学位論文要旨



No 129277
著者(漢字) 家城,直
著者(英字)
著者(カナ) イエキ,ナオ
標題(和) マウス嗅球僧帽細胞と房飾細胞における匂い応答の時間特性
標題(洋) Odor response temporal profiles of mitral and tufted cells in mouse olfactory bulb
報告番号 129277
報告番号 甲29277
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第4010号
研究科 医学系研究科
専攻 機能生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 河西,春郎
 東京大学 教授 飯野,正光
 東京大学 教授 山岨,達也
 東京大学 准教授 喜多村,和郎
 東京大学 特任准教授 河崎,洋志
内容要旨 要旨を表示する

異なったサブタイプのニューロンが、感覚情報の異なる側面を担当し処理する「並列情報処理様式」は、脳内の様々な感覚系において共通にとられている手法である。たとえば、視覚系では、異なる受容野特性をもつM型およびP型網膜神経節細胞が、それぞれ別々の経路を形成して視床へと伝達している。マウスの一次中枢である嗅球にも、房飾細胞と僧帽細胞という二種類の投射ニューロンが存在し(図1)、どちらも同じ匂い分子受容体を発現する嗅細胞から入力を受けている。しかし、房飾細胞と僧帽細胞にどのような匂い応答特性の違いがあるか、についてはこれまで十分に解明されてこなかった。

嗅球のニューロンは、呼吸リズムに伴う匂い情報の周期的なサンプリングのため、呼吸に基づいた匂い応答の時間特性を知ることが重要である。近年、行動下のげっ歯類動物実験において、一呼吸という短時間で大まかな匂いの識別ができることが示され、一呼吸単位ごとの匂い情報処理が着目されてきている。これまでに、房飾細胞は僧帽細胞に比べ匂い分子受容範囲が広いことや、匂い応答の発火頻度が高いことが知られているが、匂い応答の時間特性の違いについては未だほとんど知られていない。

房飾細胞と僧帽細胞は、嗅皮質への大まかな軸索投射様式が異なることが解剖学的研究により知られている。房飾細胞は嗅皮質の前部にのみ軸索投射するのに対し、僧帽細胞は嗅皮質のほぼ全領域に軸索投射する。しかし、同じ糸球で同じ匂い受容体の情報を受ける個々の房飾・僧帽細胞どうしが、嗅皮質の重複した領域に軸索投射をしているのか、それとも独立した経路を形成しているのか、については未だ調べられていない。

本研究では、同一匂い分子に応答する房飾細胞と僧帽細胞の、匂い応答時間特性およびその投射様式の違いについて解析するため、麻酔下のマウスを用いて、匂い応答特性を同定した嗅球の投射ニューロンを個々にラベルし、ニューロンの軸索投射の三次元再構築を行った。

実験手法としては、二種類の匂い分子(TMT、キツネの匂いの主要成分;2MBA、腐敗臭の1つ)を用い、まず内因性シグナルの光学的イメージング法によりを行いそれぞれの匂いに応答する嗅球背側部の糸球を同定した。次に、同定した応答糸球直下のニューロンから匂い応答特性を記録した後、juxtacellular labeling法により記録した単一ニューロンに色素を電気的に注入し、ラベルした。さらに、ラベルしたニューロンの形態および嗅皮質における軸索投射を顕微鏡観察し、Neurolucidaを用いて三次元再構築した。

(1)房飾細胞は僧帽細胞よりも匂い応答onset latencyが早い(図1、2)

まず初めに、匂い応答のonset latencyについて房飾細胞と僧帽細胞で比較した。個々の細胞について、匂い刺激後の最初の吸気をトリガーした刺激前後時間ヒストグラムを書き(図1)、匂い刺激無しの時に比べ発火頻度が有意に高くなるまでの時間を測定した。その結果、房飾細胞のほうが僧帽細胞に比べonset latencyが140msほど早いことが示された(図2)。

(2)房飾細胞の中でも特にeTCは、僧帽細胞に比べ一呼吸内での応答持続時間が短い(図2)

次に、一呼吸内の匂い応答の持続時間について房飾細胞と僧帽細胞で比較するため、各呼吸の吸気開始をトリガーにした刺激前後時間ヒストグラムを書き、一呼吸内で匂い応答中の発火頻度が自発発火に比べ高くなる応答持続時間を測定した。房飾細胞にはさらに三種類のサブタイプ(external/middle/internal tufted cell; eTC/mTC/iTC)が存在するが、eTCは応答持続時間が最も短く、僧帽細胞に比べ応答持続時間がおよそ120ms短いことがわかった(図2)。また、一呼吸ごとの匂い応答の発火頻度のピーク時間についても同様に解析を行うと、房飾細胞のピーク時間は僧帽細胞よりも約60ms早いことが分かった(図2)。

