学位論文要旨



No 129327
著者(漢字) 岸川,孝弘
著者(英字)
著者(カナ) キシカワ,タカヒロ
標題(和) 非コード反復配列RNAの膵発癌における生物学的意義の検討
標題(洋)
報告番号 129327
報告番号 甲29327
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第4060号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 黒川,峰夫
 東京大学 准教授 池上,恒雄
 東京大学 講師 丸山,稔之
 東京大学 講師 青木,琢
 東京大学 講師 田村,純人
内容要旨 要旨を表示する

膵癌は悪性腫瘍の中でも根治の難しい疾患とされており、化学療法を含めた集学的治療の発展が目覚ましい現在においても、非切除膵癌の5年生存率は依然数パーセントにとどまる。ヒトの膵癌では大腸癌のadenoma-carcinomaシークエンスのように、正常細胞から前癌病変であるPancreatic Intraepithelial Neoplasia (PanIN) を経て膵癌へと至る過程で、K-rasやSmad4、p53、p16/INK4aなどの癌関連遺伝子の変異が蓄積されていく発癌モデルが提唱されているが、多様な変異がどのように蓄積されて発癌へと向かうのか、その明確な機序は分かっていない。このような発癌の分子生物学的メカニズムについての理解を深めることは、新規の早期スクリーニング法や治療ターゲットを開拓する重要な足がかりとなるはずである。

近年の次世代ゲノムシークエンス技術の発展により、ゲノム上のタンパク質をコードしない領域から転写されるRNA、すなわちノンコーディングRNAが、遺伝子機能維持や分化など、生体機能の複雑な制御に重要な役割を果たしていることが分かってきた。最新の知見では、ヒトにおいて約21,000 種類のタンパク質をコードする遺伝子に対して、約19,000種類ものノンコーディングRNAが転写されていることが報告されている。しかし、そのほとんどは細胞内でどのような役割を果たしているか分かっていないのが現状である。

本研究の主題である非コード反復配列は、染色体のセントロメアと呼ばれる領域に集中して存在するタンパク質をコードしない数百塩基単位の基本配列から成る繰り返し配列であり、サテライト配列と呼ばれている。これらは非分裂期には高度に凝集してヘテロクロマチンと呼ばれる構造を取っているため転写活性は強く抑制されていると考えられていた。しかし、最近サテライトRNAの一種であるメジャーサテライトRNAが膵癌を含む腺癌組織において、高度に異常発現していることが報告された。このことからサテライトRNAは他のノンコーディングRNAと同様に何らかの生物学的機能、特に発癌過程に対する機能を有していることが推察されるが、その詳細な検討はなされていない。本研究において、我々は膵癌および前癌病変であるPanIN組織でのメジャーサテライト RNAの発現様式を明らかにするとともに、強制発現系を利用してin vitroで発癌と関連の深い表現型の変化について観察し、メジャーサテライトRNAがもたらす分子生物学的意義について検討を行った。

最初に、膵腫瘍組織でのメジャーサテライトRNAの発現をNorthern blotting法およびRNA in situ hybridization法を用いて検討したところ、膵癌だけでなく前癌病変であるPanIN組織においても発現を認め、多様なリピート長を持って転写されていることが示された。これらよりメジャーサテライトRNAは細胞が癌化する前段階から高発現していると考えられた。さらに腫瘍組織ではサテライト領域が一方向性に異常発現していることが示唆された。

既報ではマウス胎児線維芽細胞や胎芽細胞などの正常細胞においてサテライトRNAが両方向性に発現し抑制性RNAとして機能する可能性が指摘されている。しかし腫瘍組織でのメジャーサテライトRNAは一方向性に高発現しており、脱分化の過程でその抑制機構が破綻し、正常細胞とは異なる作用を細胞に及ぼしているという可能性が推察された。

次に、前癌病変であるPanIN細胞株(K512)にメジャーサテライトRNAを強制発現させるコンストラクトを作成し、表現型の検討を行ったところ、体細胞分裂中期において中心体の数が異常に増加し、分裂軸が多極化している細胞が有意に増加していた。また非分裂期の細胞においても、染色体不安定性や発癌ストレスの指標となるmicronucleiやanaphase bridgeの出現頻度が増していた。さらにメジャーサテライトRNAを長期に発現させた細胞は、コントロールと比較して足場非依存性増殖能獲得細胞率が増加していた。

