学位論文要旨



No 129285
著者(漢字) 阿部,浩幸
著者(英字)
著者(カナ) アベ,ヒロユキ
標題(和) EBV関連胃癌におけるクロマチンリモデリング因子ARID1A及びウイルス由来microRNAの検討
標題(洋)
報告番号 129285
報告番号 甲29285
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第4018号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 畠山,昌則
 東京大学 教授 瀬戸,泰之
 東京大学 准教授 藤城,光弘
 東京大学 准教授 三室,仁美
 東京大学 特任准教授 鯉沼,代造
内容要旨 要旨を表示する

第一章 序文

胃癌は約10%にEpstein-Barr Virus (EBV)のモノクローナルな感染が認められ、EBV関連胃癌と呼ばれる。EBV関連胃癌は、低分化腺癌に豊富なリンパ球浸潤やリンパ濾胞形成を伴うlymphoepithelioma-like carcinomaと呼ばれる組織像と、高齢者・男性に多く残胃癌や多重癌が多いといった臨床病理学的特徴を有し、独立した疾患単位を形成する。近年の研究により、EBV関連胃癌ではLMP2A等の潜伏感染遺伝子が発現し、また宿主細胞のゲノムに広範なDNAメチル化が生じるなど、他の胃癌とは異なる分子生物学的特徴が明らかにされてきた。

本研究ではEBV関連胃癌について、クロマチンリモデリング因子ARID1Aとウイルス由来microRNA (miRNA)という二つの観点から検討した。

第二章 クロマチンリモデリング因子ARID1AとEBV関連胃癌

1.背景・目的

クロマチンリモデリング複合体SWI/SNFはクロマチンの構造を変えることにより多くの遺伝子の発現を制御している。最近になって胃癌のゲノムワイドなwhole exome sequenceの研究により、EBV関連胃癌とマイクロサテライト不安定性胃癌で、SWI/SNFのサブユニットの一つであるARID1Aの遺伝子変異・発現消失が高率に生じると報告された。しかしARID1A発現消失の臨床病理学的意義や、EBV関連胃癌に遺伝子変異が多い理由は不明である。そこで胃癌手術検体の免疫組織化学による、ARID1A発現消失の臨床病理学的検討を行った。

2.材料と方法

まず、胃癌手術検体857例のtissue microarrayを用いた免疫組織化学的検討により、ARID1A発現消失はEBV関連胃癌(23/67; 34%)とMLH1陰性(マイクロサテライト不安定性の指標)胃癌(40/136; 29%)に、その他の胃癌(以降、EBV(-)MLH1(+)胃癌と表記)(32/657; 5%)と比べ有意に高率に認められた。ARID1A発現消失群は噴門側に多く、最大径が大きく、進行癌が多く、リンパ管侵襲・静脈侵襲が高頻度であった。さらに症例をEBV関連胃癌、MLH1陰性胃癌、EBV(-)MLH1(+)胃癌の3群に層別化して解析したところ、EBV(-)MLH1(+)胃癌ではARID1A発現消失群で進行癌が多く高頻度なリンパ管侵襲・静脈侵襲・リンパ節転移を伴い、独立した予後不良因子となった。しかし、EBV関連胃癌やMLH1陰性胃癌ではこれらの相関を認めなかった。

EBV関連胃癌ではARID1A発現消失は進行癌・早期癌ともに同頻度で認められ、またwhole sectionを用いた検討では腫瘍全体に均一に発現消失を認めた。またEBV陽性の微小な異型上皮でもARID1A発現消失を認める症例があった。しかし、EBV陽性の他の悪性腫瘍(鼻咽頭癌8例及び悪性リンパ腫15例)ではARID1A発現は保たれており、また胃癌細胞に実験的にEBVを感染させてもARID1A発現は変化しなかった。

3.考察

ARID1Aは卵巣明細胞癌等の特定の癌種で高率な遺伝子変異・発現消失が報告されており、また実験的な検討では細胞増殖を抑制する働きが示されているため、癌抑制遺伝子に類似した役割を果たすと考えられている。しかしながら、ARID1A発現消失が予後不良因子となるかどうかについては意見が分かれている。本研究ではEBV(-)MLH1(+)胃癌においてARID1A発現消失が独立した予後不良因子となったが、EBV関連胃癌やMLH1陰性胃癌では相関を認めず、発癌経路によりその臨床病理学的意義が異なると考えられた。さらに本研究により、EBV関連胃癌ではARID1Aの変異・発現消失は発癌早期の変化であるが、EBV感染自体がARID1Aの発現消失を引き起こすわけではないと考えられた。EBV関連胃癌においてEBV感染は発癌早期の変化とされていることから、ARID1Aの遺伝子変異・発現消失は発癌の早期に、EBV感染に先行して生じると推察される。ARID1Aの発現消失は、EBVの感染効率を高めたり、EBV感染によって生じる細胞内の異常(DNAメチル化等)を促進したりするのかもしれない。