(3)房飾細胞は僧帽細胞に比べ速い匂い濃度変化にも応答が追従する(図3)

次に、匂い刺激を繰り返し短時間でon-off変化させたときの房飾・僧帽細胞の応答の違いを比較した。匂い刺激装置を用いて匂い刺激のon-offを1秒ごとに5回繰り返し行い、それぞれのon期とoff期後の最初の呼吸におけるスパイク数を、各刺激のon-offペアで比較した(図3)。すると、房飾細胞では、匂い刺激on期ではoff期に比べスパイク数が有意に増加し、off期では顕著に抑制された。それに対し、僧帽細胞では、匂い刺激off期でも発火が継続し、刺激on期とoff期でのスパイク数に有意な差がみられなかった。この結果から、房飾細胞では匂い刺激のon-off変化対し応答がよく追従するのに対し、僧帽細胞では追従しない傾向があることが分かった。

(4)房飾細胞のほうが僧帽細胞よりも応答濃度閾値が低い(図4)

さらに、房飾細胞と僧帽細胞の匂い濃度閾値の違いについて調べた。各細胞に対し、7段階の濃度に希釈したTMT(1.5ppb~830ppb)および2MBA(0.79ppb~19,950ppb)を用いて匂い刺激を行い、有意に応答がみられる濃度閾値を解析した。この結果、房飾細胞は僧帽細胞に比べ匂い応答濃度閾値が約1/10~1/100であった。また、どの濃度においても、匂い応答のonset latencyは房飾細胞のほうが僧帽細胞よりも短かった。

(5)房飾細胞と僧帽細胞では、嗅皮質の異なる領域に軸索投射していた(図5)

最後に、TMTまたは2MBAに応答する嗅球背側部の房飾・僧帽細胞において、嗅皮質への軸索投射様式の違いについての解析を行った。嗅皮質は、解剖学的に前嗅核、テニアテクタ、嗅結節、前/後梨状皮質、外側嗅索核、前部/後外側部扁桃皮質核、外側内嗅野、という9つの亜領域に分かれている。個々のニューロンの軸索投射を解析したところ、僧帽細胞はこれら9つの亜領域すべてに軸索投射があった。一方、房飾細胞は、前嗅核、嗅結節、前梨状皮質のみに軸索投射していた(図5)。我々はさらに、二種類の細胞両方からの投射がみられる3亜領域について解析を行った。すると、房飾細胞は前嗅核の後腹側部、嗅結節の前外側部、前梨状皮質の前腹側部に限局して投射するのに対し、僧帽細胞は、前嗅核の前背側部、嗅結節の内側後部、前梨状皮質の背側部に投射があり、房飾細胞と僧帽細胞の投射領域は3亜領域内で分離していることが分かった。

以上の結果から、房飾細胞は、より速く低濃度から応答することに対し、僧帽細胞はより遅く高濃度の匂いからしか応答しないことが示され、それぞれ嗅皮質への軸索投射パターンも異なっていることが示された。これらの結果は、嗅球の二種類のニューロンサブタイプ(房飾細胞と僧帽細胞)が、それぞれ異なる匂い応答特性について嗅皮質の異なる標的へと伝達していることを示唆する(図6)。従って、嗅覚系においても他の感覚系と同様に投射ニューロンサブタイプごとの並列処理経路が存在すると考えられる。

図1 (上) 三次元再構築した嗅球のTMT応答房飾細胞および僧帽細胞。細胞体、尖頭樹状突起、基底樹状突起、軸索がそれぞれ水色、緑、マゼンタ、黄色で示されている。

(下) 吸気開始でトリガーした、房飾細胞および僧帽細胞の匂い応答時間ヒストグラム。上二段の各黒線はTMT・匂い無しの時のスパイク発火を表す。黒線裏の色枠は、濃い部分が呼気、薄い部分が呼気を表す。

図2 房飾細胞(TC)と僧帽細胞(MC)の各呼吸に対する匂い応答のonset latency、匂い応答の発火持続時間、および応答ピークの比較。

図3 匂い刺激のon-offを短時間で繰り返したときの、房飾細胞と僧帽細胞の応答パターンの比較。房飾細胞は匂い刺激のon-offに追従した発火を示すのに対し、僧帽細胞は匂い刺激のoff時にも発火が持続し、刺激の速い変化に追従しない傾向がある。

