学位論文要旨



No 129358
著者(漢字) 杉山,裕章
著者(英字)
著者(カナ) スギヤマ,ヒロアキ
標題(和) 心拍変動解析を用いた新しい睡眠呼吸障害の病態把握および不整脈症例への応用
標題(洋)
報告番号 129358
報告番号 甲29358
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第4091号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鄭,雄一
 東京大学 教授 小野,稔
 東京大学 准教授 小出,大介
 東京大学 講師 廣井,透雄
 東京大学 講師 山本,寛
内容要旨 要旨を表示する

【序文】呼吸性洞性不整脈(respiratory sinus arrhythmia: RSA)は,洞調律(sinus rhythm: SR)時の呼吸と心拍との交互作用を示す代表的な生理的不整脈であり,R-R間隔(R-R interval: RRI)のスペクトル解析により得られるパワースペクトルにて高周波(high frequency: HF)領域のピークを形成する成分とされる.

RSAが生理的現象であるのに対し,呼吸障害に伴う心拍変動も知られている.睡眠時無呼吸症候群(sleep apnea syndrome: SAS)の患者で,就寝中の無呼吸相と直後の努力性頻呼吸相に対応した一連の心拍数の漸減・漸増パターンが認められることが報告されており,CVHR(cyclical variation of heart rate)と呼ばれる.心拍変動のスペクトル解析において,CVHRは超低周波(very low frequency: VLF)領域に相当し,RSAよりも長周期の成分であることが示されている.

SAS患者に対しては,持続気道陽圧(continuous positive airway pressure: CPAP)療法による心血管リスクの低減効果が確立しているにも関わらず,一部を除いて多くのSAS患者が未診断であるとする報告がある.その大きな要因の一つとして,標準的なSAS診断検査である睡眠ポリグラフィー(polysomnography: PSG)には多くの医療・人的資源が必要であり,患者負担も高額である点が指摘されている.そこで,SASの診断率向上に寄与するような,より簡便かつ廉価な代替検査が求められている.24時間ホルター心電図などで得られる就寝中の心電図(electrocardiogram: ECG)はその一候補として期待されている.実際,無呼吸出現に伴って出現する心拍のCVHRパターンを自動検出してSASスクリーニングを行う診断アルゴリズムも報告されている.しかし,これらのアルゴリズムはSR例を想定したもので,SAS患者では高率に合併する心房細動(atrial fibrillation: AF)が基本調律である場合には適用することができない.

絶対性不整脈と呼称されるAF患者の心電図を用いてスペクトル解析を行うと,そのパワースペクトルにはSR例で見られるRSA相当のHFピークを欠くため,従来よりAFにおける心室応答(ventricular response: VR)は呼吸の影響を受けないとされてきた.しかし近年,慢性AFを有する中枢性無呼吸(CSA)患者で,Cheyne-Stokes呼吸時に一致したVLF領域の心拍変動成分を認めるとの報告がなされ,AF患者でも睡眠呼吸障害(sleep-related breathing disorder: SRBD)を反映した心拍変動が存在する可能性がある.

【方法】都内の睡眠障害専門クリニックにPSG施行目的に入院した症例のうち,全睡眠中AFを呈した36例のデータを解析対象とした.AHI(apnea-hypopnea index)により,SASの重症度(軽症,中等症,重症)および病型(中枢型,閉塞型,低呼吸型)を分類した.

