No | 129329 | |
著者(漢字) | 鈴木,裕史 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | スズキ,ヒロブミ | |
標題(和) | 小腸癌の分子生物学的特徴の検討 | |
標題(洋) | ||
報告番号 | 129329 | |
報告番号 | 甲29329 | |
学位授与日 | 2013.03.25 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(医学) | |
学位記番号 | 博医第4062号 | |
研究科 | 医学系研究科 | |
専攻 | 内科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 背景・目的 小腸は最も診断の困難な領域の1つであり、中でも小腸癌は発見が難しく、診断時には切除困難となっていることが少なくない。小腸癌は全消化管悪性腫瘍の0.2-2%を占める稀な悪性疾患であり、罹患率は0.66/100,000と低い。臨床症状としては腹痛が最も多く、次いで悪心・嘔吐、貧血などを呈するが、いずれも特徴的な症状ではないため、これも診断を難しくしている。小腸癌はその稀少性から診療ガイドラインは存在せず、海外では結腸癌に準じた治療が推奨されているが、本邦では、現在のところ治癒切除の困難な小腸癌に対して効果・効能を有する薬剤は承認されていない。小腸癌と大腸癌は、組織病理学的な特徴や、生活習慣における発癌のリスクなどから類似点が多く指摘されているが、疾患の発生頻度や5年生存率の低さなどの面で、相違点も存在することから、小腸癌の分子生物学的特徴を理解し、病態を解明する必要がある。 現在、小腸の発癌過程には以下の2つのゲノム不安定性、(1)染色体不安定性及び (2)マイクロサテライト不安定性(MSI):ミスマッチ修復機構の異常に伴う1~数塩基レベルの複製エラー(RERs)、に加えて、(3)エピジェネティックな変化、なかでもCpG islandの高度なメチル化(CIMP)による遺伝子の転写制御が腫瘍の進展に影響を与えていると考えられ、研究が進められているが、いずれも臨床検体を用いた解析に留まっている。そこで我々は、小腸癌細胞株を樹立して既存の遺伝子変異との比較解析を行うとともに、細胞内シグナル伝達の解明に着手し、得られた特徴を小腸癌の臨床検体で参照することで小腸癌により普遍性のある性状の解析を試みた。更に、細胞増殖能を利用した薬剤感受性試験を行い、小腸癌に特化した治療薬についても検討した。 方法・材料 小腸癌生検検体の一部を酵素処理により融解し、約2週間培養した。培養の過程で生き残り、コロニーを形成したものを拾い上げて培養し続けることにより、小腸癌由来細胞株(small intestinal adenocarcinoma cell:SIAC細胞)を樹立した。 SIAC細胞の可溶化物を用いてウェスタンブロットを行うことにより、異常を有する特徴的なタンパクを検索した。また、ゲノムDNAを抽出し、シークエンス解析を行うことで、変異を有する癌(抑制)遺伝子を探索した。これらの解析で得られた特徴は、小腸癌臨床検体を用いた免疫組織染色やパラフィン包理切片より抽出したゲノムDNAを用いたシークエンスを行うことで、小腸癌により普遍性のある解析を試みた。またSIAC細胞の増殖能を利用して、Dual Luciferase assayを行うことでシグナル伝達の解明に着手した。 小腸癌に有用な抗癌剤の探索を目的として、SIAC細胞用いた異種移植マウスモデルを作製して、大腸癌治療に用いられている2つの分子標的薬(アバスチン及びセツキシマブ)の抗腫瘍効果を検討し、140種類の化合物に対して細胞増殖試験によりスクリーニングを行った。 結果 【1】小腸癌由来細胞株SIAC細胞の分子生物学的特徴の検討 1)SIAC細胞の特徴の検討:SIAC細胞では腸管上皮細胞に特異的な発現を認めるCK19やCDX2の発現を認めていることから上皮由来の細胞であることが確認された。 2)ミスマッチ修復機能に関する検討:SIAC細胞ではミスマッチ修復(MMR)タンパクであるMLH1及びMSH6の発現消失、MSH2の発現減弱を認めた。 3)MMR遺伝子異常とCIMPの関連性についての検討:SIAC細胞におけるMLH1の消失はCIMPによるサイレンシングである可能性が示唆された。また、トリコスタチンA(ヒストン脱アセチル化阻害剤)を併用することにより、更にmRNAの発現量は回復していた。 4)MMR標的遺伝子のMSIに関する検討:SIAC細胞ではMMRの標的遺伝子である、BAX及びTGFβRII、ACVRII、MSH6、MSH3に複製異常を認めた。 5)癌(抑制)遺伝子の異常に関する検討:p53やSmad4のタンパク発現には異常なく、また、KRASやBRAFの遺伝子に変異を認めなかった。β-カテニンタンパクは野生型よりも十数kDa.