図4 異なる匂い濃度に対する房飾細胞および僧帽細胞の応答の呼吸phaseヒストグラム。

房飾細胞は比較的低濃度(7.1ppb ~)の匂いにも応答するのに対し、僧帽細胞では高濃度(170ppb、830ppb)の匂いにしか応答しない。

図5 TMTに応答する単一の房飾細胞および僧帽細胞の嗅皮質への軸索投射パターンの三次元再構築。

マウスの片脳を腹後外側方向から見た図。図中左側の緑色の部分が嗅球で、細胞体が存在する。嗅皮質は、9つの亜領域ごとに色分けして三次元再構築されている。樹状突起はマゼンタ、軸索は黄色の線でそれぞれ示されている。僧帽細胞は嗅皮質の全領域に渡って投射するのに対し、房飾細胞は嗅皮質前部の領域に限局して投射する。嗅皮質前部の領域では、房飾細胞が主に投射する領域(白い点線)には僧帽細胞はほとんど投射していない。

図6 マウスの脳を腹側から見た、嗅皮質の模式図。

房飾細胞素早く匂い情報処理様式をするのに対し、僧帽細胞はゆっくりとした匂い情報処理様式をし、それぞれ嗅皮質の異なる標的に軸索投射している。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、マウス嗅球における二種類の投射ニューロンである僧帽細胞と房飾細胞の匂い応答時間特性および嗅皮質への軸索投射領域の違いについて明らかにするため、麻酔下のマウスを用いてin vivoの電気生理を行い、記録した個々のニューロンをラベルすることにより、僧帽細胞と房飾細胞の匂い応答および軸索投射パターンの比較・解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.匂い応答のonset latencyについて房飾細胞と僧帽細胞で比較するため、匂い刺激開始後の最初の呼吸において、匂い刺激による発火頻度が匂い刺激無しの時に比べ有意に高くなるまでの時間を測定した。その結果、房飾細胞のほうが僧帽細胞に比べonset latencyが140msほど早いことが示された。

2.匂い応答の発火頻度がピークに達するまでの時間について、房飾細胞と僧帽細胞で比較した結果、房飾細胞のピーク時間は僧帽細胞よりも約60ms早いことが示された。また、一呼吸内での匂い応答持続時間についても、房飾細胞のサブタイプであるexternal tufted cellについては、僧帽細胞に比べ応答持続時間がおよそ120ms短いことが示された。

3.匂い刺激を短時間で繰り返しon-off変化させたときの房飾・僧帽細胞の応答の違いを比較した。房飾細胞では、匂い刺激on期でスパイク数が有意に増加し、off期では顕著に抑制された。それに対し、僧帽細胞では、匂い刺激off期でも発火が継続し、刺激on期とoff期でのスパイク数に有意な差が認められなかった。この結果から、匂い刺激のon-off変化対し、房飾細胞では応答がよく追従するのに対し、僧帽細胞では追従しない傾向があることが示された。

4.房飾細胞と僧帽細胞の匂い濃度閾値の違いについて調べるため、各細胞に対し、7段階の濃度に希釈した匂い分子を用いて刺激を行い、有意に応答がみられる濃度閾値を解析した。この結果、房飾細胞は僧帽細胞に比べ匂い応答濃度閾値が約1/10~1/100であることが示された。また、どの濃度においても、房飾細胞のほうが僧帽細胞よりもonset latencyが短いことが示された。

5.TMTおよび2MBAという二種類の匂い分子に応答する嗅球背側部の房飾・僧帽細胞において、嗅皮質への軸索投射様式の違いについて解析した。僧帽細胞は、嗅皮質の9つの亜領域すべてに軸索投射がみられた。一方、房飾細胞は、前嗅核、嗅結節、前梨状皮質の3亜領域のみに軸索投射していた。さらに、両方の細胞種から軸索投射がみられる3亜領域内では、房飾細胞と僧帽細胞の投射領域がそれぞれ分離していることが示された。

以上、本論文はマウス嗅球の二種類の投射ニューロンである房飾細胞と僧帽細胞が、それぞれ異なる匂い応答時間特性をもち、嗅皮質の異なる標的へと軸索投射していることを単一ニューロンレベルで明らかにした。本研究は、嗅覚系においても投射ニューロンの種類ごとの並列処理経路が存在することを示唆しており、脳内の匂い情報処理メカニズムの解明に重要な貢献をすると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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