学位論文要旨



No 129260
著者(漢字) 由井,翔
著者(英字)
著者(カナ) ユイ,ショウ
標題(和) 脊髄損傷に対する嗅神経鞘細胞移植療法の治癒機転の解明
標題(洋) Studies on the healing mechanism of olfactory ensheathing cell transplantation in spinal cord injury
報告番号 129260
報告番号 甲29260
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第3965号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西村,亮平
 東京大学 教授 辻本,元
 東京大学 教授 桑原,正貴
 東京大学 教授 松木,直章
 東京大学 准教授 内田,和幸
内容要旨 要旨を表示する

脊髄損傷(SCI)は、その程度が重度である場合重篤な運動機能障害や排尿障害を引き起こすが、その変化は不可逆的であるとされてきた。しかし、近年の研究で中枢神経系(CNS)も再生能を持つことが示され、機能回復を目指した幅広い研究がなされている。これまでの研究結果から、不可逆的変化が生じる原因の一つがCNS損傷部位に形成される特有の環境にあることが分かっている。損傷後のCNSには反応性アストロサイト(rACs)が集積し、グリア瘢痕と呼ばれる瘢痕組織が形成される。損傷時に断裂した軸索は、瘢痕組織を超えて遠位の脊髄へ再び伸長することができず、これが不可逆的変化を生む大きな要因となっている。グリア瘢痕が神経軸索の再伸長を阻害する物理的バリアとして働くが、これに加えrACsが産生するコンドロイチン硫酸プロテオグリカン(CSPGs)が軸索再生を阻害することも不可逆的変化をもたらす大きな要因となっていると考えられている。一方SCIモデル動物において、CSPGsを分解することで運動機能の回復が得られることが報告されており、SCI後の機能回復を図る上でCSPGsの分解は重要なターゲットであることが示されている。

嗅神経鞘細胞(OECs)は、嗅覚系に特異的に存在するグリア細胞であり、嗅神経軸索の再生を補助している。この性質を利用してOECsを損傷脊髄に移植する試みがなされ、SCIモデル動物を用いた研究ではその有用性が数多く報告されているが、その機序に関してはあまり検討されておらず不明な点が多い。前述のようにCNS損傷における不可逆的変化にはrACsとこれが産生するCSPGsが重要な役割を果たしていることから、想定される機序として、OECsによるrACsの反応性変化の抑制あるいは産生されたCSPGsの分解が考えられる。

そこで本研究では、OEC移植による脊髄損傷の治癒機転を解明することを目的として以下の検討を行った。まず第1章で、CSPGsの分解活性をもつ酵素であるマトリックスメタロプロテアーゼ(MMPs)のOECsにおける遺伝子およびタンパク発現のパターンを解析し、OECsが発現するMMPsの中でrACsの反応性変化の抑制および産生されたCSPGsの分解に関連がある可能性があるものを検討した。次に第2章で、in vitroにおいてOECsがrACsの反応性変化および産生されたCSPGsの分解に及ぼす影響を、第1章において関連が示唆されたMMPsの阻害系を用いて検討した。第3章では、SCIモデル動物にOECsを移植し、実際の損傷脊髄にOECsが与える影響を検討した。

なお、これらの検討に先立ち実験に使用するOECsの精製の過程で混入する細胞の影響について検討した。その結果、混在細胞がOECsに対して50%以上の割合で存在する場合にはOECsの増殖能に影響を及ぼすが、30%以下の場合には影響しないことが明らかとなった。このことから、数%の混在細胞の残存は実験結果に影響しないと判断し、以降の実験を行った。

第1章では、OECsにおけるMMPsの発現パターンを遺伝子レベルおよびタンパクレベルで検討した。対象のMMPsは、CNSの発生および病態に深い関連があるとされるMMP-2、-3および-9とした。実験動物として8週齢雌SDラット24頭を用い、嗅球からOECsを精製、培養した。培養したOECsを、精製したOECsの純度の評価(n=5)、RT-PCR (n=3)および基質ザイモグラフィー(n=3)に用いた。精製したOECsの純度の評価は免疫細胞染色によって行った。RT-PCRでは、OECsにおけるMMP-2、 -3および-9の発現を評価した。基質ザイモグラフィーでは、OECsの培養上清を用いてOECsによるMMPsの細胞外への放出を検討した。MMP-2および-9をゼラチンザイモグラフィーを用いて、MMP-3をカゼインザイモグラフィーを用いて評価した。

