学位論文要旨



No 129369
著者(漢字) 牧,尚孝
著者(英字)
著者(カナ) マキ,ヒサタカ
標題(和) 肺高血圧症患者における、血管拡張薬に対する急性肺血管反応性と血行動態に関する考察
標題(洋)
報告番号 129369
報告番号 甲29369
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第4102号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長瀬,隆英
 東京大学 准教授 安東,克之
 東京大学 講師 大石,展也
 東京大学 講師 浅野,善英
 東京大学 講師 犬塚,亮
内容要旨 要旨を表示する

【背景】肺高血圧症 (PH)における急性肺血管反応性試験は世界保健機関 (WHO)肺高血圧症分類における特発性肺動脈性肺高血圧症(IPAH)においてCa受容体拮抗薬単独による治療効果を予測する目的で施行することが推奨されているが、IPAH以外での肺血管反応性試験の意義は議論の余地があり、一方で使用する血管拡張物質による効果の違いや、肺高血圧症治療による肺血管反応性の経時的変化に関しても不明な点が多い。本邦ではPHに対する急性肺血管反応性試験で酸素が多くの施設で用いられている。PHでは進行すると肺拡散能の低下から低酸素血症を生じるが、この低酸素血症に反応し肺動脈平滑筋細胞の収縮が起こるため肺血管はさらに攣縮し肺血管抵抗上昇から右心不全が悪化することが知られている。PHの病態に対するhypoxic pulmonary vasoconstriction (HPV)の関与の程度は背景疾患と病勢により異なると考えられ、酸素投与に対する血管反応性の急性肺血管反応性試験により病態へのHPVの寄与と酸素投与による可逆性を検証することができる。一方で、一酸化窒素(NO)、プロスタグランジンI2アナログのエポプロステノールはいずれも肺動脈平滑筋細胞に直接作用し、血管を強力に弛緩させる作用があり、血管収縮物質による肺血管攣縮を解除することができることから、欧米のガイドラインでIPAHに対する急性肺血管反応性試験での使用が推奨されている血管拡張薬である。特にNOは吸入薬であり肺血管への選択性がエポプロステノールよりもさらに高く、全身血管抵抗への影響が最小限で済むことから血行動態が著しく障害された重症の症例においても安全に肺血管反応性試験を施行できると考えられる。NOは肺胞より血管内に浸透し、肺血管拡張を促す一方で自身はヘモグロビンと結合し速やかに代謝、分解されるため半減期は秒単位と非常に短い。現在使用されるPH専用の治療薬は肺動脈を選択的に拡張する薬剤が多く、そのため病変の主座が毛細血管以前の肺動脈にあるGroup I (PAH) のみに適応が限定されている。最近WHO分類のGroup I以外のPHの中にも、肺動脈病変が大きく関与しPAHの病態が血行動態悪化に寄与している症例が報告されており、out of proportion PHとして注目され始めている。そのような症例の中にはPH治療薬の効果が期待できるものも含まれていると考えられるが、PH治療薬のresponderを治療前に抽出する方法は確立していない。NOの肺動脈平滑筋への作用経路はPH治療薬の中でもホスホジエステラーゼ5 (PDE5)阻害薬と共通していることから、PH治療薬の急性効果を実際に占うことが可能である。半減期が短く安全性が高いNOはPAH以外のPH、中でも肺血管拡張薬により血行動態が悪化し得る、左心疾患に伴うout-of-proportion PHに対して肺血管反応性を確認するためには最適であると考えられる。

