学位論文要旨



No 129349
著者(漢字) 河原﨑,秀一
著者(英字)
著者(カナ) カワラサキ,シュウイチ
標題(和) 転写因子ARID5Bの心臓の線維化における役割
標題(洋)
報告番号 129349
報告番号 甲29349
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第4082号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山崎,力
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 准教授 田中,廣壽
 東京大学 准教授 池田,均
 東京大学 講師 高澤,豊
内容要旨 要旨を表示する

心筋梗塞後の心臓では組織の線維化が認められる。線維化は結合組織の膠原線維が過剰に蓄積することで起きる。心臓では非梗塞例でも高度の虚血心や拡張型心筋症などの心筋症においても線維化が認められる。心臓では、線維化が進行した部位ではコンプライアンスが低下し、左室収縮力の低下につながり、心不全発症の原因となる。しかしながら、線維化が進行する機序は依然不明な部分が多く、有効な治療法は開発されていない。線維化の機序の解明と治療法の開発は心疾患の治療領域においても急務である。

ARID5Bは、マウス多能性神経堤細胞を血管平滑筋細胞に分化誘導する過程で、発現の増強する転写因子として同定され、血管平滑筋細胞の分化に関与する遺伝子と考えられていた。さらに、ARID5B変異型ホモ接合体マウスは、脂肪細胞の機能異常、骨格形成異常、免疫機能の異常、生殖機能障害と全身に異常を認めた。また、ヒトでは、ARID5Bの遺伝子多型が小児リンパ性白血病の発症に関与し、冠動脈疾患や糖尿病の発症とも関わりがあると報告されている。これらのメカニズムは明らかになっていないが、ARID5Bが線維化に関わる増殖因子PDGFの下流のターゲット遺伝子の一つである可能性が報告されている。これらのことから、私は、ARID5BがPDGFのシグナル経路に関与し、線維芽細胞の機能に影響するのではないかと考え、ARID5Bが心臓の線維化において重要な役割を果たすという仮説を検証することを実験の目的とした。

心臓の線維化のin vivoモデルとしてAngiotensinII持続投与モデルに着目した。浸透圧勾配を利用したポンプを利用しマウスの皮下にAngiotensinIIを一定期間投与すると左心室に肥大が起こり線維化進行することは報告されている。ARID5B遺伝子変異ヘテロ接合型マウスにAngiotensin IIを14日間持続投与したところ、遺伝子変異群では野生型に比較し、左心室の壁肥厚は高度であり、より高度な線維化の進行を認めた。mRNAレベルでは線維化のマーカーとしてfibronectinの発現がARID5B遺伝子変異群で野生型よりも有意に上昇していた。免疫染色での検討ではARID5B遺伝子変異群においてより高度なマクロファージの集積を認めた。ARID5B遺伝子変異ヘテロ接合型マウスにおいて、より高度な線維化の進行、マクロファージの集積を認めたことより、ARID5Bは心臓の線維化の進行を抑える役割を果たしていることが示唆された。

線維化の進行においては心筋細胞のみならず、血球細胞、線維芽細胞といった間質細胞が重要な役割を果たしている。これまで報告されている線維化のメカニズムは以下のようである。まず虚血や高血圧など種々の心臓への負荷刺激の結果、心筋細胞のアポトーシスが起こる。アポトーシスに対する創傷治癒反応として、内皮細胞から血球の遊走因子(ケモカイン)が放出され、これによりマクロファージなどの血球細胞の心臓への集積が起こる。続いて集積した血球細胞から各種サイトカインが産生され、これにより、線維芽細胞は活性化され筋芽細胞となり膠原線維を産生する。膠原線維は通常、損傷を受けた組織のコンプライアンスを保つ目的で一時的でかつ適度に産生されるが、何らかの原因で膠原線維の産生が長期間にわたり過剰に起こることで、組織の線維化が進む。

一方、ARID5Bについてはαアイソフォームは心筋細胞、線維芽細胞に発現し血球細胞には発現していないが、βアイソフォームは全身に発現しており心筋細胞、血球細胞、線維芽細胞のいずれにも発現している。そこで心筋細胞、血球細胞、線維芽細胞それぞれに発現するARID5Bの線維化においける役割を検討するため、以下の実験系に着目した。

まず、血球細胞に発現するARID5Bの線維化に果たす役割を検証するため、骨髄移植モデルに着目した。野生型マウスに放射線照射を行った上でARID5B遺伝子変異ヘテロ接合型マウス由来の骨髄細胞を経静脈的に投与することで骨髄由来細胞にARID5B遺伝子変異を持つマウスを作成することができる。ARID5B遺伝子変異を持つ血球細胞が生着したことを確認した上で、このマウスにAngiotensin IIの持続投与を行ったが、ARID5B遺伝子変異群では対照群と比較し、線維化の程度は同程度であった。この結果より、血球細胞でのARID5Bの遺伝子変異が線維化の進行に与える影響は限定的と考えられた。

次に線維芽細胞に発現するARID5Bの線維化における役割を検討するため、in vitroレベルでマウス線維芽細胞10T1/2にTGF-βを添加する実験系に着目した。10T1/2は未分化な線維芽細胞だが、TGF-βの添加により、αSMAアクチンなど平滑筋マーカーが上昇することが報告されている。10T 1/2へのARID5BのsiRNAのトランスフェクションを行いARID5Bのノックダウンを行った。ARID5Bのノックダウンを行った細胞群にTGF-βを添加し、mRNAレベルでの刺激への応答反応を検討した。結果、αSMA、CTGFといったマーカーはARID5Bのノックダウン群および対照群でともに上昇しており両者には有意差は認められなかった。次にマウス新生仔の心臓由来の初代培養細胞の心線維芽細胞に対し同様にARID5BのsiRNAを用いてARID5Bのノックダウンを行った上でTGF-βの添加を行った。結果、αSMA、CTGFといったマーカーはARID5Bのノックダウン群および対照群でともに上昇しており両者には有意差は認められなかった。つまりARID5Bのノックダウンを行った線維芽細胞においてもTGF-β刺激に対する反応性には明らかな変化は認められなかった。