精製したOECsの純度は96.2±2.7%であった。RT-PCRでは、OECsにおけるMMP-2、-3および-9のmRNA発現が認められた。中でもMMP-2の発現が高い傾向にあり、MMP-9の発現は低い傾向にあった。基質ザイモグラフィーでは、MMP-2の細胞外への放出が認められたが、MMP-3および-9の放出は検出されなかった。RT-PCRおよび基質ザイモグラフィーの結果から、OECsにおいてMMP-2の発現がMMP-3、-9と比較して高く、酵素活性を持つタンパクとして細胞外に放出されていることが示された。これらのことから、OECs移植による脊髄損傷治癒機転においてOECsが産生したMMP-2が瘢痕組織のCSPGsを分解する可能性が示唆された。

第2章では、in vitroにおいてOECsがrACsの遺伝子およびタンパク発現に与える影響、およびMMP-2を介し細胞外のCSPGsに与える影響について検討した。実験動物には8週齢雌SDラット12頭および胎齢18日齢SDラット胎仔18頭を使用した。ラット胎仔大脳皮質からアストロサイトを精製、培養し、10 μg/mlのリポポリサッカライド(LPS)を用いて72時間刺激し、rACsを誘導した。第1章と同様の方法で精製、培養したOECsを0.4 μm 孔のカルチャーインサート上に播種し、rACsと24時間共培養した。共培養終了後のrACsを用いて定量的RT-PCR (n=3)および免疫蛍光染色 (n=3)を行った。定量的RT-PCRではGFAP、およびCSPGsのうち軸索再生阻害効果が報告されている5種(brevican、versican、neurocan、NG2、phosphacan)の発現を評価した。免疫蛍光染色では、GFAPおよび前述の5種のうちrACsと最も関連があるとされるneurocanの発現を、蛍光強度の定量を行うことにより評価した。実験群は、定量的RT-PCRでは陰性対照として共培養を行わないrACsのみのNC群、およびOECsとの共培養を行ったOEC群の2群とし、免疫蛍光染色ではMMP-2特異的阻害薬存在下でOECsと共培養を行った2I群を加えた3群とした。

定量的RT-PCRでは、OEC群でGFAPの発現がわずかに上昇したが、CSPGsの発現は5種のいずれにおいても有意な変化は認められなかった。免疫蛍光染色では、GFAPおよびneurocanの発現に有意な変化は認められなかった。これらの結果から、OECsはrACsの反応性およびCSPG合成能に影響を与えておらず、また、in vitroにおいてOECsが産生するMMP-2がrACsの細胞外に存在するneurocanの分解に関わっている可能性は低いと考えられた。しかし、本章で用いたrACsは大脳皮質由来の細胞をLPS刺激して得た細胞であり、実際のSCIにおける瘢痕組織を再現できていない可能性があるため、SCIモデル動物での検討も必要だと考えられた。

第3章では、SCIモデルラットにOECsを移植し、損傷脊髄における免疫組織学的変化を検討した。8週齢雌SDラット12頭を移植用OECsの培養に使用し、10週齢雌SDラット6頭をSCIモデル作製に使用した。麻酔下にてIH-impactorを用いてT10レベル胸髄に250 kDyneの力で挫傷を作製した。受傷後14-15日に麻酔下にて損傷部を露出し、第1、2章と同様の方法で精製、培養したOECsを移植した。OECsには事前にHoechst 33342標識を施し、脊髄正中を走る血管の左右それぞれについて、損傷中心部、およびその前後1 mmの計6ヶ所に、1ヶ所あたり50000個のOECsを移植した。実験群は対照として培養液のみを移植したmedia群、およびOECsを移植したOEC群の2群 (各群n=3)とした。動物は移植後7-8日で灌流固定を行い、損傷中心部から前後5 mmの脊髄を採取した。採取した脊髄は免疫蛍光組織染色に用い、Hoechst 33342とMMP-2の共局在、neurocan蛍光強度の定量的評価、および損傷部におけるNF-200陽性の軸索数の測定を行った。

OEC移植を受けた全ての脊髄において、Hoechst 33342陽性のOECsが観察され、Hoechst 33342とMMP-2の発現が関連している様子が観察された。neurocanの蛍光強度は、OEC群において有意な低下が認められた。NF-200陽性の軸索数に有意な差は認められなかった。これらの結果から、損傷脊髄に移植されたOECsはMMP-2を産生し、それによりneurocanが分解された可能性が考えられた。軸索数に有意な変化は認められなかったが、本研究においては移植後の観察期間が1週間と比較的短く、より長期の観察を行うことによって軸索数が変化する可能性が考えられた。

