学位論文要旨



No 129365
著者(漢字) 藤田,大司
著者(英字)
著者(カナ) フジタ,ダイシ
標題(和) 日本人マルファン症候群における診断基準の適合性、および大動脈拡大の危険因子・予防に関する検討
標題(洋)
報告番号 129365
報告番号 甲29365
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第4098号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小野,稔
 東京大学 教授 高橋,孝喜
 東京大学 准教授 宮田,哲郎
 東京大学 特任准教授 森田,啓行
 東京大学 講師 師田,哲郎
内容要旨 要旨を表示する

マルファン症候群(Marfan syndrome, MFS)は常染色体優性遺伝の全身結合組織疾患であり、特徴的な体型、水晶体亜脱臼、若年発症の大動脈解離や上行大動脈瘤を特徴とする。5,000-10,000人に1人の発症と言われ、男女差や人種差は報告されていない。第15染色体のフィブリリン遺伝子(FBN1)が原因遺伝子として特定され、病態生理に関する研究が近年加速度的に進められている。フィブリリンは細胞外マトリックスの構成要素であるmicrofibrilの主成分であり、発見当初はFBN1変異に伴う組織の脆弱性が諸症状の原因と考えられた。近年では、フィブリリンがトランスフォーミング増殖因子β(TGF-β)の安定化に関与していることが判明しており、MFSにおけるTGF-βの関与が注目されている。また、治療薬としてTGF-βの作用を抑制するアンジオテンシンII受容体阻害剤(ARB)に関する基礎的・臨床的検討が行われている。

MFSの診断は臨床所見に基づいたGhent基準が1990年半ばより用いられてきた。Ghent基準では、(1)骨、(2)眼、(3)心血管、(4)肺、(5)皮膚、(6)硬膜、(7)遺伝性の7つの項目について大基準と小基準を評価する。全身を網羅的に把握できる反面、診断に至るために多種類の項目を評価しなければならなかった。MFSの原因遺伝子の研究が進むにつれ、遺伝子変異を重視した診断基準にシフトしつつあり、2010年に診断基準が改訂された。改訂Ghent基準では、(2)眼、(3)心血管、(7)遺伝性を重点的に評価し、その他の項目は全身スコアとして一括評価されることになった。本研究では、当院マルファン専門外来でMFSの精査を行った339成人例(うち157例がMFSと診断)につき臨床像を把握し、改訂Ghent基準の適合性と有用性を検討した。欧米での報告に比べて、日本人のMFSでは骨格系の特徴に乏しく、肺や硬膜の所見が多かった。水晶体亜脱臼の頻度は約50%と大差なく、心血管系の表現型は約9割と多かった。改訂Ghent基準は、従来のGhent基準と約95%の一致率を誇り、評価項目が少ないため臨床現場ではより有用であると考えられた。同意を得て遺伝子検査を実施した群で検討すると、MFSと診断した症例の約7割にFBN1変異が検出された。改訂Ghent基準の方が、従来のGhent基準よりも遺伝子検査結果との相関は若干良かった。

FBN1は65エクソンから成る大きな遺伝子であり、MFSにおける変異のhot spotは報告されていない。システイン残基にまつわる変異が水晶体亜脱臼との関連が深いと言われているものの、その他に臨床表現型と遺伝子変異型の間に明らかな相関は知られていない。FBN1変異により形成される異常フィブリリンタンパクはdominant negative効果を持つと言われており、途中で転写が停止するnonsense mutationよりもmissense mutationの方が重症であると考えられてきた。しかし、MFSの診断を満たしFBN1変異が検出された当院の69成人例で検討すると、nonsense mutationはmissense mutationと比べて大動脈径はむしろ大きい傾向にあり(バルサルバ洞径mm 46.2±12.9 vs 44.1±8.7; P=0.61, Z値 7.8±5.5 vs 4.8±3.4; P=0.24)、また全身スコアに関しては有意に高かった(9.25±3.4 vs 4.4±3.0; P=0.049)。nonsense mutationの方がMFSの特徴が顕著であったことは、正常フィブリリン量が減少することによりTGF-βの安定化の障害が起きていることと関連している可能性が示唆される。従来の報告通り、システイン残基に関連した点突然変異に水晶体亜脱臼が多い傾向にあり(システインmissense mutation 76.4%, nonsense mutation 33.3%, frameshift mutation 33.3%, splicing mutation 62.5%; P=0.15)、水晶体亜脱臼のメカニズムは大動脈や骨格系の異常のメカニズムとは異なる可能性が示唆される。