SRBDと関連した心拍変動の評価は,無呼吸や低呼吸に伴う4%以上の酸素飽和度(SpO2)低下イベント前後で切り出したRRI部分時系列の同期加算平均信号を用いて行った.同期に用いるアンカーとしてSpO2シグナルを使用し,ベースライン値から2%低下した時点を時刻0とした(t=0 sec.).各SpO2イベントでアンカーを中心に前後150秒(計300秒間)のRRI部分時系列を切り出し,アンカーを揃えてすべての部分時系列を重畳した後,t=-150~150 sec.(以下,区間[-150, 150 sec.]のように略)の各時刻で加算平均を行った.SRBDイベントに対応した一定の心拍変動パターンが存在するのであれば,RRI加算平均信号は周期性振動を示すことになり,それをCyclical Oscillation of the Ventricular Response(COVER)と呼称した.RRI加算平均信号の周期性は,高速フーリエ変換(fast Fourier transform: FFT)を用いたスペクトル解析を用いて定量的に確認した.FFTにより推定されたパワースペクトルにおいて,VLF領域(0.003~0.04Hz)のパワーをVLFpとし,全パワーに対するVLFpの割合をrVLFとした.各症例のPSG中のRRIタコグラムにおいて,4%以上のSpO2低下イベントに対応するアンカーと同数の基準時刻(t=0 sec.)を中に無作為に設定した.同基準時刻を中心とし,区間[-150, 150 sec.]で切り出したRRI部分時系列をアンカリングしてすべて重ね,加算平均信号を求めて,そのパワースペクトルのVLF成分を計算した.同様の操作を200回くり返す中で,SpO2低下イベントで同期させた場合のVLFpが得られる確率が0.05未満の時にCOVERありと判定した.COVERの有無で全体をCOVER群と非COVER群とに分け,各種因子を2群間比較した.

次に,AF時のVR主要規定因子である房室結節(atrioventricular node: AVN)の伝導性指標を推定した.SpO2低下イベントで同期加算を行う際に準備した重畳RRI部分時系列内に10秒間のウィンドウを設定し,その内部に含まれるRRIデータの最小値(minimum [min.] RRI)および標準偏差(RRI scatter)を求め,それぞれ中央時刻における不応期(refractory period: RP),不顕伝導(concealed conduction: CC)の指標とした.ウィンドウを区間[-150, 150 sec.]で5秒間ずつシフトさせれば,経時的なRPとCCの推移が得られるが,無作為に設定した基準時刻を用いたRRIと同様の統計検定法により周期振動の有無を判断した.

一方,睡眠中の全RRIデータに対するスペクトル解析から得られるパワースペクトルのVLF成分をVLF(all)と定義し,全パワーに対するその比をrVLF(all)とした.rVLF(all)を独立変数とし,重症SAS(AHI ≧30/hour [h])に対する識別能を受信者操作特性(receiver operating characteristic [ROC])分析で評価した.

【結果】対象における年齢は62.6 ± 11.2歳,AHI 44.8 ± 28.3/hであった.1例を除いてSAS患者であり,重症度は軽症3例,中等症7例,重症25例,病型に関しては低呼吸型13例,中枢型4例,閉塞型18例であった.代表的な合併疾患は,高血圧(67%)および脂質異常症(44%)であり,ジギタリス薬(36%),β遮断薬(36%),レニン-アンジオテンシン-アルドステロン系阻害薬(53%)などの服用例が多かった.

COVERは32例で認められ,SAS症例(35例)の約9割に相当した.非COVER群に比べ,COVER群ではAHIが有意に高値を示した(12.4 ± 8.9/h vs. 48.9 ± 27.2/h, p=0.013).COVERの有無はSAS重症度と関連しており(Cramer連関係数0.67, p<0.001),SAS病型とは無関係であった.その他,平均RRIや症例の年齢,合併疾患や服用薬剤に関しては,COVERの存在とは有意な連関はなかった.rVLFはAHIと有意な正相関を示し(Pearson相関係数r=0.55, p=0.001),COVER群で非COVER群よりも高値を示した(0.69 ± 0.22 vs. 0.27 ± 0.13, p=0.001).

AVN伝導性指標であるmin. RRIおよびRRI scatterについては,COVERが確認された32症例の26例において少なくとも一方のVLF領域の振動が確認された.

重症SASに対するrVLF(all)のROC曲線における曲線下面積は0.74(95%信頼区間0.56-0.92, p=0.024)と中等度の予測能を有しており,0.15をカットオフ値にした場合の感度,特異度は64%,82%であった.

【考察】SRBDを反映した心拍変動はAF患者においても高率に存在した.COVERを認めなかった4例のうち,1例はSAS非該当例で,残る3例は軽症ないし中等症の低呼吸型SAS例であった.COVER有無とSAS病型との関連性が低い一方で,SAS重症度やAHIとの有意な関連性を示したことから,就寝中に多数回のSRBDイベントを認める重症SAS例ほどCOVERが高率に検出されると思われた.

