学位論文要旨



No 129263
著者(漢字) スチトラ,ガンポンサ
著者(英字) SUCHITRA,NGAMPONGSA
著者(カナ) スチトラ,ガンポンサ
標題(和) トリコテセンマイコトキシンのラット心臓血管系および自律神経系に及ぼす影響に関する研究
標題(洋) Studies on cardiovascular and autonomic nervous effects of trichothecene mycotoxin in the rat
報告番号 129263
報告番号 甲29263
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第3968号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 特任教授 局,博一
 東京大学 教授 小西,良子
 東京大学 教授 桑原,正貴
 東京大学 准教授 堀,正敏
 東京大学 准教授 作田,庄平
内容要旨 要旨を表示する

第1章 序論

カビ毒(マイコトキシン)は様々な真菌から産生される自然毒の一種であり、一定量の摂取によリヒトや家畜に急性あるいは慢性の健康障害をもたらすことが知られている。障害は、嘔吐、消化管炎症、発癌、神経症状、循環器症状、泌尿生殖器障害、内分泌器障害など多岐にわたるが、その発現性はカビ毒の種類によって異なる。近年、国内産食品および輸入食品(トウモロコシ、小麦、大麦などの穀類およびそれらの加工食品)中に赤カビ(フザリウム属菌)が産生する毒素であるトリコテセン系マイコトキシンが200/0を上回る高い頻度で検出されており、当該マイコトキシンによる健康影響が危惧されている. トリコテセン系マイコトキシンはその化学構造中にトリコテセン環を有し、約100種類の存在が知られているが、食品や飼料における分布の広さ、汚染濃度および毒性の強さの点で、T-2トキシン、T-2トキシンの代謝産物であるHT-2トキシン、デオキシニバレノール(DON)、ニバレノールが重要視されている。

本研究は、 トリコテセン系マイコトキシンの代表的なカビ毒であるT-2トキシンおよびDONの生体影響のうち、とくに知見が乏しい循環器ならびに自律神経系に対する作用に注目して、急性実験、亜急性実験ならびにin vivo および in vitroの実験系を通じて、両カビ毒の毒性を体系的に解明することを目的に行われた。

第2章 DONおよびT-2トキシンの投与による心拍数、血圧および心電図波形の急性反応

全身麻酔下の成熟ラット(Wistar、雄)を用いて、DON(0.5、1、2 mg/kg)およびT-2トキシン(0.1、0.5、1 mg/kg)の皮下投与による血圧および心電図の変化を3時間にわたって記録した。上記のDONおよびT-2トキシンの投与によって、DONでは投与後90分以降で対照群(溶媒のみ投与群)に比べて心拍数の有意な減少、T-2トキシンでは有意な増加が認められた。大腿動脈の平均血圧は、いずれのトキシンも投与後30分以降で有意な上昇が観察された。DONでは、用量依存性の上昇であったが、T-2トキシンでは0.5 mg/kgで上昇がもっとも明瞭であった。また、心電図の波形解析では、T‐ 2トキシンにおけるQT間隔の延長、両トキシンによるR波の増高ないし減高などの変化が認められた。さらに、DONでは1、2 mg/kgで期外収縮、T-2トキシンでは0.5 mg/kgで心室頻拍といった不整脈の発現がみられた。

第3章 無麻酔、無拘束ラットにおけるDONおよびT-2トキシンの循環機能および自律神経機能への影響

前章の実験結果から、DONおよびT-2トキシンは循環器系に影響をもたらすことが示唆された。しかしながら、麻酔下における短時間の観察のみでは、自律神経系機能の変化など、より詳細な変化を明らかにすることは困難である。そこで本章では、テレメトリー送信機を体内に埋入したラットを用いて、無麻酔、自由行動下における心電図変化および自律神経機能変化を長時間にわたって連続記録、観察を行った。すなわち、1週間の術後回復期を経た後に、DON(0.5、1、2 mg/kg)あるいはT-2トキシン(0.1、0.5 mg/kg)を3日間隔で2回皮下投与した。投与直後の心拍数は、いずれのトキシンも投与後90分以降で用量依存性の増加が示されたが、DONは投与後3時間で回復傾向を示したのに対して、T-2トキシンではその後の2日間にわたって増加傾向が示された。DONでは投与後3日間のQT間隔は高用量の2 mg/kgで延長傾向が示された。T-2トキシンでは、QRS持続時間の延長が認められた。また、両トキシンの投与後の3日間において、第2度房室プロック、洞性徐脈、上室性期外収縮、心室期外収縮、心室頻拍などの不整脈の発現が多く観察された。また、心拍変動解析の結果、両トキシンで自律神経機能の変化が生じることが明らかになった。DONでは投与直後の90分を中心にしてLFパワー、HFパワー、LF/HF比、 トータルパワーの低下が、T-2トキシンでは120分日以降でHFパワーおよびトータルパワーの低下が観察された。