低い位置にもバンドを認め、欠失変異体の存在が示唆された。 6)シグナル伝達の活性化に関する検討:SIAC細胞ではWnt/β-カテニン経路の異常な活性化(TOP/FOP比で約2.9倍、正常とされる系(RKO細胞)では<1)が認められた。 7)β-カテニンの局在解析:β-カテニンは細胞染色では通常は細胞膜上に局在を示すが、SIAC細胞では細胞質にも局在を認めた。 8)β‐カテニンの欠失領域に関する検討:ゲノムシークエンスの結果、エクソン3のほぼ全域を含む30-410b.p.領域に欠失を認めた。 9)β‐カテニンの欠失変異体に関する検討:タンパク合成阻害実験より、SIAC細胞においてβ-カテニンの欠失変異体は野生型と比較して分解されにくいことが確認された。また、SIAC細胞と同じβ-カテニン変異体を強制発現させた細胞では野生型を強制発現させた細胞よりもWnt/β-カテニン経路に強い活性(約2.6倍)が認められた。 10)チロシンキナーゼ活性に関する検討:チロシンキナーゼアレイを用いた検討ではEGFR>HER3>HER2の順でEGFRファミリーに最も強い活性が認められた。 【2】臨床検体における小腸癌の分子生物学的特徴の検討 1)臨床検体を用いたMMRタンパクの発現異常についての検討 臨床検体9症例ではMLH1: 44%(4/9)、MSH2: 22%(2/9)、MSH6: 33%(3/9)に発現異常があり、少なくとも1つ以上のMMRタンパクに異常を認めたものは全体の55%であった。 2) MMR標的遺伝子のMSIに関する検討 BAXの変異が22%に、MSH6の変異が44%に、全例にTGFβRIIの変異を認めた。一方で、IGFIIRでは変異を認めなかった。 2)癌(抑制)遺伝子の異常に関する検討 約33%にKRAS変異を認めた。一方でBRAF変異は検出されなかった。またいずれの検体もエクソン3の内部の配列には点変異や欠失変異は認められなかった。 3)β-カテニンタンパクの発現異常についての検討 約22%にβ-カテニンの局在異常(細胞質への集積)を認めた。 【3】SIAC細胞株を用いた小腸癌治療法の検討 1)異種移植モデルの作製と性状解析 SIAC細胞を皮下に移植した異種移植マウスモデルの結節及び結節から採取した腫瘍細胞はウェスタンブロット及び免疫組織染色にてSIAC細胞やその由来となる臨床検体の性質が保持されていることを確認した。 2)異種移植モデルを用いた抗腫瘍効果の検討 大腸癌治療に使用されるアバスチン、セツキシマブを異種移植マウスモデルに週2回、約1か月間投与したが、腫瘍の縮小効果は得られなかった。 3)EGFRファミリー阻害薬の細胞増殖抑制効果の検討 チロシンキナーゼアレイの結果を受けて、EGFR阻害薬4種およびHER2阻害薬を用いて、細胞及び腫瘍増殖抑制試験を行ったが、有意な増殖抑制効果は得られなかった。 4)SIAC細胞に細胞増殖抑制効果を発揮する薬剤の探索 140種の薬剤を用いて細胞増殖実験によるスクリーニングを行った結果、プロテアーゼン阻害剤であるボルテゾミブおよび微小管重合阻害剤であるエリブリンにおいて細胞増殖抑制効果を認めた 考察 消化管の腫瘍形成・悪性化のプロセスには(1) 染色体不安定性(CIN)、(2) マイクロサテライト不安定性(MSI)、の2つのゲノム不安定性に、(3) エピジェネティックな遺伝子発現抑制機構を組み合わせた経路が重要な役割を担っていると考えられている。本研究においてもSIAC及び使用した小腸癌検体の特徴を理解するにあたり、上記の3要素を中心に解析を進めた。 樹立した小腸癌由来細胞株SIAC細胞は上記の経路に対応して、 (1)CTNNB1(β-カテニンの遺伝子)のエクソン3領域の大部分にheterozygousな欠失があり、これによりタンパクが安定化して細胞質に蓄積し、転写活性が亢進すること。 (2)MLH1、MSH6の発現消失、及びMSH2の発現減弱、とそれに伴うTGFβRII、BAX、MSH3、MSH6の遺伝子コード領域におけるRERsがあること。 (3)MLH1においてCIMPに関連したエピジェネティックな発現抑制が示唆されたこと。 以上の特徴を有していた。CINとMSI/CIMPは大腸癌では互いに排他的経路であるため、これを重複して有するSIAC細胞は小腸癌に特徴的なのかもしれない。 小腸癌臨床検体9検体は病歴及び検査歴より家族性大腸腺腫症1検体を認めたが、8検体は孤発性の小腸癌と考えられた。SIAC細胞と同様の解析を行った結果、 (1)KRAS変異は33%、BRAF変異は認めなかった。22%にβ-カテニンの局在異常を認めた。 (2)MLH1: 43%(4/9)、MSH2: 22%(2/9)、MSH6: 33%(3/9)に発現異常があり、少なくとも1つ以上のMMRタンパクに異常を認めたものは全体の55%であった。 既報と比較してβ-カテニンの異常は少なく、逆にMMR遺伝子発現異常が多い印象はあったが、より正確な頻度を把握するためには、今後も症例を蓄積して検討する必要がある。 新規抗癌剤の検討として、SIAC細胞を用いた細胞増殖抑制試験により、ボルテゾミブ及びエリブリンの2つの薬剤の有用性が示唆された。今後、SIAC細胞を用いた異種移植マウスモデルを用いてin vivoでの有用性を検討していきたいと考えている。 | |
