学位論文要旨



No 129286
著者(漢字) 雨宮,貴洋
著者(英字)
著者(カナ) アメミヤ,タカヒロ
標題(和) スニチニブによる副作用発現機構の解析
標題(洋)
報告番号 129286
報告番号 甲29286
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第4019号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤堂,具紀
 東京大学 教授 浦野,泰照
 東京大学 准教授 大海,忍
 東京大学 准教授 北山,丈二
 東京大学 講師 花房,規男
内容要旨 要旨を表示する

【序文】

近年本邦では、根治切除不能又は転移性腎細胞がんに対して、マルチキナーゼ阻害薬であるスニチニブ及びソラフェニブが用いられ、良好な治療成績を上げている。特にスニチニブに関しては第一選択となる薬剤であるが、ソラフェニブと比較して肝機能障害、心機能障害、血小板減少、甲状腺機能低下の発症頻度が高く、臨床上の課題となっている。スニチニブ及びソラフェニブの主標的キナーゼは共に、vascular endothelial growth factor receptor-2 (VEGFR-2)、platelet-derived growth factor receptor-β (PDGFR-β)、KIT、fms-like tyrosine kinase 3 (FLT3)であるが、臨床濃度における各薬物のこれらのキナーゼに対する占有率に大きな差異は認められない。そこで、スニチニブの臨床濃度におけるオフターゲットキナーゼ阻害が、高頻度の副作用発現に関与することを想定し、副作用発現に関与する分子機構の解明を目指して検討を行った。

【方法及び結果】

1. 臨床用量のスニチニブ及びソラフェニブによるオフターゲットキナーゼへの占有率の比較

報告値を基に、スニチニブ及びソラフェニブに関して317種類のヒトキナーゼに対する占有率を網羅的に算出・比較した結果、両薬物間で占有率が大きく異なるオフターゲットキナーゼとして、phosphorylase kinase (PHK) gamma 1 (PHKG1)及びphosphorylase kinase gamma 2 (PHKG2)が見出された。骨格筋、心臓、甲状腺に発現するPHKG1及び肝臓、精巣に発現するPHKG2はそれぞれ、グリコーゲン代謝の律速酵素であるglycogen phosphorylaseの活性を制御するキナーゼであるPHKのサブユニットであり、触媒活性を担っている。スニチニブはPHK活性を阻害し、糖代謝恒常性を破綻させると推測され、以降PHKG1及びPHKG2に関して検討することとした。

2. スニチニブ及びソラフェニブのPHKG1及びPHKG2に対するIC50値の測定

臨床用量のスニチニブによってPHKG1/2が阻害されることを確認するため、ヒトPHKG1、PHKG2及びそれらのマウスオルソログに関し、キナーゼ領域の組み換えタンパク質を取得し、それらを用いてスニチニブ及びその活性代謝物あるいはソラフェニブによる阻害効果を実測した。ヒト及びマウスPHKG1に対するスニチニブのIC50値はそれぞれ8.8 nM及び15 nMであった。スニチニブの代謝物であるN-デスエチルスニチニブのIC50値は、それぞれ7.4 nM及び9.4 nMであった。一方、ソラフェニブによる阻害効果は微弱であった。ヒトPHKG2及びマウスPHKG2に対するこれら薬物の阻害は、PHKG1への阻害と同程度であった。これらの結果から、臨床用量において、スニチニブはPHKG1/2を強力に阻害し、マウスオルソログでも同様であることが確認されたため、以降マウスモデルを用いて解析を行った。