次いで、上記の変化に自律神経機能がどのように関与しているかを明らかにするために、自律神経遮断薬の効果を調べた。すなわちアトロピン(副交感神経遮断薬)またはプロプラノロール(交感神経遮断薬)を含む浸透圧型ミニポンプを体内に埋入したラットにおいて、DONおよびT-2トキシンの投与効果を観察した。アトロピンによってDON(2 mg/kg)およびT-2トキシン(0.5 mg/kg)のいずれもLFパワー、HFパワー、LF/HF比の低下が、またプロプラノロールによってDONではLF/HF比の上昇とトータルパワーの上昇が認められ、T-2トキシンではLFパワー、LF/HF比の低下、トータルバワーの上昇が認められた。一方、不整脈の発現性では、第2度房室プロックおよび洞性徐脈がアトロピンおよびプロプラノロールによって減少し消失した。しかしながら自律神経遮断を行っても消失しない不整脈もみられ、心室期外収縮の出現頻度はアトロピンによってむしろ増大した。

第4章 T-2トキシンによる循環動態および血中酸化ストレスの変化

前章の実験によって、DONおよびT-2トキシンは不整脈を含む循環器障害をもたらすことが明らかになったが、心臓および末梢血管系全体の循環動態がどのように変化しているかを明らかにする必要がある。そこで心エコー・ドプラー法を用いた観察によってT‐2トキシンによる循環動態の変化をT-2トキシン(0.1、0.5 mg/kg)の皮下投与後48時間後に調べた。その結果、一回拍出量、駆出率には有意な変化が観察されなかったが、左室内径短縮率、心拍出量は増加が示された。また大腿動脈の血流速、末梢血管抵抗(拍動指数(PI)、抵抗指数(RI))には有意な変化が示されなかったが、総頸動脈の平均血流速は有意に増加した。

上記の測定を行ったラットの血液の酸化ストレス度を分析した。活性酸素量を反映する指標であるd‐ROMs値はT-2トキシンの用量依存性増加、抗酸化能を反映するBAP値は無変化、また相対的な酸化ストレス度を示すd‐ROMs/BAP比は有意な増加が示された。

第5章 心筋細胞におけるミトコンドリアの電子伝達系へのT-2トキシンおよびDONの毒性

前章までの実験で、DONおよびT-2トキシンの心蔵影響には自律神経が関与する場合のほかに自律神経が関与しない機序で毒性をもたらす可能性も示唆された。そこで、これらの毒素の心臓への直接作用の有無を明らかにする目的で、新生子ラットから分離された一次培養心筋細胞を用いて細胞の呼吸機能(酸素消費量、OCR)に対する両毒素の作用を調べた。72時間培養心筋細胞のOCRは濃度依存性の減少を示し、DONは0.78 1μM、T-2トキシンは6X10(-5)μMの濃度で明らかな減少が示された。ミトコンドリアにおけるATP合成酵素の阻害薬であるオリゴマイシンの作用に対するOCR反応性はDONで0.78 μM、T-2トキシンは6X10(-5)μM、プロトンイオノフォアであるFCCPに対するOCR反応性はDONで3.13 μM、T-2トキシンは6X10(-5)μMで有意な減少が示された。

以上の実験成績から、DONおよびT‐2トキシンはいずれも不整脈の誘発を含む明瞭な心臓血管系毒性を有し、その毒性は自律神経系への影響および心筋細胞への直接作用によって生じること、その機序として酸化ストレスおよびミトコンドリア障害による細胞毒性の関与の可能性が示唆された。また、T-2トキシンの毒性閾値はDONの毒性闘値に比べて明らかに低いことが明らかになった。本研究成果は、食品中のトリコテセン系カビ毒による健康リスクを評価する上で有益な情報をもたらすものと考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

カビ毒は様々な真菌から産生される自然毒の一種であり、その食品および飼料への汚染は食品衛生および家畜衛生上の大きな問題になっている。本論文では、穀類における汚染域の広がりや毒性の強さの面から危惧されているトリコテセン系マイコトキシンの代表的なカビ毒であるT-2トキシンおよびデオキシニバレノール(DON)の生体影響を明らかにするために、とくに知見が乏しい循環器ならびに自律神経系に対する作用に注目して、急性実験、亜急性実験ならびにin vivoおよびin vitroの実験系を通じて、両カビ毒の毒性を体系的に解明することを目的に行われたものである。

まず、全身麻酔下の成熟雄ラットを用いて急性実験を行った。DON(0.5、1、2 mg/kg)およびT-2トキシン(0.1、0.5、1 mg/kg)の皮下投与による血圧および心電図の変化を3時間にわたって観察したところ、両トキシンによる血圧上昇、心拍数の減少または増加、不整脈の出現および心電図波形成分の変化が観察された。

