学位論文要旨



No 129258
著者(漢字) 藤原,亜紀
著者(英字)
著者(カナ) フジワラ,アキ
標題(和) 犬リンパ系腫瘍における癌抑制遺伝子p16のジェネティックおよびエピジェネティックな異常
標題(洋) Genetic and epigenetic aberrations of tumor suppressor gene p16 in canine lymphoid tumors
報告番号 129258
報告番号 甲29258
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第3963号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 辻本,元
 東京大学 教授 塩田,邦郎
 東京大学 教授 松木,直章
 東京大学 准教授 内田,和幸
 東京大学 准教授 大野,耕一
内容要旨 要旨を表示する

犬においてリンパ腫は最も発生頻度の高い悪性腫瘍の一つであり、造血器腫瘍のうち約80%を占める。リンパ腫は一般的には化学療法に対する感受性が高く、その治療においては基本的には多剤併用化学療法が用いられている。しかし、多くの症例では化学療法によって寛解が得られても再発時に抗癌剤耐性が認められることが多く、その生存期間は最も一般的な病型である多中心型リンパ腫で約1年とされている。犬のリンパ系腫瘍の中ではリンパ腫が最も多いが、急性リンパ芽性白血病や慢性リンパ性白血病の発生も認められる。人医療においてリンパ系腫瘍の病態解明や予後予測に関連してWHO分類が最も広く用いられるようになったが、それを動物に外挿した動物版のWHO分類が提唱され、人と犬の間でリンパ系腫瘍の病態を比較できるようになった。

P16, P15はサイクリン依存性キナーゼ(Cyclin-dependent kinase, CDK) 4, CDK6に結合することによってサイクリンD-CDK複合体形成を阻害し、RB (Retinoblastoma protein)のリン酸化によるG1期からS期への細胞周期移行を制御している。一方、P14はMDM2 (Mouse double minute 2)に結合することによってP53の分解を阻害し、別経路からRBのリン酸化による細胞周期移行を制御している。人のリンパ系腫瘍においては、これらp16, p15, p14に関して、その遺伝子変異の他、エピジェネティックな制御による不活化が高頻度に認められている。さらに、これら分子の不活化がさまざまなリンパ系腫瘍において負の予後因子になることが報告されている。犬のリンパ系腫瘍においては、特定の病型におけるp16遺伝子領域の欠失が報告されているが、これら遺伝子のエピジェネティック制御を証明した研究は行われていない。

本論文における一連の研究においては、犬のリンパ系腫瘍における病態解明を進めるとともに予後因子を探索するため、p16, p15, p14遺伝子のジェネティックな異常およびエピジェネティックな制御に関して検討を行った。

第1章:犬のリンパ系腫瘍細胞におけるサイクリン依存性キナーゼ阻害因子をコードするp16, p15, p14遺伝子の不活化

イヌのp16遺伝子に関してはその一部の配列が知られていたが、そのp15遺伝子との高い相同性およびp14遺伝子とのexon共有のため、これら3遺伝子を区別して解析するためにその全長を同定する必要があった。そこで、本章においてイヌp16遺伝子の全長cDNAの配列を同定し、p16, p15, p14のそれぞれに特異的なプライマーを作製した。p16遺伝子に関してはreal-time PCRによってその発現量を定量し、p15遺伝子およびp14遺伝子に関しては半定量的なRT-PCRを行った。ゲノムDNAの解析においては、p16, p15, p14遺伝子が座位する11番染色体の領域にそれぞれの遺伝子に特異的なプライマーを用いたPCRを行った。はじめに、6種類の犬のリンパ系腫瘍細胞株(CLBL-1, GL-1, UL-1, CL-1, Nody-1, Ema)について解析し、次にリンパ系腫瘍を発症した28症例(B細胞性14例、T細胞性14例)から採取した腫瘍サンプルに関する解析を行った。その結果、2種類のT細胞性リンパ系腫瘍細胞株(Nody-1, Ema)において、p16, p15, p14遺伝子すべての発現が消失していた。また3種類の細胞株(CLBL-1, GL-1, UL-1)においては、正常リンパ節に比べてp16遺伝子の発現が低下していた。p16, p15, p14遺伝子の発現が消失していた2細胞株においては、当該領域のゲノムPCRでまったく増幅が認められず、これら遺伝子領域の欠失が示唆された。同様の異常が14例のT細胞性リンパ系腫瘍症例のうちの2例で認められたが、B細胞系リンパ系腫瘍症例では認められなかった。以上の所見から、p16, p15, p14遺伝子の同時欠失は犬のリンパ系腫瘍において認められる分子生物学的な異常の一つであると考えられた。

