学位論文要旨



No 129302
著者(漢字) 佐藤,香菜子
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,カナコ
標題(和) 神経変性疾患における局所脳容積と拡散MRIによる微細構造の変化の解析
標題(洋)
報告番号 129302
報告番号 甲29302
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第4035号
研究科 医学系研究科
専攻 生体物理医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 國松,聡
 東京大学 教授 高戸,毅
 東京大学 准教授 山末,英典
 東京大学 講師 山本,希美子
 東京大学 講師 山田,晴耕
内容要旨 要旨を表示する

1.背景

MRIによる脳の水の拡散解析(diffusional magnetic resonance imaging: dMRI)は、超急性期脳梗塞の見かけの拡散係数の変化(apparent diffusion coefficient: ADC)を敏感にとらえることが可能で、急速に臨床応用が進んだ。dMRIは、ADCにとどまらず、拡散テンソル解析では白質線維などによる水の動きの方向による違い、拡散異方性が観察可能である。さらにQ space imagingでは拡散時間をコントロールすることによって水分子の平均飛翔距離なども算出できる。拡散テンソル解析は水の拡散を楕円体としてとらえるもので、白質路の可視化とFractional anisotropy(FA)などによる定量化が可能というユニークな特徴がある。この10年で論文数は急増し、2011年は1000本以上となった。従来のMRIは一般に定量が困難であるが、dMRIでは定量可能なため、多くの疾患で脳の局所の異常が見いだされ、病態解析に役立っている。

しかし急速に進歩したことや、動物実験よりヒトでの応用が先に進んだことなどにより、多岐にわたる変性疾患の多くではまだ詳細な検討は行われていない。脳における水の拡散の変化に関するモデルを変性疾患における拡散テンソル解析の定量値FA, ADCと、もうひとつの標準的なMRI指標である容積を組み合わせて検討すれば、変性疾患における拡散の変化を解明する一助となると思われる。

2.目的

今回我々は、FA, ADCの変化を説明するモデルについて、ボクセル内の実測値をもとにそこから自由水を加減する自由水増減モデルと、植物ファントムを用いた交叉線維増減モデルを検討した。それに対応する変性疾患として、容積計測や拡散MRI上異なる特徴を持つと思われる2つの変性疾患(筋萎縮性側索硬化症amyotrophic lateral sclerosis: ALS, 脊髄小脳変性症6型spinocerebellar ataxia type 6: SCA6)において、FA, ADCの変化をその背景を考慮しつつ検討した。

3.基礎的検討

まず多くの変性疾患で報告されているFA低下、ADC上昇の単純なモデルとして、自由水増減モデルにつき計算により検証した。次に交叉線維がボクセル内で減少するモデルを植物ファントムにより検証した。

自由水増減モデルは、正常白質の拡散を表す3つの固有ベクトルの方向に沿った拡散係数であるλ1,2,3に同じ値を増減する単純なモデルである。正常白質のADC, FAと比べ、自由水を増加させてADCが増えるとFAは低下し、自由水を減じてADCが減ずるとFAは増加した。これは脳梗塞における細胞性および血管性浮腫、脳腫瘍、およびALSなどの多くで見られる変化と一致していた。

交叉線維増減モデルは同じ植物線維を交叉させるファントムで、非交叉部では線維が増えず、水が増えることになる。実測値は、交叉部ではADCと FAはともに低く、非交叉部ではADCとFAはともに高くなった。

今回の1つめのモデルでは、ボクセル内に自由水が増える要素があればFAは低下し、ADCが上昇することが示された。血管性浮腫などはこのモデルと思われる。変性においても、このモデルに近い状態が起きている可能性がある。一方、交叉線維の存在する部位で1つの線維が変性などにより減少すると、FA上昇、ADC上昇という、上記の自由水増減モデルとは異なる定量値の変化を示すことが示された。

4.ALSにおける鉤状束の拡散テンソルtractographyによる定量的評価

ALSは主として運動ニューロンを侵す緩徐に進行する神経変性疾患で、拡散テンソル解析は上位ニューロン機能の評価法として早期から臨床応用されてきた。この研究では認知症に関連する鉤状束がALSにおいて変化を示すかどうかを検討した。なお、本学学位論文との関連では、ALSはconventional MRIでの萎縮や容積変化は軽微だが、拡散テンソル解析では皮質脊髄路などの白質に障害が出ることが知られているため、容積に変化がすくなく、拡散テンソル解析の変化が目立つものとして今回の検討に加えた。

15名のALS患者と9名のage matched volunteerに拡散テンソル撮像を行い、鉤状束のtract-specific analysis(TSA)を行った(図1)。鉤状束のTSAはすでに報告した方法で、冠状断の側脳室前角前縁レベルで前頭葉下部に向かう線維と、temporal stemを結ぶ線維につき解析した。

ALS患者における鉤状束のFA(0.410±0.045)は正常コントロールのFA(0.459±0.056)と比べ、有意に低下していたが、ADCは患者群で0.820±0.039 x10(-3)mm2/s、対照群で0.801±0.033 x10(-3)mm2/sと患者群で上昇する傾向は見られたが、有意ではなかった。

この研究は、ALSにおいて鉤状束の軽微な拡散異常が起きていることを示した最初の論文である。また、鉤状束のようにある程度独立した白質路で容積変化が顕著でない場合に、ADCとFAがどのように変化するかの一例として、白質路の変性によりボクセル内に水が増えるようなモデルが適応可能な例として取り上げた。

5.SCA6における小脳局所容積と拡散テンソル解析

SCA6は、主として小脳皮質のプルキンエ細胞に変性をきたす成人発症の稀な常優染色体遺伝病である。画像的には小脳萎縮を特徴とし、脳幹の軽度萎縮も起こり得る。この研究では、テント下の脳萎縮の詳細なパターンを解析し、小脳の障害部位ごとの症状との相関を調べた。SCA6の先行研究は容積の解析が主で、拡散テンソル解析を行った研究はほとんどないため、拡散テンソル解析の定量値の変化と症状との相関を調べ、さらにその変化を容積変化と比較することを目的として検討した。症状の評価はinternational cooperative ataxia rating scale(ICARS)により行った。

9名のSCA6患者と9名のage matched volunteerを対象とし、テント下の脳の容積と拡散テンソル解析の示標の解析を行った。解析にはLDDMM(large deformation diffeomorphic metric mapping)を用い、テント下の脳を発生学的起源を考慮して18の部位に分けたアトラスを作成し、atlas-based analysisを行った(図2)。

小脳にはSCA6患者で有意な容積低下とADC上昇がみられ、MRIがstagingに有用であることが示されたが、FAの有意な変化はみられなかった。また、小脳、脳幹と小脳脚の容積はICARS total scoreと有意な負の相関を示した。テント下の脳区分ごとの解析でも、小脳と小脳脚で主に有意な容積低下、ADC上昇が見られ、FAは変化に乏しかった。中小脳脚ではADCとFAがともに上昇していた。容積は発生学的に主に古い部分で低下し、ADCは主に新しい部分で上昇する傾向があり、症状との相関も似た部位にみられた。SCA6では容積変化がFAより敏感であることが示された。またADCとFAがともに上昇していた領域があり、交叉線維増減モデルと同様に、交叉線維の存在する部位で一部の線維が変性している可能性が考えられた。

6.考察

dMRIは、10ミクロン程度の生体の微細構造の変化をとらえることができ、たとえば拡散テンソル解析では白質の拡散異方性により白質路の可視化と定量化が可能というユニークな特徴がある。従来のMRIは一般に定量が困難であるが、dMRIでは定量が可能なため、病態解析のツールやバイオマーカーとして応用され始めている。dMRIでは詳細な拡散現象の解析により、拡散から見た脳の微細構造の解明につながる。さらに拡散現象を観察する種々の方法が提唱されている。

水分子の拡散の背景を検討し、種々の変性疾患における微細構造の変化を明らかにする一環として、今回は自由水増減モデルと交叉線維増減モデルを検討した。そして、それぞれのモデルに対応すると思われる2種類の変性疾患につき検討した。拡散テンソル解析の各手法の短所長所を把握するため、種々の変性疾患において種々の手法を行い、各疾患に適した解析法を検討することは重要と考える。

ALSではFA低下が主な結果であった。変性により疎になり淡明化した白質線維の自由水が増加して自由水増減モデルに近い結果になったと思われる。SCA6では容積低下とADC上昇が主な結果であった。FAの変化は乏しく、一部ではADCとFAの両者の上昇が見られた。この部分では、交叉した白質線維の一部が変性したために、交叉線維増減モデルに近い結果が見られたと思われる。SCA6の解析ではLDDMMを用いたatlas-based analysisにより、脳の障害部位と症状との相関を明らかにすることができた。