心筋細胞に発現するARID5Bの線維化における役割を検証するにあたり、心筋細胞のアポトーシスの評価に着目した。線維化は創傷治癒過程の一つであり、心臓の線維化形成の過程において初期には虚血や高血圧等の刺激により心筋細胞のアポトーシスが起こり、アポトーシスを起こした部位に対する創傷治癒反応として線維化が起こると報告されている。In vivoレベルの実験としてARID5B遺伝子変異型マウスに2週間のAngiotensinII投与を行い、繊維化を起こした心臓切片にTUNEL染色を行った。結果、ARID5B遺伝子変異ヘテロ接合群において野生型よりもアポトーシスを起こした細胞数が多いことが確認された。これはARID5B遺伝子変異群ではAngiotensinII投与後に心筋細胞の細胞死が増加しており、この結果創傷治癒反応としての線維化がより高度に起こったという仮説を支持する結果であった。現在、ARID5Bの心筋特異的ノックアウトマウスを作出中であり、作出が完了次第、Angiotensin II負荷実験を行う予定である。

アポトーシスは、一般に個体を健全に保つために、あらかじめプログラムされた細胞死と考えられている。アポトーシスを引き起こすシグナルとしては、TNFなどのサイトカインによる刺激、DNA損傷、ミトコンドリアの異常、小胞体ストレスなどが報告されており、一連のカスパーゼが活性化され、細胞死を起こす。私は、ARID5Bが脂肪細胞において代謝に関与する可能性が示唆されていることから、心筋細胞においても、何らかのエネルギー代謝経路に関与しており、アポトーシスを抑制しているのではないかと考えている。

今回の実験により、ARID5Bが心臓の線維化において重要な役割を果たしていることが新たに示された。これまでの実験結果からは、心筋細胞のARID5Bが、アポトーシスを抑制し、線維化を抑制していると考えられるが、さらに詳細なメカニズムは今後実験を継続して検討する必要がある。また、心筋の代謝との関わりを含め、ARID5Bが心筋細胞において果たす役割を明らかにするべく研究を継続する所存である。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は心臓の線維化において重要な役割を果たしていると考えられる転写因子ARID5Bに着目し、ARID5Bの心臓の線維化における役割を明らかにするため、ARID5B遺伝子改変マウスにAngiotensinIIを持続投与し、惹起される線維化について解析を行い、詳細なメカニズムの検討を行ったものであり、下記の結果を得ている。

1. ARID5B遺伝子変異ヘテロ接合型マウスにAngiotensin IIを14日間持続投与したところ、遺伝子変異群では野生型に比較し、左心室の壁肥厚は高度であり、より高度な線維化の進行を認めた。mRNAレベルでは線維化のマーカーとしてfibronectinの発現がARID5B遺伝子変異群で野生型よりも有意に上昇していた。免疫染色での検討ではARID5B遺伝子変異群においてより高度なマクロファージの集積を認めた。ARID5B遺伝子変異ヘテロ接合型マウスにおいて、より高度な線維化の進行、マクロファージの集積を認めたことより、ARID5Bは心臓の線維化の進行を抑える役割を果たしていることが示された。

2. 野生型マウスに放射線照射を行った上でARID5B遺伝子変異ヘテロ接合型マウスの骨髄を移植した。ARID5B遺伝子変異を持つ血球細胞が定着したことを確認した上で、このマウスにAngiotensin IIの持続投与を行ったが、ARID5B遺伝子変異群では対照群と比較し、左室肥大、線維化の程度は同程度であった。この結果より、血球細胞でのARID5Bの遺伝子変異が線維化の進行に与える影響は限定的であることが示された。

3. マウス線維芽細胞10T1/2にTGF-βを添加する実験系に着目した。10T1/2は未分化な線維芽細胞だが、TGF-βの添加により、αSMAアクチンなど平滑筋マーカーが上昇することが報告されている。10T 1/2へのARID5BのsiRNAのトランスフェクションを行いARID5Bのノックダウンを行い、この細胞にTGF-βへ添加し、mRNAレベルでの刺激への応答反応を検討した。結果、αSMA、CTGFといったマーカーはARID5Bのノックダウン群および対照群でともに上昇しており両者には有意差は認められなかった。マウス新生仔初代培養細胞の心線維芽細胞に対して同様にARID5BのsiRNAを用いたARID5Bのノックダウンを行った上でTGF-βの刺激を行ったが、やはり非ノックダウン群と同様の反応を示した。この結果よりARID5Bのノックダウンを行った線維芽細胞においてもTGF-β刺激に対する反応性には明らかな変化は認めらないことが示された。

4. ARID5B遺伝子変異型マウスに2週間のAngiotensinII投与を行い、繊維化を起こした心臓切片にTUNEL染色を行った。結果、ARID5B遺伝子変異ヘテロ接合群において野生型よりもアポトーシスを起こした細胞数が多いことが確認された。これより、ARID5B遺伝子変異群ではAngiotensinII投与後に心筋細胞の細胞死が増加しており、この結果創傷治癒反応としての線維化がより高度に起こったと考えられた。

以上、本論文はARID5B遺伝子改変マウスにAngiotensinIIを投与し惹起される心臓の線維化を解析した結果より、ARID5Bが心臓の線維化において保護的に働くことを明らかにした。本研究は心臓の線維化に保護的に働く転写因子を新たに見出し、今後新たな線維化の治療法の開発に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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