MFSにおけるTGF-βの役割を検証するため、MFS患者の大動脈由来の細胞を用いてTGF-βのシグナリングを検討した。同意を得て大動脈基部置換術の際に大動脈壁の残余を取得し、大動脈壁由来の平滑筋細胞を単離培養した。本研究で使用した細胞では、exon24にnonsense mutationが検出されている。この細胞は通常培養の状態では、TGF-βの下流のsmad2のリン酸化はあまり亢進していなかったが、外的にTGF-βを加えると、対照とした健常線維芽細胞に比べてsmad2のリン酸化を受けやすかった。過去の報告より、MFSではTGF-βシグナルの最終産物としてMMP-2やCTGFが大動脈拡大に関与していると考えられている。今回、実際のヒトMFS細胞においてもARB投与下ではTGF-β刺激時におけるMMP-2の RNAレベルでの発現増加が抑制された。ARBの作用点としてErkのリン酸化が注目されているが、今回の検討でははっきりさせることはできなかった。今回の検討は、外的にTGF-β刺激を加えた系での結果であり、そもそもMFSにおいて一次的にTGF-βが亢進しているのか否かは完全には明らかにはなっていない。本研究では、特定の遺伝子変異を有するMFS細胞の小規模の検討であり、今後動物実験も含めた更なる検討が必要である。

最後にARBとβ遮断薬の実臨床における効果を当院のマルファン外来症例のデータで検証した。当院において、バルサルバ洞径を心臓超音波検査で継時的にフォローしている59症例(平均年齢31.8±11.3歳, 初診時バルサルバ洞径40.2±3.7 mm、フォローアップ期間平均34.0ヵ月)では、平均0.053±0.103 mm/月の速度で拡大が進行していた。薬物治療を要した38症例では、バルサルバ洞拡大速度は0.069±0.117 mm/月であるのに対して、経過中内服を要しなかった21症例では0.023±0.068 mm/月とほとんど大動脈径の拡大を認めなかった。薬物治療群と非薬物治療群を比較すると、薬物治療群ではより高齢(34.2±11.5 vs 27.3±9.3歳; P=0.02)であり、体重やBMIが大きかった(64.5±11.3 vs 57.9±9.3 kg; P=0.03, 20.1±3.0 vs 17.9±2.2; P=0.005)。また、フォローアップ開始時のバルサルバ洞径もより大きかった(41.3±3.8 vs 38.2±2.6 mm; P<0.001)。血圧が有意に高く(収縮期血圧117.2±11.4 vs 110.5±8.1 mmHg; P=0.01, 平均血圧85.7±8.5 vs 81.7±6.4 mmHg; P=0.047)、多変量解析においても平均血圧が大動脈拡大速度と正の相関を有するリスク因子として有意であった(P=0.033, R2=0.1)。若年かつ高血圧とは言い難い症例群であるものの、MFSにおいては血圧がより低い方が大動脈の予後が良いものと考えられた。全身スコアと大動脈拡大速度との間に有意な相関は得られなかった。薬物治療群の実際の薬剤介入の効果をさらに検討したところ、バルサルバ洞径拡大速度は非内服期間には0.13±0.11 mm/月であったが、β遮断薬内服下には0.03±0.13 mm/月と有意に拡大速度の抑制を認めたが(P=0.03), ARB内服下では0.11±0.11 mm/月と大きな効果は認められなかった。年齢、性別、フォローアップ開始時のバルサルバ洞径、全身スコアなどの背景因子には差はなく、ARB群において薬物治療開始後の血圧および心拍数がやや高い傾向にあった(平均血圧86.3±10.3 vs 81.1±6.2 mmHg; P=0.29, 心拍数70.8±7.0 vs 64.2±8.6/回; P=0.13)。ARB群の代表的薬剤投与量はLosartan 平均28.1 mg (12.5-50 mg) であり、ARB群の効果が不十分であったのは投与量が不十分であった可能性もある(β遮断薬の代表的投与量はAtenolol 平均42.5 mg (12.5-100mg))。今後はより積極的に降圧を図りながら、十分量のARB投与下での大動脈拡大への効果を判定する必要がある。

以上、本研究では日本人マルファン症候群において2010年改訂Ghent基準が有用であること、遺伝子変異の種類として従来説とは異なりmissense mutationよりもnonsense mutationの方が臨床所見は顕著であることを明らかにした。そのメカニズムとしてフィブリリンとTGF-βの関連が推測され、細胞レベルにおいていくつかの基礎的な検討を加えた。MFSにおけるARB治療はクローズアップされ、期待されているが、現時点での臨床使用においては後ろ向き検討では効果が不十分である可能性も判明した。今後のさらなる病態生理の解明と、治療標的の研究、実臨床における治療法の確立が望まれる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は日本人マルファン症候群(MFS)における臨床データを集積し、診断基準の適合性、遺伝子変異の有無とその特徴、大動脈拡大に関与する因子と内服薬剤の効果を検証した。また、MFS症例大動脈由来の細胞を用いて、病態生理に対するTGF-βとアンジオテンシン受容体阻害剤(ARB)の関与を検証した。得られた主な結果を下記に示す。

