学位論文要旨



No 129353
著者(漢字) 神崎,綱
著者(英字)
著者(カナ) コウザキ,ツナシ
標題(和) 虚血性心疾患に合併した不整脈の臨床像に関する検討
標題(洋)
報告番号 129353
報告番号 甲29353
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第4086号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 秋下,雅弘
 東京大学 准教授 絹川,弘一郎
 東京大学 教授 山下,直秀
 東京大学 講師 山内,敏正
 東京大学 准教授 宮田,哲郎
内容要旨 要旨を表示する

[背景]

虚血性心疾患患者では様々な不整脈が出現することが知られており, 過去にその臨床像を調べた研究報告は多数見られるが, 心室性不整脈についての報告が殆どである. 実地臨床において最も遭遇する不整脈は心房細動(AF)であり, 一般集団に於ける臨床像については, 数多の研究報告がある. しかし, 急性心筋梗塞(AMI)以外の虚血性心疾患患者に於けるAFについての研究報告は見当たらない. 循環器内科診療においては勿論のこと, 他の実地臨床に於いても, 虚血性心疾患とAFの合併は珍しくない. 我が国において, 虚血性心疾患患者に於けるAFの臨床像を探索することは, AF治療のあり方に対し有用な提言を示唆できる点で大きな意義がある.

AFは血栓塞栓症の重要な危険因子である. AFを発症すると, 左房の能動的収縮が消失することにより, 左房内血流が鬱滞し, 特に左心耳に血栓が形成されやすくなる. 血栓形成には活性化凝固因子を介した血液凝固経路が重要な役割を果たしている. 特に, 動脈硬化により全身の血管内皮細胞に障害がある場合, 血小板が活性化し, 凝固系の活性化が起きるため, 血栓傾向が一層強くなる. ワルファリンは, 各種凝固因子に作用することで, 左房内での血栓形成を直接的に抑制することにより血栓症を予防する. 従来の研究により, ワルファリンの血栓症予防効果に対するエビデンスは確固たるものであるが, 実際のワルファリンコントロール状況は主治医によって差が大きい. ワルファリンコントロールの際, よく用いられる指標はPT-INRであるが, これは一時点での指標に過ぎない. 最近, 継続的指標として%TTRが推奨されている. これは, 観察期間全体の何%がPT-INRの治療域内に入っているかを算出した指標であり, 概念としては平易だが, 実際の計算は非常に煩雑である. 従来は概算により算出していたが, 厳密なコントロールのためには, なるべく精密に算出する方が望ましい. %TTRの精密な算出法を考察することで, 実地臨床に於いて有用な指標となりうる. また, ワルファリンコントロールの実態を詳らかにすることで, AF患者の血栓症予防法に対し, 有用な示唆を行うことができると考えられる.

[方法・結果]

(研究1) 虚血性心疾患に合併した心房細動の臨床像

AMIを除く冠動脈疾患(CAD)患者に於いて, AFの有無により, その臨床像に如何なる違いがあるか調べた. 1998年6月1日~2012年6月12日に, 東京大学病院に於いて, 緊急以外の心臓カテーテル検査を施行した患者の中から, 冠動脈血行再建術施行以後に持続的心房細動を認めた患者252名を抽出した. これらの患者と年齢・性別をマッチさせ, AFを有しない血行再建術施行患者504名をコンピューターでランダム抽出し, 合計756名を解析対象とした. 患者情報は, 主として診療録調査と心臓カテーテル検査(CAG)データを収集検討した. 診療録調査では, CAG施行時の入院中最初またはその前後1ヶ月以内の最も近い日時の各種血液検査データと心臓超音波検査データ, 医師による診断名, 病歴, 服薬歴を収集した. カテーテル検査データでは, 初回血行再建時のCAG動画を確認し, AHA分類による狭窄度評価を行い, 75%狭窄以上を有意狭窄有りとした. この読影は, 臨床情報を全て秘匿して実施した. これに基づき, 右冠動脈近位部病変, 4PD病変, 左主幹部病変, 左前下行枝病変, 左対角枝病変, 左回旋枝本幹病変, 左回旋枝分枝病変に分類した. また, 病変枝数を1-3で分類した. こうして得られた各変数に関して, AFの有無により有意差があるかを, 単変量解析により検討した. また, 単変量解析で有意差を認めた変数のうち, 多重共線性がなく, 臨床的に重要と考えられる変数を独立変数に, AFの有無を従属変数にして, 多重ロジスティック回帰分析を行った. 結果は以下のようになった. CAD患者において, AFを有する割合は3.4%と, 従来の研究で知られている, 一般健常者集団でのAF有病率より明らかに高かった. また, 単変量解析の結果, AF群では, (1)右冠動脈近位部の有意狭窄が多い, (2)腎機能が低下している, (3)身長が高く, 体重が重い, (4)糖尿病・耐糖能異常を有する, (5)左室収縮率が低い, (6)うっ血性心不全がある, (7)左房径が大きい, (8)BNPが上昇している, といった傾向が認められた. 多重ロジスティック回帰分析の結果では, 腎機能低下, 糖尿病, うっ血性心不全といった既知の危険因子以外に, 右冠動脈近位部の有意狭窄のオッズ比は1.905 (1.284-2.828; p = 0.001)と, CAD患者の合併したAFに有意な関連性が示唆された. また, CHADS2スコア2点以上の, 中リスク~高リスクの患者において, ワルファリン投与率はそれぞれ41%, 50%と, 低いことも判明した.