3. スニチニブはPHKG2阻害を介して肝機能障害及び肝臓内酸化ストレスを亢進させる

C57BL6Jマウスにスニチニブ又はソラフェニブを混餌にて14日間投与し、臨床と同等の薬物血中濃度を示すマウスモデルを構築した。スニチニブ投与群では、肝臓内グリコーゲン量が増大し、血清肝機能マーカーであるALT値が有意に上昇した。そこで、肝臓内の糖代謝ホメオスタシスに与えるスニチニブの影響を、数理モデルを用いたシミュレーションによって解析した結果、PHK活性低下によるグリコーゲン代謝量の低下は、グルコース-6-リン酸濃度の低下、NADPH/NADP+比の低下を介して、GSH/GSSG比を低下させることが予測された。マウスモデルにて実測した結果、スニチニブ投与群において、いずれの値も有意に低下していた。又、酸化ストレスマーカーであり脂質過酸化物量を示すTBARS値は、スニチニブ投与群の肝臓内において有意に上昇していた。これらの結果から、スニチニブによるグリコーゲン代謝の抑制が、肝臓に対する酸化ストレスを誘導することが示唆された。次に、スニチニブによる酸化ストレス誘導がPHKG2の阻害を介して発生しているかを確認するため、肝臓内PHKG2を発現抑制したマウスモデルを構築し評価を行ったところ、グリコーゲン量の増大及びグルコース-6-リン酸量の減少が認められ、この際同時にNADPH/NADP+比、GSH/GSSG比も有意に低下していた。さらに、このマウスモデルに対し、スニチニブの混餌投与を行っても上乗せ効果は観察されなかった。これらの結果から、スニチニブ投与によるPHK阻害が酸化ストレスを誘導することが明らかとなった。

4. スニチニブにより誘導された酸化ストレスは肝細胞のスニチニブに対する毒性感受性を増加させる

次に、酸化ストレスと肝障害の関連を解析した。GSH合成酵素を阻害し、酸化ストレスを惹起するbuthionine sulfoximine (BSO)を腹腔内投与したマウスに、スニチニブを1日間経口投与した後の血清ALT値を測定した。BSO非処理下ではスニチニブの短期間投与によるALT値変動は観察されない一方で、BSOの前処理をした際にはALT値の有意な上昇が観察された。又、初代肝細胞培養を用い、スニチニブの細胞毒性を評価した結果、BSO非処理群では136 nMであったスニチニブのEC(50)は、BSO処理群では19 nMへ減少し、酸化ストレスが肝細胞のスニチニブに対する毒性感受性を増強することが示唆された。続いて、抗酸化薬物の併用による効果を検討した。ビタミンE製剤であるα-トコフェロールニコチネート(α-T.N.)とスニチニブを2週間併用投与した結果、肝臓内NADPH/NADP+比、GSH/GSSG比、ALT値はいずれも、スニチニブ非投与群と同程度まで回復することが明らかとなった。

5. スニチニブに誘導された酸化ストレスは心機能障害を引き起こす

各薬物を混餌投与したマウスの心臓においても、内因性代謝物質の変動は肝臓と同様であった。すなわち、心臓においてもスニチニブはPHKの阻害を介して酸化ストレスを誘導していると考えられた。心臓におけるATP産生は、解糖系及び脂肪酸β酸化経路により供給される。ソラフェニブ投与により惹起される高血圧条件下では、酸化ストレスを発生する脂肪酸β酸化経路が抑制され、解糖系が亢進していることが関連遺伝子mRNAの定量により示唆された。一方、スニチニブ投与においても高血圧状態となるが、脂肪酸β酸化経路の抑制は認められなかった。この際心臓内ATP量は、スニチニブ、ソラフェニブいずれの投与群においても非処理群と同程度であった。これらのことは、スニチニブ投与条件下では、解糖系関連遺伝子が上昇するにも関わらず、上流グリコーゲン代謝の破綻により解糖系を介したATP供給が不十分であり、脂肪酸β酸化経路に依存して心臓内ATP量を維持していると考えられた。又、スニチニブ投与マウスでは、心筋障害を反映するTroponin T値及び心拍出量低下を反映するNT-proBNP値が有意に増大し、α-T.N.併用によりコントロールレベルまで回復することも明らかとなった。これらのことから、スニチニブ投与により心臓では、圧負荷条件下での脂肪酸β酸化経路依存及びGSH/GSSG比の低下による活性酸素除去能の低下が複合的に酸化ストレスを増大させ、心筋を障害していることが示唆された。

6.スニチニブに誘導された酸化ストレスは血小板減少を引き起こす

各薬物を混餌投与したマウスより回収した血小板においても、内因性代謝物質の変動は肝臓と同様であった。すなわち、血小板においてもスニチニブは酸化ストレスを誘導していると考えられた。過去に血小板への酸化ストレス負荷は、細胞表面へのphosphatidylserine (PS)提示量を増大させることが報告されていたため、本研究においてもPS表面提示量をannexin Vとの結合性で評価した。その結果、スニチニブを投与したマウス由来の血小板においては有意にannexin V結合性が増大した。又、スニチニブ投与群由来の血小板は、マクロファージに対する被貪食能が亢進していることも確認された。血小板の生体内での半減期を評価するため、血小板ラベル化剤を投与し、経時的にラベル化血小板数を測定した結果、スニチニブを投与した群では循環血中半減期の低下が示唆された。さらにα-T.N.併用によるレスキュー効果も観察され、スニチニブが誘導する酸化ストレスによって、血小板におけるPSの細胞表面提示量が増大し、被貪食能が亢進することで血小板半減期の低下を引き起こすことが示唆された。

