学位論文要旨



No 129265
著者(漢字) 朴,珢實
著者(英字)
著者(カナ) パク,ウンシル
標題(和) イヌの免疫介在性髄膜脳脊髄炎に関する病理学的研究
標題(洋) Pathological study on canine immune-mediated meningoencephalomyelitis
報告番号 129265
報告番号 甲29265
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第3970号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中山,裕之
 東京大学 教授 久和,茂
 東京大学 教授 西村,亮平
 東京大学 教授 松木,直章
 東京大学 准教授 内田,和幸
内容要旨 要旨を表示する

イヌの代表的な原因不明中枢神経炎症疾患として壊死性脳炎と肉芽腫性髄膜脳脊髄炎(GME)がある。壊死性脳炎は炎症を伴う壊死性病変を特徴とし、病変が大脳皮質に分布する壊死性髄膜脳炎(NME)と大脳白質に分布する壊死性白質脳炎(NLE)に分けられる。NMEはpug、Maltese、papillon、Shi-tzuなどに、NLEはYorkshire terrier、French bulldogに好発し、犬種特異的な発症が知られている。一方、GMEは肉芽腫性病変を特徴とし、 大脳白質、小脳、脊髄に病変が観察され、犬種特異性は乏しい。NME、NLEおよびGMEの病理発生は様々な知見から免疫介在性であると推測されているが、これを否定する研究もあり、そのメカニズムは未だ解明されていない。そこで本研究では、上記三疾患について、症例を病理学的に詳細に検討し、また病態動物モデルの作製を試みることにより、三疾患の病理発生解明を行った。第1章ではNME、NLE及びGMEの実際の症例を用いて、それぞれの特異的な病変及びその分布を病理組織学的に比較・検討した。NME25例の犬種はpug(13例)、Maltese(2例)、Papillon(2例)、Chihuahua(2例)、その他(6例)であった。これらの症例では大脳皮質で顕著な壊死病変が観察された。炎症細胞の囲管性あるいは脳実質への浸潤は大脳皮質に加えて視床、海馬および大脳白質でも認められた。NLEは5例観察したが、うち3症例がYorkshire terrierであった。壊死病変は主に大脳白質に認められ、炎症病変は海馬、中脳、小脳および脊髄でも観察された。GME9例の犬種は様々で、犬種特異性は乏しいと考えられた。GMEでは特徴的な肉芽腫性病変が小脳および脊髄でもっとも顕著に認められたが、大脳白質や中脳でも観察された。次いで、これら三疾患の脳内炎症細胞について定性・定量的に比較解析した。その結果、CD3陽性T細胞はGMEで最も多く認められた。CD163陽性マクロファージもGMEで最も多く認められたが、NME、NLEとの有意差はなかった。しかし、GMEでは肉芽腫病変部に集簇していたのに対し、NMEとNLEでは壊死病変部に散在性に観察された。NMEとNLEにおける自己免疫の関与について二重蛍光染色を用いて検討したところ、IgGは glial fibrillary acid protein (GFAP)陽性星状膠細胞の細胞体や突起に沈着し、CD3陽性T細胞が星状膠細胞に接している像が多数認められた。以上の所見より、イヌのNME、NLEおよびGMEはそれぞれ特徴的な病態を有しているが、いずれもCD3陽性T細胞が関わっていることが明らかになった。また、NMEとNLEではGFAPに対する自己抗の関与が再確認された。

イヌの炎症性脳疾患の病変が疾患特異性を示した背景には免疫炎症反応がそれぞれで異なる可能性があると考え、第2章ではNME、NLE、GMEの凍結組織(NME:2例、NLE:4例、GME:2例および対照:3例)を用いて、cytokinesとchemokine receptorsの発現および発現細胞を比較した。CytokineのmRNAと蛋白質発現を検討した結果、NMEではIFN-γ、NLEではIL-4、GMEではIL-17がそれぞれ高発現していた。Chemokine receptorのmRNAと蛋白質発現では、NMEとNLEではCXCR3が、GMEではCCR2が高発現していた。CXCR3を発現するT細胞(Th1細胞)はIFN-γを、CCR2を発現するT細胞(Th17細胞)はIL-17を主に分泌すると報告されていることから、NMEではTh1反応が、GMEではTh17反応が優勢と考えられた。さらに、二重蛍光染色により、NME, NLEおよびGMEにおけるIL-17発現細胞の同定を行ったところ、三疾患ともCD163陽性マクロファージがIL-17陽性であり、とくにGMEで最も顕著であった。マクロファージ以外ではHLA-DR陽性抗原提示細胞、CD3陽性T細胞にIL-17の発現が認められた。以上の結果から、GMEの病変形成にはIL-17が重要であると推測された。また、NMEとGMEではそれぞれIFN-γとIL-17が特異的に高発現し、これらの疾患の特徴的な病変形成に関与すると考えられた。

