学位論文要旨



No 129350
著者(漢字) 河原﨑,千晶
著者(英字)
著者(カナ) カワラサキ,チアキ
標題(和) ナノバイオテクノロジーを用いた腎糸球体を標的にしたチロシン水酸化酵素siRNA導入の腎機能改善効果
標題(洋)
報告番号 129350
報告番号 甲29350
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第4083号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鄭,雄一
 東京大学 教授 山崎,力
 東京大学 教授 吉田,謙一
 東京大学 講師 川畑,仁人
 東京大学 講師 山本,寛
内容要旨 要旨を表示する

【背景・目的】

腎交感神経は血圧調節や腎機能保持に重要な役割を果たすとされており、近年、腎交感神経除神経術によって難治性高血圧患者で有意な血圧の低下を認めたことが報告され、注目されている。我々は最近、慢性腎臓病(CKD)モデルラットにおいて、交感神経活動亢進が血圧上昇並びに腎障害に関与しており、交感神経を抑制することにより降圧および腎機能改善効果が認められることを報告した。他施設からも腎障害と交感神経の関連について多くの報告がなされている。CKD患者では健常人に比べて筋交感神経活動が亢進しており、また、微量アルブミン尿を有する高血圧患者では交感神経抑制薬であるモキソニジンを投与することにより尿中アルブミン排泄が抑制された。腎障害モデル動物においても同様に交感神経の関与が示されており、例えば5/6腎摘ラットでは、腎皮質でカテコラミンの放出が亢進していること、モキソニジンにより尿中アルブミン排泄が抑制されたことが報告されている。このように腎障害における交感神経の重要性を示唆する報告は多数あるが、腎臓は糸球体・尿細管・間質など様々な組織からなり、個々の腎組織における交感神経の役割を区別して評価することは容易ではない。

東京大学工学部マテリアル工学専攻の片岡研究室ではDrug Delivery System(DDS)を発展させ、ナノバイオテクノロジーを用いたブロックコポリマーを開発した。これはpolyethylene glycol(PEG)を代表とする親水性ポリマーとpoly-L-lysine(PLL)に代表される疎水性ポリマーを工学的に結合させたものである。疎水性ポリマーの部分が薬物や陰性荷電のあるDNAなどと疎水性相互作用や静電作用を利用して結合し、結果としてウイルス様形態のナノ粒子を形成する。外殻は親水性の構造を呈し、生体適合性に優れている。一方、内側に薬物を内包し、目的細胞にこのキャリアが到達すると、中の薬物を放出することが可能となる(以下このキャリアをpolyion complex [PIC] nanocarrierと称する)。この血中の薬物-PIC nanocarrier複合体は、ナノサイズで生体適合性・血中安定性に優れている。血液内を移動する途中、細網内皮系からの貪食を免れ、肝での取り込みも抑えられ、腎排泄が遅延し、目的臓器である腎糸球体へ到達する。このPIC nanocarrierに内包するものとして、我々はsmall interfering RNA (siRNA)に着目した。siRNAは21塩基対の相補的なRNAで、メリットとして、特異的な遺伝子を抑制すること、抑制効果に優れ低濃度でも効果がみられること、 mRNAを破壊するだけで遺伝子自体には影響を及ぼさないこと、細胞質内で作用することなどがある。現在、治療対象として着目されて、欧米では臨床治験も試みられている。しかし短所として、陰性荷電のため細胞に取り込まれにくい、血中で不安定・血中半減期が短い、適切なDDSがない などの問題もある。しかし、私達の用いたPIC nanocarrierは内側の疏水基が陽性に荷電しているので、陰性荷電であるsiRNAの方が、むしろ好都合となる。また、siRNA-PIC nanocarrierは血中での安定性も示されており(J Am Soc Nephrol 21:622-633, 2010)、PIC nanocarrierはむしろsiRNA投与に適したDDSと考えられる。さらに、PIC nanocarrierが腎臓糸球体に特異的に取り込まれることが既に確認されている(J Am Soc Nephrol 21:622-633, 2010)。すなわち、このsiRNA-PIC nanocarrierは10-20 nmのサイズである。ここで腎糸球体の解剖学的構造を考えると、基底膜の間隙のサイズは約4 nmである。他方、外側のポドサイト間には50 nmの間隙が、内皮細胞には70-100 nmの間隙がある。よってsiRNA-PIC nanocarrierはサイズの観点から、基底膜の通過は困難であるが、糸球体毛細血管血管内皮の間隙を通過することは可能である。この解剖学的な特徴に、腎臓は多臓器に比し単位重量当たりの血流量が多いこと、糸球体毛細血管は他の毛細血管に比し血管内圧が高いことも加わり、メサンギウム内に長時間留まり、メサンギウム細胞に取り込まれ、ここで作用を発揮する。

