学位論文要旨



No 129299
著者(漢字) 山口,幸恵
著者(英字)
著者(カナ) ヤマグチ,ユキエ
標題(和) 日本脳炎ウイルスの病原性決定因子の同定および性状解析
標題(洋) Identification and Characterization of Virulence Determinants of the Japanese Encephalitis Virus
報告番号 129299
報告番号 甲29299
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第4032号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 甲斐,知恵子
 東京大学 教授 北,潔
 東京大学 准教授 野田,岳志
 東京大学 講師 奥川,周
 東京大学 教授 水口,雅
内容要旨 要旨を表示する

日本脳炎は、蚊によって媒介される日本脳炎ウイルス(JEV)に感染することで引き起こされるウイルス感染症である。東アジアから東南アジア、南アジア地域に広く分布し、それらの地域における流行性脳炎の中で最も重要なものの一つである。JEVの感染は不顕性感染率が高く、発症するのは100~1000人に1人と推定されている。しかしながら、発症機構はいまだ明らかになっておらず、特異的な治療法はない。発症すれば致死率が20~30%であり、回復したとしても約半数の患者は精神神経に後遺症を残す重篤な疾患である。治療法の開発のためにも、発症機構の解明が求められている。

JEVはフラビウイルス科フラビウイルス属に分類される約70種のウイルスの一つで、直径約50nmの球状エンベロープウイルスであり、約11kbのプラス鎖1本鎖RNAゲノムを有する。ゲノムの翻訳領域には3種類の構造蛋白質(カプシド[C]、プレメンブレン[prM]、エンベロープ[E])と7種類の非構造蛋白質(NS1、NS2A、NS2B、NS3、NS4A、NS4B、NS5)がコードされている。遺伝子の塩基配列からJEVは5つの遺伝子型(I~V)に分類され、それらの遺伝子型の分布は地域によって異なる。日本に分布するJEVの遺伝子型は1993年頃以前ではほとんどがIII型であったが、1993年頃からI型へと変化した。

JEVは蚊の吸血によってヒトの体内に入り、上皮細胞に達したJEVが増殖し、リンパの流れを介して血中に入り、全身のリンパ組織や親和性がある組織へと感染・増殖し、脳組織へと達することで脳炎を引き起こすと考えられている。本研究ではJEVによる脳炎発症機構の一端を解き明かすことを目的とし、ウイルス増殖性および病原性を決定するウイルス側因子(アミノ酸部位)の同定および、その部位のアミノ酸置換がウイルス性状へ及ぼす影響を調べた。

ヒトにおける脳炎発症モデルとしてマウスが広く用いられており、JEVの腹腔接種によるウイルス増殖はヒトと同様に末梢における増殖に引き続き、脳組織での増殖が確認できる。JEVの病原性は末梢における増殖と脳組織へと到達する能力(神経侵襲性)と、脳組織において感染・増殖し脳炎を引き起こす能力(神経毒性)の2つに分けられる。神経侵襲性はマウスモデルにおいて腹腔接種による致死率を基に、神経毒性は脳内接種による致死率を基に求められる。

フラビウイルスの病原性の強弱は構造蛋白質の1つであるであるE蛋白質のアミノ酸配列に依存していることが知られており、E蛋白質のN末端から123番目のアミノ酸がJEV病原性の決定において重要な働きを担っていることが報告されている。多くのJEV株においてE蛋白質123番目のアミノ酸はセリン(Ser)であるが、強毒株で見られるアルギニン(Arg)に置換することでマウス病原性は増強する。しかしながら、野外分離株において123番目のアミノ酸がSerに次いで多いのはアスパラギン(Asn)であった。E蛋白質123番目のアミノ酸がAsnであることが病原性に影響しているのではないかと予想したが、123番目のアミノ酸がAsnである株についての性状解析がなされておらず、123番目のアミノ酸がSerからAsnに変異することの影響は不明のままであった。そこで第一章では、E蛋白質123番目のアミノ酸をSerからAsnに置換した組換えウイルスをリバースジェネティクスにより作製し、123番目のアミノ酸AsnがJEVの病原性に与える影響を明らかにすることを目的とした。