第1章と第2章の結果より、NME, NLEおよびGMEの共通点と相違点が明らかになったが、根本的な原因究明には至らなかった。ヒトの多発性硬化症のモデルとされるexperimental autoimmune encephalitis (EAE)は、脱髄性病変が特徴で、脳脊髄液には髄鞘蛋白質に対する自己抗体が検出される点でイヌのNMEやGMEと異なっている。そこで第3章では、ラットを用いてイヌのNMEモデル疾患作製を試みた。ラットの大脳皮質と小脳についてそれぞれ乳剤を作製、別のラットの皮下に注射した。対照群にはPBSまたはadjuvantを注射した。その結果、大脳乳剤投与群のみの大脳皮質に、空胞変性または壊死性病変が観察された。囲管性浸潤や炎症細胞の脳実質への浸潤なども認められた。病変の分布はNMEのそれと類似していた。浸潤する炎症細胞について免疫組織化学的に検討したところ、壊死巣に浸潤していたのはCD3陽性T細胞、Iba-1陽性CD163陰性microgliaであった。Cytokine, chemokine receptorの発現を観察したところ、TNF-α、CXCR3が高発現していた。したがって、大脳乳剤投与群ではT細胞とmicrogliaが病態の発現に重要な役割を担っていると考えられた。また、臨床症状や病変が認められたラットの血清にGFAPに対する自己抗体が検出された。また、二重蛍光染色により投与後9日目からIgGがGFAP陽性glia limitansに沈着し、CD3陽性T細胞がGFAP陽性星状膠細胞に接する像が観察された。このような組織像はNMEと類似していた。以上の所見より大脳乳剤を投与したラットの病態はイヌNMEの初期病態のモデルになりえると考えられた。

一方、ラットの小脳乳剤投与群では炎症反応を伴う脱髄が小脳、脳幹および脊髄で観察された。Cytokineおよびchemokine receptorの発現はいずれも大脳投与群と類似していた。血清には髄鞘蛋白質に対する自己抗体が顕著に検出された。イヌのNME、NLE、GMEでは脱髄や髄鞘蛋白質に対する自己抗体は認められないことから、小脳乳剤投与群はイヌ疾患のモデルして不適切と思われた。

以上の一連の研究より、イヌの髄膜脳脊髄炎3疾患の病態の相異を明らかにすることができた。さらに、ラットに同種の大脳乳剤を投与することでイヌのNMEの初期病態をある程度反映するモデルを作製することができた。イヌの自然症例とラットモデルを用いた病態解析によりNMEの病理発生にはGFAPに対する自己抗体、T細胞およびmicrogliaが重要な役割を果たしていることが明らかになった。これらの研究成果は今後イヌの免疫介在性中枢神経疾患のメカニズムを解明するのに役立つと思われる。

審査要旨 要旨を表示する

イヌの代表的な原因不明の中枢神経炎症疾患として壊死性脳炎と肉芽腫性髄膜脳脊髄炎(GME)がある。壊死性脳炎は炎症を伴う壊死性病変を特徴とし、病変が大脳皮質に分布する壊死性髄膜脳炎(NME)と大脳白質に分布する壊死性白質脳炎(NLE)に分けられる。NMEはpug、Maltese、Papillonなどに、NLEはYorkshire terrier、French bulldogに好発し、犬種特異的な発症が知られている。一方、GMEは肉芽腫性病変を特徴とし、 大脳白質、小脳、脊髄に病変が観察され、犬種特異性は乏しい。NME、NLEおよびGMEの病理発生は様々な知見から免疫介在性であると推測されているが、そのメカニズムは未だ解明されていない。そこで本研究では、上記三疾患について、症例を病理学的に詳細に検討し、また病態動物モデルの作製を試みることにより、三疾患の病理発生解明を行った。

