学位論文要旨



No 129338
著者(漢字) 池田,健一
著者(英字)
著者(カナ) イケダ,ケンイチ
標題(和) ヒト心筋線維芽細胞におけるTRPCチャネル : TGF-βの作用
標題(洋) Canonical transient receptor potential channels in human cardiac fibroblasts : Effects of TGF-β
報告番号 129338
報告番号 甲29338
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第4071号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 特任准教授 安東,克之
 東京大学 特任准教授 後藤田,貴也
 東京大学 特任講師 安田,智洋
 東京大学 教授 川上,憲人
 東京大学 講師 臼井,智彦
内容要旨 要旨を表示する

心筋線維芽細胞は心臓内結合組織を構成するポンプ機能を持たない細胞ではあるが、細胞数は心臓内で約60~70%を占める最も多い細胞種である。心筋線維芽細胞はそれ自体平滑筋α-アクチン、メタロプロテアーゼなどを分泌し、細胞外マトリックス(ECM)を産生する筋線維芽細胞に分化し、心臓の細胞成分を支持し、心臓全体の形態を維持するなど重要な役割を持っている。一方、高血圧、心筋梗塞などの病態では、心筋線維芽細胞は細胞数を増加させ、細胞の分化を促し、心筋の線維化(リモデリング)を助長し、心肥大・心不全を引き起こす事が知られている。

一方, TGF-βは増殖因子の一つであり、細胞の分化、増殖、線維化、アポトーシスの促進など様々な働きを持っている。特にTGF-βは心筋梗塞、高血圧など病的圧負荷がかかる心筋でその発現量が増加し、心筋線維芽細胞の活性化の中心的な役割を持ち、ECM遺伝子発現の亢進、コラーゲンの分泌など心筋の線維化に重要な役割を持っている。近年では、レニンアンギオテンシン系の中でも、特に不全心で増加するアンギオテンシンIIの発現が、TGF-βと協調し, 心臓リモデリング(線維化)を促進していることも報告されている。このように様々な作用をもたらすTGF-βが, どのように心筋線維芽細胞の分化、増殖に関与しているかの詳細については不明な点が多い。私は、TGF-βと心筋線維芽細胞の増殖について検討し、TGF-βによる心筋線維芽細胞の増殖に細胞内カルシウムイオンの増加が重要であること、さらに、その動員機構につき検討したので報告する。

細胞内カルシウムの動員機構としては、T型、L型Ca(2+)チャネルなどの電位依存性Ca(2+)チャネルのほか、TRPチャネル (transient receptor channel)も重要であることが知られている。TRPチャネルはTRPC, TRPV, TRPM, TRPA, TRPP, TRPMLの6つのサブファミリーからなり、特にTRPCにはC1~C7, TRPVにはV1~V6, TRPMにはM1~M8までのサブタイプが報告されている。近年、ヒト心房細動患者における心房の線維化にTRPM7が重要な役割を持っているとの報告もされている。同時に、心筋細胞に対しては、TRPC3, 6が転写因子カルシニューリン及びNFATを介して心筋肥大に関与するとの報告もされている。このように心筋細胞及び心筋線維芽細胞の線維化および肥大化などの心臓リモデリングにおいて、TRP蛋白を介したカルシウム動員が重要な役割を演じていると考えられる。しかし、ヒト心筋繊維芽細胞にけるTRP蛋白(特にTRPC)の薬理学的・分子生物学的詳細な検討、さらには、TGF-βの増殖因子とTRPC蛋白との関連及び心筋線維芽細胞の増殖、線維化についての報告はなく、私は、TGF-βとTRPC蛋白についての相互作用についても検討した。さらに、細胞内Ca(2+)動員機構の一つにNa+/Ca(2+)交換機構も重要な役割を持っていることが知られている。Na+/Ca(2+) 交換機構はforward mode及びreverse modeの2つがあり、通常、心筋細胞においては、forward mode Na+/Ca(2+) 交換機構が働き、細胞内カルシウム濃度を減少するように働いている。しかし、梗塞心筋及び再灌流した傷害心筋などの特に細胞内Na+上昇などの状態では、reverse mode Na+/Ca(2+) 交換機構が働き、細胞内Ca(2+)濃度の上昇を促し、不全心など病的心筋の不整脈発生などにも関与していることが知られている。今回、私は、このreverse mode Na+/Ca(2+) 交換機構も細胞内Ca(2+)動員機構および心筋線維芽細胞の増殖に重要であると考え、この点からも検討した。

本研究では、材料としてヒト心筋線維芽細胞を用いて、Fura2-AMを用いた2波長励起法、RT-PCR法、Western blotting法、small interfering RNA (siRNA) 法、免疫染色法、細胞増殖アッセイ(MTT)及びフローサイトメトリーによる細胞周期の測定を行い、心筋線維芽細胞におけるTRPC蛋白の薬理学的及び分子生物学的特徴、ならびにTGF-βの作用、Na+/Ca(2+) 交換機構の関与につき検討するとともに、細胞増殖への影響からも検討した。