【方法】

(A) 患者背景

(I) 酸素負荷試験の対象患者

2006年4月から2012年9月までに右心カテーテル検査を施行した患者のうち同意を得て酸素負荷試験を施行した139名に酸素負荷試験を施行した。139名中74名 [PAH 55名 (うち強皮症関連PHは27名)、肺疾患関連PH 6名、慢性血栓塞栓性 (CTEPH) 13名] が平均肺動脈圧21 mmHg以上で、臨床的PH群と定義した。65名 (うちSSc患者が58名) はPHを認めず、コントロール群と定義した。これらの患者群における酸素負荷試験の結果について、以下の項目につきretrospectiveに検証を行った。[I-1]臨床的PH群74名とコントロール群65名の間での酸素への反応性の比較。[I-2]臨床的PAH群55名における酸素への反応性の検討、更に臨床的PAH 55名中臨床的SSc-PH群27名とそれ以外のPH群28名の間での酸素へ反応性の比較検討。[I-3]SSc症例85名における酸素への反応性に関する検証。[I-4] 35名のPH患者 [PAH 29人 (I/HPAH 6人、膠原病性(CTD-PH) 20人、先天性心疾患関連(CHD-PH) 2人、門脈圧亢進症性 (PoPH) 1人)、CTEPH 6人]にて重複含めた57症例での、PAH治療前後で酸素負荷への反応性が変化するかどうかに関する検証。

(II) NO負荷試験の対象患者

2010年1月より2012年9月までに右心カテーテルによる安静時の血行動態測定にてmPAP≧21 mmHgの境界域以上のPHの存在を認めた患者のうち同意が取れた患者43名の患者 (男性19人、年齢53.0±16.0歳) に対してNO負荷急性肺血管反応性試験を施行した。NO負荷検査を施行した43名中PAH 24名〔I/HPAH 6名、CTD-PH10名、CHD-PH 2名、PoPH 5名、肺静脈閉塞疾患 (PVOD) 1名〕、左心疾患関連PH (LCD-PH) 8名、CTEPH 11名であった。これらの症例に対し、以下の項目につきretrospectiveに検証を行った。[II-1]PAH24名における初回NO負荷試験による血行動態変化に関する検証。[II-2]上記PAH患者のうち8名でのPAH治療薬前後でNOに対する血管反応性が変化するかどうかの検証。

[III-1]LCD-PH 8名、CTEPH 11名のNOに対する血管反応性に関する検証。

[III-2]LCD-PH 8名中NOの有効性が認められた4名におけるsildenafil citrate単回投与の有効性の検証

(B) 急性肺血管反応性試験の概要

(1) 酸素負荷試験

患者は心臓カテーテル検査室にて10分間の安静臥床ののちに右心カテーテルによる血行動態評価を施行。圧データならびに熱希釈法による心拍出量 (CO)を測定し、肺血管抵抗、体血管抵抗を計算した。引き続き酸素マスク下に最大10Lまたは15Lの酸素を10分間吸入させたのち、酸素投与後の血行動態パラメータを測定した。

(2) NO負荷試験の概要

酸素負荷試験と同様の手順で安静時の血行動態評価を施行。続いて非侵襲的陽圧換気(NPPV)用のフルフェイスマスクを患者に装着しマスク内のNO/NO2濃度の測定下にNO吸入試験を施行した。吸入NO濃度は20ppmにて10分間吸入させ、投与前後で血行動態指標の変化を記録した。

【結果】(1)酸素負荷試験に関して

臨床的PH群74例とコントール群65例とで酸素負荷への反応性を比較した結果、両群ともにHR、CI、mPAP、PVRの有意な低下を認め、mPAPとPVRの低下は臨床的PH群で有意に大きかったが、HRとCIは両群で差がなかった。

55名のPAH患者での初回酸素負荷試験から、酸素投与により心拍数 (HR) :76.2±12.5→70.3±11.9 bpm、mPAP:35.7±12.3→31.8±11.1 mmHg、肺血管抵抗 (PVR):7.4±4.7→6.6±4.1 WU、心係数 (CI):2.78±0.56→2.55±0.49 L/min/m2とそれぞれ安静時と比較して有意な低下を認めた (P <0.01)。さらにこの55名に関して強皮症関連PH (SSc-PH) 27名とそれ以外のPAH 28名との間で比較検討を行った結果、backgroundのparameterに関しては血行動態ではmPAPがSSc-PH群で有意に低く軽症であったが、呼吸機能では%VC、%DLCOがともにSSc-PHで低かった。酸素に対する血管反応性の比較の結果、HR、mPAP、PVR、CIの変化量/変化率は両群間で差が認められなかったが、平均血圧 (mBP)とSVRはその他のPAH群で安静時よりも有意な上昇を認め、これらの変化率はSSc-PH群よりも有意に大であった。SSc-PH群では安静時のSpO2と酸素によるmPAP、PVRの低下度との間に正の相関関係が認められたが、その他のPAH群では有意な相関関係は認められなかった。