7. スニチニブに誘導された酸化ストレスは甲状腺機能低下を引き起こす

各薬物を混餌投与したマウスより摘出した甲状腺においても、内因性代謝物質の変動は肝臓と同様であった。すなわち、甲状腺においてもスニチニブは酸化ストレスを誘導していると考えられた。又、血清Free T4 (FT4)・Free T3 (FT3)値は、どの群においても大幅な変動は観察されなかったが、血清TSH値はスニチニブ投与群で顕著に増大した。α-T.N.の併用により、このTSH値上昇は非投与群と同程度まで低下した。さらに、TSH分泌を直接的に抑制するオクトレオチドを投与し、スニチニブ投与群において血清TSH値の上昇をコントロールレベルまで抑制した場合、血清FT3・FT4値及び、甲状腺内T3・T4値はスニチニブ投与群にて有意に低下した。これらのことから、スニチニブ投与による酸化ストレスにより甲状腺機能低下が惹起されることが示唆された。

8. スニチニブはヒトにおいてもグリコーゲン蓄積と酸化ストレス誘導を引き起こす

スニチニブによる治療を行う腎細胞がん患者を対象とし、酸化ストレス及びグリコーゲン蓄積に関する検証を行った。その結果、5例の患者すべてにおいて、スニチニブ投与中に血清TBARSの増加、血中グリコーゲン量の増大が観察された。さらに重度の血小板減少に先行して、グリコーゲン蓄積と酸化ストレス生成が観察された。

【結論】

本研究では、スニチニブはPHKG1/2の阻害を介して糖代謝ホメオスタシスを破綻させ、酸化ストレスを誘導し、最終的に多臓器毒性の発現に至ることが示唆された。又、酸化ストレスを抑制した際には、臓器毒性はいずれも大きく軽減された。これらの知見はスニチニブによる副作用発現を回避する治療法を確立する上で、極めて重要な基盤情報であると考える。

審査要旨 要旨を表示する

本研究はマルチキナーゼ阻害薬であるスニチニブにおいて、高頻度に認められる血小板減少、甲状腺機能低下に加え、肝機能障害、心機能障害の発現に関与する分子メカニズムを明らかにするために、スニチニブの臨床濃度におけるオフターゲットキナーゼ阻害に基づいて解析を試みたものであり、以下の結果を得ている。

1. 報告値を基に、スニチニブ及びソラフェニブに関して317種類のヒトキナーゼに対する占有率を網羅的に算出・比較した結果、両薬物間で占有率が大きく異なるオフターゲットキナーゼとして、phosphorylase kinase (PHK) gamma 1 (PHKG1)及びphosphorylase kinase gamma 2 (PHKG2)が見出された。

2. 臨床用量のスニチニブによってPHKG1/2が阻害されることを確認するため、ヒトPHKG1、PHKG2及びそれらのマウスオルソログに関し、キナーゼ領域の組み換えタンパク質を取得し、それらを用いてスニチニブ及びその活性代謝物あるいはソラフェニブによる阻害効果を実測した。その結果、臨床用量においてスニチニブはPHKG1/2を強力に阻害し、マウスオルソログでも同様であることが確認された。一方、ソラフェニブによる阻害効果は微弱であった。

3. 臨床と同等の薬物血中濃度を示すマウスモデルにおいて、スニチニブ投与群では、肝臓内グリコーゲン量が増大し、血清肝機能マーカーであるALT値が有意に上昇した。さらにグルコース-6-リン酸濃度の低下、NADPH/NADP+比の低下、GSH/GSSG比の低下が認められた。また、酸化ストレスマーカーであり脂質過酸化物量を示すTBARS値は、スニチニブ投与群の肝臓内において有意に上昇していた。次に肝臓内PHKG2を発現抑制したマウスモデルを構築し評価を行ったところ、グリコーゲン量の増大及びグルコース-6-リン酸量の減少が認められ、この際同時にNADPH/NADP+比、GSH/GSSG比も有意に低下していた。さらにこのマウスモデルに対し、スニチニブの混餌投与を行っても上乗せ効果は観察されなかった。