交感神経終末のカテコラミン産生の律速段階となっているのはチロシン水酸化酵素(tyrosine hydroxylase: TH)である。そこで、糸球体の交感神経系を抑制することを目的として、THのsiRNAをこのPIC nanocarrierを用いて糸球体に導入し、血圧や腎機能に及ぼす影響について検討し、腎糸球体交感神経の血圧調節や腎機能に関する役割を調べた。

【方法】

交感神経亢進を伴う腎障害合併高血圧モデルとしてdeoxycorticosterone acetate (DOCA)-食塩ラット(Sprague-Dawleyラットに片腎摘を行い、3週間のDOCA投与[25 mg/週、皮下投与]+8%高食塩食負荷を施行)をモデル動物とした。

(1)In vitro experiment

まず、プライマリーカルチャーで作成した培養DOCA-食塩ラット由来メサンギウム細胞と健常ラット由来メサンギウム細胞のTH発現をreal-time RT-PCRにより比較検討した。次に、それらのメサンギウム細胞および培養メディウム内のカテコラミン含有量をmicrocolumn LC-peroxyoxalate chemiluminescence reaction detection法により測定した。さらに、トランスフェクション試薬であるリポソームを用いてTH siRNAを導入し、TH発現の抑制効果が認められるか否か検討した。

(2)In vivo experiment

コントロール群(片腎摘+普通食)、DOCA-食塩ラット群、scrambled siRNA投与DOCA-食塩ラット群、TH siRNA投与DOCA-食塩ラット群を作成した。TH siRNA投与群はTH siRNAをPIC nanocarrierに混和し、8週齢から週2回×3週間、10 nmol/回を腹腔内投与した。偽薬群としてscrambled siRNA-PIC nanocarrierを同様に投与した。これら4群のラットに対し、観血的血圧測定、尿蛋白・アルブミン測定、腎臓の組織学的変化、腎臓でのTH発現について評価を行った。

【結果】

(1)In vitro experiment

DOCA-食塩ラット由来メサンギウム細胞は、健常ラット由来メサンギウム細胞に比し、TH発現の亢進を認めた。またメサンギウム細胞および培養メディウム内のカテコラミン含有量は、DOCA-食塩ラット由来細胞で有意に増加していた。さらに、DOCA-食塩ラット由来メサンギウム細胞ではTH siRNAの導入によりTH発現は抑制された。

(2)In vivo experiment

DOCA-食塩ラットはコントロールラットに比し著明な血圧上昇、尿蛋白・尿アルブミン排泄量増加と腎糸球体並びに間質病変の進展を認めた。またDOCA-食塩ラットでは腎糸球体におけるTHの発現亢進を認めたがTH siRNA投与はこれを抑制した。TH siRNA投与は血圧には影響しなかったが、尿蛋白・尿アルブミン排泄量を有意に減少させた。また、TH siRNA投与は、糸球体病変の改善は認めたものの、間質病変に対する影響は認められなかった。srambled siRNAは血圧や間質病変のみならず、尿蛋白・尿アルブミンや糸球体病変、糸球体のTH発現において改善効果を認めなかった。

【考察】

In vitro実験の結果、DOCA-食塩ラット由来メサンギウム細胞は、健常ラット由来メサンギウム細胞に比しTH発現が亢進していた。さらにDOCA-食塩ラット由来メサンギウム細胞でカテコラミン産生は増加していたことから、糸球体局所における交感神経系が亢進している可能性が示唆された。また実験で用いたTH siRNAの有意なTH抑制効果を確認できた。In vivoの実験ではDOCA-食塩ラットに対する糸球体選択的なTH siRNAの投与は、降圧を来たさなかったものの、蛋白尿・アルブミン尿の改善効果を認め、さらに糸球体特異的に組織像を改善した。なお、糸球体TH発現に影響しないscrambled siRNAは血圧や間質病変のみならず、尿アルブミンや糸球体病変のいずれにも改善効果を認めなかった。したがって、TH siRNA自体に糸球体保護効果があることが証明できた。なお、TH siRNAは血圧に影響がなかった。したがって、DOCA-食塩ラットにおいては腎糸球体局所の交感神経亢進が糸球体障害進展に重要な役割を果たしているものと考えられた。一方、腎交感神経系の血圧への影響は尿細管・間質における交感神経活動が重要である可能性が考えられた。

