学位論文要旨



No 129344
著者(漢字) 小川,真仁
著者(英字)
著者(カナ) オガワ,マサヒト
標題(和) マウス心臓移植モデルにおける選択的PAI-1阻害剤の影響
標題(洋)
報告番号 129344
報告番号 甲29344
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第4077号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小野,稔
 東京大学 教授 矢富,裕
 東京大学 准教授 宮田,哲郎
 東京大学 講師 下澤,達雄
 東京大学 講師 眞鍋,一郎
内容要旨 要旨を表示する

背景

心臓移植は拡張型心筋症および拡張相肥大型心筋症、虚血性心筋疾患、心筋の障害が強い弁膜症や、外科手術が困難な先天性の心臓病など、これまでの治療法では救命を期待できない重い心臓病の患者が適用となる。心臓移植後の患者の生命予後は移植片の急性拒絶および慢性拒絶により制御を受けており、心臓移植手術後から10年後には半数の患者の移植心は停止してしまう。移植後1年以内の死因としては感染や急性拒絶による物が多く、長期的の死亡原因としては慢性拒絶よるものが多い。慢性拒絶は免疫抑制剤では抑えきれないような慢性的な炎症が移植片に影響を与え、移植片の機能廃絶が起るものである。この病態の特徴として移植冠動脈病変 [graft arterial disease (GAD)]が多く見られ冠動脈に重度の血管狭窄がみられる。移植から8年後では50%の罹患率を有することが知られているが、この慢性拒絶による病態機序は複雑でまだ詳しく分っていない。1982年から現在までの間に大きな死亡率の改善がなされておらず有効な治療法はまだ見つかっていない。従ってこれらの病態に対する病態機序の解明や新たな治療法の確立が必要となる。慢性拒絶の進展には炎症が重要な役割があると我々は考えている。いままでの研究では血管周囲に存在する炎症性細胞、特にT細胞がGADの形成に重要だということを証明した。またこれまでの報告により炎症性細胞や炎症性の因子が慢性拒絶時のGADの形成に深く関わっていることが知られており、これらの抑制は心臓移植後の予後に大きく貢献すると考えられる。

Plasminogen activator inhibitor (PAI)-1はserine proteinaseの一つで線溶系に関わるurokinase-type plasminogen activator (uPA)やtissue-type PA (tPA)の抑制作用をもつ因子である。血中PAI-1濃度の上昇は、心筋梗塞などの血栓症の発症に関わることが知られており、近年では分化した脂肪細胞から産生されることが知られ、肥満による血栓症を引き起こす因子として考えられている。腎臓移植において慢性拒絶反応による組織傷害とともにPAI-1の上昇がみられ、このことによりPAI-1の上昇は慢性拒絶による機能不全の予測因子としての可能性が報告されている。PAI-1には多型が存在することが報告されておりレシピエントにおけるPAI-1多型だけでなくドナーにおけるPAI-1多型の有無によっても心臓および腎臓移植の長期生着に影響を与えることが知られている。慢性拒絶では組織の線維化が多く見られる。慢性拒絶された組織から採取した線維芽細胞にはPAI-1の発現が上昇おり、PAI-1上昇により線維芽細胞の遊走や接着が誘導されたことが予測される。これらの報告により慢性拒絶の進展とPAI-1は深い関わりがあることが示唆される。

PAI-1阻害剤は抗血栓作用だけでなく抗炎症や抗線維化、内皮細胞の保護作用があると考えられ、心臓移植後の拒絶や多くの心血管病に対して有効な薬剤になると考えられるが、PAI-1に対する効果的な阻害薬はまだない。新たに開発されたPAI-1阻害剤であるIMD-1622はPAI-1の触媒作用部位に結合することにより直接作用する。我々はすでに血管傷害モデルや自己免疫性の心筋炎モデルにおいてPAI-1阻害剤の有効性について報告しており効率的にPAI-1を阻害する薬剤であることが確認されている。しかしながら慢性拒絶に対するPAI-1阻害剤の影響についてはまだわかっておらず、本研究ではIMD-1622のPAI-1阻害効果が急性および慢性拒絶に対してどのような効果を示すかを検討している。

方法

薬剤

選択的PAI-1阻害剤(IMD-1622)はバーチャルスクリーニング法により作製され、直接PAI-1分子の触媒作用部位に結合することで活性を抑制する薬剤である。薬剤は分子医薬設計研究所から入手した。