第三章 EBウイルス由来microRNAの発現と細胞外分泌

1.背景・目的

miRNAは20塩基前後から成るnon-coding RNAの一種で、mRNAに結合して転写後翻訳抑制を行うことで癌の病態に深く関わることが知られてきた。またmiRNAの一部は、細胞外に脂質二重膜から成る小胞(exosome)に含まれる形で分泌されて癌周囲微小環境に作用していることが分かってきた。EBVはヒト細胞には無いウイルス独自のmiRNAを持つため、本研究ではウイルス由来miRNAの産生・分泌を細胞株を用いた実験により解析し、EBV関連胃癌の発癌と進展における役割を検討した。

2.方法と結果

Real time PCR法を用いた検討により、EBV関連胃癌由来の細胞株であるKTとSNU719ではウイルス由来miRNAのうちBART7の産生量が最も多いことが判明した。KTのxenograftを接種されたSCIDマウスの血清や、SNU719の培養液上清から得たexosomeでもBART7が最も豊富に含まれており、ウイルス由来miRNAが細胞外に分泌されていることが分かった。

EBV関連胃癌の患者血清からBART7を検出することができれば、腫瘍マーカーとして役立つ可能性がある。そこでEBV関連胃癌患者5名の血清からRNAを抽出し、BART7の検出を試みたが、検出できなかった。

続いて、EBV陰性胃癌細胞株であるMKN74、NUGC3、MKN7と、これらにEBVを持続感染させた株とでexosomeの合成を比較した。その結果、exosomeの合成はEBV感染株の方が非感染株より多く認められた。また細胞外への分泌もEBV感染により促進されることが明らかとなった。EBV関連胃癌において発現しているEBV潜伏感染遺伝子4種(LMP2A、EBNA1、EBERs、BARF0)を各々単独で導入した株を用いて検討したが、exosomeの増加は単独遺伝子の導入では認められなかった。

分泌されたexosomeが他の細胞に取り込まれるかどうかを検討するため、SNU719の培養上清から超遠心により濃縮したexosomeを蛍光色素PKH67で標識し、Tリンパ球細胞株Jurkatに加えて共焦点顕微鏡で観察した。その結果、Jurkatの細胞質内にexosomeの取り込みを確認できた。またJurkat細胞からBART7 miRNAが検出でき、ウイルス由来miRNAがexosomeを介して胃癌細胞からリンパ球へと伝達されることが分かった。さらに、JurkatにBART7を導入すると細胞増殖能が抑制されることが分かり、BART7はリンパ球の増殖を抑制して腫瘍免疫を制御する方向に働くことが示唆された。

BART7の機能を検討するため、JurkatへのBART7導入時の遺伝子発現の変化を、マイクロアレイを用いて網羅的に解析した。54675個のマイクロアレイのプローブのうちBART7導入により発現が低下した遺伝子324個と、miRNA標的遺伝子予測プログラムRepTarによりBART7の標的として予測された遺伝子846個とを比較することで、16個の共通する遺伝子を抽出できた。

3.考察

ウイルス由来miRNAの検討では、細胞内及び細胞外(血清ないし細胞培養液)の両方で、BART7が最も多く検出された。鼻咽頭癌における過去の報告でもBART7が多い点は同様の結果であったが、胃癌では少なかった他のmiRNAで多く検出されているものがあり、鼻咽頭癌と胃癌ではウイルス由来miRNAの発現プロファイルが異なると考えられた。BART7の血清診断マーカーとしての有用性を検討するため、EBV関連胃癌の患者血清でBART7の検出を試みたが、検出することはできなかった。腫瘍を接種したSCIDマウスに比べ、体重に比した腫瘍重量が極めて小さかったこと、胃癌では鼻咽頭癌と比べウイルス由来miRNAの産生量が少ないこと、等が原因かもしれない。

細胞外へexosomeを介して分泌されたタンパクやmiRNAが、腫瘍細胞以外の細胞に取り込まれて腫瘍周囲微小環境の制御に働くことが、様々な悪性腫瘍で報告されている。本研究ではEBV関連胃癌細胞株から細胞外に分泌されたexosome及びその中に含まれるBART7が、Tリンパ球細胞株Jurkatに取り込まれることを示した。BART7をJurkatに導入すると細胞増殖が抑制されることも判明した。BART7の機能及び標的遺伝子はまだ明らかにされていないが、EBV関連胃癌では腫瘍細胞周囲に豊富なリンパ球浸潤を伴うことを合わせて考えると、exosome及びウイルス由来miRNAがEBV関連胃癌でも周囲微小環境制御に作用することが示唆される。

さらに本研究では、BART7導入による遺伝子発現変化をマイクロアレイで解析し、in silicoの標的予測プログラムと併用することで、標的遺伝子の候補を絞り込むことができた。今後は各候補のタンパクレベルでの発現変化やその機能の検討が課題となる。