139名中SSc患者は85症例いたが、SSc患者全体でSaO2とmPAP、PVRとの間に有意な負の相関が見られ、さらに酸素への反応性指標 (ΔmPAP、ΔPVR)との間にも有意な正の相関関係を認めた。臨床的SSc-PH群27名ではPHのないSSc 58名と比較して肺疾患の進行した症例が多く (63% vs 19%、P<0.001)、%VC、%FEV1.0、%DLCOなど呼吸機能指標も有意に低下していた。

肺高血圧症治療前後で酸素負荷の結果を比較した57症例全体で、治療前後で酸素への反応性に差はなかった。

(2)NO負荷試験

24名のPAH患者に対する初回NO負荷試験の結果から、NO投与によりHR:77.5±14.0→75.4±14.7 bpm、mPAP:42.8±14.9→39.3±16.4 mmHg、PVR:11.2±7.7→9.8±7.9 WUの有意な低下を認めた。mPAP、PVRの両方が前値より20%以上低下を基準陽性とすると、PAH全体での陽性率は2/24 = 8%であった。未治療群 (N=9)と既治療群 (N=15)との間でNOに対する反応性を比較すると、既治療群でmPAPならびにPVRの低下度が大きい傾向にあり、PVRの低下率は有意に大きかった。このうち2回以上施行した8例の患者で治療前後で反応性の変化を追跡し得たが、8例全例でPH治療薬導入後に血行動態改善を認め、うち2例でNOによるmPAP、PVRの低下率の改善を認めた。8名の治療経過中施行された23回のNO負荷試験の結果からmPAPとmPAPの低下率との間に有意な正の相関関係があることが分かった (R=0.485、P=0.02)。

LCD-PH 8名に対してNO負荷を施行した結果、NOにより肺圧較差 (TPG)、総肺血管抵抗 (TPR)、肺血管抵抗 (PVR)は有意に低下を認め、COは有意に増大した。mBP、SVRは負荷前後で有意な変化は認めず体循環への影響は少ないと考えられた。TPGの低下度はbaselineのTPGとの間に強い正の相関を認め、TPGが開大している症例程NOによる肺血管拡張作用の有効性が期待できると考えられた。mPAPあるいはPVRの少なくとも一方が前値より20%以上低下した症例は8名中5名とPAH症例よりも多く認められた。

NO負荷の結果有効性が認められた4例につきスワン・ガンツカテーテル留置下でsildenafil citrate 20mgを投与した結果、NOと同様にsildenafil citrateでも血行動態の改善が認められた。

【結論】今回の研究では酸素、NOの吸入システムを用いてPH患者に対して簡便かつ安全に急性肺血管反応性試験を施行し得た。酸素、NOともにPH患者の血行動態に相関した反応を示すことが明らかになったが、酸素の場合には健常人と同じ反応が基礎にあり、PHが重症な症例や間質性肺疾患を合併した強皮症症例のように低酸素血症が病態の主となっている症例に対して血行動態を改善する効果がより強調される結果であった。NOは過去の文献が示唆する通り、重症例では酸素よりも血管反応性に乏しく、無効症例が多いが、昨今のPAH治療薬による治療は肺血管のNOへの反応性を改善させ得ることが示された。反応性の改善が一つのreverse remodelingを判定する代替エンドポイントとして期待できると考えられる。また、PAH以外のPHの病態、特に左室前負荷を増やすことそのものがリスクとなる重症左心不全合併PHに対して、肺血管拡張薬の安全性と効果をより安全にシュミレーション出来る手段があることは重症左心不全に合併するPHへの治療戦略を立てる上で有用であり、治療効果判定にも応用することができることから、NO負荷試験は左心不全治療を行う上で有用な手段と考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は肺高血圧症の病態における急性肺血管反応性試験の意義を明らかにし、肺高血圧症治療に応用することを目的とし、様々な原因による肺高血圧症患者に対して酸素、一酸化窒素の2つの血管反応物質を用いて急性肺血管反応性試験を施行し、病態と肺血管反応性の関係、肺高血圧治療による肺血管反応性の変化を明らかにすることを試みた研究であり、下記の結果を得ている。