次いで、無麻酔、無拘束ラットにおけるDONおよびT-2トキシンの循環機能および自律神経機能への影響をテレメトリー法を用いて長時間の観察を行った。すなわち、1週間の術後回復期を経た後に、DON(0.5、1、2 mg/kg)あるいはT-2トキシン(0.1、0.5 mg/kg)を3日間隔で2回皮下投与した。投与直後の心拍数は、いずれのトキシンも投与後90分以降で用量依存性の増加が示されたが、DONは投与後3時間で回復傾向を示したのに対して、T-2トキシンではその後の2日間にわたって増加傾向が示された。DONでは投与後3日間のOT間隔は高用量の2 mg/kgで延長傾向が示された。T-2トキシンでは、QRS持続時間の延長が認められた。また、両トキシンの投与後の3日間において、第2度房室ブロック、洞性徐脈、上室性期外収縮、心室期外収縮、心室頻拍などの不整脈の発現が多く観察された。また、心拍変動解析の結果、両トキシンで自律神経機能の変化が生じることが明らかになった。DONでは投与直後の90分を中心にしてLFパワー、HFパワー、LF/HF比、トータルパワーの低下が、T-2トキシンでは120分目以降でHFパワーおよびトータルパワーの低下が観察された。さらに、上記の変化に関する自律神経遮断薬の効果を調べた。すなわちアトロピン(副交感神経遮断薬)またはプロプラノロール(交感神経遮断薬)を含む浸透圧型ミニポンプを体内に埋入したラットにおいて、DONおよびT-2トキシンの投与効果を観察した。第2度房室ブロックおよび洞性徐脈がアトロピンおよびプロプラノロールによって減少ないし消失した。しかしながら自律神経遮断を行っても消失しない不整脈もみられ、心室期外収縮の出現頻度はアトロピンによってむしろ増大した。また、心拍変動解析においても各パワー成分に明瞭な変化が認められた。

前章までの実験によって、DONおよびT-2トキシンは不整脈を含む循環器障害をもたらすことが明らかになったが、心臓および末梢血管系全体の循環動態がどのように変化しているかを明らかにするために、カラードプラー・心エコー法を用いた観察を行った。対照群およびT-2トキシン(0.02、0.1、0.5 mg/kg)の皮下投与後48時間後に調べた結果、0.02 mg/kgで総頸動脈収縮期血流速および心拍数の有意な上昇、0.5 mg/kgで総頸動脈平均血流速の有意な上昇が認められたものの、その他の心機能指標、末梢血管指標には有意な変化は観察されなかった。

さらに、上記の測定を行ったラットの血液の酸化ストレス度を分析した。活性酸素量を反映する指標であるd-ROMs値はT-2トキシンの用量依存性増加(0.1 mg/kg以上で有意な増加)、抗酸化能を反映するBAP値は無変化、また相対的な酸化ストレス度を示すd-ROMs/BAP比は0.5 mg/kgで有意な増加が示された。

前章までの実験で、DONおよびT-2トキシンの心臓影響には自律神経が関与する場合のほかに自律神経が関与しない機序で毒性をもたらす可能性も示唆された。そこで、これらの毒素の心臓への直接作用の有無を明らかにする目的で、新生子ラットから分離された一次培養心筋細胞を用いて細胞の呼吸機能(酸素消費量、OCR)に対する両毒素の作用を調べた。72時間培養心筋細胞のOCRは濃度依存性の減少を示し、DONは0.78 μM 、T-2トキシンは6×10-4 μMの濃度で有意な減少が示された。ミトコンドリアにおけるATP合成酵素の阻害薬であるオリゴマイシンの作用に対するOCR反応性はDONで0.78 μM、T-2トキシンは6×10-4 μM、プロトンイオノフォアであるFCCPに対するOCR反応性はDONで3.13 μM、T-2トキシンは6×10-5 μMで有意な減少が示された。

以上の実験成績から、DONおよびT-2トキシンはいずれも不整脈の誘発を含む明瞭な心臓血管系毒性を有し、その毒性は自律神経系への影響および心筋細胞への直接作用によって生じること、その機序として酸化ストレスおよびミトコンドリア障害による細胞毒性の関与の可能性が示唆された。また、T-2トキシンの毒性閾値はDONの毒性閾値に比べて明らかに低いことが明らかになった。本研究成果は、食品中のトリコテセン系カビ毒による健康リスクを評価する上で有益な情報をもたらすものと考えられた。

以上を要するに、本研究は、現在食品および飼料への汚染が問題となっている重要なカビ毒であるデオキシニバレノールとT-2トキシンの循環器毒性を定性的、定量的に明らかにしたものであり、本研究成果は公衆衛生ならびに家畜衛生の向上に資するところが大である。よって審査委員一同は、本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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