学位論文要旨



No 129314
著者(漢字) 井上,昌俊
著者(英字)
著者(カナ) イノウエ,マサトシ
標題(和) 長期記憶をコードするシナプスから核への神経情報伝達動態解析
標題(洋)
報告番号 129314
報告番号 甲29314
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第4047号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 真鍋,俊也
 東京大学 教授 廣瀬,謙造
 東京大学 教授 饗場,篤
 東京大学 教授 浦野,泰照
 東京大学 准教授 河崎,洋志
内容要旨 要旨を表示する

長期記憶は脳が高次機能を遂行する上で、必須な脳機能である。長期記憶固定化の細胞内の機構として、シナプス活動依存的な細胞内へのカルシウム (Ca(2+))流入により、CaMKK-CaMKIV経路を介して、転写因子CREBがリン酸化されることにより、活性化され遺伝子発現を誘導することが知られている。また、一過性(数分)のシナプス入力により、CREB活性化のタイミング及び持続時間(数十分)が決まることが知られている。このことが長期記憶の固定化に重要な役割を担うと考えられている。これは、シナプス入力情報がCREB活性化時間という情報に変換される際に、CaMKK、CaMKIVがその情報変換を担うことを示唆している。しかし、シナプスから流入したCa(2+)情報がどのように下流のエフェクター(CaMKK、CaMKIV)の時空間プロファイルに変換されて、核における遺伝子発現を誘導するのか不明な点が多い。そこで、私はシナプス入力からCREB活性化に至るシグナルカスケード全体に着目し、シグナル情報の時空間的な受け渡しとその分子機構の解析を行った。

1.シナプスから核への時空間的なCa(2+)の伝播を解析するために、CaMKKがCa(2+)/CaMに対して高親和性であるという性質を利用して、GCaMP及びRGECO1を改良し、Ca(2+)高親和性の緑色及び赤色Ca(2+)インディケーター(GCaMP-H及びRGECO-H)を開発した。これらのインディケーターは既存のGCaMP3及びRGECO1よりも、海馬培養神経細胞において小さいCa(2+)変動を検出した。このインディケーターを用いて、グルタミン酸アンケージングによる樹状突起へのCa(2+)伝播を測定した結果、半径16 μm以内に細胞外からCa(2+)流入があり、半径50 μmの範囲にCa(2+)が伝播することが示された。また、この高感度のCa(2+)インディケーターを用いることにより、活動電位を抑制した海馬培養神経細胞において、局所の樹状突起及びスパインに限局したCa(2+)変動 (miniature synaptic calcium transients)を計測することが可能になった。この結果より、これらのCa(2+)インディケーターは活動電位閾値下の神経細胞におけるCa(2+)変動を検出することが示された。

2.Ca(2+)からそのエフェクターであるCaMKKα、CaMKIV、CREB活性への時間的な情報の変換を解析するために、生きた神経細胞において、CaMKKα、CaMKIV及びCREB活性を測定するFRETインディケーター(それぞれKKαプローブ、KIVプローブ、pCREB-ARプローブ)を開発した。海馬培養神経細胞の細胞体において、Ca(2+)上昇と下流のエフェクターの活性を同時計測すると、Ca(2+)上昇直後にCaMKKα、CaMKIVは活性化するのに対し、CREBは活性化までに約10秒の潜在時間があることを見出した。このことは、核外で活性化したCaMKIVが核移行し、CREB活性化の立ち上がり時間を制御することを示唆している。しかし、これは細胞体全体でCa(2+)上昇が起こるために、核と樹状突起におけるCa(2+)上昇を区別することが困難である。そこで、これを検証するために、グルタミン酸アンケージングとCa(2+)測定により、樹状突起に限局したCa(2+)流入から核へのシグナル伝達を解析する刺激法を確立した。この刺激法とRGECO-HとpCREB-ARプローブの同時測定を組み合わせて、樹状突起におけるCa(2+)上昇からその最下流のエフェクターであるCREB活性への変換機構を解析した。その結果、樹状突起におけるCa(2+)上昇から約10分の遅延時間をおいてCREBが活性化されることが明らかになった。また、薬理学的解析により、このCREBの活性化はCaMK依存的であることが示された。さらに、PAGFP-CaMKIVを用いて樹状突起から核へのCaMKIV動態を解析すると、CaMKIVは樹状突起から核へ10分以内に到達することが示された。これらの結果は、樹状突起に限局したCa(2+)流入により活性化したCaMKIVの核移行がCREB活性化のタイミングを制御することを示唆している。