(研究2) 検診受診者における心房細動の背景因子

研究1の対照として, 検診受診者でのAFの臨床像を検討した. 2007年7月~2012年3月に東京大学病院で検診を受けた, CADのない受診者8731名のうち, 心電図検査にてAFを認めた受診者90名を抽出した. これと年齢・性別をマッチングさせ, AFを有しない180名の受診者をコンピューターでランダム抽出し, 合計270名を解析対象とした. 患者情報として, 診療録調査により受診者の人口統計学的属性, 血液検査データ, 心臓超音波検査所見, 医師による診断, 既往歴, 身体所見を収集し, 得られた各変数分布に関して, (研究1)と同様の手法で, AFの有無の間で有意差があるかを検討した. 結果は以下のようになった. 単変量解析の結果, AF群では, (1)僧帽弁膜症の既往歴が多い, (2)糖尿病・耐糖能異常を有する割合が多い, (3)BNPが高い, (4)CRPが高い, (5)左房拡大を認める割合が多い, (6)身長が高く, 体重が重い, という傾向が認められた. 多重ロジスティック回帰分析の結果では, 従来の研究と同様, 耐糖能異常, 左房拡大, 僧帽弁疾患に於いて有意差を認めた.

(研究3) 循環器専門施設の外来通院心房細動患者におけるワルファリンの投与実態の調査

%TTRを指標として, 東京大学病院に於けるワルファリン投与実態の調査を行った. 1994年7月~2012年6月に, 東京大学病院循環器内科に通院し, AFに対してワルファリンが半年以上継続投与されていた患者で, 血液検査による外来経過観察が少なくとも半年以上行われていた2335名を対象として抽出した. 解析対象の全ワルファリン処方歴(一回投与量, 処方日数, 処方日時. 合計168761データ), PT-INRの全時系列データ(全146605データ), 及びCADの既往歴を収集した. 次に, %TTRの計算式と平均ワルファリン投与量Dwの計算式を, 解析学的アプローチで導出した. この式を基に, 全対象患者の%TTRとDwを算出した. CADの有無により, %TTRやDwの分布に差があるかを統計学的に比較検討した. 結果は以下のようになった. 両群間で有意な性差・年齢差は認めなかった. 解析対象全体の平均%TTRは38.2%であった. 非CAD群の平均%TTRは40.2%であったのに対し, CAD群の平均%TTRは34.5%と有意に低かった(p < 0.001). また両群とも, %TTRは, 目標の60%を大きく下回っていた.Dwの結果も, 解析対象全体では平均2.45 ± 0.97mg, 非CAD群では平均2.46 ± 0.99mgであったのに対し, CAD群の平均は2.35 ± 0.93mgと有意に低かった(p = 0.016).Dwの分布は, 2-3mgをピークとして漸減するといった分布傾向を示した.Dwと%TTRとの間に有意な直線的相関関係は認めなかった. 次に, 本研究対象者2235名を診療録調査で前例調査し, 追跡可能であった新規脳梗塞発症患者40名を抽出し, %TTRを算出したところ, 梗塞新規発症患者群の%TTRの平均は33.5 ± 18.9 %に対し, その他の患者(n = 2227)では38.2 ± 28.7 %であり, 脳梗塞発症者に於いて%TTRは有意に低い傾向であった(p < 0.001).