第2章:犬リンパ系腫瘍細胞におけるp16遺伝子CpG islandのメチル化による不活化

第1章においては、3種類のリンパ系腫瘍細胞株(CLBL-1, GL-1, UL-1)においてp16遺伝子発現低下が認められたが、他の2株(Nody-1, Ema)で認められたような当該遺伝子領域の欠失がなかったため、その発現抑制にはエピジェネティックな機構の関与が推察された。そこで、本章ではp16遺伝子に関してDNAメチル化によるエピジェネティックな制御について検討した。p16遺伝子の発現低下が認められたCLBL-1, GL-1, UL-1およびその発現量の増加が認められたCL-1を用い、p16 mRNAの発現量を定量するとともに、bisulfite sequence法によってp16遺伝子CpG islandのメチル化を検討した。さらに、メチル化阻害薬である5-Aza-2'-deoxycitidine(5-aza-dC)添加によるp16遺伝子の発現量の変化を検討した。その結果、p16 mRNAの発現が低下していた3株のいずれにおいても、そのCpG islandは高メチル化状態であり、5-aza-dCの存在下での培養によって発現量が上昇した。一方、p16発現量が増加していたCL-1においては、CpG islandは非メチル化状態であり、5-aza-dC処理による発現量の増加は認められなかった。以上の結果から、DNAメチル化を介したエピジェネティックな制御によるp16遺伝子の不活化は犬のリンパ腫細胞における分子学的異常の一つであることが示された。

第3章:犬の高悪性度リンパ腫症例におけるp16, p15, p14遺伝子の発現およびその予後との関連

第1章および第2章における細胞株を用いた研究結果に基づき、高悪性度リンパ腫の症例から採取した腫瘍サンプルにおけるp16, p15, p14遺伝子の発現量を解析し、その予後への影響を検討した。本章では犬の高悪性度リンパ腫症例71例(B細胞型58例、T細胞型13例)を対象とした。p16 CpG islandのメチル化の解析には、3組のプライマーを用いたメチル化特異的PCRを行った。予後に関してはKaplan-Meier法による総生存期間の解析を行った。p16, p15, p14の各遺伝子の発現量およびp16 CpG islandのメチル化の他、一般的な臨床的および病理学的な因子について、その予後への影響を解析した。犬の正常リンパ節における発現量と比較したところ、p16 mRNAの発現は、62例中53例で低下(うち21例で検出限界未満)しており、9症例で上昇していた。この62例のうち、18例でp15 mRNAが検出限界未満であり、10例でp14 mRNAが検出限界未満であった。また、検討可能であった68例中20例において、p16遺伝子CpG islandのメチル化が検出された。単変量解析では、p16発現レベル、WHO臨床サブステージ、免疫学的細胞系統、および解剖学的発生部位が予後に影響を与える因子として検出された。多変量解析の結果、p16発現レベル(上昇)および免疫学的細胞系統(T細胞系由来)といった2因子が負の予後因子として抽出された。しかし、p16 CpG islandのメチル化およびp15, p14遺伝子の発現量は生存期間に影響していなかった。また、p16遺伝子の発現低下と同遺伝子CpG islandのメチル化との間には関連が認められず、その発現制御にDNAメチル化以外のエピジェネティックな機構も関与していることが推測された。

第4章:犬リンパ系腫瘍細胞におけるヒストンH3アセチル化によるp16遺伝子の発現制御

第3章において、犬の高悪性度リンパ腫細胞においてp16不活化にはDNAメチル化以外のエピジェネティックな機構が関与していることが示唆された。そこで、本章では4種類の犬リンパ系腫瘍細胞株(CLBL-1, GL-1, UL-1, CL-1)においてヒストンH3脱アセチル化による不活化機構について検討した。ヒストンH3のアセチル化レベルの検討にはクロマチン免疫沈降法を用いた。また、ヒストン脱アセチル化阻害薬であるtrichostatin A (TSA) 存在下で培養し、その前後におけるp16遺伝子発現量の変化を検討した。その結果、p16 mRNA低発現の3株(CLBL-1, GL-1, UL-1)では、p16 mRNA高発現株(CL-1)に比べて、p16遺伝子exon 1ゲノム領域が低アセチル化状態にあることが示された。TSA存在下で培養したところ、2種の細胞株(GL-1, UL-1)ではp16 mRNA発現量の有意な増加が認められ、当該ゲノム領域のアセチル化レベルの上昇が観察された。これら細胞株で認められたヒストンH3の低アセチル化によるp16遺伝子の不活化も犬のリンパ系腫瘍における分子生物学的な変化の一つと考えられた。

以上のように、本論文では、犬のリンパ系腫瘍において複数のp16, p15, p14遺伝子のジェネティックな異常およびエピジェネティックな制御について明らかにすることができた。これら研究成果は、犬のリンパ系腫瘍の病態解明の一助となるばかりではなく、将来的なエピジェネティック医薬品の開発にもつながる可能性もあり、臨床獣医学および比較腫瘍学に関する重要な知見を提供するものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

