学位論文要旨



No 129351
著者(漢字) 菊地,正
著者(英字)
著者(カナ) キクチ,タダシ
標題(和) 獲得及び自然免疫機能から見たHIV感染者の病態研究
標題(洋)
報告番号 129351
報告番号 甲29351
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第4084号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 俣野,哲朗
 東京大学 准教授 内丸,薫
 東京大学 准教授 高橋,聡
 東京大学 准教授 四柳,宏
 東京大学 准教授 川名,敬
内容要旨 要旨を表示する

ヒト免疫不全ウイルス(HIV)感染症は、多剤併用抗HIV療法の進歩により、血液中のウイルス量を検出限界以下にまで抑制することが可能になり、AIDSによる死亡者数は激減した。しかし、抗HIV薬による長期の副作用や薬剤耐性の出現、早期老化や心血管疾患リスク、さらには免疫系の破綻による悪性腫瘍や様々な感染症のリスクが依然として懸念され、HIV予防ワクチンや新たな機序の薬剤の開発、Functional Cure (抗HIV療法なしにウイルスの抑制あるいは免疫系の破綻を防ぐ)に向けた研究、HIV感染者における様々な感染症への有効なワクチン接種方法についての研究等の重要性がさらに増している。

HIV感染者の中には、抗HIV薬の投与をせずに、血漿ウイルス量を検出限界以下(<50copies/mL)にまで、長期間自らコントロールできる患者群が存在し、エリートコントローラー(EC)とよばれており、Functional Cureの自然モデルと考えられる。

ECを規定する宿主側因子としてHLA class Iが大きく関与することが知られており、細胞傷害性T細胞(CTL)によるウイルス制御の重要性が示唆されている。その他にも様々な宿主因子とECとの関連が明らかとなってきたが、今まで知られている宿主因子のみでは全てのECを説明することはできない。また、ウイルスタンパクGag, Pol, Envなどの機能がECにおいて低下していることも近年報告され、宿主因子とウイルス側因子の双方がエリートコントロールに関与している可能性が示唆されている。ECに関わる新たなウイルス側因子を解明することにより、新たな治療薬の開発や、Functional Cureへ向けた研究に重要な示唆を与えると考えられる。

また、HIVの制御には、獲得免疫機能とともに、apoliporotein B mRNA editing enzyme catalytic polypeptide-like 3G (APOBEC3G)などの自然(あるいは内因性)免疫が重要であることが近年知られるようになってきた。APOBEC3GはHIVの逆転写の阻害あるいは逆転写の過程でマイナス1本鎖DNAのシトシン残基を脱アミノ化し、ウラシル残基に変換することにより、ウイルス複製を阻害する。HIV-1アクセサリー蛋白の一つであるVifはウイルス産生細胞においてAPOBEC3Gを分解に導き、正常なウイルス複製を維持している。Vifは末梢血リンパ球でのウイルス複製に必須であるが、Vifの機能とECとの関連についての知見はほとんどない。Vifを新たな治療薬やワクチンのターゲットとして研究する際に、Vifの機能と臨床的なウイルス抑制との関連を、臨床検体を用いて調べることが求められている。

次に、HIV感染症では獲得免疫機能の疲弊と機能低下が重要な役割を担っていることが知られてきた。そのため、HIV感染者は様々な感染症や悪性腫瘍のリスク集団であるのみならず、様々な感染症に対する予防ワクチンにおけるプライム効果の低下と、長期的な抗体価の維持やブースター効果の低下が報告されている。2009年にパンデミックとなったインフルエンザ(H1N1)2009は多くのヒトにおいて新たな抗原であり、インフルエンザワクチンのプライム効果と、2年目の2回目の接種のブースター効果を臨床的に評価できる初めての機会を与えることとなった。この知見は、今後、新たなインフルエンザが出現した際の、HIV感染者に対する望ましいワクチンの接種回数についても重要な示唆を与える。

以上のような背景から、HIV感染者における病態を自然免疫機能(APOBEC3G)に対するウイルス側戦略(Vifの機能)と、インフルエンザ(H1N1)2009ワクチンに対する獲得免疫機能の2つの点から患者検体を用いて研究することを目指した。

