学位論文要旨



No 129306
著者(漢字) 刈屋(松村),佑美
著者(英字)
著者(カナ) カリヤ(マツムラ),ユミ
標題(和) 軟骨細胞における静水圧刺激によるシグナル伝達に関する研究
標題(洋)
報告番号 129306
報告番号 甲29306
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第4039号
研究科 医学系研究科
専攻 生体物理医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高戸,毅
 東京大学 特任准教授 星,和人
 東京大学 准教授 桐生,茂
 東京大学 准教授 伊藤,大知
 東京大学 特任准教授 斉藤,琢
内容要旨 要旨を表示する

(背景と目的)

生体内において、細胞は常に化学刺激や物理刺激などの多くの細胞外刺激に曝露されている。これらの様々な細胞外刺激に対して適切に細胞応答することで、細胞はホメオスタシスを保っている。細胞外刺激によって引き起こされる細胞応答は、細胞増殖の促進や細胞の分化、細胞形態の変化、細胞遊走など多岐に渡り、これらの様々な細胞応答はそれぞれ特異的なシグナル伝達経路によって制御されている。これらのシグナル伝達経路を同定することによって、シグナル伝達経路の活性の制御による効率的な細胞応答の誘導が可能になると予想され、疾病に対する新たな治療法の確立や、再生医療などの臨床分野への応用も期待される。

本研究室は、生体内において関節軟骨内の軟骨細胞に負荷される物理刺激の一種である静水圧に着目し、その生理学的機能について研究を行ってきた。生体から軟骨細胞を摘出して2次元培養を行うと、軟骨細胞のマーカーmRNAであるII型コラーゲン(Col2a1)やプロテオグリカンの一種であるAggrecanの発現が低下し、脱分化することが分かっている。我々は現在までに、脱分化した軟骨細胞への静水圧負荷によって、これらのマーカーmRNAの発現が亢進し、軟骨細胞への再分化が促進されることを報告している。しかし、静水圧負荷による軟骨細胞分化のメカニズムについては、ほとんど解明されていない。そこで、静水圧刺激のシグナル伝達経路の同定を試みた。

(結果及び考察)

マウス軟骨前駆細胞株ATDC5細胞に静水圧を負荷し、各シグナル分子のリン酸化抗体を用いたWestern blotting法や、活性化した低分子量Gタンパク質のみを認識するリコンビナントタンパク質を用いたプルダウンアッセイ法を用いて解析を行ったところ、静水圧負荷によって複数のシグナル伝達経路が活性化することが明らかになった。まず、静水圧負荷によって、MAPKであるERKのリン酸化(活性化)の亢進が観察された。ERKのMAPKKであるMEKの選択的阻害剤であるUO126の存在下では、静水圧負荷によるERKの活性化が抑制されたことから、静水圧負荷によるMEK/ERK経路の活性化が明らかになった。更に、静水圧負荷による低分子量Gタンパク質Ras及びRap1の活性化が確認されたことから、静水圧負荷によるMEK/ERK経路の活性化は、Ras及びRap1によって制御される可能性が示唆された。一方、cAMP依存性のプロテインキナーゼPKAの選択的阻害剤であるH89存在下において、Rap1及びERKの活性化が亢進したことから、ATDC5細胞ではPKAがRap1及びERKの活性化を抑制していることが明らかになった。このことから、ATDC5細胞は他細胞より比較的高いcAMPの濃度を有することも示唆された。以上より、ATDC5細胞において、cAMP/Epac1経路はRap1を介してERKを活性化するが、cAMP/PKA経路はEpac1によるRap1の活性化を抑制すると考えられる。しかし、H89存在下において静水圧を負荷した際にも、負荷時間依存的なERKの活性化が見られたことから、この経路以外にも、静水圧依存的にERKを活性化する経路が存在することが予想される。また、本研究の結果から静水圧負荷によるRasの活性化が確認されているため、RasによってMEK/ERK経路が活性化する可能性も示唆された。次に、軟骨細胞のマーカーmRNAであるCol2a1やAggrecanの発現を制御する重要な転写因子であるSox9の発現に静水圧負荷が与える影響を定量RT-PCR法を用いて検討したところ、静水圧負荷によってSox9の発現が亢進することが明らかになった。一方、UO126存在下においてもSox9の発現の亢進が見られたことから、静水圧負荷によるSox9の発現誘導には、MEK/ERK経路は関与しないことが明らかになった。加えて、Sox9の発現を制御する転写因子の一つであるCREBも静水圧負荷によって活性化されることが分かったが、この活性化にもMEK/ERK経路は関与しなかった。これらの結果から、本実験下において静水圧負荷によるMEK/ERK経路非依存的なCREBもしくは他の転写因子の活性化によって、Sox9の発現誘導が起こる可能性が示唆された。一方、細胞膜とアクチン線維のリンカータンパク質であり、アクチン細胞骨格のリモデリングに関与するERMタンパク質が、静水圧負荷によって活性化されることも明らかになった。ERMタンパク質は、低分子量Gタンパク質RhoAとそのエフェクター分子であるRho結合キナーゼ(ROCK)によって活性化されることが知られていることから、静水圧負荷によるRhoA/ROCK/ERMタンパク質経路によるアクチン細胞骨格のリモデリングの促進が示唆された。

静水圧負荷によるRap1の活性化が認められたため、この活性化メカニズムについて更に検討を行った。Rap1の活性化因子であるEpac1は、同じく静水圧による活性化が明らかになったERMタンパク質の一つであるEzrinと相互作用することが報告されており、EzrinもRap1と同様にアクチン細胞骨格のリモデリングに関与することが知られている。ERMタンパク質は、ROCK等によって活性化されることで構造変化を起こし、細胞膜とアクチン細胞骨格に結合しリンカータンパク質として機能できるようになる。また、一般的に低分子量Gタンパク質は互いの活性を制御し合う、すなわちクロストークすること知られているために、静水圧負荷によってEzrin を介してRhoAとRap1がクロストークするのではないかと考え、生化学的及び分子生物学的解析、蛍光顕微鏡観察によって検討を行った。その結果、EzrinがEpac1と相互作用して複合体を形成し、RhoAによるEzrinの活性化を介してEzrin-Epac1複合体が細胞質から細胞膜へと移行することが観察された。また、Epac1の細胞膜移行によってRap1の活性化が亢進することも明らかになった。これらの結果から、静水圧負荷によって、RhoA/ROCK/Ezrin/Epac1/Rap1経路が活性化する可能性が示唆された。

(結論)

本博士論文研究から、静水圧負荷による低分子量Gタンパク質Ras及びRap1の活性化に加えてMEK/ERK経路の活性化が認められたことから、Ras及びRap1によるERK/MAPK経路の活性化が初めて示唆された。また、静水圧負荷によるMEK/ERK経路に非依存的な転写因子CREBの活性化及びSox9の発現量の増加も新規に明らかになった。加えて、静水圧負荷によって活性化されたERMタンパク質のEzrinが、RhoAとRap1のシグナル伝達経路をクロストークさせるシグナル分子として機能する可能性も示された。以上より、静水圧刺激は多くのシグナル分子を活性化する多機能な物理刺激であることが証明された。静水圧刺激応答性の各シグナル伝達経路の活性化による細胞増殖や細胞分化等の細胞応答の誘導メカニズムについて更に検討を重ねることで、将来的に軟骨疾患に対する治療法の開発や、幹細胞を細胞ソースとした再生医療への知見の応用が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、軟骨細胞分化や軟骨細胞の形質維持に機能すると考えられている物理刺激の一種である静水圧刺激のシグナル伝達経路を明らかにするため、マウス軟骨前駆細胞株ATDC5細胞に静水圧を負荷し、生化学的及び分子生物学的手法を用いて解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1. ATDC5細胞に静水圧を負荷し、Western blotting法を用いて検討を行った結果、静水圧負荷依存的な分裂促進因子活性化タンパク質キナーゼ(MAPK)の一種であるERK1/2の活性化を検出した。ERKの上流因子であるMEKの選択的阻害剤UO126存在下で同様の実験を行ったところ、静水圧負荷によるERKの活性化が抑制されたことから、静水圧負荷によってMEK/ERK経路が活性化することが示された。

2. MEK/ERK経路の上流因子として知られている低分子量Gタンパク質Ras及びRap1への静水圧負荷の影響について、それぞれのactivation assayを用いて検討した結果、両方とも活性化することが示された。これらの結果から、静水圧負荷によって、Ras/MEK/ERK及びRap1/MEK/ERK経路が活性化することが示唆された。

3. 軟骨細胞において重要な転写因子であるSox9の発現制御への関与が報告されている転写因子CREBに対する静水圧負荷の影響をWestern blotting法を用いて検討を行った結果、静水圧負荷依存的な活性化を検出した。神経細胞等において、ERKがCREBを活性化する上流因子の一つであることが知られていることから、選択的MEK阻害剤UO126存在下で同様の実験を行った。その結果、UO126の存在の有無にかかわらずCREBの活性化が認められたことから、本実験条件においては静水圧負荷によるCREBの活性化には、MEK/ERK経路は関与しないことが示された。

4. 静水圧負荷による転写因子Sox9の遺伝子発現への影響をRT-qPCRを用いて検討を行った結果、静水圧負荷後2時間静置した軟骨細胞においてSox9のmRNA量が有為に増加することが示された。このmRNA量の増加にMEK/ERK経路が関与するかを検討するために、選択的MEK阻害剤UO126存在下で同様の実験を行ったところ、UO126の存在の有無にかかわらずSox9のmRNA量の増加が認められたことから、本実験条件においては静水圧負荷によるSox9のmRNA量の増加にはMEK/ERK経路は関与しないことが示された。

5. 細胞膜とアクチン線維のリンカータンパク質であるERMタンパク質への静水圧負荷の影響をWestern blotting法を用いて検討を行った結果、静水圧負荷依存的な活性化を検出した。

6. Rap1の活性化因子であるEpac1と複合体を形成するERMタンパク質の一種であるEzrinの恒常活性型TD変異体及び、Ezrinを活性化するRho結合キナーゼ(ROCK)の上流因子であるRhoAの恒常活性型RhoV14変異体を作製し、HEK293細胞に発現させて蛍光顕微鏡解析を行ったところ、Ezrin TD及びRhoV14存在下においてEpac1が細胞質から細胞膜へとEzrinと共に局在変化することが示された。一方、ドミナントネガティブ変異体Ezrin TA存在下では、Epac1の局在変化は観察されなかった。

7. RhoV14存在下において、Ezrinの活性化によるEpac1の細胞膜への局在変化がRap1に与える影響についてactivation assayを用いて検討を行ったところ、Epac1によるRap1の活性化が示された。静水圧負荷によって、ERMタンパク質に加えてRap1も活性化することが本研究から明らかになったため、静水圧負荷によってRhoA/ROCK/Ezrin/Epac1/Rap1経路が活性化する可能性が示唆された。

以上、本論文はマウス軟骨前駆細胞株ATDC5細胞への静水圧負荷及び、そのシグナル伝達経路の解析から、静水圧刺激によって活性化される複数のシグナル伝達経路を同定した。本研究はこれまで未知に等しかった、軟骨細胞における静水圧のシグナル伝達経路及び受容体の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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