学位論文要旨



No 129297
著者(漢字) 森田,茂樹
著者(英字)
著者(カナ) モリタ,シゲキ
標題(和) 肺腺癌の浸潤過程に関与するmicroRNAの研究
標題(洋)
報告番号 129297
報告番号 甲29297
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第4030号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清木,元治
 東京大学 教授 中島,淳
 東京大学 特任准教授 崔,永林
 東京大学 講師 高澤,豊
 東京大学 講師 村川,知弘
内容要旨 要旨を表示する

肺癌は日本人の癌死因の1位であり、中でも腺癌は最も多い組織型で近年増加している。腺癌では腫瘍内に筋線維芽細胞を伴った瘢痕の周辺で、非浸潤癌から浸潤癌への進展起こると考えられてきた。一方、microRNAは近年盛んに研究され、癌の発生や癌細胞の増殖、浸潤に果たす役割が徐々に明らかになりつつあり、肺癌でも多数の報告が認められる。本研究では肺腺癌の浸潤過程で寄与するmicroRNAを明らかにする目的で、2方向からアプローチを行った。1つ目は非浸潤部と浸潤部での癌細胞におけるmicroRNA発現の比較、2つ目は浸潤部の間質に認められる筋線維芽細胞でのmicroRNAの発現に対する検討である。

肺腺癌(上皮)の研究では細胞株を用いた機能解析が中心で、組織切片を用いた研究も散見されるが主に非腫瘍部と腫瘍部との対比で研究がされており、非浸潤部と浸潤部での対比研究は少ない。そこで、本研究ではレーザーマイクロダイセクションおよびin situ hybridization (ISH) を用いて非浸潤部と浸潤部を比較し、浸潤過程に関与するmicroRNAを同定、解析し、肺癌細胞株を用いてそのmicroRNAの機能の検討も行った。

まず、肺癌臨床検体の凍結保存検体の非浸潤部及び浸潤部よりレーザーマイクロダイセクションを使用して検体を分取、RNAを抽出し、マイクロアレイ解析を行った。microRNA マイクロアレイにはEpidermal growth factor receptor (EGFR) 遺伝子変異群及びEGFR野生型群の非浸潤部、浸潤部より抽出したRNAを用い、非浸潤部、浸潤部での変動からクラスター解析により約1700個の候補の中から143個のmicroRNAが抽出された。さらに非浸潤部と浸潤部での変動の大きさや文献による情報を元に各クラスターから1~3個ずつ、計8個のmicroRNAを選び、ホルマリン固定パラフィン包埋 (Formalin-fixed, paraffin-Embedded , FFPE) 検体 の非浸潤部及び浸潤部より分取したRNAを用いて、10症例に対して定量的Reverse transcription-polymerase chain reaction (RT-PCR)を行った。凍結検体からのRT-PCR、FFPE検体からのRT-PCR 及びマイクロアレイの非浸潤部及び浸潤部の変動が一致したmiR-146a、miR-107、miR-141、miR-200cが候補として残った。後半の3つはmiR-107 - DICER-1 - miR-200family (miR-141, 200cを含む)の経路が既報に認められたため、miR-146aと上流にあると考えられたmiR-107の2つのmicroRNAを中心に解析を行うことに決定した。miR-146a, miR-107について各々、FFPEから分取した定量的RT-PCR 50例 による検討、ISHを用いたmicroRNAの発現検討、標的遺伝子の検討、肺癌細胞株を用いたmicroRNAの機能について検討を行った。

定量的RT-PCR及びISHにて非浸潤部に比して浸潤部でmiR-146aの発現亢進が認められた。さらに、臨床検体を用いた予後解析ではmiR-146aが浸潤部で過剰発現している症例は無病生存期間の短縮が認められ、miR-146aが肺腺癌の浸潤過程に関与していることが示唆された。次に、標的遺伝子予想プログラムであるtarget scan及び文献からmiR-146aの標的遺伝子候補として、antiproliferative gene であるBTG2(B cell transcription family, member 2)を見出し、検証を行った。BTG2は免疫組織化学(immunohistochemistry, IHC)で非浸潤部に比して浸潤部で染色性の低下が認められ、BTG2のIHCでの染色強度とmiR-146aのISHでのシグナル強度に逆相関が見られることや肺癌細胞株でのmiR-146a 前駆体導入でBTG2の発現がmRNAレベルで低下することなどからBTG2はmiR-146aの標的遺伝子であることが示唆された。尚、BTG2がIHCで陰性(0)の症例は予後不良であった(無病生存期間及び全生存期間)。肺癌細胞株を用いた検討では、miR-146a前駆体導入による形態変化やwound healing 実験における移動能亢進、TGF-β添加によるEMT誘導に伴ったmiR-146aの発現亢進が認められ、miR-146の発現亢進が上皮間葉転換(Epithelial-mesenchymal transition , EMT) に関与すると考えられた。以上の結果からはmiR-146aはBTG2を介してEMTを誘導し、肺腺癌の浸潤過程に関与していることが示唆され、miR-146aは予後因子としての利用も期待される。