心臓移植

ドナーマウスの心臓をレシピエントマウスの腹部へ移植する異所性の心臓移植を行った。ドナー心は下大静脈から冷ヘパリン生理食塩水を灌流させ上行大動脈および肺動脈を切離した。6-0縫合糸にてその他の肺静脈と組織を一度に結紮し心臓を摘出した。心臓は冷えた生理食塩水で保存した。レシピエントマウスは腹部大動脈と下大静脈を露出させ、血流を遮断し、腹部大動脈と静脈側に吻合口を作り、10-0ナイロン縫合糸にてレシピエント側の大動脈にある吻合口と移植心の大動脈を縫合した。下大静脈と移植心側の肺動脈も同様に血管縫合し血流を再開させ、移植心の拍動が確認後、6-0縫合糸にて腹部を縫合する。急性拒絶モデルはBALB/cA (ハプロタイプ:H2d)マウスをドナー、C57BL/6 (H2b)マウスをレシピエントとし、慢性拒絶モデルはC57BL/6 (H2(bm12))マウスをドナー、C57BL/6マウスをレシピエントとして作製した。

IMD-1622は移植後から評価する日まで連日1日2回腹腔内投与により与えた (10mg/kg)。 移植片の生着は腹部触診を行い、毎日の心臓の拍動を確認した。急性拒絶では移植後7日目に移植片を摘出し、慢性拒絶では60日目に摘出した。

移植片は病理学的解析のためパラフィン包埋後に病理切片にし、HE染色、Mallory染色Elastica-van-Gieson染色を行った。CD4、 CD8、 CD11b、 ICAM-1、 fibrinogen、 PCNAの発現を確認するために凍結切片およびパラフィン切片をそれぞれの因子に対する抗体を用いて同定した。

組織からタンパクとtotal RNAを抽出し、ザイモグラフィーにてMMPの活性を、定量RT-PCRにてIFN-gamma、TNF-alpha、IL-2、IL-6、IL-10、IP-10、MCP-1、MIP-1alpha、MIP-1betaの転写量を確認した。

In vitroの解析において、心臓移植後7日目のマウスから脾臓とリンパ節を摘出し、単核球を単離した。同様にドナーと同種のマウスからも単核球を単離した後、マイトマイシン処理を行った後に96穴培養皿プに二群の細胞を等量で混ぜ合わせ混合培養を行った。IMD-1622は濃度の異なる群を3つ用意し、混合する直前に細胞に滴下した。培養後3日目にCell-counting Kitを用いて細胞数を調べた。さらに培養上清を回収し、そこからELISAを行いIFN-gammaの発現量を確認した。

すべての動物実験は大学の研究ガイドラインに沿って行われた。

結果:

急性拒絶モデルにおいて心臓移植後の移植心は平均7.2日(n=6)、最長8日で拍動が停止した。IMD-1622投与群ではその心臓移植の生着は平均13.7日(n=6)、最長23日まで生着が延長することが確認された(P<0.05)。移植後7日目における移植片の病理学的所見では無治療群では炎症性細胞の浸潤が広範囲に認められたが、PAI-1阻害剤は浸潤細胞の範囲を減少させた。

免疫反応への影響を調べるためにリンパ球混合試験を行った。刺激細胞との混合により著しいリンパ球の細胞増殖が認められたが、IMD-1622を投与した群では薬剤の用量に依存して細胞増殖の抑制が認められた。この培養から培養液を回収し、IFN-gammaの発現量をELISAで調べたところIMD-1622投与により有意な減少が認められた。この結果からIMD-1622はT細胞の増殖とサイトカインの発現を抑制することが確認された。

慢性拒絶モデルにおいて移植後60日の心臓では炎症性細胞の浸潤や線維化が広範囲に認められた。またCD4(ヘルパーT細胞)、CD8 (細胞傷害性T細胞)、CD11b(顆粒球および単球細胞)陽性細胞が広範囲に存在し、接着分子の一つであるICAM-1の発現も認められた。IMD-1622投与は細胞浸潤や線維化を抑制し、同時にこれらの炎症に関わる因子の減少を示した。

慢性拒絶においてGADの形成は移植片の長期生着に対して重要な役割を持っている。無治療群において慢性拒絶モデルは移植片の冠動脈に30%近くの血管の狭窄を生じた。新生内膜では平滑筋様細胞の増殖が見られ、cyclinの一つであるPCNAを染色したところ新生内膜に多く発現することがわかった。また新生内膜部にfibrinogenが発現することが確認できた。IMD-1622治療はGADの形成、PCNAの発現を抑止し、さらにfibrinogenの形成を抑えた。Fibrinogenの形成の抑制からIMD-1622はPAI-1経路を抑制することが確認でき、またPAI-1阻害による抗炎症作用が慢性拒絶の進展を抑制すると示唆された。