[考察]

本研究により, 第一に, AMIを除くCAD患者に於いて, 右冠動脈近位部の有意狭窄がAFと関連性のある可能性が示唆された. 従来より, 左房線維化や圧負荷上昇が AF発症に関わる要因として知られていたが, これとは別に, AMI以外のCADに於いては, AF発症・維持のメカニズムとして, 冠動脈狭窄による心房虚血が重要な要素である可能性が考えられた. 第二に, CHADS2スコア2点以上の中リスク以上の患者に於いて, ワルファリン投与率は40-50%であった. また当施設での平均%TTRは38.2%であった. 特に, CAD群の平均%TTRは34.5%と, 非CAD群の平均%TTR (40.2%)に比して有意に低かった(p < 0.001). CAD患者では, ステント治療に際し, 2剤併用の抗血小板療法を受けるため, 更にワルファリン追加による出血のリスクを敬遠した結果, ワルファリン処方率が低かったものと推察される. 一方で, AFの合併症としての血栓症予防としてワルファリンは確固たるエビデンスがあることから, 出血と梗塞のリスクを天秤にかけて, やや少なめの投与量にせざるを得なかったとも解釈できる. また, 新規脳梗塞発症患者において%TTRを算出したところ, 非発症者の%TTRと比較して, 有意に低かった. ワルファリンコントロールは脳梗塞新規発症と関連のある可能性が示唆された.

[結論]

CAD患者に於いて, 心房虚血がAFと有意な関連性があることが示唆された. 右冠動脈近位病変が責任病変であるCAD患者に於いては, AF発症のリスクを考慮し, 冠動脈バイパス術やベアメタルステント留置など, ワルファリン投与をしやすい血行再建法が望ましい可能性がある. また, AF診療に於けるワルファリンコントロール実態は予想以上に悪く, 一層厳格にコントロールする必要がある. また, ダビガトランやアピキサバンのような新薬がワルファリンに替わる有効な選択肢となりうる可能性も示唆される. 本研究は, 今後のAF診療に対し, 重要な提案をした点に於いて, 大きな意義を持つと考えられる.

審査要旨 要旨を表示する

本研究は虚血性心疾患を合併している心房細動における臨床像を明らかにするため、次のような研究を行った:(研究1) 冠動脈疾患に対して血行再建術を行った患者のうち、持続性心房細動を有する患者252名(AF群)と、対照群として持続性心房細動を有しない患者504名を、AF群と年齢性別分布を一致させるようにコンピューターでランダム抽出し(non-AF群)、臨床背景、冠動脈狭窄部位などの違いについて解析を行った。(研究2) 東大病院の検診を受診した者の中で、心電図上心房細動を有する者90名(検診AF群)と、心房細動を有しない者180名を, 検診AF群と年齢性別分布を一致させるようにコンピューターで抽出して、その臨床背景について解析を行った。(研究3) 心房細動に対して東大病院に通院している患者のうち、ワルファリンが半年以上継続投与されており、血液検査による外来経過観察が少なくとも半年以上行われていた患者2335名に対して、ワルファリンのコントロール状況と、その対象者の中で新規発症脳梗塞患者を調査して、そのコントロール状況について調査を行った。その結果、下記のような結果を得ている。

1.(研究1) 背景因子に対して単変量解析を行った結果、AF群においては、(1) 糖尿病・耐糖能異常(DM/IGT)の割合が多い (p = 0.006)、(2) HbA1c (NGSP)が高く、血糖コントロールが悪い (p = 0.035)、(3) うっ血性心不全の割合が多い (p < 0.001)、(4) 腎機能が低下している (p < 0.001)、(5) 身長が高く、体重が重い (p < 0.001)、(6) 左室収縮率が低い (p < 0.001)、(7) 左房が大きい (p < 0.001)、(8) 僧帽弁疾患疾患の割合が多い (p < 0.001)などの関連があった。また、冠動脈造影所見に関して調べたところ、AF群で右冠動脈近位部に有意狭窄を有する割合が有意に高いことがわかった (p = 0.001)。これらの結果を基に、AFを従属変数とした多重ロジスティック回帰分析を行ったところ、(1) 右冠動脈近位部病変、(2) うっ血性心不全、(3) 糖尿病・耐糖能異常(DM/IGT)、(4) 腎機能(1/Cre)が、AFと有意に関連することが示された。[オッズ比 (95% CI):右冠動脈近位部病変 1.905 (1.284-2.828; p = 0.001), うっ血性心不全 4.080 (2.548-6.531; p < 0.001), DM/IGT 1.679 (1.199-2.352; p = 0.003), 1/Cre 0.462 (0.304- 0.701; p < 0.001)]。従来のリスクファクターに加えて、今回の研究で初めて右冠動脈近位病変がAFと関連する可能性が示唆された。