ISHでは非浸潤部に比して浸潤部でのmiR-107の発現亢進が認められた。さらに予後解析ではmiR-107のRT-PCR、ISHにおいて浸潤部でのmiR-107過剰発現が予後増悪因子であることが認められ、miR-107が肺腺癌の浸潤過程に関与していることが示唆された。乳癌での検討でmiR-107の前駆体誘導により、microRNAのプロセッシングかかわる蛋白であるDICER-1, 200familyを介し上皮間葉転換(EMT)が引き起こされることが報告されており、本研究でもmiR-107の標的遺伝子候補としてDICER-1及びその下流にmiR-200 familyを介したEMTの流れを想定して検証を行った。DICER-1はIHCで非浸潤部に比して浸潤部での染色性の低下が認められ、非浸潤部に比し、浸潤部でmiR-107高発現 (ISH)、DICER-1低発現 (IHC)であることや細胞株を用いたTGF-βによるEMT 誘導を行い、miR-107の発現亢進と蛋白レベルでのDICER-1の低下が認められたことなどから、肺腺癌においてもDICER-1がmiR-107の標的遺伝子であることが示唆された。尚、IHCでDICER-1が浸潤部に陰性の症例では無病生存期間の短縮が認められた。以上のようにmiR-107も浸潤癌への進展に関与すると考えられ、miR-146aと同様に予後因子もしくは治療への応用の可能性が考えられる。

腫瘍関連線維芽細胞(cancer associated fibroblast,CAF)におけるmiR-21の過剰発現についてはいくつかの報告が認められるが、肺腺癌の臨床検体に対してISHを用いてmiR-21を詳細に検討した報告はない。今回、我々の研究ではISHで肺腺癌に接する筋線維芽細胞に同様のmiR-21の過剰発現が認められ、浸潤部における間質でのmiR-21 ISHのシグナル強度が強い(3+)場合、有意に全生存期間の短縮が認められた。また、胎児由来の肺線維芽細胞株にmiR-21の前駆誘導体を導入すると伸びだすような形態の変化が認められた。非浸潤癌から浸潤癌への進展においては中心部の瘢痕との関与が注目されており、上皮だけでなく、間質での変化を見ることは重要と考えられ、今後の課題である。

本研究の前半ではマイクロダイセクションやISHといった手法を用いて、肺腺癌を非浸潤部と浸潤部に分けてとらえることで、肺腺癌の浸潤過程に深く関与すると考えられるmicroRNAを検討した。非浸潤部に比して浸潤部で過剰発現しているmicroRNAとしてはmiR-146、miR-107が認められ、これらのmicroRNAが肺癌の予後に関連することを示した。また、miR-146aの標的遺伝子としてBTG2を見出し、miR-107の標的遺伝子としてはDICER-1に対して検討した。いずれもEMTの誘導を介して肺腺癌の浸潤過程に関わることが示唆され、予後マーカーや治療への応用が期待される。肺腺癌のmicroRNAに関して正常部と腫瘍の対比ではなく、腫瘍内での非浸潤部と浸潤部という形の検討は前例がなく、非浸潤癌から浸潤癌への進展過程に関与するmicroRNAの一部を明らかにしたという点で本研究の意義は大きいと考えられる。

本研究の後半では、腫瘍間質においてISHを用いて皿iR-21が肺癌細胞に接する筋線維芽細胞に過剰発現していること及び予後との関係性を示し、浸潤への関与を示唆した。図1に本研究及び既報を含めたまとめを示す。浸潤癌への進展過程で癌細胞内部でのmicroRNAの変化だけでなく周囲の癌微小環境との変化にもmcroRNAは関わっていると考えられ、TGF-βなどのサイトカインを介した情報伝達の一部、あるいはエクソソームなどによって分泌されることで直接細胞同士でやり取りされている可能性などが考えられる。既に血漿中のmicroRNAをバイオマーカーとして利用する研究や治療への研究も報告されており、本研究見られたmiR-21のように腫瘍間質で機能するmicroRNAを解析していくことは、癌の診断や治療法への応用できる可能性がある。

図1 本研究のまとめ

実線は本研究で一部検討した経路。破線は文献から知られている経路。TGF β, Transforming growth factor β; FAK, Focal adhesion kinase; MMP, Matrix metalloproteinase; PTEN, Phosphatase and Tensin Homolog Deleted from Chromosome 10; BTG2, B-cell translocation gene family, member 2; EMT, Epithelial-mesenchymal transition; PDCD4, Programmed Cell Death 4, SMA, Smooth muscle actin; IL, Interleukin, SDF-1, Stromal cell-derived factor 1.