P16, P15, P14はRetinoblastoma proteinのリン酸化によるG1期からS期への細胞周期移行を制御している。人のリンパ系腫瘍においては、これらp16, p15, p14に関して、その遺伝子変異の他、エピジェネティックな制御による不活化が高頻度に認められている。犬のリンパ系腫瘍においては、これら遺伝子のエピジェネティック制御を証明した研究は行われていない。

本論文における一連の研究においては、犬のリンパ系腫瘍における病態解明を進めるとともに予後因子を探索するため、p16, p15, p14遺伝子のジェネティックな異常およびエピジェネティックな制御に関して検討を行った。

第1章:犬のリンパ系腫瘍細胞におけるサイクリン依存性キナーゼ阻害因子をコードするp16, p15, p14遺伝子の不活化

イヌのp16遺伝子に関してはその一部の配列が知られていたがp15, p14遺伝子とのexonの共有や高い相同性を認めたため、p16全長を同定しそれぞれに特異的なプライマーを作製し発現解析を行った。またこれら遺伝子が座位する11番染色体の領域に設計したプライマーを用いたゲノムPCRを行った。6種類の犬のリンパ系腫瘍細胞株においては2種類のT細胞性リンパ系腫瘍細胞株において、p16, p15, p14遺伝子すべての発現が消失、また当該領域のゲノムPCRでまったく増幅が認められず、これら遺伝子領域の欠失が示唆された。リンパ系腫瘍症例より採取した腫瘍サンプルにおいては同様の異常が2例のT細胞性リンパ系腫瘍症例で認められた。以上の所見から、これら遺伝子の同時欠失は犬のリンパ系腫瘍において認められるジェネティックな異常の一つであると考えられた。

第2章:犬リンパ系腫瘍細胞におけるp16遺伝子CpG islandのメチル化による不活化

第1章においては、3種類のリンパ系腫瘍細胞株においてp16遺伝子発現低下が認められたが当該遺伝子領域の欠失がなかったため、その発現抑制にはエピジェネティックな機構の関与が推察された。そこで、本章ではp16遺伝子に関してDNAメチル化によるエピジェネティックな制御について検討した。p16 mRNAの発現が低下していた3株のいずれにおいても、そのCpG islandは高メチル化状態であり、メチル化阻害薬である5-Aza-2'-deoxycitidine(5-aza-dC)の存在下での培養によって発現量が上昇した。一方、p16発現量が増加していた細胞株においては、CpG islandは非メチル化状態であり、5-aza-dC処理による発現量の増加は認められなかった。以上の結果から、DNAメチル化を介したp16遺伝子の不活化は犬のリンパ腫細胞におけるエピジェネティックな異常の一つであることが示された。

第3章:犬の高悪性度リンパ腫症例におけるp16, p15, p14遺伝子の発現およびその予後との関連

第1章および第2章における細胞株を用いた研究結果に基づき、高悪性度リンパ腫の症例から採取した腫瘍サンプルにおけるp16, p15, p14遺伝子の発現量を解析し、その予後への影響を検討した。単変量解析では、p16発現レベル、WHO臨床サブステージ、免疫学的細胞系統、および解剖学的発生部位が予後に影響を与える因子として検出された。多変量解析の結果、p16発現レベル(上昇)および免疫学的細胞系統(T細胞系由来)といった2因子が負の予後因子として抽出された。p16遺伝子の発現低下と同遺伝子CpG islandのメチル化との間には関連が認められず、その発現制御にDNAメチル化以外のエピジェネティックな機構も関与していることが推測された。

第4章:犬リンパ系腫瘍細胞におけるヒストンH3アセチル化によるp16遺伝子の発現制御

本章では4種類の犬リンパ系腫瘍細胞株においてヒストンH3低アセチル化による不活化機構について検討した。p16 mRNA低発現の3株では、p16 mRNA高発現株に比べて、p16遺伝子exon 1ゲノム領域が低アセチル化状態にあることが示された。ヒストン脱アセチル化阻害薬であるtrichostatin A存在下で培養したところ、2種の細胞株ではp16 mRNA発現量の有意な増加が認められ、当該ゲノム領域のアセチル化レベルの上昇が観察された。これら細胞株で認められたヒストンH3の低アセチル化によるp16遺伝子の不活化も犬のリンパ系腫瘍におけるエピジェネティックな変化の一つと考えられた。

これら研究成果は、犬のリンパ系腫瘍の病態解明の一助となるばかりではなく、将来的なエピジェネティック医薬品の開発にもつながる可能性もあり、臨床獣医学および比較腫瘍学に関する重要な知見を提供するものと考えられる。よって、審査委員一同は、本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

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