7.結語

変性疾患におけるFA, ADCの変化は水の拡散のパターンによって異なり、ALSのように、変性により自由水増減モデルに近い変化を示す疾患ではFA低下、SCA6のように、交叉線維増減モデルに近い変化を示す疾患では、ADCとFAがともに上昇することがあることが示された。dMRIは種々の病態を反映して種々のパターンを示し、病態の解明の一助となると思われた。

図1 鉤状束の拡散テンソルtractography

図2 LDDMMを用いて区分したテント下のアトラス

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、MRIによる脳の水の拡散解析(diffusional magnetic resonance imaging: dMRI)において、fractional anisotropy(FA), apparent diffusion coefficient(ADC)の変化の機序について検討を行ったものである。まず基礎的検討として、自由水増減モデルと植物ファントムを検証した。次に、それに対応する変性疾患として2つの変性疾患-筋萎縮性側索硬化症amyotrophic lateral sclerosis: ALS, 脊髄小脳変性症6型spinocerebellar ataxia type 6: SCA6-を取り上げ、FA、ADCと容積の変化を合わせて検討した。これらの検討で、以下の結果を得ている。

1.基礎的検討

過去の報告から、脳神経疾患におけるFA、ADの変化の主要な機序として自由水の増減の影響が考えられたため、正常白質において水の拡散係数λ1,2,3を計測し、それに同じ値を増減する自由水増減モデルを検証した。自由水を増加させてADCが増えるとFAは低下し、自由水を減じてADCが減ずるとFAは増加した。これは多くの脳神経疾患で見られるFA, ADCの変化と一致していた。

FA、ADの変化の他の機序としては神経交叉による影響が考えられたため、アスパラガスを交叉させたファントムにて交叉線維増減モデルを検証した。非交差部と交差部におけるFA, ADCを計測したところ、非交叉部ではADCとFAはともに高くなり、交叉部ではADCと FAはともに低くなった。交叉線維の存在する部位の変性では、自由水増減モデルとは異なる定量値の変化を示すことが示された。

2.ALSにおける鉤状束の拡散テンソルtractographyによる定量的評価

ALSでは容積変化は軽微だが、拡散テンソル解析では皮質脊髄路におけるFA低下, ADC上昇が多く報告されており、自由水増減モデルに準じた変化が示唆される。この研究では、ALS患者の認知症に関連している可能性のある鉤状束について、初めて拡散テンソル解析を行った。

15名のALS患者と9名のage matched volunteerに拡散テンソル撮像を行い、鉤状束のtract-specific analysis(TSA)を行った。ALS患者における鉤状束のFAは正常コントロールのFAと比べ、有意に低下していた。ADCは患者群で上昇する傾向は見られたが、有意ではなかった。ALS患者では、鉤状束でも自由水増減モデルに準じた変化が生じていると思われた。

3.SCA6における小脳局所容積と拡散テンソル解析

SCA6はテント下の脳萎縮を特徴とするが、テント下の小脳の神経線維の走行は複雑で、交叉線維を含むため、交叉線維増減モデルに準じた変化が生じている可能性がある。この研究では、テント下の脳について、拡散定量値と容積の変化を詳細に検討し、また小脳の障害部位ごとの症状との相関も調べた。

9名のSCA6患者と9名のage matched volunteerを対象とし、atlas-based analysisを行った。小脳ではすべての脳区分において、SCA6患者で有意な容積低下とADC上昇がみられた。これらとICARSとの有意な相関もみられ、MRIがstagingに有用であることが示された。小脳では発生学的部位による傾向の違いもみられた。FAは変化に乏しく、小脳の一部や脳幹では上昇した部分があり、交叉線維増減モデルに準じた変化が生じている可能性が考えられた。

以上の結果から、神経変性疾患におけるFA, ADCの変化は水の拡散のパターンによって異なることが示された。本論文は、水の拡散のモデルと実際の神経変性疾患を合わせた検討を通じ、dMRIが病態の解明の一助となる可能性を示したものである。神経変性疾患の画像解析の分野に貢献をなすものであり、学位の授与に値すると考えられる。

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