学位論文要旨



No 129357
著者(漢字) 城,愛理
著者(英字)
著者(カナ) ジョウ,アイリ
標題(和) グリオキシレースIは加齢に伴う血管内皮機能障害を軽減する。
標題(洋) Glyoxalase I Ameliorates Age-related Endothelial Dysfunction.
報告番号 129357
報告番号 甲29357
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第4090号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 特任教授 久保田,潔
 東京大学 准教授 宮田,哲郎
 東京大学 講師 湯本,真人
 東京大学 講師 花房,規男
 東京大学 講師 小川,純人
内容要旨 要旨を表示する

動脈は、内側から内膜・中膜・外膜の3層から成る。内膜の血管腔と接する面は単層の血管内皮細胞で覆われており、血管壁を保護するとともに、血管平滑筋の収縮・弛緩を引き起こす様々な物質の産生、遊離を行っている。一酸化窒素(nitric oxide: NO)に代表される内皮由来弛緩因子と種々の収縮因子のバランスによって血管の緊張性が保たれている。ヒトおよびげっ歯類では、加齢に伴い大動脈の形態的変化および機能的変化が見られる。形態的変化としては内膜・中膜の肥厚があり(Hypertension 33:116-23, 1999)、超音波検査で測定される中膜内膜複合体厚(Intima Media Thickness: IMT)の増加はそれを反映したものとして知られている (Vasc Surg. 42:926-31, 2005. Circulation 121: e46-e215, 2010)。機能的変化としては、収縮期血圧や脈圧の上昇、内皮依存性弛緩の低下に代表される血管内皮機能に障害が見られる。近年、加齢に伴い通常みられる内皮機能障害が、動脈硬化などの心血管病の前段階であり、心血管病のリスクであると考えられるようになった(Circulation 107: 139-46, 2005)。

一方、加齢により全身で糖化が亢進し最終糖化産物(advanced glycation endproducts: AGEs)が蓄積することが知られている。AGEsは、糖と蛋白質が非酵素的に結合することにより、多くの複雑な段階を経て最終的に生成される産物の総称であり、この反応過程は糖化またはメイラード反応と呼ばれる。解糖系から生じるアルデヒドであるメチルグリオキサールは、生体内における代表的なAGE前駆体である。メチルグリオキサールは高反応性のカルボニル基(-C(=O)-)を持ち、蛋白や核酸などの様々な物質と非酵素的に反応する。生体内にはこの反応性に富むメチルグリオキサールを消去する機構があり、この反応の律速酵素はglyoxalase 1(GLO-1)である。蛋白の糖化修飾は、その蛋白が本来持つ機能の変化・低下や、変性蛋白の分解の遅延を引き起こす。糖尿病性血管合併症、動脈硬化、アルツハイマー病やパーキンソン病などの加齢に伴って増加する疾患でも、病変部への糖化蛋白の沈着が報告されている(Alzheimers Dis. 24 Suppl 2:211-21, 2011. Clin Chem Lab Med. 49:385-91, 2011)ことから、加齢に伴う生理現象や加齢に伴って増加する疾患の発症・進展に糖化蛋白が関与している可能性がある。その機序については、糖尿病性血管合併症などの一部の疾患では研究が進んでいるものの、糖化蛋白の蓄積の病理・病態学的意義はよく分かっていない。糖尿病では持続する高血糖から血中の糖化蛋白が増加し、内皮機能障害をはじめとする心血管合併症が起こることが報告されている(N Engl J Med 325:836-42, 1991)が、高血糖を伴わない高齢者での血管内皮機能障害と糖化の因果関係は明らかになっていない。

これらの背景から、糖化の亢進と血管内皮機能障害は共に加齢とともに起こることが分かっている。加齢に伴う内皮機能障害の発症機序に蛋白の糖化の亢進が関与している可能性があるが、生理的な加齢に伴う糖化と血管内皮機能障害の因果関係は明らかになっていない。また、AGE前駆体が、様々な生物種・細胞種に広く利用されているエネルギー生成系である解糖系に主に由来していることから、糖化は細胞内でも普遍的に起こっている現象であると考えられる。これまでの糖尿病モデルや加齢モデルを用いてAGEsと血管内皮機能障害の関連を示した研究では、AGEsが血管内皮細胞表面のAGE受容体(RAGE)を介して内皮依存性弛緩を低下させるといった、細胞外AGEsによる作用が報告されている (Aging Cell. 9:776-84, 2010)が、生理的加齢に伴う血管内皮機能障害へは、細胞外AGEsのみでなく細胞内の糖化亢進が大きく関与していると考えられる。血管内皮細胞内での蛋白の糖化亢進やそれに伴う機能低下による血管内皮機能障害のメカニズムは明らかになっていない。

血管内皮機能障害は心血管病の危険因子として重要であり、加齢に伴う血管内皮機能障害を抑制することで心血管病の予防に役立つと考えられる。そのメカニズムを明らかにすることで心血管病の予防への応用が期待される。