以上の結果から、OEC移植によるSCIの治癒機転において、移植されたOECsが産生するMMP-2が瘢痕組織内のneurocanを分解することがその機序のひとつであることが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

損傷後の脊髄には反応性アストロサイト(rACs)が集積し、細胞外基質であるコンドロイチン硫酸プロテオグリカン(CSPGs)が多量に産生される。これらは断裂・損傷した軸索の再生を阻害し、重度の神経機能障害をもたらす主要な要因となっている。したがって、脊髄損傷(SCI)後の機能回復を図るためには、これらの抑制・分解が重要な標的の1つになると考えられる。

嗅神経鞘細胞(OECs)は、嗅覚系に特異的に存在するグリア細胞であり、再生を繰り返している嗅神経軸索に補助的に働いている。この性質を利用したSCIモデル動物へのOECs移植実験ではその有用性が数多く報告されている。一方、OECによる神経機能回復の機序に関しては十分検討されておらず不明な点が多いが、OECsの性質から想定されるものとしては、rACsの反応性変化の抑制あるいは産生されたCSPGsの分解が挙げられる。

そこで本研究では、OEC移植による脊髄損傷の治癒機転を解明することを目的にin vitroおよびin vivoの検討を行った。

まず第1章では、CSPGsの分解活性をもつ酵素であるマトリックスメタロプロテアーゼ(MMPs)のOECsにおける発現パターンを遺伝子レベルおよびタンパクレベルで検討した。その結果RT-PCRによりOECsにおけるMMP-2、-3および-9のmRNA発現が認められ、中でもMMP-2の発現が高い傾向にあった。基質ザイモグラフィーによりMMP-2の細胞外への放出が認められたが、MMP-3および-9の放出は検出されなかった。これらの結果から、OECsにおいてMMP-2の発現がMMP-3、-9と比較して高く、酵素活性を持つタンパクとして細胞外に放出されていることが示され、OECs移植による脊髄損傷治癒機転においてOECsが産生したMMP-2がrACsの産生したCSPGsを分解する可能性が示唆された。

次に第2章では、in vitroにおいてOECsがrACsの反応性変化に与える影響、およびMMP-2を介するCSPGsの分解に与える影響について検討した。すなわちSDラット胎仔大脳由来のrACsと嗅球由来OECsを共培養し、共培養終了後のrACsを用いて定量的RT-PCR および免疫蛍光染色 を行った。定量的RT-PCRではGFAPおよび5種類のCSPGs (brevican、versican、neurocan、NG2、phosphacan)の発現を評価した。免疫蛍光染色では、GFAPおよび前述の5種のCSPGsのうちrACsと最も関連が深いとされるneurocanの発現を、蛍光強度の定量によって評価した。その結果、定量的RT-PCRでは、OEC群でGFAPの発現がわずかに上昇したが、CSPGsの発現は5種のいずれにおいても有意な変化は認められなかった。また免疫蛍光染色では、GFAPおよびneurocanの発現に有意な変化は認められず、MMP-2特異的阻害薬存在下でのOECsとrACsの共培養でも有意な変化は生じなかった。このように、in vitroにおいてはOECsによるrACsの反応性への影響は認められず、OECsが産生するMMP-2によるneurocanの有意な分解も認められなかったが、その理由の一つとしてin vitroの条件下では生体の脊髄損傷の環境を十分再現できていない可能性が考えられた。

そこで第3章では、SCIモデルラットにOECsを移植し、損傷脊髄における免疫組織学的変化を検討した。SDラットの脊髄第10胸髄に挫傷を作製し、受傷後14-15日にOECsを移植した。陰性対照では培養液のみを移植した。移植後7-8日で脊髄を採取し、免疫蛍光組織染色を用いて移植されたOECsによるMMP-2の発現、neurocan蛍光強度の定量的評価、および損傷部におけるneurofilament-200(NF-200)陽性の軸索数の測定を行った。その結果、OEC移植を受けた脊髄において顕著なMMP-2の発現上昇が観察され、neurocanの蛍光強度に有意な低下が認められた。NF-200陽性の軸索数には有意差は認められなかった。これらの結果から、移植されたOECsがMMP-2を産生し、それによりneurocanが分解された可能性が考えられた。

以上の結果から、OEC移植によるSCIの治癒機転において、移植されたOECsが産生するMMP-2が瘢痕組織内のneurocanを分解することがその機序のひとつであることが示唆された。

以上本研究は、脊髄損傷に対する嗅神経鞘細胞(OECs)移植療法の治癒機転の一端を明らかにしたものであり、学術上、臨床応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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