1. 日本人マルファン症候群成人例157例の解析(平均年齢35.5±11.1, 女性45.9%)では、水晶体偏位が約5割、上行大動脈の拡大・解離が約9割に認められたが、骨格系の基準を満たしたのは約2割に留まった。欧米の報告では、骨格系の基準を満たすのは約3割の症例と報告されており、日本人のもともとの身体的特徴が影響しているものと考えられた。

2. 従来のGhent基準(1996)と2010年改訂Ghent基準を比較すると、一致率は約94%であった。改訂Ghent基準では、眼・心血管・遺伝性を中心とし、比較的少ない評価項目で診断に至ることが可能であった。MFSの原因遺伝子とされているFBN1変異は、Ghent基準および改訂Ghent基準でマルファン症候群と診断した症例のうち約7割で検出された。残る約3割の症例に関しては、FBN1以外の遺伝子変異の混入やFBN1変異のスクリーニングの精度の問題が考えられた。一方、FBN1変異が検出された症例のうち、1割弱は大動脈拡大を伴っていなかった。

3. 当院の成人マルファン症例でFBN1変異が検出された発端者69症例の変異の内訳は、missense mutation 6割、nonsense mutation 2割、frameshift mutation 1割、splicing variant 1割程度であった。変異はFBN1の65エクソンに偏りなく分布していた。臨床表現型と遺伝子変異を比較すると、水晶体偏位はcysteine位でのmissense mutationと関連が強く、またnonsense mutationの症例において全身スコアに代表される骨格や肺・皮膚などの所見が多かった。大動脈径に関しては、mutationの種類によって有意な差異は認めなかったものの、大動脈径を体表面積で補正したZ値では、missense mutation以外の変異においてより大きい傾向が見られた。

4. MFS症例の大動脈壁由来の細胞を培養し、TGFβおよびARBの関与を検討した。TGFβシグナルの直下にあるsmad2のリン酸化は、MFS細胞では健常人由来の繊維芽細胞に比べて軽度亢進しており、外的にTGFβ刺激を加えた場合にはさらにリン酸化が顕著であった。MFSにおいて、細胞外マトリックスにおけるフィブリリンのTGFβの安定化作用が障害されていることが確認された。MFS細胞にARBを投与しておくと、TGFβ刺激に伴うsmad2のリン酸化が抑制され、下流シグナルであるMatrix MetalloProteinase-2 (MMP-2)のRNA発現上昇も抑制されていた。MMP-2は細胞外マトリックスの変性・脆弱化のkey factorであると考えられ、ARBがそれを抑制することにより治療効果を発揮することが期待される。TGFβシグナルにおけるARBの作用点としてJNK, P38, Erkなどを探索したが、はっきりしなかった。

5. ARB以外の治療薬の候補としてTGFβ Activated Kinase-1(TAK-1)の阻害剤の効果を検討した。TAK-1はTGFβによるJNKおよびP38MAPKのリン酸化に関与している。MFS細胞にTAK-1阻害剤を投与すると、濃度依存的にJNK,P38, ErkなどのTGFβ下流シグナルおよび最終産物であるConnective Tissue Growth Factorが抑制された。一方MMP-2に関しては変化を及ぼさなかった。TAK-1阻害剤の効果はTGFβ刺激前から認められ、ARBとは違う作用点を介しているものと考えられる。

6. 実際に当院マルファン外来で内服治療中の59症例につき、バルサルバ洞径の拡大速度について検討した。平均観察期間34ヵ月の間に0.05±0.10 mm/月の速度でバルサルバ洞は拡大し、約13%にあたる8例が基部置換術の対象となった。多変量解析の結果、大動脈拡大のリスク因子として、平均血圧およびBMIが有意であった。内服薬剤の種類で大動脈拡大速度を比較すると、非内服期間0.13±0.11 mm/月に対して、β遮断薬(代表用量Bisoprolol 2.3 mg)0.03±0.13 mm/月、ARB(代表用量Losartan 28.1mg)0.11±0.11 mm/月、β遮断薬とARB併用0.01±0.15 mm/月であった。実臨床の場面では、β遮断薬が非常に有効である反面、ARBは少量では効果不十分であった。

以上、本論文は日本人マルファン症候群の特徴と診断基準との適合性、遺伝子変異の特徴、実臨床の場面での降圧剤の効果についての実情と問題点を明らかにした。また、ヒト大動脈由来の細胞を用いて病態生理に関する検討を加えた。マルファン症候群に関しては、病態生理、診断基準、治療法などあらゆる面で研究が進められている。本研究もその過程に重要な貢献をなすと考えられ、また今後の実臨床における診断・治療に役立つものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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