私は、血管における糖化が加齢に伴う内皮機能に及ぼす影響とその障害メカニズムを明らかにするため、AGEs前駆体であるメチルグリオキサールの消去酵素glyoxalase I (GLO-1)を高発現するラット(GLO-1 Tg)の胸部大動脈を用いて加齢による内皮機能変化を解析した。

若年群(13週齢)と加齢群(48週齢)ともに、内皮機能に影響を与えることが分かっている因子である血圧や耐糖能、脂質代謝には、WTとGLO-1 Tgの間で差はなかった。私は次に、血管におけるGLO-1の発現部位と活性を調べるため、大動脈のGLO-1の免疫染色とGLO-1活性の測定を行った。免疫染色では、GLO-1は内皮細胞にも発現していることが確認された。大動脈抽出蛋白のGLO-1活性を測定したところ、若年群・加齢群ともにGLO-1 Tg はWTの約2倍の大動脈GLO-1活性をもっていた。次に私は、加齢に伴い血管内皮で糖化の亢進がみられるかどうか、また、GLO-1高発現によりそれが抑制されるかをメチルグリオキサール修飾蛋白(argpyrimidine)の免疫染色により確認した。WTでは加齢により血管内皮細胞における糖化が亢進していたが、GLO-1 Tgでは糖化の亢進が抑制された。なお、老化マーカーとして知られている老化関連βガラクトシダーゼ染色やp53, p21の免疫染色では、加齢WTと加齢GLO-1 Tgの老化マーカーの発現レベルに差は見られず、老化マーカーに差の見られない段階でも内皮において糖化が亢進しており、それがGLO-1により抑制されていると考えられた。

私はこれらの大動脈の機能の変化を見るため、大動脈リングを用いて薬物誘発性血管弛緩反応実験を行った。WT, GLO-1Tgともに、加齢群では若年群に比べアセチルコリン(ACh)による内皮依存性弛緩およびニトロプルシドナトリウム(SNP)による内皮非依存性弛緩が減弱していた。加齢WTとGLO-1 Tgの間でSNP誘発性血管弛緩に差は見られなかったが、ACh誘発性血管弛緩は加齢GLO-1Tgでは加齢WTに比べ有意に高く保たれていた。これらの結果から、GLO-1 TgではWTに比べて加齢による内皮依存性弛緩の低下が有意に抑制されると考えられた。また、内皮を剥離した動脈リングやNO合成酵素(NOS)阻害剤を前投与した内皮温存大動脈ではアセチルコリン誘発性血管弛緩が完全に抑制されたことから、加齢に伴うACh誘発性血管弛緩低下およびGLO-1 Tgでの低下軽減の機序として血管内皮細胞で合成されるNOが重要である可能性が考えられた。

血管内皮細胞におけるNO合成は主に内皮型NOS(eNOS)を介して行われる。合成されたNOは血管平滑筋へ作用してcGMPを介したシグナル伝達により血管弛緩を引き起こす。NOが実際に血管平滑筋に達して作用する割合(NO生体利用効率)の低下の要因として、内皮細胞によるNO産生の低下と、合成されたNOの酸化ストレスなどによる消去の亢進が考えられる。私は加齢に伴うNO生体利用効率の低下とGLO-1による低下軽減の機序を明らかにするため、大動脈の酸化ストレスの評価、eNOS二量体/単量体比によるeNOS coupling/uncouplingの評価、ウェスタン・ブロッティングによるeNOSのリン酸化の評価を行った。まず、大動脈酸化ストレスの評価として、NOが活性酸素種と反応して消去される過程で生じるperoxynitrateによる修飾チロシン残基であるnitrotyrosineの免疫染色およびウェスタン・ブロッティングを行った。免疫染色における大動脈内皮のnitrotyrosineレベルは加齢WTとGLO-1 Tgで同程度であり、大動脈抽出蛋白のnitrotyrosineレベルが加齢WTとGLO-1 Tgで同程度であったことから、酸化ストレスの程度に差はないと考えられた。次に、eNOS coupling/uncouplingの評価として、eNOSの活性型二量体フォームと不活性型単量体の比を調べた。eNOS 二量体/単量体比は加齢WTとGLO-1 Tgで同程度であり、eNOS uncouplingが主要なメカニズムではないと考えられた。最後にeNOSの翻訳後修飾による活性変化について調べた。eNOSは転写レベルのみでなくリン酸化やアシル化等の翻訳語修飾や蛋白間相互作用により活性調節を受ける。この中で私は、eNOSのリン酸化に着目し、代表的な活性型リン酸化部位であるセリン1177番(Ser 1177)と抑制性リン酸化部位であるスレオニン495番(Thr495)のリン酸化状態をwestern blottingにより評価した。その結果、加齢WTとGLO-1 TgにおいてeNOS(Ser1177) のリン酸化に差はなかったが、GLO-1 TgでのeNOS(Thr495)のリン酸化レベルはWTに比べて有意に低下しており、eNOS(Thr495)のリン酸化レベルの低下を介してeNOSの活性が保たれている可能性が考えられた。