Fura2-AMを用いた2波長励起法による細胞内カルシウム濃度測定では,ジアシルグリセロール(DAG)のアナログで、TRPC3, 6のリセプター作用型カルシウムチャネルを活性化させることが知られている1-oleoyle-2-acetyl-sn-glycerol (OAG) の投与により細胞内Ca(2+)濃度の著明な増加を認めた。一方、細胞外にCa(2+)が存在しない場合には、OAG投与によって、細胞内Ca(2+)濃度の増加は認めなかった。また、DAGリパーゼを阻害するRHC 80267投与によっても細胞内Ca(2+)濃度は上昇した。このことより、ヒト心筋線維芽細胞にはDAGの産生により活性化されるTRPC蛋白が存在することが分かった。またOAGの作用は、プロテインキナーゼC (PKC) を活性化するPMAを投与すると消失し、逆にPKC阻害薬であるGF109203Xを投与すると再び細胞内カルシウム流入が増加することもわかった。このように、OAGによる細胞内Ca(2+)上昇は、PKCを介さない直接的活性化によるものと思われた。また、容量依存型カルシウムチャネル(SOC)を活性化させるタプシガルギンの投与では、細胞外にCa(2+)が無い場合には,一過性の細胞内Ca(2+)上昇をきたし、細胞外にCa(2+)が存在すると,細胞外からのCa(2+)流入による定常的なCa(2+)濃度の上昇をきたした。このように、ヒト心筋線維芽細胞には、OAGにより活性化されるROCとSOCの異なるチャネルが存在することが分かった。

また、ROC とSOCに対する各種拮抗薬 (2-ABP, SKF 96365, La(3+)など) の抑制作用につき検討した。タプシガルギンおよびOAGによるCa(2+)流入は、これらの拮抗薬に対して全く異なった感受性を示すことが確認された。L型カルシウムチャネルの阻害薬であるニフェジピンでは、明らかな阻害されないことより、心筋線維芽細胞における細胞内カルシウム動員機構としてはTRP蛋白が重要な役割を演じていることがわかった。さらに、ROC及びSOCに対するCa(2+)及びBa(2+), St(2+)(ストロンチウム)に対する透過性について検討したところ、タプシガルギンによって活性化されるSOCは、OAGにより活性化されるROCに比較し、Ba(2+), St(2+)に対する透過性は、カルシウムに比べ低いことが分かった。

次に、siRNAを用いたTRPC6のノックダウン、TRPC6の活性化物質であるハイパーフォリン、OAG及びアンギオテンシンIIによる細胞内カルシウム動員に及ぼす効果につき、比較検討したところ、心筋線維芽細胞のCa(2+)動員にはTRPC3, 6とくに、TRPC6の関与が重要であること、アンギオテンシンIIによる細胞内Ca(2+)上昇には、OAGを介したTRPC蛋白質の活性化が関与していると思われた。

さらに、分子化学的検討を行った。ヒト心筋線維芽細胞のtotal RNAを用いたconventional RT-PCRで心筋線維芽細胞に発現するTRP蛋白の遺伝子を解析した。TRPC 1, 3, 4, 6の発現を認め、TRPV, TRPMについては、TRPV 1, 2, 4, TRPM7のmRNAの発現を認めた。Real-time RT-PCR法で発現量を定量したところ、TRPC1>4、TRPC6>3を認めた。さらに、TRPC蛋白の発現を免疫組織化学染色及びウェスタブロッティングで検討し、TRPC 1, 3, 4, 6蛋白の発現が確認された。

続いて、心筋線維芽細胞におけるTGF-βの作用について検討した。TGF-βを、急性に投与したときには、細胞内Ca(2+)の流入は認められなかった。しかし、TGF-β投与後24時間経過した細胞では、タプシガルギン、OAG及びアンギオテンシンIIによる細胞内Ca(2+)流入が著明に増強した。次に、Na+/Ca(2+) 交換機構における細胞内Ca(2+)流入についてFura2-AMを用いて検討した。KB-R7943を用いてreverse mode Na+/Ca(2+) 交換機構を阻害した場合、及び、細胞外Na+を膜非透過性のNMDG+で置換した場合では、タプシガルギン、アンギオテンシンIIによる細胞内Ca(2+)流入は著明に阻害された。以上より、ヒト心筋繊維芽細胞の細胞内Ca(2+)動員には、TRPC蛋白の関与の他に、TRPCを介した細胞内Na+増加によるreverse mode Na+/Ca(2+) 交換機構の関与も考えられた。