審査要旨 要旨を表示する

本研究は生体の発生分化、恒常性維持に必須の非翻訳単鎖RNAであるmicroRNAが肺腺癌の浸潤過程においてどのように関与するのかを明らかにするため、マイクロダイセクションやin situ hybridization (ISH) といった手法を用いて、非浸潤部と浸潤部の対比、さらに腫瘍間質でのmicroRNAの発現の解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.肺癌臨床検体の凍結保存検体の非浸潤部及び浸潤部から、マイクロダイセクションを使用して検体を分取、RNAを抽出し、マイクロアレイに提出、クラスター解析によって、約1700個のヒトmicroRNAの中から浸潤に関係すると考えられる143個を抽出した。さらに文献による情報などを元に8個を選び、凍結検体、ホルマリン固定パラフィン包埋(Formalin-fixed and paraffin-Embedded , FFPE) 検体10症例に対しての定量的Reverse transcription-polymerase chain reaction (RT-PCR)を行い、アレイの結果との比較を行ったところ、miR-146a、miR-107、miR-141、miR-200cで一致が見られた。

2.miR-146に対してFFPE検体から分取した定量的RT-PCR(50例)及びFFPEに対するISHにて非浸潤部に比して浸潤部でmiR-146aの発現亢進が認められた。臨床検体を用いた予後解析ではmiR-146aが浸潤部で過剰発現している症例では無病生存期間の短縮を認めた。肺癌細胞株を用いた検討では、miR-146a前駆体導入による形態変化やwound healing 実験における移動能亢進、TGF-β添加による上皮間葉転換(Epithelial-mesenchymal transition, EMT)誘導に伴ったmiR-146aの発現亢進が認められ、miR-146の発現亢進がEMTに関与することが示唆された。

3.標的遺伝子予想プログラムであるtarget scan及び文献からmiR-146aの標的遺伝子候補として、antiproliferative gene であるBTG2(B cell transcription family, member 2)を見出し、検証を行った。BTG2は免疫組織化学(immunohistochemistry, IHC)で非浸潤部に比して浸潤部で染色性の低下が認められ、BTG2のIHCでの染色強度とmiR-146aのISHでのシグナル強度に逆相関が見られた。また、肺癌細胞株H522でmiR-146a 前駆体導入でBTG2がmRNAレベルで抑制されることなどからBTG2はmiR-146aの標的遺伝子であることが示された。BTG2がIHCで陰性の症例は無病生存期間及び全生存期間の短縮が認められた。

4.ISHでは非浸潤部に比して浸潤部でのmiR-107の発現亢進が認められた。さらに予後解析ではmiR-107のRT-PCR、ISHにおいて浸潤部でのmiR-107過剰発現が予後増悪因子であることが認められた。

5.miR-107の標的遺伝子候補として選択したDICER-1はIHCで非浸潤部に比して浸潤部での染色性の低下が認められ、非浸潤部に比し、浸潤部でmiR-107高発現 (ISH)、DICER-1低発現 (IHC)であることや細胞株を用いたTGF-βによるEMT 誘導を行い、miR-107の発現亢進と蛋白レベルでのDICER-1の低下が認められたことなどから、肺腺癌においてもDICER-1がmiR-107の標的遺伝子であることが示唆された。IHCではDICER-1が浸潤部に陰性の症例では無病生存期間の短縮が認められた。

6.我々の研究ではFFPE検体を用いたISHで肺腺癌に接する筋線維芽細胞にmiR-21の過剰発現が認められ、浸潤部における間質でのmiR-21 ISHのシグナル強度が強い(3+)場合、有意に全生存期間が短いことが示された。また、胎児由来の肺線維芽細胞株にmiR-21の前駆誘導体を導入すると伸びだすような形態の変化が認められ、浸潤への関与の可能性が考えられた。

以上、本論文は肺腺癌において非浸潤部と浸潤部での癌細胞におけるmicroRNA発現の比較を行い、浸潤過程にmiR-146aとmiR-107が関与すること及びmiR-146aの標的遺伝子としてのBTG2,各々のmicroRNAが浸潤に関与する機序の一部を示した。肺腺癌のmicroRNAに関して腫瘍内での非浸潤部と浸潤部という形の検討は前例がなく、非浸潤癌から浸潤癌への進展過程に関与するmicroRNAの一部を明らかにしたという点で本研究の意義は大きいと考えられる。また、肺腺癌の浸潤部での筋線維芽細胞でのmiR-21の過剰発現及び予後との関連を示した。本研究は肺腺癌及び癌一般におけるmicroRNAの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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