さらに詳しくPAI-1と炎症因子との関係を調べるためにMMPの活性を調べた。MMPは間質の細胞外基質の溶解を行う因子である。それにより浸潤細胞が心筋内に容易に入り込むことができ細胞浸潤を助長される役割を持っている。また内在性のMMP-9は細胞の遊走に関わっており、炎症に深く関わる因子である。慢性拒絶モデルの移植片からザイモグラフィーを行った結果、無治療群の移植片ではMMP-9の活性の上昇が見られることが確認されたが、IMD-1622投与群ではその活性は抑制されていた。炎症性サイトカインとケモカインの発現を調べたところ移植片におけるIFN-gamma、IL-2、TNF-alpha、IL-6、MCP-1、MIP-1alpha、MIP-1beta、IP-10の著しい発現は、IMD-1622治療群で抑制されていた。興味深いことにTh2サイトカインであるIL-10は無治療および治療群ともに高値を示していた。この結果によりIMD-1622はMMP-9の活性の抑制、またTh1系の炎症系サイトカインやTh1、単球に関わるケモカインの抑制効果を示すことが確認された。

結語:PAI-1阻害であるIMD-1622は炎症性因子を抑制することにより移植後の急性および慢性拒絶を抑制した。これによりPAI-1阻害薬は心臓移植において有効な治療法としての可能性を示唆した。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は心臓移植後の急性および慢性拒絶において新たな標的因子と考えられるPAI-1の役割を明らかにするため、急性拒絶および慢性拒絶が誘導されるマウス心臓移植モデルを用い、新規化合物である選択的PAI-1阻害剤の効果を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.急性拒絶に対するPAI-1阻害剤の効果を検討したところ、無治療群では移植心は7日目で停止するが、選択的PAI-1阻害剤を投与した結果、心臓の生着が3倍程度の延長を示す個体が認められた。急性拒絶反応を模倣するリンパ球混合試験の結果からPAI-1阻害剤によりリンパ球の増殖が抑制され、またその培養上清から炎症性サイトカインの発現を確認するためELISAを行った結果、PAI-1阻害剤によりIFN-gammaの発現が減少していることが分った。これにより急性拒絶モデルにおいてPAI-1阻害剤はリンパ球の増殖および活性を抑制することにより、拒絶反応を抑制したことが示された。

2.慢性拒絶に対する影響を確認するため、突然変異種であるC57Bl/6 H2-bm12マウスと野生型C57Bl/6 H2-bマウスを用いて心臓移植を行い、慢性拒絶を誘導した結果、移植後60日目の移植心では移植心の停止は見られなかったが、種々の炎症性細胞の浸潤が心筋内に浸潤していた。また移植心において広範囲に組織の線維化が見られた。PAI-1阻害剤を連日投与した結果、慢性拒絶による病理学的変化が抑制されることが示された。

3.慢性拒絶によりおこる冠動脈傷害に対する影響を確認するために病理学的検討を行ったところ、無治療の群では30%程度の新生内膜形成による冠動脈狭窄が確認されたが、PAI-1阻害剤によって10%程度にまで減少することが示された。PCNA抗体を用い、新生内膜における細胞の細胞増殖の程度を確認した結果、冠動脈傷害において細胞増殖を起こしている細胞が多く見られるが、投与により細胞増殖を示す細胞は減少された。

4. 移植後60日目の移植心を用い、免疫染色にて炎症性細胞の同定を行ったところ、慢性拒絶に関わる炎症性細胞のCD4、CD8、CD11b陽性細胞の浸潤が確認され、炎症性因子であるICAM-1の発現が上昇していることが見られた。また慢性拒絶が引き起こされた移植心から抽出されたmRNAを用い、Real-time RT-PCRを行ったところ、IFN-gamma、TNF-alphaなどの炎症性サイトカインやMCP-1、IP-10などのケモカインの発現が上昇していたが、PAI-1阻害剤を投与することによりそれらの上昇は抑制させることが確認され、PAI-1阻害剤によって炎症が抑制されることが示された。

5. Fibrinogen抗体を用いて、免疫染色を行った結果、PAI-1阻害剤により血管内膜に発現するfibrinogenの抑制が見られ、PAI-1阻害剤は細胞外基質を介した炎症に影響を及ぼすことが示唆された。

以上、本論文はマウス心臓移植モデルにおいて、選択的PAI-1阻害剤が急性および慢性拒絶の抑制効果を示すことが確認された。本研究はPAI-1阻害剤による免疫抑制機構に対する影響や、いままで有効な治療法がない慢性拒絶に対する治療薬としての可能性を示唆しており、学位の授与に値するものと考えられる。

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