リバースジェネティクスにより弱毒株Mie/41/2002株のE蛋白質のアミノ酸123番目をSerからAsnへと置換した組換えウイルスを作製し、培養細胞における増殖性とマウス病原性を調べた。培養細胞における増殖性は親株であるMie/41/2002株に対し、顕著な差は認められなかった。次いで組換えウイルスのマウス病原性を神経侵襲性と神経毒性に分けて調べた。神経侵襲性の確認実験において3回の独立する研究中1回で組換えウイルスの神経侵襲性が親株(Mie/41/2002株)のそれより増強されていたが、他の2回の実験では親株と大きな差は認められなかった。組換えウイルスの神経毒性も親株のそれと比較して有意な差は認められなかった。組換えウイルスの培養細胞における増殖性および神経毒性は123番目のアミノ酸にSerを持つ親株のそれと顕著な差は認められなかったが、神経侵襲性は僅かながらも増強していたことから、E蛋白質123番目のアミノ酸がSerである株に比べてAsnである株の神経侵襲性が強い可能性が示唆された。E蛋白質123番目のアミノ酸がAsnであるJEV株のヒトにおける病原性の強弱は不明のままだが、中国においてヒトへの感染と脳炎発症が確認されていることから、今後E蛋白質123番目のアミノ酸がAsnである株についてさらなる研究を続け、自然界における分布についてもさらに情報収集する必要があると考えられる。

第二章では、E蛋白質以外のウイルス側の病原性決定因子の同定を試みた。ここでは、第一章で用いた弱毒株であるMie/41/2002株とE蛋白質のアミノ酸配列が同一であるにも関わらず強い病原性を示すMie/40/2004株に注目した。2株はともに遺伝子型I型であるが、全塩基配列を比較したところ、7ヶ所のアミノ酸配列の差異が確認された。7つのアミノ酸の差異のうち1つは構造蛋白質の1つであるC蛋白質、残る6つは非構造蛋白質で確認され、NS3蛋白質とNS4A蛋白質でそれぞれ1つずつ、NS5蛋白質で4つが見つかった。この7ヶ所の差異について他の弱毒株2株(遺伝子型I型)と合わせて比較検討した結果、NS4A蛋白質で見つかった差異がMie/41/2002株とMie/40/2004株の病原性の違いを決定している可能性が示された。NS4A蛋白質のN末端から3番目のアミノ酸はMie/41/2002株を含む弱毒株が共通してバリン(Val)であったのに対して強毒株Mie/40/2004株はイソロイシン(Ile)であった。そこで弱毒株Mie/41/2002株のNS4A蛋白質3番目のアミノ酸をValからIleに置換した組換えウイルスを作製し、本部位が病原性決定に関与するか調べた。加えてNS4A蛋白質3番目のアミノ酸がIleであるJEV株(3-Ile型)の地理的および時間的分布について分子疫学的に解析した。

第一章と同様、リバースジェネティクスを用いて弱毒株Mie/41/2002株のNS4A蛋白質3番目のアミノ酸をValからIleへと置換した組換えウイルスを作製し、培養細胞における増殖性とマウス病原性を調べた。組換えウイルスの培養細胞における増殖性を親株Mie/41/2002株のそれと比較したところ、2株間で大きな差は認められなかった。次いで、マウス病原性を神経侵襲性と神経毒性に分けてそれぞれ調べた。組換えウイルスの神経侵襲性は親株のそれに比べて増強されていたが、神経毒性の増強は認められなかった。これらの結果から、NS4A蛋白質3番目のアミノ酸ValがIleに変異することは、マウス病原性、特に神経侵襲性を増強させると考えられ、NS4A蛋白質が神経侵襲性決定に関与することが示唆された。

これまでに知られている3-Ile型JEVは国内ではMie/40/2004株のみであった。そこで、国内で分離されたI型JEV 98株についてNS4A蛋白質のアミノ酸配列を決定したところMie/40/2004株以外に19株の3-Ile型の株が新たに確認された。Mie/40/2004株を含めた20株の3-Ile型をNS4A配列とE配列について系統樹解析を行ったところ、1株を除き、19株が1つのクラスターを独立して形成していた。また、3-Ile型の株が自然界において少数派ではあるが一定の割合で存在することが示された。Mie/40/2004株以外の3-Ile型の株の性状解析は行われておらず、3-Ile型の株の神経侵襲性についても調べた。3-Ile型の株の多くは強い神経侵襲性を示したが、1株がMie/41/2002株と同程度の弱い神経侵襲性を示した。3-Ile型でありながら神経侵襲性は弱毒型であった株のアミノ酸配列をMie/40/2004株のそれと比較したところ、E蛋白質を含めてアミノ酸の差異が5か所あり、これらアミノ酸による影響が予想された。このことから、NS4A蛋白質の3番目のアミノ酸の神経侵襲性決定における役割は絶対的ではなく、E蛋白質といった他の要因との複合的作用によって神経侵襲性が左右されることが示唆された。しかし、今回確認された3-Ile株の多くは強毒性を示したことから、今後はJEVの病原性解析において構造蛋白質だけでなくNS4A蛋白質についても注目する必要があると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究はアジアにおいて流行性脳炎を引き起こす原因の中で最も重要なものの一つである日本脳炎を引き起こす日本脳炎ウイルス(JEV)の発症機構を明らかにするため、ウイルス増殖性および病原性を決定するウイルス側因子を同定し、さらに同定された部位のアミノ酸置換がウイルス性状に与える影響を調べたものである。本研究から下記の結果を得ている。

