子であると仮定した。腸管粘膜の創傷治癒過程における細胞外ヌクレオチドの役割を、上皮細胞の遊走および筋線維芽細胞の収縮に注目して明らかにすることを目的とした。

【結果】

1) 腸上皮細胞の遊走に対する損傷細胞由来の細胞外ヌクレオチドの作用

上皮細胞の遊走は、腸管上皮細胞株(IEC-6)を用いたwound-healing migration assayで検討した。損傷刺激による細胞遊走は、ヌクレオチド分解酵素であるアピラーゼおよびP2Y6受容体特異的遮断薬であるMRS2578の前処置により抑制された。損傷刺激によって細胞外に放出されるヌクレオチドをHPLCで測定したところ、ATPおよびUDPが検出された。外因性のヌクレオチドによる細胞遊走への影響をtrans-well migration assayおよびwound-healing migration assayで検討した。ともに、UDPで遊走促進が観察され、その効果はMRS2578により抑制された。外因性のUDPによる遊走促進効果はTGF-β受容体遮断薬で抑制され、またUDP刺激により上皮細胞によるTGF-βの産生分泌を増強した。以上の結果より、損傷を受けた腸管上皮細胞から放出されたUDPがP2Y6受容体を介して、TGF-β産生を促進し、細胞遊走を促進していることが明らかとなった。

2) 腸筋線維芽細胞の収縮に対する細胞外ヌクレオチドの作用

ラット結腸から単離した腸筋線維芽細胞を用いて収縮を測定した。各種ヌクレオチドを用いて検討をおこなったところ、ATPおよびUTPで濃度依存的な収縮が誘起された。ATPおよびUTPによる収縮はCaチャネルブロッカーおよび細胞外のCa除去によって抑制された。さらに、ATPおよびUTPによる収縮および細胞内Ca濃度上昇は、P2Y2受容体遮断薬によって濃度依存的に抑制された。以上の結果より、腸筋線維芽細胞はATPおよびUTPによりP2Y2受容体を介して細胞内Ca濃度依存的に収縮を引き起こすことが明らかとなった。

【考察】

本研究の結果から、腸管上皮細胞の損傷によって放出されたUDPおよびATPがそれぞれ、P2Y6受容体を介した上皮細胞の遊走、P2Y2受容体を介した筋線維芽細胞の収縮を引き起こすことで粘膜損傷回復に寄与していることが明らかとなった。上皮細胞と筋線維芽細胞においてそれぞれで異なった細胞外ヌクレオチドが創傷治癒過程を促進することは、修復機構の多様性を示している。さらに、異なるヌクレオチド同士の変換・代謝関係により相互で補償し合えること、また、作用する時間的差違を生み出すことで修復の確実性を担保していると考えられる。病態時における粘膜障害の回復機構についての研究はこれまで数多くなされてきたが、生理的に生じる粘膜障害を想定した研究は多くない。本研究の成果は、腸管疾患や全身疾患の予防という観点でも粘膜損傷の回復を促進する医薬品や機能性食品の開発につながる可能性がある。

以上、本研究は腸管粘膜の創傷治癒過程における細胞外ヌクレオチドの役割を、粘膜上皮細胞ならびに筋線維芽細胞を用いて明らかにしたものであり、学術上寄与するところは少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文に値するものと判断した。

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