第四章 結語

胃癌におけるクロマチンリモデリング因子ARID1Aの発現消失は、EBV陰性かつMLH1発現の保たれた胃癌では独立した予後不良因子であるのに対し、EBV関連胃癌やMLH1陰性胃癌では予後等の臨床病理学的因子と相関せず、ARID1Aの臨床病理学的意義は発癌経路により異なることが判明した。さらにEBV関連胃癌では、ARID1A発現消失は発癌過程の早期にEBV感染に先行して起こることが示唆された。

EBV関連胃癌ではBART7をはじめとした様々なウイルス由来miRNAの発現を認めた。またEBV関連胃癌ではexosomeの合成・分泌が亢進し、exosomeに含まれる形でウイルス由来miRNAも細胞外に分泌されていた。分泌されたexosome及びmiRNAは他の細胞株(Tリンパ球)にも取り込まれることが分かり、癌細胞と周囲細胞との情報伝達に関わっていると考えられた。

現代のがん研究では、DNA塩基配列変化以外のメカニズムによる遺伝子発現調節や細胞表現型の変化(広義のエピジェネティクス)が注目を集めている。EBV関連胃癌におけるエピジェネティクス変化としてプロモーター領域のDNAメチル化が良く知られているが、今回はクロマチンリモデリングとmicroRNAの二つに着目して研究を行った。BART7をはじめとしたウイルス由来microRNAとクロマチンリモデリング因子ARID1AのEBV関連胃癌における意義について、解明すべき課題は多く、今後の更なる研究が必要である。

審査要旨 要旨を表示する

本研究では、EBV関連胃癌において高頻度に遺伝子変異・発現消失が報告されているクロマチンリモデリング因子ARID1Aについて、その意義を手術材料の免疫組織化学を中心とした方法により解析した。また、EBウイルス由来microRNAについて、その発現とexosomeを介した細胞外分泌に着目して検討を加えた。そして下記の結果を得ている。

1.胃癌手術材料の免疫組織化学による臨床病理学的解析により、ARID1A発現消失はEBV関連胃癌及びMLH1陰性胃癌で、その他の胃癌と比較し高頻度に認められた。ARID1Aの発現消失例は、EBV陰性かつMLH1発現の保たれた胃癌では進行癌に多く予後不良であったのに対し、EBV関連胃癌では相関を認めなかった。

2.EBV関連胃癌ではARID1Aの発現消失を早期癌・進行癌ともほぼ同頻度で認め、発現の消失は腫瘍内で均一・びまん性であった。粘膜内のEBV陽性の微小な病変の段階でもARID1Aの発現消失を認める症例があった。そのため、EBV関連胃癌ではARID1Aの発現消失が発癌過程の早期に生じると考えられた。一方、EBV陽性の胃癌以外の悪性腫瘍(鼻咽頭癌と悪性リンパ腫)ではARID1A発現消失を認めず、また胃癌細胞株に人工的にEBVを感染させて樹立した株においてもARID1Aの発現低下は生じなかった。つまり、EBV感染によりARID1Aの発現消失が引き起こされるわけではないと考えられた。これらのことから、ARID1A発現消失は発癌初期にEBV感染に先行して生じることが示唆された。

3.EBV関連胃癌由来細胞株SNU719及びマウスxenograftであるKTを用いた検討により、EBV関連胃癌細胞株ではウイルス由来microRNAのうちBART7が最も高発現し、培養液exosome中及びマウス血清中にも豊富に分泌されることを示した。ヒトのEBV関連胃癌患者血清についてもBART7の検出を試みたが、検出感度以下であり、腫瘍の大きさが小さかったことが原因と考えられた。

4.EBV陰性胃癌細胞株及び同じ株に人工的にEBVを感染させて樹立した細胞株の、蛍光免疫染色及びWestern blottingによる比較では、EBV感染株においてexosome分泌量の増加を認めた。

5.EBV関連胃癌細胞株SNU719の培養液から調整したexosomeを蛍光色素PKH67で標識し、EBV陰性のTリンパ球細胞株Jurkatに作用させた後に共焦点顕微鏡で観察することで、リンパ球内に胃癌細胞株由来exosomeの取り込みを確認した。リンパ球から抽出したRNAの中からBART7も検出でき、microRNA BART7のexosomeを介した細胞間の移動を明らかにした。

以上、本論文はヒト手術検体の免疫組織化学による検討や胃癌細胞株の実験を通して、クロマチンリモデリング因子ARID1Aの発現消失がEBV関連胃癌とMLH1陰性胃癌、及びその他の胃癌とで異なる臨床病理学的意義を有すること、及びEBV関連胃癌ではARID1A発現消失は発癌早期のイベントであることを明らかにした。更に、細胞株を用いた実験により、EBウイルス由来microRNAのBART7について、その発現と細胞外分泌、及びリンパ球への取り込みを明らかにした。これらの研究は、今まで未知であったEBV関連胃癌におけるクロマチンリモデリング因子ARID1AとmicroRNA BART7の意義を明らかにしたものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

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