学位論文要旨



No 129336
著者(漢字) 鮎澤,信宏
著者(英字)
著者(カナ) アユザワ,ノブヒロ
標題(和) Rac1は圧負荷性心障害におけるMR過剰活性化に寄与する
標題(洋) Rac1 contributes to overactivation of mineralocorticoid receptor in pressure overload-induced cardiac injury
報告番号 129336
報告番号 甲29336
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第4069号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 特任講師 安田,智洋
 東京大学 特任准教授 平田,恭信
 東京大学 講師 湯本,真人
 東京大学 教授 栗原,裕基
内容要旨 要旨を表示する

ミネラロコルチコイド受容体(MR)はレニン・アンジオテンシン・アルドステロン系の最終産物であるアルドステロンの受容体であり、腎遠位尿細管において発現しナトリウム排泄の調節を介して水・電解質の恒常性維持に働く因子として従来知られてきた。しかし近年では、MRは脳・心血管・腎糸球体・免疫細胞などの組織・細胞にも発現し、様々な生理的反応や病態形成機序に関与していることが明らかとなっている。心臓においてもMRが心不全などの病態形成に深く関与することが多くの基礎・臨床研究によって示されてきた。しかし、その際に循環リガンド量は必ずしも増加しておらず、MRの活性化機序については未だ不明な点が多い。

我々は以前、食塩感受性高血圧による腎障害において低分子量G蛋白Rac1がリガンド結合とは異なる機序でMRの活性化を引き起こし、腎糸球体障害の形成に関与することを報告した。さらに最近我々は、培養心筋細胞において恒常活性型変異Rac1遺伝子の導入によりMRの核内集積やMR依存性転写活性の亢進が起こることを見出し、心臓においてもRac1がMR活性化に寄与する可能性を見出した。そこで本研究では生体の心臓においてもRac1がMRの活性化に寄与し心障害の形成に関与することを、マウスにおける圧負荷性心不全のモデルを用い検討することとした。

まず、C57BL/6Jマウスに大動脈縮窄術を行い心臓に慢性圧負荷を加えたところ、7週後に高度の心肥大・心不全が起きた。すなわち心重量の増加、左室壁厚の増大、心筋断面積の増加、左室駆出率の低下が見られ、また病的心肥大の指標遺伝子であるANP(atrial natriuretic peptide)遺伝子やβ-MHC(myosin heavy chain)遺伝子の発現増加、心筋機能に関与するSERCA2(sarcoplasmic reticulum calcium ATPase 2)遺伝子の発現低下が示された。この際、圧負荷により左室における活性型Rac1の増加が起こるとともに、MR蛋白の核内集積亢進や、心筋におけるMR標的遺伝子であるPAI-1(plasminogen activator inhibitor-1)遺伝子やSerpin3n(serine or cysteine peptidase inhibitor, clade A, member 3N)遺伝子の発現増加が起こっていた。

次に、同実験系においてRac1阻害薬NSC23766(NSC)およびMR拮抗薬eplerenone(EPL)の投与が及ぼす効果について検討した。圧負荷による左室Rac1活性化はNSCにより抑制され、またMRの核内集積亢進およびMR標的遺伝子の発現増加はNSCおよびEPLの両者により抑制された。そして、圧負荷により引き起こされる心肥大および心不全もNSCおよびEPLの両者により改善した。なお、アルドステロンの血中濃度はNSC投与により変化しなかった。以上の結果から圧負荷により活性化されたRac1が循環アルドステロン量の変化とは異なる機序によりMRの活性化を引き起こし心肥大・心不全に寄与することが示された。

さらに、MR活性化を介した心障害の形成機序にはNADPH oxidase (Nox)活性化を介した酸化ストレスの亢進が関与する可能性が示唆されているため、上記実験においてこれらにつき解析を行った。圧負荷を受けた左室ではNox4遺伝子の発現量が著しく増加しており、それに伴いNox活性の増加や、酸化ストレス産物である4-HNE(4-Hydroxynonenal)の増加も見られた。これらの変化はNSCおよびEPL投与の両者により抑制された。以上から、圧負荷によるRac1・MR活性化から心肥大・心不全に至る経路にはNox4活性化による酸化ストレスの亢進が関与している可能性が示唆された。

最後に、Cre・LoxPシステムを用いて心筋特異的Rac1-KOマウスを作成し検討を行った。ホモ接合型KOマウスは胎生致死であったが、ヘテロ接合型KOマウスは通常飼育条件では明らかな異常を示さず、野生型マウスとの比較において心筋細胞特異的にRac1発現が半減していることが確認された。このヘテロKOマウスおよび野生型マウスに大動脈縮窄術を行ったところ、野生型では7週間後に高度の心肥大・心不全を示し、左室Rac1の活性化、MRの核内集積亢進、MR標的遺伝子の発現増加、Nox4遺伝子の発現量増加が見られたが、これらの変化はいずれもヘテロKOマウスでは抑制された。なお血中アルドステロン濃度は野生型とヘテロKOマウスで同等であった。これらの結果から、圧負荷性心不全では心筋細胞におけるRac1の活性化がMR活性化を介した障害形成に重要であることが示された。