2.(研究1) 血行再建術を行ったAF患者に於いて、CHADS2スコア別にワルファリン投与の有無を調べたところ、ワルファリン投与が強く推奨されている、CHADS2スコア2点以上の患者において、ワルファリン投与率は41-50%という結果であった。また、他の抗凝固薬の服用者はいなかった。

3.(研究2) 単変量解析の結果、東大病院の検診受診者のAF群においては、(1)僧帽弁膜症の割合が多い (p = 0.025)、(2) 糖尿病・耐糖能異常(DM/IGT)の割合が多い (p = 0.001)、(3) BNPが高い (p < 0.001)、(4) CRPが高い(p = 0.026)、(5) 左房拡大がある(p < 0.001)、(6) 身長が高く(p = 0.004)、体重が重い (p = 0.018)、といった関連が認められた。これらの結果を基に、AFを従属変数とした多重ロジスティック回帰分析を行ったところ、(1) 左房拡大、(2) 糖尿病・耐糖能異常(DM/IGT)、(3)僧帽弁膜症などがAFと有意に関連することが示された。[オッズ比 (95%CI):左房拡大 3.550 (1.764-7.141), DM/IGT 2.058 (1.414-4.360)]

4.(研究3) 分析対象患者は2267名であった。対象者の平均年齢は69.3歳で、男性は82%を占めていた。全体の34%に虚血性心疾患を認めていた。年齢の分布や男性の割合について、虚血性心疾患の有無の間で有意差は認めなかった。ワルファリンコントロールの指標として、%TTR (Time in therapeutic ratio)の算出を行った。これは、「観察期間全体に対して、PT-INRを指標としたワルファリンの治療域にどのくらいの割合が入っているか」を計算した指標で、ワルファリンコントロールの指標として推奨されている。%TTRを手計算することは非常に煩雑であり、今回、コンピュータープログラムを用いて%TTRを算出する方法を考案した。この方法を用いて解析した結果、対象者全体の%TTRは38.7 ± 28.7%であった。これは、脳梗塞予防に対して推奨されているコントロール目標である60%を大きく下回る数値である。また、虚血性心疾患のない患者群の%TTRは 40.2 ± 28.9%, 虚血性心疾患のある患者群での%TTRは34.5 ± 28.0%であった。両群を比較した結果、虚血性心疾患患者群に於いて、%TTRは有意に低かった(p < 0.001).

5.(研究3) 対象者2235名のうち、診療録から同定可能であった新規脳梗塞発症患者は40名であった. この集団の%TTRを計算したところ、平均で33.5 ± 18.9%であった。新規脳梗塞を発症していない患者(n = 1995)の%TTRは平均で38.2 ± 28.7%であり、両群を比較すると、新規脳梗塞発症患者において有意に低かった (p < 0.001)。発症症例数は少数であるものの、脳梗塞の発症に%TTRが低いことが関与する可能性が示唆された。

以上、本論文は、虚血性心疾患を合併した心房細動患者の臨床像について、冠動脈病変部位との関連性や、ワルファリンコントロール状況について詳細に検討した。本研究により、日本人の冠動脈疾患患者における心房細動に対する新たな知見を得ることができ、今後の虚血性心疾患・心房細動診療に対して、次のような点で提案が可能になる結果であると考えられた。(1) 右冠動脈近位部病変がある患者では、心房細動発症の可能性も考慮し、血行再建術の方法選択や、ワルファリン投与に関して考慮が必要な可能性がある、(2) CHADS2スコアが2点以上の、ワルファリン投与が必要な患者に対して、脳梗塞予防目的の積極的なワルファリン投与を意識する必要がある、(3) 虚血性心疾患患者ではワルファリンコントロールが不十分であり、(4) それが脳梗塞発生につながっている可能性がある。

後ろ向き研究であり、今後、予後情報を含めた前向き研究を行う必要があるが、そのための予備研究としては十分に価値のある結果である。また、心房細動という臨床的に遭遇する頻度の高い疾患に関して、日本人固有の有意義な知見を得ることができたと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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