第1部の自然免疫機能とウイルスの抗自然免疫戦略の観点からは未治療のHIV-1エリートコントローラーにおけるHIV-1 Vifタンパクの抗APOBEC3G活性について検討を行なった。米国あるいはドイツで集められたHIV感染者(EC49人、慢性期非コントローラー(NC)49人、急性期感染者(AI)44人)の血漿から超遠心法により抽出されたRNAを用い、vif遺伝子をnested RT-PCRにより増幅し、C末端FLAGタグ付き哺乳類発現ベクターpCAGGSに挿入しVif発現ベクターを作製した。これら患者由来Vif発現ベクターと、水疱性口内炎ウイルスグリコプロテイン (VSV-G) 発現ベクター、ルシフェラーゼレポーター遺伝子を有するvif・env遺伝子欠損型HIV-1プロウイルスDNA、及びAPOBEC3G発現ベクターを293T細胞へ導入し、シュードウイルスを作製した。得られたウイルスのGag p24抗原量を測定し、等力価で293T細胞に感染させた。細胞内ルシフェラーゼ活性(RLU)により感染性を定量化し、各々の患者由来Vifの抗APOBEC3G活性を評価した。その結果、EC由来Vifは、NCまたはAI由来Vifと比較して、有意に抗APOBEC3G活性が低下していた(EC vs NC:p<0.0001, EC vs AI:p<0.0001, Mann-Whitney's test)。ECとの関連性が知られているHLA-B*57またはHLA-B*27保有者を除いた解析においてもこの結果は影響を受けなかった。それ以外のHLA class IとVifの抗APOBEC3G活性との有意な相関も認められなかった。vif遺伝子のシークエンス解析ではAPOBEC3Gとの結合を含むユビキチン複合体形成に重要な領域は保存されており、EC全体に特異的なアミノ酸変異も存在しなかった。このことから今まで知られていない領域の統計学的には検出できないマイナーな変異やそれらの組み合わせなどが全体としてEC由来Vifの機能を低下させている可能性が考えられた。EC由来Vifの機能が低下している要因として、ウイルス側因子の結果としてECとなった可能性と、ECの宿主因子の結果としてVifの機能が低下した可能性の両者が考えられ、Vifの機能あるいは、Vifに対する宿主免疫が臨床的に重要であることが示唆された。

第2部のHIV感染者における獲得免疫機能の観点からは、インフルエンザ(H1N1)2009 ワクチンに対する中和抗体価の2年間にわたる推移を成人日本人HIV感染者において検討し、多くの人にとって新たな抗原と考えられるインフルエンザ(H1N1)2009に対する最初のワクチンによって誘導される中和抗体価と、2年目の2回目のワクチンによって誘導される中和抗体価がHIV感染者においてどのように異なるかを調べた。接種2ヵ月後の中和抗体有意上昇率(接種前の抗体価と比較し接種後の抗体価が4倍以上上昇した被験者の割合)は2009/2010シーズン49.0% (50/102, 95%CI: 39.0%-59.1%)であったのに対し、2010/2011シーズンは66.7% (42/63, 95%CI: 53.7%-78.1%)へと有意に上昇した。中和抗体価幾何平均は、2009/2010シーズンはワクチン接種時4.4倍 (95%CI: 3.3-5.7倍)、接種2ヵ月後19.0倍 (95%CI: 13.4-26.8倍)、接種4ヵ月後13.7倍 (95%CI: 9.3-20.2倍)であったのに対し、2010/2011シーズンはワクチン接種時8.3倍 (95%CI: 5.8-11.7倍)、接種2ヵ月後47.0倍 (95%CI: 32.2-68.6倍)、接種4ヵ月後38.2倍 (95%CI: 23.8-61.4倍)と接種前後の各時点で、1年目より2年目で有意に高かった。抗体有意上昇と現在あるいは過去のCD4陽性細胞数、HIV-RNA量、抗HIV療法の有無との間には有意な相関は認めなかった。この研究により、HIV感染者において、パンデミック最初の年のインフルエンザ(H1N1)2009ワクチン1回接種による免疫反応は低いものの、免疫記憶は1年間持続すること、2年目のワクチン接種がブースター効果をもたらすことが明らかとなった。また、今後新たなインフルエンザが出現し、同様の不活化ワクチンを用いる場合には、HIV感染者に対し初回は2回以上の接種が望ましいことが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究はHIV-1感染者の病態を、ウイルス側の抗自然免疫戦略と、宿主の獲得免疫機能の二つの観点から二部に分けて研究したものである。第一部は、HIV-1感染者におけるウイルス抑制の病態をウイルス側の抗自然免疫機能の観点から解明するために、エリートコントローラー血漿由来のHIV-1 Vifの抗APOBEC3G活性を解析し、エリートコントローラーとHIV-1 Vif機能低下との関連を明らかにした。第二部では、HIV-1感染者における獲得免疫機能低下の病態を理解し、今後の有効な新型インフルエンザワクチン接種方法の検討に役立てるために、不活化インフルエンザ(H1N1)2009ワクチンに対する初回接種と、2年目の接種の中和抗体価の推移を比較検討し、同ワクチンの1年後の免疫記憶の効果を明らかにした。下記の結果を得ている。