以上、本研究では圧負荷性心不全において心筋細胞のRac1の活性化が循環リガンドの変化とは異なる機序でMR活性化を引き起こし、Nox4活性化・酸化ストレスの亢進を介して障害形成に関与することを示した。ただし、圧負荷性心不全におけるRac1活性化がどのようにして起こるのか、また活性化したRac1がどのようにしてMRの核内集積やMR標的遺伝子の発現調節に関与するのかなど、詳細なメカニズムは不明である。今後さらに検討を重ね心不全形成における障害経路の解明に役立てたい。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、心疾患において重要な役割を果たすことが示唆されているミネラロコルチコイド受容体(MR)の活性化に低分子G蛋白Rac1が寄与することを示すため、マウス圧負荷性心不全モデルにおいてRac1やMRの活性化につき検討するとともに、本モデルに対してRac1阻害薬やMR拮抗薬、心筋特異的Rac1欠損による介入を行い、その効果の解析を試みたものであり、以下の結果を得ている。

1.C57BL/6Jマウスに大動脈縮窄術を行い心臓に慢性圧負荷を加えたところ、7週後には高度の心肥大および心不全が起こることが示された。すなわち、心重量の増加、左室壁厚の増大、心筋断面積の増加、左室駆出率の低下が見られ、また病的心肥大の指標遺伝子であるANP(atrial natriuretic peptide)遺伝子やβ-MHC(myosin heavy chain)遺伝子の発現増加、心筋機能に関与するSERCA2(sarcoplasmic reticulum calcium ATPase 2)遺伝子の発現低下が示された。

2.同実験において、圧負荷により左室における総Rac1蛋白量は変化しなかったが、活性型Rac1蛋白は増加することがGST pull down assayにより示された。また、左室の核分画と細胞質分画の蛋白を抽出しWestern blotによりMR蛋白量を評価したところ、圧負荷により細胞質分画のMR蛋白量は変化しなかったが、核分画のMR蛋白量は増加しており、MRの核内集積亢進が起こることが明らかとなった。さらに、心筋におけるMR標的遺伝子であるPAI-1(plasminogen activator inhibitor-1)遺伝子およびSerpina3n(serine or cysteine peptidase inhibitor, clade A, member 3N)遺伝子の発現量をqRT-PCRにて検討したところ、左室におけるこれら遺伝子の発現量は圧負荷により増加していた。

3.次に、同実験系において、Rac1阻害薬NSC23766(NSC)およびMR拮抗薬eplerenone(EPL)の投与が及ぼす効果について検討した。NSCにより圧負荷による左室Rac1活性化は抑制され、また圧負荷によるMRの核内集積亢進およびMR標的遺伝子の発現増加はNSCおよびEPLの両者により抑制された。そして、圧負荷により引き起こされる心肥大および心不全もNSCおよびEPLの両者により改善した。なお、MRリガンドであるアルドステロンの血中濃度はNSC投与により変化しなかった。これらの結果から圧負荷により活性化されたRac1が循環アルドステロン量の変化とは異なる機序によりMRの活性化を引き起こし、心肥大・心不全に寄与することが示唆された。

4.上記実験系において、圧負荷を受けた左室ではNADPH oxidase (Nox) 4遺伝子の発現量が著しく増加しており、またNox活性が増加していることがLucigenin assayにて示された。さらに圧負荷により酸化ストレス産物である4-HNE(4-Hydroxynonenal)が増加していることがWestern blottingにて示された。これらの変化はNSCおよびEPL投与の両者により抑制された。以上から、圧負荷によるRac1・MR活性化から心肥大・心不全に至る経路にはNox4活性化による酸化ストレスの亢進が関与している可能性が示唆された。

5.さらに、Cre・LoxPシステムを用いて心筋特異的Rac1-KOマウスを作成し解析を行った。ホモ接合型KOマウスは胎生致死であったが、ヘテロKO接合型マウスは通常飼育条件では明らかな異常を示さず、野生型マウスとの比較において心筋細胞特異的にRac1発現が半減していることが確認された。このヘテロKOマウスおよび野生型マウスに大動脈縮窄術を行ったところ、野生型では7週間後に高度の心肥大・心不全を示し、左室Rac1の活性化、MRの核内集積亢進、MR標的遺伝子の発現増加、Nox4遺伝子の発現量増加が見られたが、これらの変化はいずれもヘテロKOマウスでは抑制された。なお循環アルドステロン濃度は野生型とヘテロKOマウスで同等であった。以上の結果から、圧負荷性心不全では心筋細胞のRac1の活性化がMRの活性化を介した障害形成に重要であることが示された。

以上、本論文は圧負荷性心不全において心筋細胞のRac1の活性化が循環リガンドの変化とは異なる機序でMR活性化を引き起こし、Nox4活性化・酸化ストレスの亢進を介して障害形成に関与することを示した。昨今、心不全におけるMRの重要性は周知のところとなったが、その活性化機序には未だ不明な点が多く残っていた。本研究はその一端の解明に貢献するとともに、心不全に治療におけるMR活性化への新たな介入戦略としてRac1阻害の可能性を見出したものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

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