学位論文要旨



No 129322
著者(漢字) 松尾,健
著者(英字)
著者(カナ) マツオ,タケシ
標題(和) 皮質脳波法による側頭葉での物体カテゴリー表現の検討 : 視覚応答を利用したブレイン-マシン・インタフェースを目指して
標題(洋)
報告番号 129322
報告番号 甲29322
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第4055号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 笠井,清登
 東京大学 准教授 坂井,克之
 東京大学 講師 寺尾,安生
 東京大学 准教授 小西,清貴
 東京大学 教授 芳賀,信彦
内容要旨 要旨を表示する

近年、失われた身体機能の回復、補完を目指したブレイン-マシン・インタフェース(Brain Machine Interface; BMI)の開発が注目されてきている。BMIとは脳の活動からそのときの意思や感情を読み取り、身体へフィードバックして脳の可塑性を誘導したり、外部機器に出力して身体障害を補ったりするものである。本研究では視覚情報の脳内表現を解読することにより、脳内神経機序への理解を深めるとともに、視覚応答を利用したコミュニケーション支援のBMI開発をめざし、3通りの方法でアプローチした。1つ目は、後頭側頭葉腹側面(vOT;ventral occipitotemporal cortex)における視覚的な物体カテゴリー表現の時空間パターンの検出、2つ目は、脳活動から視覚認知情報が復号化できるかどうかの検討、3つ目は、動物モデルを用いた脳溝内への電極留置手技の確立と脳溝内皮質における脳波計測/電気刺激の有用性についての検討、である。

人類の進化の過程で視覚的な物体カテゴリー情報をどのように学習し、脳内に符号化するようになったのかという疑問については長期間議論が絶えない。そして近年、視覚カテゴリー情報は主にvOTの紡錘状回周辺で処理されていることが示されるようになってきたが、その情報処理の時空間的構造については依然として未解明な部分が残る。異なるカテゴリー選択性を示す領域がvOTにおいてどのような空間分布を示しているか、つまり重なりあっているのか、独立しているのかという点に関しては未だ結論が出ておらず、また、複数の異なるカテゴリー選択性を示す領域内、領域間の機能的な結合についても殆ど知られていない。本研究ではこれらの疑問を解決するため、高い時間周波数特性を持ち、多点同時記録が可能な皮質脳波をヒトvOTに適用し、視覚的な物体カテゴリー情報が脳内でどのように符号化されているかを検討した。皮質脳波は脳表から直接的に局所電位を測定するため、頭皮脳波に比べて信号精度や時間分解能、空間解像度が高いのが特徴であり、本研究に最適な検査法の1つと考えられる。頭蓋内電極を慢性留置したてんかん患者に24カテゴリーで構成される120枚の画像を提示し、計測した皮質脳波に信号検出理論を適用してカテゴリー選択性を評価した。顔カテゴリーの刺激画像が最も強いカテゴリー選択性を示し、次いで文字カテゴリーが強い選択性を示した。カテゴリー選択性を示す領域は主に両側vOTに分布しており、視覚誘発電位のなかでも特に高ガンマ帯域のパワーに強く表現されていた。さらに、vOTにおける顔領域や文字領域は代表的なカテゴリー選択領域と言われており本研究においても強いカテゴリー選択性が認められたため、この2カテゴリーに焦点を絞り、複数のカテゴリー選択領域の空間的分布および機能結合についての詳細な検討を行った。顔カテゴリーに選択性を示した電極と文字カテゴリーに選択性を示した電極は大局的には重なり合って存在しているように見えたが、電極単位でみると明らかに分離しており、一半球内であっても混在していることが確認された。しかし、空間的に混在してはいても、電極単位での特異的なカテゴリー選択性は視覚刺激提示期間を通して明確に維持されており、機能的特異性が保たれていることが確認された。さらに、両領域間の機能的結合の評価では、顔領域から文字領域への機能結合は、逆方向、つまり文字領域から顔領域への機能結合に比べ有意に強いという結果が得られた。学習によって獲得した文字の情報処理領域が、顔領域内にモザイク状に形成され、非対称性の機能結合を持つようになったことを示した今回の結果は、既存のカテゴリー情報処理機構に、後に獲得されたカテゴリー情報がどのように符号化され組み込まれるのかという疑問を解くモデルケースになると考えた。

次に、脳活動が復号化できるかどうかの検討を行った。ごく最近まで、「心を読む」ということはSFの世界だけの話であった。しかし、科学の進歩により脳活動の復号化という概念が生まれて以来、「心を読む」ことが一気に現実化しつつある。視覚情報の脳内表現については部分的に解明されてきているが、脳活動から視覚認知情報を復号化したという報告は数少ない。視覚応答を利用したBMI開発には、視覚情報の脳内表現を理解すると同時に、視覚刺激により惹起された脳活動から視覚認知情報を読み解き、復号化する必要がある。本研究では視覚認知時の皮質脳波を用いて視覚情報の復号化を試みた。判別器には線形サポート・ベクトル・マシンを採用し、視覚誘発電位から算出したスペクトラルパワーを特徴ベクトルとして入力した。24カテゴリーで構成される120枚の画像提示時の皮質脳波を訓練データとテストデータに分け、訓練データで判別器を学習させ、テストデータで判別を試みた。復号化は2通りの方法で行った。1つ目は、そのとき提示された画像が24カテゴリーの中のどのカテゴリーに属する画像なのかを予測し、予測した視覚刺激カテゴリーと実際に提示したカテゴリーが一致するかどうかを判定した。2つ目は、データをあるカテゴリーへの応答に限定したときに、提示した画像がそのカテゴリー内のどの画像であったかを個々に言い当てられるかどうかを判定した。いずれの方法においても有意にチャンスレベルを超えて復号化が可能であった。視覚情報は大脳、特にvOTに広く分散していると考えられるが、今回の結果は高い時空間解像度を持つ皮質脳波の多点同時記録を適用することで、高次の脳機能を復号化できる可能性を示唆した。