また,COVERを認めた症例の約8割でAVNのRPまたはCC指標がRRIと同周期の周期性振動を示し,COVER成立における自律神経系による介在が推察された.

rVLF(all)を用いたROC分析からは,就寝中のECG情報のみでCPAP適応基準を満たす重症SASを比較的精度良く選別できることがわかり,VLF成分の抽出感度をさらに高めることでAF患者に対する新たなSASスクリーニング法となりうる可能性も示唆された.

【結論】慢性AF患者においても,SR例に類似した睡眠中の無呼吸や低呼吸などのSRBDイベントを反映した心拍変動がVLF領域に認められる可能性が高い.同心拍変動は主に自律神経系で介在されると思われ,各種SAS指標と有意な相関性を示す.VLF領域をターゲットとする睡眠中の心拍変動解析は,AF患者における心電図を用いた新しいSAS診断法を可能にするかもしれない.

審査要旨 要旨を表示する

本研究は,睡眠呼吸障害(sleep-related breathing disorder: SRBD)が心房細動(atrial fibrillation: AF)時の心室応答(ventricular response: VR)に及ぼす影響とその臨床的意義を明らかにするため,慢性AF患者に対して施行された終夜睡眠ポリグラフィーを用いてスペクトル解析を中心とする心拍変動解析手法で検討したものであり,下記の結果を得ている.

1.経皮的酸素飽和度(SpO2)を参照信号とし,4%以上のSpO2低下イベントごとに切り出したR-R間隔(R-R interval: RRI)部分時系列に対して同期加算(coherent averaging)の手法を適用し,得られた加算平均信号に対してスペクトル解析を行うことにより,SRBDを反映したVLF(very low frequency)領域の周期的な心拍変動(cyclical variation of the ventricular response: COVER)がAF症例でも存在することが確認された.

2.COVERが確認されるか否かで対象を群別して比較すると,COVER群では無呼吸低呼吸指数(apnea-hypopnea index: AHI)が有意に高値を示し,AHIによるSAS重症度とCOVERの有無との有意な連関も確認できた点から,重症SAS例ほどCOVERが出現しやすいと予想された.

3.COVERの有無とSAS病型との間に有意な関係はなく,既に報告のある中枢性無呼吸のみならず,閉塞性無呼吸の症例であってもCOVERが認められることが示された.一方で,低呼吸を中心病態とするSAS症例の場合にはCOVERが認められにくいことが予想された.また,就寝中の心拍数を反映する平均RRI,床用量での房室伝導抑制薬や合併疾患がCOVERに与える影響は少ないことが示された.

4.COVERが確認された例の大半で,AF時のVRの主要規定因子であり,自律神経系による調節を受ける房室結節の電気生理学的不応期や不顕伝導度の少なくとも一方がRRIと同周期で振動していることが確認され,COVERの成立機序において房室結節および自律神経系が重要な役割を果たしていることが示された.

5.睡眠中の全RRIデータに対してスペクトル解析を適用して得られるパワースペクトルのVLF成分の全パワーに対する割合(rVLF(all))を独立変数とし,AHI ≧30/hをアウトカムとする受信者操作特性曲線(receiver operating characteristic curve)を用いた解析を行った結果,rVLF(all)は中等度の識別能を有しており,持続気道陽圧(continuous positive airway pressure: CPAP)療法の適応となる重症SAS症例に対する新しいスクリーニング法となりうる可能性が示された.

以上,本論文は無呼吸や低呼吸といったSRBDイベントによるSpO2低下に伴って生じるVLF領域の長周期心拍変動成分が,AF合併SAS症例に存在することを明らかにした.さらに,同心拍変動はSAS重症度を反映している可能性が高く,就寝中の心電図を用いてスペクトル解析によるVLF成分の抽出を行うことで重症SAS患者を精度良くスクリーニングできる可能性も示した.以上の知見の大半はこれまでに未知であり,きわめて独創性の高い手法で新規性に富む結果を与えた本研究は,学位の授与に値するものと考えられる.

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