1. 肺高血圧症患者群ならびに、肺高血圧症のない対照群に対して高濃度酸素の投与による急性肺血管反応性試験を施行し、血管反応性の程度を両群で比較した。臨床的背景因子の比較において肺高血圧症群では血行動態の障害が進行していることに加えて、%肺活量(以下%VCと表記)、%1秒率(以下%FEV1.0と表記)、%肺拡散能(以下%DLCOと表記)などの呼吸機能検査指標が有意に低下していることが明らかになった。酸素投与により肺高血圧症患者群、ならびに対照群ともに心拍数(以下HRと表記)、心係数(以下CIと表記)、平均肺動脈圧(以下mPAPと表記)、肺血管抵抗(以下PVRと表記)は有意に低下を認めたが、mPAPとPVRの低下の程度は肺高血圧患者群において有意に大であった。

2. 肺動脈性肺高血圧症患者のうち、強皮症関連肺高血圧症とその他の肺動脈性肺高血圧症との間で酸素への反応性を比較検討した結果、両群間で酸素への反応性に有意差は認められなかったが、強皮症関連肺高血圧症では%VC、%DLCOが低値であり、ベースラインのSaO2と酸素によるmPAP、PVRの低下度との間正の相関関係が見られた。この関係はその他のPH群では認められなかった。

3. 全身性強皮症では肺高血圧症の進行に間質性肺疾患の進行とそれに伴う呼吸機能の低下が関与していることが明らかとなった。全身性強皮症では肺高血圧症の重症度とSaO2との間に負の相関関係が認められ、酸素投与によるmPAPやPVRの低下についてもSaO2との間に正の相関関係が認められた。

4. 肺動脈性肺高血圧症患者での一酸化窒素への反応性を検証した結果、急性肺血管反応性試験の陽性基準を満たした患者は全体の8%と文献で報告されている数値とほぼ同様の割合であった。さらに血管反応性が肺高血圧治療薬の導入により変化するかどうかを検証する目的で8名の患者について、治療前後で一酸化窒素への反応性を比較した結果8名中5名で治療後に一酸化窒素に対する血管反応性が改善を認めた。肺動脈性肺高血圧症治療薬により血管の増殖病変が退縮し、肺動脈の血管拡張薬での拡張予備能が改善していることを示唆する結果であり、一酸化窒素負荷試験により肺動脈のreverse remodelingを診断できる可能性が示唆された。

5. 左心疾患に合併する肺高血圧症に対する肺動脈性肺高血圧症治療薬の有効性を判断する目的で左心疾患合併肺高血圧症例8例に対して一酸化窒素負荷試験を施行した結果、肺圧較差やPVRの有意な低下を認め、CIは有意に増大を認めた。また、一酸化窒素によるPVRならびに肺圧較差の反応性低下はbaselineのPVR、肺圧較差との間でそれぞれ強い負の相関関係を認めた。8例中4例については一酸化窒素に反応してPVRが低下し、CIも大きく増大したことから肺動脈性肺高血圧症治療薬の有効性が期待できる結果であった。そのため、PDE5阻害薬であるsildenafil citrateを右心カテーテルによる血行動態監視下に投与し有効性を確認したところ、sildenafil citrateによりPVRは低下し、CIの増大を認めた。この結果は一酸化窒素負荷の結果と同様であり、左心疾患合併肺高血圧症における肺動脈性肺高血圧症治療薬の有効性を一酸化窒素負荷試験により安全に予測できると考えられた。

以上、本論文は肺高血圧症の血行動態における酸素、一酸化窒素の急性効果について示唆を加え、酸素、一酸化窒素を用いた急性肺血管反応性試験が肺高血圧症の治療経過における肺血管の状態を判断する上で有用であることを示した。特に一酸化窒素負荷試験は肺動脈性肺高血圧症治療薬の適応外である左心疾患関連肺高血圧症において、薬剤の有用性を安全に評価できることを明らかにし、今後この左心疾患関連肺高血圧症への治療戦略において重要な役割を担うものと考えられる。肺高血圧症や重症心不全の診療に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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