学位論文要旨



No 129315
著者(漢字) 宇佐美,憲一
著者(英字)
著者(カナ) ウサミ,ケンイチ
標題(和) 難治性てんかんに対する迷走神経刺激療法における求心性伝導に関する研究
標題(洋)
報告番号 129315
報告番号 甲29315
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第4048号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 笠井,清登
 東京大学 教授 辻,省次
 東京大学 准教授 金生,由紀子
 東京大学 講師 三牧,正和
 東京大学 講師 張,京浩
内容要旨 要旨を表示する

【序文】迷走神経刺激療法は難治性てんかんに対する治療法である。体内植込型の電源内蔵刺激装置から発生する電気刺激によって左頸部迷走神経を慢性的・間歇的に刺激することでてんかん発作を緩和させる。迷走神経刺激療法のてんかん抑制効果は無作為化比較試験にて有効性が確立されており、今日ではてんかん治療における重要な選択肢の一つとなっている。迷走神経刺激療法のてんかん抑制に関する作用機序については、過去の研究報告から少しずつ解明が進んできているものの、依然として全容は解明されていない。てんかんは大脳皮質ニューロンの異常に由来するが、迷走神経刺激がてんかんを抑制している事実からすると、刺激部位である頸部から求心性に伝導が起こっているはずである。しかしながら、現在のところ迷走神経刺激による求心性神経伝導を直接証明した研究はない。末梢神経の刺激伝導を捉える方法としては、誘発電位測定がある。過去の研究報告には迷走神経刺激による誘発電位を測定したものがあるが、いずれの報告においても刺激から10msec以降の遅い潜時にしか着目しておらず、出現した誘発電位のピークは遠心性伝導の結果生じる咽頭喉頭筋電図由来であると結論づけられている。求心性伝導を捉えたものである体性感覚誘発電位や聴性脳幹反応における誘発電位の潜時を考慮すると、迷走神経刺激による求心性神経伝導による誘発電位は、刺激から数msec程度の早期に検出されるはずである。本研究では、迷走神経刺激にて生じた求心性神経伝導による誘発電位を捉えるための測定方法を確立し、迷走神経刺激の電気生理学的性質を考察するとともに、誘発電位測定の臨床的有用性について検討した。

【方法】本研究の対象は全身麻酔下に迷走神経刺激装置植込術を施行した難治性てんかん患者25人である。全身麻酔導入後、頭皮電極を留置し、シグナルプロセッサに接続して測定の準備を行った。左頸部迷走神経に刺激らせん電極を巻き付け、前胸部にパルスジェネレータを埋設して電極と接続した後、刺激を開始して誘発電位の測定を行った。頸部創内に2本の針電極を留置し、迷走神経刺激によって発生する刺激アーチファクトを捉えて加算用のトリガーとし、加算回数は1000回、サンプリング周波数は30,000Hzとした。迷走神経刺激による誘発電位の特性を調べるため、目的に応じて次のような条件での測定を一部の患者において追加した。1)刺激条件による影響を検討するための、刺激設定を変更した場合における測定、2)誘発電位ピークの発生源を検討するための、記録モンタージュを変更しての測定、筋弛緩薬投与前と投与後の測定、電極付き気管内チューブによる咽頭喉頭筋電図の測定、3)迷走神経刺激に特異的な誘発電位であることを確認するための、迷走神経の代わりに頸神経ワナを刺激した際の測定、4)誘発電位が求心性神経伝導によるものであることを証明するための、刺激らせん電極を吻尾側方向に移動させたそれぞれの位置における測定などを行った。誘発電位波形におけるピークの同定は基本的に目視によって行い、シグナルプロセッサの画面カーソルを用いて潜時や振幅を求めた。一部の患者や条件では、刺激から早期に出現する誘発電位ピークが最初に出現する刺激アーチファクトの後半部分に隠れてしまい、目視によるピーク同定が困難な場合があった。これを解決するため、刺激アーチファクトの後半部分を指数関数に近似した曲線を求めて刺激アーチファクトと元波形との差を求め、推定の誘発電位波形を抽出することでピークを同定し、潜時と振幅を求めた。電極の尾側から吻側への移動距離と、移動に伴う潜時の短縮時間から、神経伝導速度を算出した。一部の患者において、外来通院時の覚醒した状態における測定を行い、得られた誘発電位とてんかん発作抑制の程度との関連性を検討した。

【結果】迷走神経刺激による誘発電位波形はそれぞれの患者において、また患者間においても高い再現性をもって得られた。典型的な誘発電位波形では、刺激アーチファクトによる双極性の大きな棘波に引き続き4つのピークを認め、5msecよりも前に現れたものを早期ピーク、後に現れたものを後期ピークとした。4つのピークは早期2つ、後期2つであり、現れた順に、振幅の小さな早期陽性ピークをP1、同程度の小さな早期陰性ピークをN1、振幅の大きな後期陽性ピークをP2、同程度の大きな後期陰性ピークをN2と名づけた。目視によるN1ピークの決定が可能であった23人のN1の潜時は3.3 ± 0.4 msecであった。誘発電位の特性を検討するために行った各種条件については、1)刺激設定を変更した場合では、電流値を大きくするとP1-N1複合、P2及びN2の振幅は大きくなったが、パルス幅は振幅に影響しなかった。2)記録電極部位による変化では、P1-N1複合とP2-N2複合が最も際立っていたモンタージュはA1 - CzとA1a - Czであった。それぞれのピークの振幅は、A1a、A1b、T5と探査電極を頭蓋底から遠ざけるに従って徐々に小さくなった。筋弛緩薬投与後の測定では、刺激アーチファクト波形とP1-N1複合は残存したが、P2-N2複合は完全に消失した。同時に記録した気管チューブ電極ではP1-N1複合はみられなかったが、A1 - CzでみられるP2-N2複合に潜時が近く振幅が大きいピークが左側の気管チューブ電極でみられ、筋弛緩によって完全に消失した。3)頸神経ワナの刺激では誘発電位ピークは早期・後期ともに全く出現しなかった。4)刺激部位を尾側から吻側へ移動させると、P1-N1複合の潜時が短縮した。電極の移動距離と潜時の差から算出した迷走神経の神経伝導速度は27.4 ± 10.2 m/sであった。刺激部位を吻側に移動させることによりP1-N1複合のピークが刺激アーチファクトに重なって目視が困難となったため、アーチファクトの一部の近似曲線を作成して元波形から差し引き推定の誘発電位波形を求めることでP1-N1複合のピーク同定が可能となった。推定誘発電位波形の潜時を用いて算出した神経伝導速度は30.4 ± 15.4 m/sと、目視にて算出した平均値と矛盾しない値であった。外来経過観察時の覚醒時における測定では、7人中6人の患者でN1ピークが出現した。N1ピークの出現有無と発作減少の間には明らかな関連性はみられなかった。

【考察】本測定法において、臨床における迷走神経刺激によって発生した誘発電位を、再現性をもって捉えることができた。迷走神経刺激による誘発電位は4つのピークで構成されていた。頸神経ワナの刺激では誘発電位が出現しなかったことから、これらのピークは迷走神経刺激に特異的なものであると考えられた。電極を吻側に近づけることでN1潜時が短縮することから、N1は求心性神経伝導による誘発電位であると考えられた。それぞれのピークの起源について考察すると、早期ピークのP1及びN1は、探査電極の位置が頭蓋底側にて最大となり、頭側へ行くにしたがって小さくなったことから、頭蓋底付近が起源であると考えられ、誘発電位が発生する条件を考慮すると、頸静脈孔付近の頭蓋骨進入部と考えられた。P2及びN2の起源は、気管チューブ電極における筋電図とほぼ同潜時に出現していることと、筋弛緩薬によって完全に消失したことから、咽頭喉頭筋群の筋電図を反映したものであると考えられ、先行研究にて報告されたものと同じであると思われた。本測定によって算出された神経伝導速度は27.4 ± 10.2 m/sであったが、これは神経線維でいうとA線維の範疇であり、先行研究で示されているてんかん抑制に寄与する神経線維がA線維であることに矛盾しない結果であった。本測定法が臨床的に有用となる可能性は以下の2つが考えられる。一つ目は、迷走神経刺激装置植込術時における迷走神経の同定に利用できる可能性である。通常の手術では迷走神経は目視によって同定されているが、稀に太い頸神経ワナと鑑別が難しいことがある。本測定法によって得られる誘発電位は迷走神経特有のものであるため、迷走神経の同定に利用することができるかもしれない。二つ目は、迷走神経刺激療法の有効性の予測に利用できる可能性である。本研究において外来通院中に測定した患者は一部であり、観察期間も短いため、治療効果判定に有用かどうかまでは判定できるに至らなかったが、誘発電位の出現パターンの変化とてんかん抑制を経時的に調べることで、誘発電位が治療効果予測因子の一つとして利用できるかもしれない。

【結論】本研究では実際の臨床で使用する迷走神経刺激による誘発電位を記録し、ヒトにおいて迷走神経刺激による求心性神経伝導を初めて証明した。本測定法は、迷走神経刺激装置植込術中における迷走神経の確実な同定や、治療効果予測に利用できる可能性が考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は難治性てんかんに対する迷走神経刺激療法において、迷走神経刺激による求心性神経伝導を捉えるため、迷走神経刺激による誘発電位測定を試みたものである。得られた誘発電位ピークの発生起源の検討や迷走神経の電気生理学的性質の検討を行っており、下記の結果を得ている。

1. 迷走神経刺激による誘発電位波形はそれぞれの患者において、また患者間においても高い再現性をもって得られた。典型的には刺激のアーチファクトによる振幅の大きな双極性の棘波に引き続き、5msecよりも前に出現する2つの振幅の小さな早期ピークと、5msecよりも後に出現する2つの振幅の大きな後期ピークの、計4つのピークが出現した。

2. 刺激条件による影響の検討では、電流値を大きくするとそれぞれの振幅が大きくなる傾向がみられたが、パルス幅は振幅に影響しなかった。

3. 電極付き気管内チューブによる咽頭喉頭筋電図の測定では、迷走神経刺激による誘発電位における後期ピークに近い潜時のピークが出現し、筋弛緩薬を投与することによっていずれも消失したことから、後期ピークは咽頭喉頭筋由来であると考えられた。一方、早期ピークは筋弛緩薬では消失しなかったが、誘発電位の発生条件から考慮すると、頭蓋骨進入部が起源であると考えられた。

4. 術野に出現した頚神経ワナへの刺激では誘発電位は出現しなかったことから、迷走神経刺激に特異的な誘発電位波形であると考えられた。

5. 刺激部位を尾側から吻側へ移動させて測定すると早期ピークの潜時が短縮することから、早期ピークは求心性神経伝導による誘発電位波形であると考えられた。

6. 刺激電極の移動距離と潜時の差から算出された迷走神経伝導速度は約30m/sであり、迷走神経刺激による神経伝導はA線維が担っていると考えられた。

以上、本研究は実際の臨床で使用する迷走神経刺激による誘発電位測定を行い、ヒトにおいて迷走神経刺激による求心性神経伝導を初めて証明した。本研究は迷走神経刺激装置植込手術中の迷走神経の同定や迷走神経刺激療法の治療効果予測に貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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