【まとめ】

DOCA-食塩ラットにおいて糸球体特異的なTH抑制によって腎糸球体に限定した腎保護効果を認めた。PIC nanocarrierを用いた腎糸球体を標的にしたTH siRNA導入による交感神経抑制は明らかな糸球体保護効果を有することから、糸球体に分布する交感神経の亢進は腎糸球体障害の進展に重要な役割を果たしていることが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、腎糸球体局所でのノルエピネフリン(NE)合成の抑制により高血圧や腎局所の病変を改善するかを評価することを目的として、交感神経亢進モデルであるdeoxycorticosterone acetate (DOCA)-食塩ラットを対象に、NE合成の律速段階酵素であるチロシン水酸化酵素(TH)のsmall interfering RNA (siRNA)を、糸球体メサンギウム細胞を標的にしたdrug delivery system (DDS)であるpolyion complex(PIC) nanocarrierを用いて導入し、その効果を検討し、下記の結果を得ている。

1.(in vitro)

プライマリーカルチャーにより作成したDOCA-食塩ラットメサンギウム細胞ではコントロールラットメサンギウム細胞に比しTH発現の亢進、NE含有量の増加を示した。DOCA-食塩ラットメサンギウム細胞はコントロールメサンギウム細胞に比し、その培養メディウム中のNE含有量の増加を示した。DOCA-食塩ラットメサンギウム細胞ではリポソームを用いたTH siRNAの導入で、TH発現の抑制を示した。

2.(in vivo)DOCA-食塩ラットにPIC nanocarrierを用いてTH siRNAおよびscrambled siRNAを投与した。

(1)DOCA-食塩ラットではコントロールラットに比し、平均血圧は上昇していた。TH siRNAおよびscrambled siRNAは、いずれも平均血圧には影響せず、糸球体におけるNE合成は血圧調節に関与していないものと考えられた。

(2)DOCA-食塩ラットにおける尿蛋白・尿アルブミンの増加をTH siRNAの投与は部分的に抑制した。しかし、scrambled siRNAは尿蛋白・尿アルブミンに影響しなかった。すなわち、PIC nanocarrierによるsiRNA導入自体ではなく、THの抑制が尿蛋白・尿アルブミンの改善に重要な役割を果たしていることが考えられた。

(3)腎の組織学的検討ではDOCA-食塩ラットはコントロールラットに比べて糸球体の腫大・硬化を認めたがTH-siRNA投与を投与すると糸球体病変の改善を認めた。Scrambled siRNAはDOCA-食塩ラットの糸球体病変を改善しなかった。間質病変に関しては、DOCA-食塩ラットの間質病変をTH-siRNAおよびscrambled siRNAの投与は改善効果を認めなかった。つまり、糸球体のNE合成は糸球体自体の障害の進行に関与しているものの、血圧調節や間質障害には関与していないことが示唆された。

(4)糸球体におけるTH発現についての検討(免疫染色、RT-PCR)では、DOCA-食塩ラットにおいてTH発現の亢進を認めた。TH siRNA投与はTHの発現を抑制したがscrambled siRNA投与は影響しなかった。すなわち、PIC nanocarrierによりTH siRNAは糸球体にとりこまれ、そこでTHの発現を抑制していることが示唆された。

以上、本研究は交感神経亢進モデルであるDOCA-食塩ラットにおいてPIC nanocarrierを用いて腎糸球体を標的としたTH siRNA導入による交感神経抑制は明らかな糸球体保護効果を有することから、糸球体に分布する交感神経の亢進は腎糸球体障害の進展に重要な役割を果たしていることを明らかにした。

糸球体を標的としたTH抑制によって腎糸球体に限定した血圧非依存性の腎保護効果を示したことから、血圧調節とは独立した腎障害進展のメカニズムの存在が示され、学位の授与に値するものと考えられる。

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