1. エンベロープ(E)蛋白質はJEV病原性の決定因子の一つであり、N末端から123番目のアミノ酸が病原性決定において重要な役割を果たすことが123番目のアミノ酸をセリン(Ser)からアルギニン(Arg)に置換した組換えウイルスの病原性増強によって報告されている。しかし野外分離株の中ではE蛋白質123番目のアミノ酸がArgである株よりもアスパラギン(Asn)である株が多く確認されていた。これらの株について性状解析がなされておらず、123番目のアミノ酸がAsnへとなることの影響は不明であった。そこでリバースジェネティクスを用いて弱毒株Mie/41/2002株のE蛋白質123番目のアミノ酸SerをAsnに置換した組換えウイルスを作製し、培養細胞における増殖性について調べたところ、親株と比べて有意な差は認められなかった。

2. E蛋白質123番目のアミノ酸をSerからAsnに置換した組換えウイルスのマウス病原性について神経侵襲性と神経毒性に分けて調べた。組換えウイルスの神経毒性は親株のそれと比べると有意な差は認められなかったが、神経侵襲性について比べたところ僅かながら増強していた。このことから、E蛋白質の123番目のアミノ酸Asnは弱いながらも神経侵襲性に影響を与えることが示された。

E蛋白質123番目のアミノ酸がAsnであるJEV株のヒトへの病原性の強弱は不明ではあるが、今後も研究を進め、123番目のアミノ酸がAsnである株の自然界における分布についても調べる必要があると考えられた。

3. 弱毒株Mie/41/2002株とE蛋白質のアミノ酸配列が同一であるにも関わらず、マウス病原性が高い強毒株Mie/40/2004株のアミノ酸配列をMie/41/2002株と比較したところ、非構造蛋白質であるNS4A蛋白質のN末端から3番目のアミノ酸に差異が認められた。このNS4A蛋白質3番目のアミノ酸が強毒株Mie/40/2004株の高病原性決定に関与する可能性が示された。

4. 弱毒株Mie/41/2002株ではNS4A蛋白質3番目のアミノ酸がバリン(Val)であったのに対し、強毒株Mie/40/2004株ではイソロイシン(Ile)であった。そこで、Mie/41/2002株のNS4A蛋白質3番目のアミノ酸をValからIleに置換した組換えウイルスを作製し、培養細胞における増殖性および神経侵襲性・神経毒性について調べたところ神経侵襲性が親株に比べて増強しており、NS4A蛋白質がJEV病原性決定に関与することが示された。

5. 強毒株Mie/40/2004株のようにNS4A蛋白質3番目のアミノ酸がIleである野外分離株について分子疫学的な解析を行ったところ、少数派ではあるが一定の割合で自然界において存在することが示された。また、神経侵襲性についても調べたところ多くの株は高い神経侵襲性を示したが、一部の株では低い神経侵襲性を示した。このことより、NS4A蛋白質は絶対的な役割は持たないが、JEV病原性の決定因子の一つであることが示された。今後、JEVの病原性解析において構造蛋白質だけでなくNS4A蛋白質についても注目する必要があることが考えられた。

以上、本論文はJEVの構造蛋白質と非構造蛋白質において、リバースジェネティクスを用いて組換えウイルスを作製し、性状解析を行うことで、構造蛋白質の一つであるE蛋白質の123番目のアミノ酸SerのAsnへの変異がウイルス性状に与える影響を明らかにし、新たなJEVの病原性決定因子として非構造蛋白質の一つであるNS4A蛋白質を同定した。本研究はこれまで構造蛋白質の特定のアミノ酸配列に注目が集まっていた発症機構の解明に発症に大きく関わる因子の新たな働きおよび新たな因子を示すことで重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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