4. GSH合成酵素を阻害し、酸化ストレスを惹起するbuthionine sulfoximine (BSO)を腹腔内投与したマウスに、スニチニブを1日間経口投与した後の血清ALT値を測定した。BSO非処理下ではスニチニブの短期間投与によるALT値変動は観察されない一方で、BSOの前処理をした際にはALT値の有意な上昇が観察された。また、初代肝細胞培養を用い、スニチニブの細胞毒性を評価した結果、BSO非処理群では136 nMであったスニチニブのEC50は、BSO処理群では19 nMへ減少し、酸化ストレスが肝細胞のスニチニブに対する毒性感受性を増強することが示唆された。続いて、抗酸化薬物の併用による効果を検討した。ビタミンE製剤であるα-トコフェロールニコチネート(α-T.N.)とスニチニブを2週間併用投与した結果、肝臓内NADPH/NADP+比、GSH/GSSG比、ALT値はいずれも、スニチニブ非投与群と同程度まで回復することが明らかとなった。

5. 各薬物を混餌投与したマウスの心臓においても、内因性代謝物質の変動は肝臓と同様であった。心臓におけるATP産生は、解糖系及び脂肪酸β酸化経路により供給されるが、ソラフェニブ投与により惹起される高血圧条件下では、酸化ストレスを発生する脂肪酸β酸化経路が抑制され、解糖系が亢進していることが関連遺伝子mRNAの定量により示唆された。一方、スニチニブ投与においても高血圧状態となるが、脂肪酸β酸化経路の抑制は認められなかった。この際心臓内ATP量は、スニチニブ、ソラフェニブいずれの投与群においても非処理群と同程度であった。これらのことは、スニチニブ投与条件下では、解糖系関連遺伝子が上昇するにも関わらず、上流グリコーゲン代謝の破綻により解糖系を介したATP供給が不十分であり、脂肪酸β酸化経路に依存して心臓内ATP量を維持していると考えられた。また、スニチニブ投与マウスでは、心筋障害を反映するTroponin T値及び心拍出量低下を反映するNT-proBNP値が有意に増大し、α-T.N.併用によりコントロールレベルまで回復することも明らかとなった。

6. 各薬物を混餌投与したマウスより回収した血小板においても、内因性代謝物質の変動は肝臓と同様であった。スニチニブを投与したマウス由来の血小板においては有意にannexin V結合性が増大した。また、スニチニブ投与群由来の血小板は、マクロファージに対する被貪食能が亢進していることも確認された。血小板の生体内での半減期を評価するため、血小板ラベル化剤を投与し、経時的にラベル化血小板数を測定した結果、スニチニブを投与した群では循環血中半減期の低下が示唆された。さらにα-T.N.併用によるレスキュー効果も観察された。

7. 各薬物を混餌投与したマウスより摘出した甲状腺においても、内因性代謝物質の変動は肝臓と同様であった。また、血清Free T4 (FT4)・Free T3 (FT3)値は、どの群においても大幅な変動は観察されなかったが、血清TSH値はスニチニブ投与群で顕著に増大した。α-T.N.の併用により、このTSH値上昇は非投与群と同程度まで低下した。さらに、TSH分泌を直接的に抑制するオクトレオチドを投与し、スニチニブ投与群において血清TSH値の上昇をコントロールレベルまで抑制した場合、血清FT3・FT4値及び、甲状腺内T3・T4値はスニチニブ投与群にて有意に低下した。

8. スニチニブによる治療を行う腎細胞がん患者を対象とし、酸化ストレス及びグリコーゲン蓄積に関する検証を行った。その結果、5例の患者すべてにおいて、スニチニブ投与中に血清TBARSの増加、血中グリコーゲン量の増大が観察された。さらに重度の血小板減少に先行して、グリコーゲン蓄積と酸化ストレス生成が観察された。

以上、本論文では、スニチニブはPHKG1/2の阻害を介して糖代謝ホメオスタシスを破綻させ、酸化ストレスを誘導し、最終的に多臓器毒性を発現することが示唆された。また、酸化ストレスを制御した際には、これらの臓器毒性はいずれも大きく軽減された。これらの知見はスニチニブによる副作用発現を回避する治療法を確立する上で、重要な基盤情報であると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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