以上より、加齢に伴い血管内皮細胞において糖化が亢進し、血管内皮機能障害を来たしていること、GLO-1が糖化の亢進を抑制することにより血管内皮機能が維持されることが明らかとなった。また、そのメカニズムとして、抑制性リン酸化部位であるThr495のリン酸化が関与していることが示唆された。GLO-1の高発現により血管の糖化を抑制したラットで加齢に伴う内皮機能障害が軽減されること、更にそのメカニズムとしてeNOSの翻訳後修飾が関与しているということを示したという点で本研究は意義深いと言える。糖化は血管老化の重要な要因であり、加齢に伴う心血管病変の予防のターゲットとして重要であると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、血管における糖化が加齢に伴う内皮機能に及ぼす影響とその障害メカニズムを明らかにするため、糖化前駆体であるメチルグリオキサールの消去酵素glyoxalase I (GLO-1)を高発現するラットの胸部大動脈を用いて加齢による内皮機能変化を解析したものであり、以下の結果を得ている。

1.内皮機能に影響を与えることが分かっている因子である血圧や耐糖能、脂質代謝は、若年群(13週齢)と加齢群(48週齢)ともに、野生型ラット(WT)とGLO-1高発現ラット(GLO-1 Tg) の間で差はなかった。

2.血管におけるGLO-1の発現部位と活性を調べるため、大動脈のGLO-1の免疫染色とGLO-1活性の測定を行った。免疫染色では、GLO-1は内皮細胞にも発現していることが確認された。大動脈のGLO-1活性は、若年群・加齢群ともにGLO-1 Tg はWTの約2倍であった。

3.加齢に伴い血管内皮で糖化の亢進がみられるかどうか、また、GLO-1高発現によりそれが抑制されるかをメチルグリオキサール修飾蛋白(argpyrimidine)の免疫染色により確認した。WTでは加齢により血管内皮細胞における糖化が亢進していたが、GLO-1 Tgでは糖化の亢進が抑制された。

4.加齢による内皮機能の変化とGLO-1高発現による影響を見るため、大動脈リングを用いて薬物誘発性血管弛緩反応実験を行った。WT, GLO-1 Tgともに、加齢群では若年群に比べアセチルコリン(ACh)による内皮依存性弛緩およびニトロプルシドナトリウム(SNP)による内皮非依存性弛緩が減弱した。加齢WTとGLO-1 Tgの間でSNP誘発性血管弛緩に差は見られなかったが、ACh誘発性血管弛緩は加齢GLO-1Tgでは加齢WTに比べ有意に高く保たれていた。また、内皮を剥離した動脈リングやNO合成酵素(NOS)阻害剤を前投与した内皮温存大動脈ではアセチルコリン誘発性血管弛緩が完全に抑制された。これらの結果より、GLO-1 TgではWTに比べて加齢による内皮依存性弛緩の低下が有意に抑制されると考えられた。また、加齢に伴うACh誘発性血管弛緩低下およびGLO-1 Tgでの低下軽減の機序として血管内皮細胞で合成されるNOが重要である可能性が考えられた。

5.GLO-1による加齢に伴う内皮機能低下の軽減の機序を明らかにするため、産生されたNOの消去について大動脈の酸化ストレスの評価、eNOSによるNO産生についてeNOS二量体/単量体比によるeNOS coupling/uncouplingの評価、ウェスタン・ブロッティングによるeNOSのリン酸化の評価を行った。まず、大動脈酸化ストレスによるNO消去の評価として、nitrotyrosineの免疫染色およびウェスタン・ブロッティングを行った。大動脈nitrotyrosineレベルは加齢WTとGLO-1 Tgで同程度であり、酸化ストレスの程度に差はないと考えられた。

6.eNOS coupling/uncouplingの評価として、eNOSの活性型二量体フォームと不活性型単量体の比を調べた。eNOS 二量体/単量体比は加齢WTとGLO-1 Tgで同程度であり、eNOS uncouplingが主要なメカニズムではないと考えられた。

7.最後にeNOSの活性化状態の評価のため、eNOSの代表的な活性型リン酸化部位であるセリン1177番(Ser 1177)と抑制性リン酸化部位であるスレオニン495番(Thr495)のリン酸化状態をwestern blottingにより評価した。その結果、加齢WTとGLO-1 TgにおいてeNOS(Ser1177) のリン酸化に差はなかったが、GLO-1 TgでのeNOS(Thr495)のリン酸化レベルはWTに比べて有意に低下しており、eNOS(Thr495)のリン酸化レベルの低下を介してeNOSの活性が保たれている可能性が考えられた。

以上、加齢に伴い血管内皮細胞において糖化が亢進し、血管内皮機能障害を来たしていること、GLO-1が糖化の亢進を抑制することにより血管内皮機能が維持されることを明らかにした。また、そのメカニズムとして、抑制性リン酸化部位であるThr495のリン酸化が関与していることを示唆した。本研究は、糖化が血管老化の重要な要因であることを示し、糖化抑制の加齢に伴う心血管病変の予防ターゲットとしての応用に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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