有糸分裂に異常が起きると姉妹染色体が娘細胞に正常に分配されず、染色体の異数性(aneuploidy)を引き起こす。多くの癌細胞ではaneuploidyを認めることから、癌としての悪性形質の獲得と密接に関わっていると考えられている。メジャーサテライトRNAの異常発現が分裂異常を惹起する機序については今回検討できていないが、染色体の状態が不安定になることは遺伝子の欠失や増幅、転座などの現象をランダムに誘発し、癌関連遺伝子に影響を与え得るため、発癌を促進する重要な原因の一つであると思われた。

最後に細胞内での分子生物学的機能について検討を行った。まず、メジャーサテライトRNAが核内ではなく細胞質に局在することを示し、さらに免疫沈降法を用いて、メジャーサテライトRNAに結合するタンパク質YBX-1を同定した。YBX-1の特徴的な機能として、定常時は細胞質に局在するが、DNA損傷を来すような放射線や紫外線、抗癌剤などの刺激を受けると核内に移行し、DNA修復過程に関与することが分かっている。このため、メジャーサテライトRNA発現がもたらすDNA損傷後のYBX-1の局在の変化について検討を行ったところ、定常状態ではいずれの細胞でもYBX-1は主に細胞質に局在していたが、UV照射後6時間ではコントロール細胞ではYBX-1が核内へ移行しているのに対して、メジャーサテライトRNA発現細胞ではYBX-1の核内移行が抑制されていた。

既報ではYBX-1は転写因子として修復関連遺伝子発現を制御したり、修復酵素の活性調節を行うことでDNA修復に関与するとされているため、スクリーニング目的にDNA修復遺伝子についてのPCRアレイを行ったが、有意な発現差を認めなかった。 また、メジャーサテライトRNA導入、非導入K512細胞株について全遺伝子マイクロアレイ解析も行ったが、DNA修復に関わる遺伝子に有意な変化は見られなかった。しかし、メジャーサテライトRNA発現系では、移行阻害によりDNA損傷誘発後の核内YBX-1量が相対的に減少することが考えられるため、UVによって細胞にDNA損傷を与えた後、すなわち本来ならばYBX-1が核内移行している状態での遺伝子発現の変化について、再度PCRアレイを用いて検討した。UV刺激前に対する刺激後のシグナル強度の比をそれぞれプロットしたところ、複数の遺伝子がメジャーサテライトRNA発現細胞において相対的に低下していた。特にNEIL-2遺伝子の刺激後発現増加率がメジャーサテライトRNAを導入することで18.7倍から2.7倍へと低下していることが示された。すなわち、DNA損傷の反応として本来であれば転写が増強される修復遺伝子が、メジャーサテライトRNAによる転写因子の捕捉により十分に行われない可能性が考えられた。

これを確認するため、shRNAによるYBX-1ノックダウン細胞を作成しDNA損傷の増悪の有無を検討したところ、DNA二重鎖切断のマーカーとして利用されるγH2AX陽性細胞率が有意に増加していた。同様に、メジャーサテライトRNA発現細胞においてもγH2AX陽性細胞率が有意に増加しており、活性酸素種により発生する修飾塩基である8-ヒドロキシデオキシグアニン(8-OHdG)の割合や、UV照射により発生するピリミジンダイマーも非刺激状態での増加を認めた。以上から、メジャーサテライトRNAによるYBX-1機能の阻害作用が損傷塩基の増加に寄与している可能性が示唆された。

本研究でDNA損傷誘発因子として使用したUV光は、同じDNA鎖にある隣接するピリミジンどうしをクロスリンクしてシクロブタン型ピリミジン二量体(CPD)や6-4型光産物(6-4pp)を生成し、正常なDNA複製を阻害する。また、活性酸素種(ROS)により塩基が傷害されて産生される8-ヒドロキシデオキシグアニン(8-OHdG)や5-ヒドロキシウラシル(5-OHU)などの修飾塩基は1日に約50,000回発生するとも言われている。これらの比較的頻度の高いDNA損傷に対しては塩基除去修復(BER)やヌクレオチド除去修復(NER)と呼ばれる修復経路が定常的に働いている。

今回のメジャーサテライトRNA導入細胞における遺伝子発現検討では、定常状態では遺伝子修復因子の転写産物の量的な変化は検出できなかったが、DNA損傷を誘発し、YBX-1の核内移行を促した後のアレイの結果ではNEIL-2という遺伝子修復因子の発現がメジャーサテライトRNA導入細胞で有意に低下していた。NEIL-2は塩基除去修復(BER)の初期段階である修飾塩基の認識とその除去に関わるDNAグリコシラーゼの一種である。またYBX-1はこのBER修復経路に関与するその他の因子とも結合してその活性を高めることが知られていることからYBX-1は種々の修復経路の中でもBERと特に深い関わりを持っており、その機能を補助している可能性がある。