最後に動物モデルを用いて、脳溝内皮質脳波の有用性につき検討を行った。多点電極で脳表の電気活動を計測し、時に電気刺激を行う皮質脳波は脳神経外科領域のみならず、動物モデルを用いた基礎研究においても非常に有用な方法として浸透している。霊長類は複雑に入り組んだ脳溝を持ち、脳表皮質と同様に脳溝内皮質も重要な神経機能を担っていることが最近のfMRIを用いた研究で示されているが、周辺組織に損傷を与えずに脳溝内に電極を留置することは技術的に困難で、一般的には皮質脳波は脳表皮質のみに制限されている。しかし、ヒトの脳皮質の半分は脳溝内に埋没しているため、脳溝内に皮質脳波を適用することは、より広範囲の皮質活動を計測し、刺激することにつながると考えられる。そこで本研究では、ヒトと同じ霊長類であるマカクザルを用いて脳溝内への電極留置手技を確立し、脳溝内に留置した電極における皮質脳波の有用性を脳溝内皮質脳波記録と脳溝内皮質電気刺激の2通りの方法で評価した。MEMS技術を用いて作製したパリレンCを基質とする20μm厚の超薄型で柔軟な電極を皮質脳波記録に、薄型に改良した臨床使用のシリコン電極を脳溝内皮質刺激に採用し、ヒトの脳神経外科手術を適用することでごく低侵襲的に脳溝内に電極を留置する手技を確立した。脳溝内における皮質脳波の有用性の評価は、まず、超薄型電極を上側頭溝腹側皮質に留置して皮質脳波を記録し、下側頭回皮質における記録と比較した。視覚刺激にて惹起されたスペクトル密度(周波数特性)と信号雑音比は脳溝内外皮質で同等であることが確認された。病理学的にも電極留置部位周辺に物理的損傷がないことを確認した。次に薄型に改良したシリコン電極を中心溝に留置し脳溝内皮質電気刺激を行った。顔面や手関節、手指の筋収縮を誘発する閾値は、中心溝内皮質への刺激の方が、中心前回皮質への刺激に比べて有意に低値であった。これらの結果はヒトと同じ霊長類であるマカクザルにおける脳溝内皮質脳波の有用性を示したと考える。脳溝内皮質も含めた、より広範囲の皮質脳波を適用することで、より高精度のBMI開発の可能性を示唆した。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は皮質脳波法を用いて、視覚応答を利用したコミュニケーション支援ブレイン-マシン・インタフェース(BMI)の開発を目指したものである。ヒト側頭葉腹側面での視覚応答の符号化と復号化を行い、さらに動物モデルを用いて脳溝内皮質脳波の可能性についての検討を行ったものであり、下記の結果を得ている。

1. ヒトの視覚応答を皮質脳波法で計測し、物体カテゴリー情報の脳内表現の検討を行った。物体カテゴリー情報は主に高ガンマ帯の活動として符号化されており、後頭側頭葉腹側面(vOT;ventral occipitotemporal cortex)の紡錘状回周辺に分布していることが確認された。また、顔認知領域と文字認知領域は空間的に両側vOTに存在しているという点は過去の報告に矛盾しないが、その相対的位置関係は混在しており、提唱はされているが直接的には示されていなかった「混在モデル」を強く支持する結果であった。また、両領域間には顔認知領域から文字認知領域への機能結合がより強いという非対称性の結合性が存在することが示され、顔認知領域は他のカテゴリー領域とは異なる機能特性をもつ可能性が示唆された。

2. 皮質脳波法を用いて計測した視覚応答から視覚情報の復号化を行った。物体カテゴリー情報、カテゴリー内個別画像判定のいずれにおいても有意水準を超えて復号化(判別)可能であり、視覚応答を利用したBMI開発への適用可能性が示唆された。符号化におけるカテゴリー選択性の強さと、復号化における物体カテゴリー情報の判別成績には類似性が見られ、より深い符号化への理解が復号化の成績向上に貢献する可能性が示唆された。一方、物体カテゴリー情報の判別成績と、カテゴリー内の個別画像の判別成績の間には解離がみられ、物体カテゴリー情報と細かい識別情報とは異なる処理機構を有している可能性が推察された。

3. 動物モデルを用いて脳溝内皮質脳波の可能性についての検討を行った。ヒトと同じ霊長類であるマカクザルを用い、今まで皮質脳波法の適用外であった上側頭溝、中心溝への低侵襲的な電極留置法を確立し、病理学的にも皮質損傷がないことを確認した。上側頭溝に留置した電極で計測したサルの視覚応答は、脳表皮質で計測した皮質脳波と同等の信号強度、信号精度で計測でき、周波数特性も保たれていることを確認した。また、中心溝皮質への電気刺激では脳表皮質よりも低い刺激閾値で運動を誘発することができた。本研究の結果は皮質脳波の適用範囲を脳溝内にまで拡大し、皮質機能の解明に寄与する可能性を示唆した。

以上、本論文は視覚認知における物体カテゴリー情報の脳内表現に関する理解を深めるとともに、脳活動から視覚情報が復号化できることを示した。また、皮質脳波法の適用範囲を脳溝内にまで拡大できる可能性を示した。本研究は視覚応答を利用したBMI開発に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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