さらに、MTTアッセイ法を用いて細胞増殖について検討した。TGF-βによる細胞増殖は細胞外にCa(2+)が存在しない場合には、Ca(2+)存在下に比し、有意に抑制された。また、TGF-β及びアンギオテンシンIIによる細胞増殖及び各種阻害剤(2APB, SKF96365, La(3+), ニフェジピン、KB-R7943)の効果について検討した。TGF-β及びアンギオテンシンIIによる細胞増殖は、TRPC蛋白阻害薬(SKF96365, 2APB, La(3+))、KB-R7943にて有意に阻害された。以上より、TGF-β及びアンギオテンシンIIによる細胞増殖には、TRPC蛋白及びreverse mode Na+/Ca(2+) 交換機構が重要な役割を持つことが示唆された。

次に, フローサイトメトリーを用いて、TGF-β, アンギオテンシンII及びKB-R7943のセルサイクルに及ぼす効果につき検討した。TGF、アンギオテンシン処理細胞では、G0/G1からS/G2, M期の移行が増大した。TGF-βとアンギオテンシンとの併用では、さらにS/G2, M期への移行の増大を認めた。一方、KB-R7943を投与した群ではG0/G1よりS/G2, M期への移行は著明に抑制された。

これらの実験結果より、(1)ヒト心筋線維芽細胞には、OAGにより活性化されるROCと容量依存型チャネル(SOC)の異なるチャネルが存在し、分子生物学的検討において、TRPC1, 3, 4, 6の発現が認められた。(2) OAG及びアンギオテンシンIIによる細胞内カルシウム動員として、TRPC3, 6, とくに、TRPC6の関与が重要であると考えられた。 (3) TGF-β慢性投与では、タプシガルギン、OAG及びアンギオテンシンIIによる細胞内Ca(2+)流入を著明に増強した。 (4) タプシガルギン、アンギオテンシンIIによる細胞内Ca(2+)流入には、TRPC以外に、TRPCの活性化による細胞内Na+増加に伴うreverse mode Na+/Ca(2+) 交換機構の活性化も関与していると思われた。 (5) TGF-β及びアンギオテンシンIIは、G0/G1からS/G2, M期の移行を増大し、細胞増殖をきたしたが、その機序としてTRPC蛋白及びreverse mode Na+/Ca(2+) 交換機構を介する細胞内Ca(2+)濃度の上昇が重要な役割を持つことが示唆された。

本研究から、心筋リモデリングにおいて、心筋線維芽細胞の分化・増殖、さらに、TGF-βが大きく関与していることは知られているが、心筋リモデリング抑制治療薬として、TRPC蛋白及びreverse mode Na+/Ca(2+)交換が、新しい治療の標的となりうる可能性が示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究では、ヒト心筋細胞及びヒト心筋線維芽細胞の線維化および肥大化などの心臓リモデリングにおいて重要な役割を演じていると考えられるカルシウムシグナリングの一部を明らかにするために、TRP蛋白を介したカルシウム動員(特にTRPC)の薬理学的・分子生物学的詳細な検討を行った。

また、TGF-βの増殖因子とTRPC蛋白との関連及び心筋線維芽細胞の増殖についても検討し、さらに細胞内Ca(2+)動員機構の一つであるreverse mode Na+/Ca(2+)交換機構の細胞内カルシウムの動員及び細胞増殖について検討を行い、下記の結果を得ている。

1. ヒト心筋線維芽細胞には、OAGにより活性化されるROCと容量依存型チャネル(SOC)の異なるチャネルが存在し、分子生物学的検討において、TRPC1, 3, 4, 6の発現が認められた。

2. OAG及びアンギオテンシンIIによる細胞内カルシウム動員として、TRPC3, 6, とくに、TRPC6の関与が重要であると考えられた。

3. TGF-β慢性投与では、タプシガルギン、OAG及びアンギオテンシンIIによる細胞内Ca(2+)流入を著明に増強した。

4. タプシガルギン、アンギオテンシンIIによる細胞内Ca(2+)流入には、TRPC以外に、TRPCの活性化による細胞内Na+増加に伴うreverse mode Na+/Ca(2+) 交換機構の活性化も関与していると思われた。

5. TGF-β及びアンギオテンシンIIは、G0/G1からS/G2, M期の移行を増大し、細胞増殖をきたしたが、その機序としてTRPC蛋白及びreverse mode Na+/Ca(2+) 交換機構を介する細胞内Ca(2+)濃度の上昇が重要な役割を持つことが示唆された。

以上、本論文はヒト心筋線維芽細胞において、細胞内カルシウム動員としてTRPC6が重要であることを明らかにした。又、細胞内カルシウム動員が心筋リモデリングの原因となりうる細胞増殖に重要な役割を持つこと、特にTGF-βがTRPC6を介したカルシウム動員をさらに増加させること, reverse mode Na+/Ca(2+)も心筋線維芽細胞の増殖の観点から分化・増殖に大きく関与していることも明らかにした。TRPC蛋白及びreverse mode Na+/Ca(2+)交換が、今後心筋リモデリング抑制治療の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位に値するものと考えられる。

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