学位論文要旨



No 129324
著者(漢字) 黒田,亮平
著者(英字)
著者(カナ) クロダ,リョウヘイ
標題(和) α2-アドレナリン受容体刺激下で心理ストレスはラット心の局所的収縮不全を惹起する
標題(洋) Emotional stress induces regional systolic dysfunction in rat heart under α2-adrenoceptor stimulation
報告番号 129324
報告番号 甲29324
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第4057号
研究科 医学系研究科
専攻 社会医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山崎,力
 東京大学 講師 下澤,達雄
 東京大学 教授 遠山,千春
 東京大学 教授 小山,博史
 東京大学 教授 矢作,直樹
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【序文】

ストレスは元来「ゆがみ」を意味する用語であったが、Selyeが「外界からの刺激に対する非特異的反応」と定義したことで、生体に用いることが一般化した。ストレスは交感神経-副腎髄質系、視床下部-下垂体前葉-副腎皮質系を活性化する。心理ストレスが関与する心筋障害にストレス心筋症が知られている。症状は急性心筋梗塞に類似するが冠動脈閉塞を認めず、たこつぼ様に心尖部が拡張することを特徴とする。予後は良好とされるが心不全による死亡例もある。

α受容体は節前線維のノルエピネフリン放出を抑制する作用を持ち、α2受容体の変異は心筋症の発症に関与する。α2作動薬は鎮静や循環動態の安定を目的に使用されている。従来、心筋細胞のα受容体は主にα1で、α2は主に交感神経終末に分布すると考えられてきたが、Ibacacheらはα2受容体が心筋細胞膜に存在することを明らかにした。β受容体刺激はcAMP依存性キナーゼ(PKA)やCa(2+)/calmodulin-dependent kinase II(CaMKII)などのリン酸化酵素を介して陽性変力・変時作用を生じる。β2受容体は近年ストレス心筋症の原因として注目されている。高濃度のアドレナリン環境ではβ2受容体と共役するG蛋白がGsからGiに変化し、収縮低下が生じると考えられている。

ストレスが心血管に与える研究は多いが、薬物の作用に与える影響は不明な点が多い。そこで、心理ストレスモデルとして知られる身体拘束ラットで、α2作動薬のキシラジンが心機能、細胞内シグナルに与える影響を検討した。また、ストレス心筋症との関連、近年提唱されているβ2受容体、Gi蛋白の関与も検討した。

【方法】

動物は雄SDラット(250-350g)を用いた。IMOは粘着テープを用いて背臥位に固定することで実施した。心エコー、心筋サンプリング、採血は全てイソフルランによる吸入麻酔下で行った。アドレナリン投与モデルではβ作動薬のアドレナリン150 nmol/kgを尾静脈投与した(n=5)。キシラジン投与モデルでは拘束終了時にα2作動薬のキシラジン6 mg/kgを腹腔内投与した。ラットは身体拘束の有無、キシラジン投与の有無により4群(自由行動+キシラジンなし:F, n=4、身体拘束+キシラジン投与:IMO, n=4、自由行動+キシラジン投与:F+Xy, n=6、身体拘束+キシラジン投与:IMO+Xy, n=6)に分けた。PTX投与モデルではGi蛋白阻害薬のPTXを25 μg/kgを拘束開始48時間前に尾静脈投与した(F+Xy+PTX; n=5, IMO+Xy+PTX: n=6,)。ICI-118,551投与モデルではβ2阻害薬のICI-118,551を0.1 μg/kg拘束終了時にキシラジン投与と同時に尾静脈投与した(F+Xy+ICI: n=5, IMO+Xy+ICI: n=5)。

心エコーはアドレナリン投与モデルではアドレナリン投与前(pre)と投与15分後(post)に測定した)。キシラジン投与モデルでは拘束前(pre)と拘束終了5、20、35分後に測定した。PTX投与モデルおよびICI-118,551投与モデルでは拘束終了5分後に測定した。

心筋サンプリングはキシラジン投与モデルではF(n=5)、IMO(n=5)、F+Xy(n=7)、IMO+Xy(n=7)の4群を対象に、自由行動あるいは拘束終了5分後に開胸して心臓を摘出した(図2A)。PTX投与モデルでは身体拘束終了35分後まで生存した個体(s)では35分後に、死亡した個体(d)では死亡時に心臓を摘出した(PTX(-): n=7, s: n=8, d: n=3)。心臓は左心室を心尖部、前壁、後壁に分割した。ウエスタンブロッティング(WB)は総蛋白量で25 μgに相当する量を泳動した。細胞分画は従来の方法に従い、P1、P2、S分画を作成した。免疫染色はパラホルムアルデヒドで一晩固定してパラフィン包埋後薄切し、DAB法で染色した。