審査要旨 | 本研究は治療法が未確立な小腸癌の発生機序解明及び治療薬の開発を目的として小腸癌由来細胞株を世界で初めて樹立し、この細胞より得られた特徴を経験症例と照合することで小腸癌の分子生物学的特徴を検討するとともに、細胞増殖能を利用して有効な薬剤の探索を試みたものである。本研究により下記の結果を得ている。 1. 小腸癌組織より内視鏡下に採取し、培養・樹立した細胞株(SIAC細胞)は、ウェスタンブロット及び細胞染色による解析から上皮細胞の細胞骨格タンパクであるCK19及び腸管上皮細胞に特異的発現するCDX-2の発現を認める一方で線維形成のマーカーであるαSMAでは検出されず、上皮由来の細胞であることを証明した。 2. SIAC細胞ではウェスタンブロット及び細胞染色から主要なミスマッチ修復遺伝子であるMLH1、MSH6の発現消失及びMSH2の発現低下を認めた。このうちMLH1は、脱メチル化剤である5-aza-2-deoxycytidine及び脱アセチル化酵素阻害剤であるトリコスタチンAを用いた解析からエピジェネティックな発現制御を受けていることが判明した。 また、抽出したゲノムDNAを用いたダイレクトシークエンスにより、ミスマッチ修復機構の標的遺伝子として知られるTGFβRII、BAX、MSH3にheterozygousな1塩基欠失を、ACVRII及びMSH6にhomozygousな1塩基欠失を認めた。 3. SIAC細胞ではウェスタンブロットによりβ-カテニンの分子量(92KDa.)とは別に10数KDa.低位置に特徴的なバンドを認め、更にルシフェラーゼ解析よりこの細胞のWnt/β-カテニン経路が活性化していることを明らかにした。抽出したゲノムDNAを用いたダイレクトシークエンスにより、Exon3-4のほぼ全域を含む30-410b.p.領域がheterozygousに欠失していた。タンパク合成阻害剤であるcycloheximideを用いた解析では野生型に比べて欠失変異体が安定であることが示され、Wnt/β-カテニン経路が担う増殖シグナルの活性化に寄与している可能性が示唆された。 4. リン酸化アレイを用いた解析の結果、SIAC細胞ではEGFR、HER2、HER3を含むEGFRファミリーで最も強いリン酸化を認めたほか、大腸癌治療の標的因子となっているVEGFR1についてもリン酸化が確認された。ウェスタンブロットではEGFR、HER2、VEGFR1でリン酸化が確認できなかった一方で、HER3は他の大腸癌細胞株では検出されない強いリン酸化を認めた。 5. 当科でダブルバルーン内視鏡を行い小腸癌と診断された9症例のうち、免疫組織染色によりMLH1、MSH2、MSH6の少なくとも1つのミスマッチ修復タンパクに異常が生じる頻度は55%に上り、いずれのタンパクも既報に比べて高い発現異常が認められた(MLH1;44%,MSH2;22%,MSH6;33%)。また、標的遺伝子のうちTGFβRIIは100%、MSH6は55%と高頻度に変異を認めたのに対し、ACVRII(11%)やBAX(22%)の変異は低頻度であった。 6. 小腸癌症例9症例のうち、33%にβ-カテニンの局在異常(細胞膜→細胞質)、22%にExon3領域を中心とした大きな遺伝子欠失を認めた。また、各腫瘍組織よりゲノムDNAを抽出して解析すると、KRASは33%に変異を認めたのに対し、BRAFの異常は検出できなかった。 7. SIAC細胞を用いた細胞増殖試験及びSIAC細胞移植マウスモデルを用いた解析ではEGFR阻害剤、HER2阻害剤、VEGFR1阻害剤のいずれにおいても増殖抑制効果は認められなかった。そこで、細胞増殖試験を用いて140種類の薬剤をスクリーニングした結果、プロアソーム阻害剤であるボルテゾミブ及び微小管重合阻害剤であるエリブリンの2剤に細胞増殖抑制効果が得られ、治療に有用である可能性が示唆された。 以上、本論文は小腸癌由来細胞株における解析から、小腸癌の発生機序には大腸癌では互いに排他的な発癌経路の標的分子とされているミスマッチ修復遺伝子とβ-カテニン遺伝子の発現異常の合併が比較的多く見られることを示しただけではなく、ボルテゾミブと微エリブリンが治療に有用である可能性を初めて明らかにした。本研究はこれまで困難であった小腸癌のシグナル伝達解明及び未確立に等しかった小腸癌治療の開発に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。 | |
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