1.第一部では、米国あるいはドイツで集められたHIV-1感染者―EC49人、慢性期非コントローラー(NC)49人、急性期感染者(AI)44人―の血漿由来ウイルスRNAからvif遺伝子を増幅、哺乳類発現ベクターpCAGGSに挿入し患者由来Vif発現ベクターを作製した。このVif発現ベクターとともに、水疱性口内炎ウイルスグリコプロテイン (VSV-G) 発現ベクター、ルシフェラーゼレポーター遺伝子を有するvif, env遺伝子欠損型HIV-1プロウイルスDNA、及びAPOBEC3G発現ベクターを293T細胞へ導入し、シュードウイルスを作製した。得られたウイルスをGag p24等力価で293T細胞に感染させ、細胞内ルシフェラーゼ活性により感染性を定量化し、各々の患者由来Vifの抗APOBEC3G活性を評価した。その結果、EC由来Vifは、NCまたはAI由来Vifと比較して、有意に抗APOBEC3G活性が低下していることが示された。

2.ECとの関連が知られているHLA-B*57またはHLA-B*27保有者を除いた解析においてもこのVifの機能の低下は影響を受けなかった。その他のHLA class IとVifの抗APOBEC3G活性との間にも有意な相関は認めず、ECはHLA class Iとは独立にVifの機能低下に関連していた。

3.EC由来vif遺伝子のシークエンス解析ではAPOBEC3Gとの結合や、ユビキチン複合体形成に重要な領域は保存されており、ECに特異的な有意なアミノ酸変異は存在しなかった。

4.第二部では、東京大学医科学研究所附属病院外来のHIV-1感染者を対象に、不活化インフルエンザ2009(H1N1)ワクチンを2年間にわたり各シーズン1回ずつ接種し、2009/2010シーズンと、2010/2011シーズンのワクチン接種前後の中和抗体価の推移を比較検討した。接種2ヵ月後の抗体有意上昇率は1年目は49%と低値であったが、2年目に66.7%へ有意に上昇した。抗体価幾何平均は、接種前後の各時点で1年目より2年目で有意に高かった。

5.抗体有意上昇に関連する因子は2年目の接種と、接種時の低抗体価のみであり、現在あるいは過去のCD4陽性細胞数、HIV-RNA量、抗HIV療法の有無との間には有意な関連は認めなかった。

以上、本論文第一部はHIV-1エリートコントローラーにおいて、HIV-1 Vifの抗APOBEC3G活性が低下していることを明らかにし、ウイルス制御にVifの機能あるいは、Vifに対する宿主免疫が臨床的に重要であることを示唆した。Functional cureの自然モデルと考えられるエリートコントローラーにウイルス側因子Vifの機能低下が関連することを指摘した初めての研究であり、今後の新たな薬剤のターゲットやFunctional cureに向けた研究に重要な貢献をするものと考えられる。

また、第二部はHIV-1感染者において不活化インフルエンザワクチン1回接種のプライム効果は低いものの、2年目のワクチン接種がブースター効果をもたらすことを明らかとした。本研究は、HIV感染者にとって大きな脅威となりうる新たなインフルエンザが今後出現した際のワクチン接種方法に示唆を与える研究である。

以上から学位の授与に値するものと考えられる。

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