血中カテコラミン濃度は30分の自由行動あるいは5、15、30分の拘束を与えた群を作成した(図3, 各n=4)。キシラジン投与を行う群ではキシラジン投与を同時に行った。麻酔導入5分後に開胸し、左室より心臓血をサンプリングした。

各変数の測定結果は全て平均値±標準誤差で示した。統計検定量の算出にはStat Viewを用いた。2群間の比較にはt検定、3群以上にはANOVAを用い、p<0.05を統計学的有意差とした。

【結果】

アドレナリン投与モデルでは投与15分後にEjection fraction (EF) の低下を認めた。前・後壁の運動ともに運動は低下していた。

キシラジン投与モデルでは30分間の拘束を行ったIMO+Xy群でEFの低下を認めたが、IMO群、F+Xy群ではEFは低下しなかった(図1A)。この収縮低下は拘束終了から20分経過すると改善した。IMO+Xy群では前壁の運動が低下したが、後壁の運動は保たれていた(図1B、C)。F+Xy群、IMO+Xy群のE/A、収縮速度、拡張速度に変化しなかった。IMOが15、60分のIMO+Xy群ではEFは低下しなかった。30分のIMOを行った上でキシラジンを投与する操作を1日1回、3日連続して行ったところ、3回とも収縮低下が生じた。キシラジン投与を行わない場合にはアドレナリンの血中濃度はIMO 5分で最高値となった。キシラジン投与を行うとIMO 5分でのアドレナリンの上昇が抑えられる一方で、IMO 30分でアドレナリン、ノルアドレナリンの血中濃度が上昇した。

WBでは、CaMKIIでリン酸化されるPhospholamban(PLB)のThr17残基(PLB-Thr17)がIMO+Xy群で前壁、後壁ともにリン酸化した(図2A)。PKAでリン酸化されるPLBのSer16残基、RyRのSer2808残基は変化しなかった。SERCAの発現量に変化しなかった。Myosin binding protein-C(MyBP-C)のSer282残基(MyBP-C-Ser282)はIMO+Xy群の後壁で前壁に対してリン酸化が亢進した(図2B)。Troponin Iは変化しなかった。CaMKIIのThr286残基(CaMKII-Thr286)のリン酸化はIMO、キシラジンの両者で亢進するが、IMO+Xy群でより亢進した。IMO+Xy群の後壁では前壁に対してリン酸化が亢進した(図2C)。p38MAPKは変化しなかった。Akt、p44/42MAPKはIMO群でリン酸化したが、IMO+Xy群では脱リン酸化していた。Gs蛋白、Gi蛋白、GRK2の発現量は変化しなかった。IMO+Xy群でリン酸化が亢進したCaMKII-Thr286、MyBP-C-Ser282、PLB-Thr17は拘束終了35分後には脱リン酸化していた。

α2受容体の免疫染色では心筋細胞の横紋(矢印)、介在板(矢頭)に一致した陽性像を認めた(図3A)。WBでは膜分画にバンドを認めた(図3B)。α2、β1、β2受容体の発現に領域差は認めなかった。

IMO+Xy群で認めたEFと前壁の運動低下はPTX投与で改善した。前壁の収縮低下にICI-118,551の有無は影響しなかった。IMO+Xy+PTX群では11匹中3匹が死亡し、死亡例では前壁でMyBP-C-Ser282のリン酸化が亢進していた。

【考察】

IMOによる心理ストレスにキシラジンによるα2受容体刺激を加えることで前壁の一過性の収縮低下が生じることを見いだした。この運動低下にはGi蛋白シグナルが関与していた。IMO+Xy群の後壁では前壁に比してCaMKII、MyBP-Cのリン酸化が亢進することから、部位による活性化の差が運動機能の違いに関与した可能性がある。従来、心筋細胞に分布するα受容体は主にα1受容体で、α2受容体は交感神経終末に分布すると考えられてきたが、心筋細胞膜でのα2受容体の発現を免疫染色とWBで確認した。非心筋細胞ではα2受容体刺激が細胞内Ca(2+)濃度上昇、CaMKIIを惹起することから、同様の機序が示唆された。IMO+Xy群で生じた前壁の運動低下はPTX投与で改善したが、ICI-118,551では改善しなかった。このことからα2受容体を介さないα2受容体-Gi蛋白シグナルの関与が示唆された。一方で、PTX投与により死亡例が増加することからGi蛋白が心保護的に作用している可能性がある。