第1章ではNME、NLE及びGMEの実際の症例を用いて、それぞれの特異的な病変及びその分布を病理組織学的に比較・検討した。NME25例の犬種はpug(13例)、Maltese(2例)、Papillon(2例)、その他(8例)であった。これらの症例では大脳皮質で顕著な壊死病変が観察された。NLEは5例観察したが、うち3症例がYorkshire terrierであった。壊死病変は主に大脳白質に認められた。GME9例の犬種は様々で、犬種特異性は乏しいと考えられた。GMEでは特徴的な肉芽腫性病変が小脳および脊髄でもっとも顕著に認められた。次いで、三疾患の脳内炎症細胞に関しては、CD3陽性T細胞のみで有意差があり、GMEで最も多く認められた。NMEとNLEにおいては、 glial fibrillary acid protein (GFAP)陽性星状膠細胞にIgGが沈着し、CD3陽性T細胞が接する像が多数認められた。以上の所見より、イヌのNME、NLEおよびGMEはそれぞれ特徴的な病態を有しているが、いずれもCD3陽性T細胞が関わっていることが明らかになった。また、NMEとNLEではGFAPに対する自己抗の関与が再確認された。

イヌの炎症性脳疾患の病変が疾患特異性を示した背景には免疫炎症反応がそれぞれで異なる可能性があると考え、第2章ではNME、NLE、GMEの凍結組織(NME:2例、NLE:4例、GME:2例および対照:3例)を用いて、cytokinesとchemokine receptorsの発現および発現細胞を比較した。cytokineに関しては、NMEではIFN-γ、NLEではIL-4、GMEではIL-17がそれぞれ高発現していた。chemokine receptorでは、NMEとNLEではCXCR3が、GMEではCCR2が高発現していた。さらに、二重蛍光染色により、IL-17発現細胞の同定を行ったところ、三疾患ともCD163陽性マクロファージがIL-17陽性であり、とくにGMEで最も顕著であった。以上の結果から、NMEとGMEではそれぞれIFN-γとIL-17が特異的に高発現し、これらの疾患の特徴的な病変形成に関与すると考えられた。

第3章では、ラットを用いてイヌのNMEモデル疾患作製を試みた。ラットの大脳皮質と小脳についてそれぞれ乳剤を作製、別のラットの皮下に注射した。その結果、大脳乳剤投与群のみの大脳皮質に、空胞変性または壊死性病変が観察された。病変の分布はNMEのそれと類似していた。病変部に浸潤していた細胞はCD3陽性T細胞、Iba-1陽性CD163陰性microgliaであった。また、病変が認められたラットでは星状膠細胞のGFAPに対する自己抗体や 星状膠細胞に接するT細胞が検出された。以上の所見より大脳乳剤を投与したラットの病態はイヌNMEの初期病態のモデルになりえると考えられた。

一方、ラットの小脳乳剤投与群では炎症反応を伴う脱髄が小脳、脳幹および脊髄で観察され、血清には髄鞘蛋白質に対する自己抗体が顕著に検出された。イヌのNME、NLE、GMEでは脱髄や髄鞘蛋白質に対する自己抗体は認められないことから、小脳乳剤投与群はイヌ疾患モデルとしては不適切と思われた。

本研究によりイヌの髄膜脳脊髄炎3疾患の病態の相異を明らかにすることができた。さらに、ラットに同種の大脳乳剤を投与することでイヌのNMEの初期病態をある程度反映するモデルを作製することができた。イヌの自然症例とラットモデルを用いた病態解析によりNMEの病理発生にはGFAPに対する自己抗体、T細胞およびmicrogliaが重要な役割を果たしていることが明らかになった。これらの研究成果は今後イヌの免疫介在性中枢神経疾患のメカニズムを解明するのに役立つと思われる。

本研究で得られた一連の知見は、イヌのNME、NLEおよびGME等、未だ原因が解明されていない脳炎のメカニズムを理解する上で、非常に重要な情報を提供するものと考えられた。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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