3.Ca(2+)からそのエフェクターであるCaMKK、CaMKIV活性への変換を解析するために、生きた神経細胞において、CaMKKα及びCaMKIVの活性を測定するFRETインディケーターを開発した。海馬培養神経細胞において、Ca(2+)濃度とCaMKKまたはCaMKIV活性の同時計測により、CaMKKα及びCaMKIVの活性はCa(2+)入力情報を持続させていることを示した。また、生化学的な解析により、CaMKKαは自己リン酸化に伴い、Ca(2+)/CaM非依存的な活性(autonomy)をもつことを見出した。これらの結果は、CaMKKがCa(2+)入力情報の分子メモリーとして作用していることを示唆している。

以上、シナプス入力により活性化したCaMKIVの核移行がCREB活性化のタイミングを制御することとCa(2+)入力によるCaMKK、CaMKIV活性時間の持続がCREBリン酸化の持続時間を制御することが示唆された。これらのCaMKカスケードの時空間的な制御が長期記憶の固定化に重要な役割を果たすと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

長期記憶の固定化には、シナプス入力により流入したカルシウム (Ca(2+))が、CaMKK-CaMKIV経路を介して、転写因子CREBを活性化し、遺伝子発現を誘導することが知られている。しかし、シナプスから流入したCa(2+)情報がどのように時空間的に下流のエフェクターに変換されて、核における遺伝子発現に至るのか不明な点が多い。本研究は、シナプス入力からCREBリン酸化に至るシグナルカスケード全体に着目し、シグナル情報の受け渡しとその分子機構を総合的に解析し、以下の結果を得ている。

1. シナプスから核への時空間的なCa(2+)の伝播を解析するために、高親和性の緑色及び赤色Ca(2+)インディケーター (GCaMP-H及びRGECO-H)を開発した。これらのインディケーターは既存のGCaMP3及びRGECO1よりも、海馬神経細胞において小さいCa(2+)変動を検出することを示した。

2. Ca(2+)からそのエフェクターであるCaMKKα、CaMKIV、CREB活性への変換を解析するために、CaMKKα、 CaMKIV及びCREB活性を測定するFRETインディケーター(それぞれKKαプローブ、KIVプローブ、pCREB-ARプローブ)を開発した。

3. 開発したCa(2+)インディケーター及びFRETインディケーターを用いて、海馬培養神経細胞の細胞体におけるCa(2+)上昇と下流のエフェクターの活性への時間的な情報の変換を解析した。その結果、Ca(2+)上昇直後にCaMKKα、CaMKIVは活性化するのに対し、CREBは活性化までに約10秒の潜在時間があることを見出した。これは、核外で活性化したCaMKIVが核移行し、CREB活性化の立ち上がり時間を制御することを示唆した。

4. さらに、この可能性を検証するためにグルタミン酸アンケージングにより、樹状突起に限局したCa(2+)流入から核へのシグナル伝達を解析する刺激法を確立した。この刺激法を用いて、樹状突起におけるCa(2+)上昇からCREB活性への変換機構を解析した。その結果、樹状突起に限局したCa(2+)上昇から10分の遅延時間をおいてCREBが活性化されることが明らかになった。また、薬理学的解析により、このCREB活性化はCaMK依存的であることが示された。さらに、PAGFP-CaMKIVを用いてCaMKIVは樹状突起から核へ10分以内に到達することが示された。以上より、樹状突起で活性化したCaMKIVが核移行し、CREB活性化の立ち上がり時間を制御している可能性が強く示唆された。また、GCaMP-Hを用いて、グルタミン酸アンケージングの樹状突起に入力する範囲を解析した結果、1本の樹状突起の半径16 μm以内におけるCa(2+)流入により、CREB活性化が誘導されることが示唆された。

5. 海馬培養神経細胞の細胞体においてCa(2+)とCaMKKα活性を同時測定すると、CaMKKαの活性はCa(2+)が減衰した後も1分以上にわたり持続する。加えて、CaMKKαのFRETインディケーターが自己リン酸化を検出すること。さらに、生化学的な解析により、CaMKKαは一度活性化すると、Ca(2+)/CaM非依存的な活性(autonomy)があることを見出した。これらの結果から、CaMKKがCa(2+)入力情報の分子メモリーとして作用することが示唆された。

以上、本論文はCaMKII以外のCaMKファミリーメンバーにおいて、初めてCaMKKに自己リン酸化に伴うautonomyがあることを見出し、CaMKKのCa(2+)/CaM非依存的な活性の持続がCREBリン酸化の持続時間の制御に寄与していることを示唆した。また、樹状突起で活性化したCaMKIVが核移行し、CREB活性化の立ち上がり時間を制御していることが示唆された。本研究は、長期記憶の固定化におけるシナプスから核へのシグナル伝達機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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