本研究ではIMOでは収縮は低下せず、キシラジンを併せて投与した場合に心尖部ではなく前壁で収縮低下が生じた。これらの点が従来のストレス心筋症モデルと異なっている。卵巣摘除ラットではα2受容体刺激に対する反応性が増大することから、雄でもα2作用を薬理学的に増強することで類似の病態を作り出している可能性がある。閉経後の女性にストレス心筋症が多い原因としてα2受容体が関与している可能性も考えられる。ストレス心筋症の発症にはアドレナリン受容体の分布の差が想定されているが、前・後壁で発現の差は認めなかった。

本研究からストレス環境下ではα2作動薬が平常時にはみられないストレス心筋症類似の心収縮低下を引き起こすことが明らかとなった。これはストレス心筋症の病態の解明に寄与するものと考えられる。法医学領域では身体拘束時の突然死はしばしば経験され、ストレス環境下での突然死の病態解明にも寄与するものと期待される。

図1

図2

図3

審査要旨 要旨を表示する

本研究はストレス環境下においてα2受容体刺激が心機能に与える影響およびストレス心筋症の分子メカニズムとの関連を明らかにするため、アドレナリン投与モデルおよび身体拘束ストレスモデルにおいて心エコーによる心機能測定、細胞内シグナルの解析を試みたもので、下記の結果を得ている。

1.ストレス心筋症のモデルとして知られているアドレナリン投与モデルにおいて、ラット左心室の収縮低下が生じることを確認した。収縮の低下は前壁・後壁の両方で生じていることを確認した。

2.身体拘束のみ(IMO群)では収縮能に変化はなかったが、身体拘束を30分行った後にα2受容体作動薬のキシラジンを投与した群(IMO+Xy群)で、拘束終了5分後に前壁に限局した一過性のEjection fractionの低下が生じた。この収縮低下は20分後には改善した。拡張能の指標であるE/Aは変化しなかった。

3.身体拘束により血中カテコラミン濃度は5分をピークとして30分後にはベースラインに戻った。一方、身体拘束開始5分後にキシラジンを投与するとその血中カテコラミン濃度の上昇は抑制されるが、拘束開始30分後にキシラジンを投与すると、逆にカテコラミン濃度が上昇する現象が見いだされた。

4.IMO+Xy群の心筋のウエスタンブロットでは、CaMKII、およびその基質であるMyBP-C、Phospholambanのリン酸化が亢進することが明らかとなった。特にCaMKII、MyBP-Cのリン酸化は前壁に比して後壁で強く、部位による活性化の差が認められた。Akt、p44/42MAPKは身体拘束によってリン酸化するが、キシラジン投与により脱リン酸化した。Ryanodine receptor、TnIは変化しなかった。

5.α2受容体が心筋細胞膜で発現していることを免疫染色および細胞分画を用いたウエスタンブロットで示した。非心筋細胞ではα2受容体刺激がCaMKIIの活性化を惹起することが報告されており、心筋細胞でも同様の経路により活性化する可能性が示唆された。

6.β1、β2、α2受容体、Gs蛋白、Gi蛋白、GRK2の発現に部位による差は認めなかった。

7.IMO+Xy群にGi蛋白阻害薬のPTXを身体拘束開始48時間前に投与すると前壁の収縮低下が改善した。一方でβ2受容体阻害薬のICI-118,551を投与しても収縮低下は改善しなかった。PTXを投与すると死亡例が増加し、Gi蛋白の活性化は一時的な局所の収縮低下を引き起こすが、予後においては心保護的に作用している可能性が示唆された。

以上、本論文は身体拘束ラットにα2受容体刺激を加えることで、従来のストレス心筋症モデルと異なる前壁に限局した収縮低下が生じることを見いだし、Gi蛋白を介する経路が関与することを明らかとした。また、CaMKII関連分子が局所的に活性化することも明らかとした。本研究は分子メカニズムが未知に等しいストレス心筋症の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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