修飾塩基は軽微な損傷でありながら、通常の環境でも高頻度に発生することから、YBX-1の機能低下によりBER活性が低下することで、日常的に損傷塩基の残存という遺伝子ストレスが加わり、DNA複製期に複製エラーが起きる確率が高まり、点突然変異率を上昇させ、発癌への経過を促進させる可能性があると考える。本研究において長期にメジャーサテライトRNAを発現させることで足場非依存性獲得細胞の割合が有意に増加したことは、突然変異のリスクが高まったことにより、悪性形質転換を来すような変異が誘発されやすくなったことが原因とも考えられる。この発癌へと至る経路の詳細な解明については、トランスジェニックマウスによるin vivoでの表現型の検討や、長期発現細胞のゲノムシークエンスによる実際の突然変異発生頻度の検討などにより、さらに多角的にデータを構築していくことが必要であろう。

上述してきたようにメジャーサテライトRNAは染色体分裂異常、DNA損傷の増加を惹起することを示した。メジャーサテライトRNAがどのような機序によって発現増加するのかは今後明らかにしていく必要があるが、このノンコーディングRNAの異常発現が前癌病変から癌への悪性変化を加速させる重要な因子となっている可能性が示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究はマウス膵癌において特異的に高発現するノンコーディングRNAであるメジャーサテライトRNAに着目し、その発現様式及び、分子生物学的意義についての解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1. メジャーサテライトRNAの発現をマウス膵癌モデル、及び前癌病変であるPanINモデルの腫瘍組織を用いて示した。Northern blotting及びRNA in situ hybridization法により、メジャーサテライトRNAは前癌病変の段階から発現していることが示された。

2. メジャーサテライトRNAの発現はコンセンサス配列方向優位に発現しており、細胞株化してin vitroで培養するとその発現が抑制された。

3. PanIN細胞株(K512)にメジャーサテライトRNAをectopicに発現するvectorを導入して表現型の変化を評価したところ、分裂期において、有糸分裂異常が惹起された。また非分裂期の異常染色体像を示す細胞数も増加していた。さらに長期にメジャーサテライトRNAを発現させると足場非依存性増殖能を有する細胞の割合が増加していた。

4. メジャーサテライトRNAの細胞内での局在を調べるために、核及び細胞質分画に分けて抽出したRNAを用いたNorthern Blotting、RNA-FISH法、λN-GFPシステムを用いたメジャーサテライトRNAのGFP標識による蛍光細胞染色をそれぞれ行った。いずれもメジャーサテライトRNAは細胞質に主として局在するという結果であった。

5. メジャーサテライトRNAと結合するタンパク質を同定するために、RNA immunoprecipitation法を用いてin vitroでの結合タンパク質を抽出し、LC-MS/MS法による質量分析を行った。その結果DNA修復タンパク質であるYBX-1が同定された。

6. YBX-1タンパク質はDNA損傷時に細胞質から核内へ局在が変化するため、メジャーサテライトRNA導入による局在の変化を蛍光免疫染色法にて観察した。UV刺激及びエトポシド投与にてDNA損傷を与えたところ、非導入細胞と比較してメジャーサテライトRNA導入細胞ではYBX-1の核内移行が阻害されていた。

7. YBX-1はDNA修復因子を制御すると言われているため、UVによるDNA損傷誘発後のDNA修復関連遺伝子の発現変化をPCRarrayで検討したところ、メジャーサテライトRNA導入細胞において複数の遺伝子の発現が相対的に低下していた。

8. メジャーサテライトRNA導入細胞のDNA損傷について評価するために、DNA二重鎖切断の指標であるγH2AX、酸化ストレスによる損傷の指標である8-OHdG、UVによる損傷の指標である6-4ppについてそれぞれ蛍光染色、ELISA法を用いて検討したところ、メジャーサテライトRNA導入細胞において優位にDNA損傷が増加していた。

9. 上記のγH2AX陽性細胞はYBX-1ノックダウン細胞でも増加しており、同様の表現型が示された。

以上、本論文はメジャーサテライトRNAが前癌病変から高発現しており、それが染色体分裂異常、DNA損傷の増加を惹起することを示した。本研究は発癌過程における遺伝子変異の蓄積という、癌の自然史に深く関わるメカニズムの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク