学位論文要旨



No 129312
著者(漢字) 伊佐,真幸
著者(英字)
著者(カナ) イサ,マサユキ
標題(和) チロシンキナーゼ型受容体のケミカルバイオエンジニアリング
標題(洋)
報告番号 129312
報告番号 甲29312
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第4045号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 飯野,正光
 東京大学 教授 浦野,泰照
 東京大学 准教授 尾藤,晴彦
 東京大学 講師 大久保,洋平
内容要旨 要旨を表示する

序論

チロシンキナーゼ型受容体(receptor tyrosine kinase: RTK)は活性化することで細胞内にシグナルが伝達され、細胞増殖、細胞遊走、細胞骨格の再構成等の様々な細胞応答を調節することで血管、免疫および神経系等の様々な生理機能を制御している。RTKの機能制御を行うことは、基礎研究や臨床研究の発展に非常に有用である。そこで本研究ではRTKのシグナル機能の解明及び創薬を目指し、分子生物学的な手法を用いてRTKを人工的に改変、修飾し、化学小分子を用いてRTKの機能制御を行う二つの新規ケミカルバイオエンジニアリング手法の確立を目指した。

第一章 「光依存的なチロシンキナーゼ型受容体活性化の制御」

細胞におけるRTKシグナルにおいてもとりわけ細胞内のμmオーダーの局所でのRTKの活性化の時空間パターンは神経細胞の軸索伸長や細胞運動の方向決定等を含む様々な細胞応答の決定的な要因であると考えられている。しかしながらこれまでの手法では、RTK活性の時空間パターンを制御することが困難であったため、局所におけるRTKの生理学的、生化学的な機能に関する理解は進んでいない。この問題を解決するためには、目的のRTK分子を高い時間分解能で限局した場所で活性化する手法が必要である。本研究では細胞内局所でのRTKシグナルの活性化を実施する方法論の確立を目指した。

方法

血小板由来成長因子受容体または脳神経由来栄養因子受容体の細胞外領域を抗フルオレセイン一本鎖抗体と置き換えたキメラ受容体を作製し、NIH3T3細胞に発現させた。キメラ受容体発現細胞に対し、多価のフルオレセインを配したタンパク質を投与し、キメラ受容体のリン酸化をウエスタンブロット法、カルシウム濃度変化をカルシウム指示薬によって評価した。多価のケイジドフルオレセインと一つの保護基の付いていないフルオレセインを配したタンパク質を作製し、ケイジド人工リガンドとして用いた。キメラ受容体発現細胞の細胞外液にケイジド人工リガンド加え、洗浄した後、直径50 μmの範囲に光照射を行った際の、カルシウム濃度変化を評価した。

結果と考察

キメラ受容体が機能するかどうかを確かめるため、フルオレセインを多価に配した人工リガンドを用いてRTK由来の細胞内シグナル誘導が生じるかどうかを検証した。その結果、人工リガンド依存的なキメラ受容体の自己リン酸化、細胞内カルシウム濃度上昇の各細胞内シグナル誘導を確認した。この結果から、作製したキメラ受容体は機能し、細胞内シグナル誘導が可能であることが示された。

続いてケイジド人工リガンドを用いて、光照射依存的なRTKシグナルの誘導が可能であるかどうか検討した。ここで用いるケイジド人工リガンドはキメラ受容体と一対一で結合するが、分子内に保護基の付いていないフルオレセインは一つしかないためキメラ受容体を架橋することは出来ない。ここで光照射を行うことで、受容体に結合したケイジド人工リガンド内のケイジドフルオレセインの保護基が外れ、産生されたフルオレセインによってキメラ受容体の架橋が生じると期待した。ケイジド人工リガンドをキメラ受容体に標識し、光照射を行い、カルシウム濃度上昇が誘導されるかどうかを検証した。その結果、光照射を行った範囲の細胞でのみ細胞内カルシウム濃度上昇が確認された。本研究では有機小分子を用いたケイジド人工リガンドとキメラ受容体と光照射を組み合わせることで局所的なRTKシグナル誘導法を確立した。

第二章 「HER2内在化誘導薬の探索」

RTKである上皮成長因子受容体ファミリーのHER2タンパク質は卵巣がん、乳がん等で過剰発現が認められ、細胞増殖の制御に深く関わっていることが知られている。HER2の抗体医薬であるトラスツズマブは良好な治療成績を得ているが、タンパク質であるため品質管理の難しさやコストの高さが問題となるので、小分子化合物ベースの治療薬の開発が期待されている。

細胞膜上のHER2が分解されることでHER2の機能は抑制される。分解する過程では、HER2が細胞内へと取り込まれる内在化過程を有しているので、HER2の機能抑制を誘導する化合物を探索するためにはHER2の内在化を指標とすることが有効であると考えた。HER2が細胞膜上に存在する時は、中性環境下(pH 7.4)にさらされ無蛍光性で、酸性細胞内小胞(pH 4-6)に取りこまれた時に蛍光性を示す蛍光プローブを開発し、効率良くHER2を標識することで、HER2の内在化を感度良く検出できると考えた。本研究ではHER2の内在化を誘導する小分子化合物を探索するセルベースのスクリーニング系の確立を目指した。

方法

pHを感受し特異的な標識を実現するために、ローダミンを基にしたpH感受性蛍光色素をHaloタグリガンドと結合させたpHプローブ(RhPM Haloリガンド)を開発した。またHaloタグタンパク質融合HER2(Halo-HER2)を作製し、卵巣がん由来細胞SKOV3に発現させた。Halo-HER2発現SKOV3細胞の細胞外液ににpHプローブ、17-AAGを投与し、細胞内のアルカリ化処理の前後の蛍光画像を蛍光顕微鏡を用いて取得した。Halo-HER2発現SKOV3細胞を384ウェルプレートに播種し、接着させた後、pHプローブと評価対象の化合物または陽性対照の17-AAG、陰性対照のDMSOを加え5時間培養後、細胞内小胞のアルカリ化処理を行った。アルカリ化前後の蛍光強度を蛍光マイクロプレートリーダーで測定した。各プレートのZ'-factorを算出した。

結果と考察

HER2の内在化を検出するために開発したpH感受性色素は、中性付近ではほとんど蛍光を持たず、pH 4-6付近で強い蛍光を持つ(pH5.0とpH7.4の蛍光比:15倍)という特性を示した。

HER2の内在化を検出することが可能であるかを確かめるため、Halo-HER2発現SKOV3にRhPM HaloリガンドとHER2内在化を誘導することが既に知られている17-AAGの投与を行ったところ、17-AAGを投与した細胞特異的に粒状の蛍光シグナルが観察された。vehicle投与時と比較したところ、17-AAG投与で有意に大きな蛍光強度が確認された。さらに細胞内小胞のアルカリ化処理を行ったところ、粒状の蛍光シグナルは消失した。この結果から、蛍光強度変化のみを指標とし、Halo-HER2の内在化を評価できることが示唆された。

続いて細胞内小胞の蛍光強度変化のみを指標としたスクリーニングが実施できるかを確かめるために、384ウェルプレートと蛍光マイクロプレートリーダーを用いて10,957化合物のスクリーニングを実施した。ハイスループットスクリーニング系の質の評価指標である"Z'-factor"の値は94.6%の確率で、優秀な系の基準である0.5を超えていたことから、非常に安定したスクリーニング系であることが示された。スクリーニングでヒットした化合物には、HER2の内在化を誘導することが既知の化合物の他に作用未知の化合物も含まれており、新規HER2機能抑制薬の創薬が期待される。

結論

本研究ではRTKシグナルの局所での制御法とHER2の内在化誘導薬の探索法という二つのケミカルバイオエンジニアリング手法を確立した。今後構築したRTKの局所的な制御法を用いることでRTKの局所シグナルの役割の解明や、スクリーニングで得られたシード化合物を基にした抗癌剤の創薬が期待される。今回作製したキメラ受容体やHalo融合HER2のRTKの配列を別のRTK配列と置き換えることで様々なRTKのシグナル制御や内在化誘導薬の探索が可能であると期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究ではチロシンキナーゼ型受容体(RTK)のケミカルバイオエンジニアリング手法を用いて、1. 局所におけるRTKの役割を理解するため、RTKの限局した場所での活性化手法の確立、2. RTKの一種であるHER2の機能抑制薬の開発を行うために、HER2内在化を誘導する小分子化合物を探索するセルベースのスクリーニング手法の確立を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1-1. キメラ受容体が機能するかどうかを確かめるため、フルオレセインを多価に配した人工リガンドを用いてRTK由来の細胞内シグナル誘導が生じるかどうかを検証した。その結果、人工リガンド依存的なキメラ受容体の自己リン酸化、細胞内カルシウム濃度上昇の各細胞内シグナル誘導を確認した。この結果から、作製したキメラ受容体は機能し、細胞内シグナル誘導が可能であることが示された。

1-2.分子内に一分子のフルオレセインと多数のケイジドフルオレセインを配したケイジド人工リガンドを用いて、光照射依存的なRTKシグナルの誘導が可能であるかどうか検討した。ケイジド人工リガンドをキメラ受容体に標識し、光照射を行い細胞内でのカルシウム濃度上昇が誘導されるかどうかを検証した。その結果、光照射を行った範囲の細胞でのみ細胞内カルシウム濃度上昇が確認され、局所的なRTKシグナルの誘導が可能であることが示された。

2HER2の内在化を検出するため、中性付近ではほとんど蛍光を持たず、pH 4-6付近で強い蛍光を持つpH感受性色素を開発した。細胞内小胞の蛍光強度変化のみを指標としたスクリーニングが実施できるかを確かめるために、384ウェルプレートと蛍光マイクロプレートリーダーを用いて10,957化合物のスクリーニングを実施した。ハイスループットスクリーニング系の質の評価指標である"Z'-factor"の値は94.6%の確率で、優秀な系の基準である0.5を超えていたことから、非常に安定したスクリーニング系であることが示された。スクリーニングでヒットした化合物には、HER2の内在化を誘導することが報告されている化合物の他に作用が未知の化合物も含まれており、新規HER2機能抑制薬の創薬への貢献が期待される。

以上、本論文ではRTKシグナルの局所での制御法とHER2の内在化誘導薬の探索法という二つのケミカルバイオエンジニアリング手法を確立した。本論文で確立したケミカルバイオエンジニアリング手法は、様々なRTKの機能解析やRTK内在化誘導薬の探索への応用が期待され、本論文は学位の授与に値するものと考えられる。

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