学位論文要旨



No 129376
著者(漢字) 長門(伊藤),直香
著者(英字)
著者(カナ) ナガト(イトウ),ナオカ
標題(和) 食物アレルギーに対する経口免疫療法の確立と発症・治癒メカニズムに関する研究
標題(洋)
報告番号 129376
報告番号 甲29376
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第4109号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤井,知行
 東京大学 准教授 高橋,尚人
 東京大学 教授 山本,一彦
 東京大学 講師 土肥,眞
 東京大学 准教授 門野,岳史
内容要旨 要旨を表示する

食物アレルギーは、乳幼児の約10%を占める重要な疾患である。しかし、食物アレルギーの発症・治癒メカニズムは不明な点が多いため、未だ根本的治療法は確立しておらず、患者は、現在の標準治療である原因食物の除去を続けながら、自然に耐性を獲得するのを待つしかないのが現状である。食物除去を続けても自然に耐性を獲得できないでいる学童期以上の患者はその後に自然治癒する可能性は低く、一生涯除去が必要となることも少なくない。また、食物除去は、誤食によるアナフィラキシーの危険性や不自由な毎日の食生活など、患者と家族に長期にわたって身体的・精神的・経済的負担を強い、QOLの低下をもたらしている。そのため、新たな根本的治療法の開発が熱望されている。

本研究では、食物アレルギーに対して根本的治癒を得られる可能性のある急速経口免疫療法について、全国の小児アレルギー基幹病院が共同で、同一プロトコールを用いた急速経口免疫療法のランダム化比較試験を行うことにより、本療法の安全性と有効性を客観的に評価し、安全性と有効性を兼ね備えた一般化が可能な新規根本的治療法を確立すること、また、本療法中に得られた患者検体を解析することにより、食物アレルギーの発症・治癒メカニズムを明らかにすることを目的とする。さらに、ヒトでは得られる検体が限られるため、食物アレルギー発症モデルマウスを用いた研究も並行して行い、未だ明らかでない食物アレルギーに関わる個体側・食品側因子や経口免疫寛容メカニズムの解明を目指す。

ヒトにおける臨床研究では、我が国で症例数が最も多くニーズの高い、鶏卵、牛乳アレルギー症例に対し、急速経口免疫療法の多施設共同ランダム化比較試験を行った。本療法中に得られた患者検体を回収、保存、解析し、臨床症状・治療効果と検体解析結果を照らし合わせた相関解析を行うことによりメカニズムを探った。なお、本研究は、ヘルシンキ宣言、臨床研究に関する倫理指針、ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針、動物実験等の実施に関する基本指針等に基づき、各施設における倫理審査委員会の承認を得た後に実施した。

対象は、今後自然寛解する可能性が低いと考えられる、5歳以上15歳以下の鶏卵または牛乳アレルギーの児。2重盲検食物負荷試験にて実食物でのみ他覚的症状が出現することを確認し、症状誘発閾値を判定後、登録を行った。積極的介入が必要と考えられる重症症例を対象とするために、症状誘発閾値の上限を設け、少量摂取にてアナフィラキシー等の他覚的症状が起こることを確認した症例のみを対象とした。また、安全性を考え、救急時に受診可能な医療機関がある症例を対象とした。

登録後、ランダムに、治療群、対照群に割付し、治療群では割付後すぐより急速経口免疫療法を行い、対照群では従来の治療法である食物除去を継続した。割付3ヵ月後に治療群と対照群の比較を2重盲検食物負荷試験、皮膚プリックテスト、血液、唾液検査、QOL調査票等にて 行った(Primary endpoint)。その後、対照群に対しても急速経口免疫療法を行い、以後は、急速経口免疫療法後の各被験者における2重盲検食物負荷試験、皮膚プリックテスト、血液、唾液検査、QOL調査票等の変化を追った。

治療は、急速経口免疫療法を行う急速期(入院)と、その後より開始する維持期(自宅)からなる。急速期では、該当食物を症状が出現しない、閾値より少ない量から1日3~5回、漸増して摂取した。鶏卵1個、牛乳200 mlを目標量とした。目標量に到達、または、増量が不可能な場合は、維持量を定期的に摂取する維持期に移行した。誘発症状に関しては、判定基準 (grade 1~5) とそれぞれに対する具体的な対応方法をプロトコールに記載した。

鶏卵では、45例(年齢平均7歳、登録時食物負荷試験 症状誘発閾値0.8 g、症状重症度grade 3、卵白特異的IgE 41.0 UA/mL)が二次登録され、このうち23例が治療群に、22例が対照群にランダム割付された。Primary endpointである割付3ヵ月の時点における治療群と対照群の比較結果では、症状誘発閾値は治療群でのみ有意に上昇していた。また、治療群のみにおいて、皮膚反応、好塩基球活性化反応の有意な低下、特異的IgG4、IgAの有意な上昇が認められた。その後、対照群にも急速経口免疫療法を行い、本療法を行った症例の88%(38例)が急速期終了時に鶏卵 1個60 g以上の摂取が可能となり、その所要日数は16日であった。9%(4例)が副反応のために急速経口免疫療法中に治療を中止した。その後の維持経過中、副反応による中止が1例あり、また、維持量減量を2例で必要としたものの、維持期開始1年後の時点にて、本療法を行った症例の84%(36例)は鶏卵1個を症状なく摂取可能であった。維持期開始1年後に再度鶏卵の完全除去を行った後に食物負荷試験を行うと、47%(18例)では閾値の低下がなかったが、53%(20例)では軽度/明らかな閾値の低下を認め、減感作の状態であると考えられた。血漿中特異的 IgEは急速期終了1年後から有意に低下し、特異的 IgG4は急速期終了時から1年後まで有意に上昇、特異的IgAは急速期終了時から2ヵ月後まで有意に上昇、好塩基球活性化反応は急速期終了時から1年後まで有意に低下した。唾液中分泌型特異的IgAは1年後まで有意な変化は認めなかった。また、本療法により、有意なQOLの改善を認めた。

牛乳では、現時点でまだ登録募集中であるが、32例が二次登録を終了し、このうち30例が割付まで終了している(年齢平均7歳、登録時食物負荷試験 症状誘発閾値1~3 ml、症状重症度grade 3、牛乳特異的IgE 55.0 UA/mL)。Primary endpointである治療群と対照群の比較結果では、症状誘発閾値は治療群でのみ有意に上昇した。急速期には、本療法を行った症例の82%(23例)が急速期終了時に牛乳200 ml以上に到達し、その所要日数は34日であった。18%(5例)がアドレナリン注射を要し、7%(2例)が副反応のため、急速期に治療を中止した。維持量到達時の牛乳摂取直後の運動負荷試験では、50%(13例)は誘発症状の出現を認めなかったものの、31%(8例)は grade 3~4 の症状を認めた。維持期開始2ヵ月後までに、牛乳200 ml以上で維持可能であるのは56%(14例)となっており、牛乳40 ml以上であれば維持可能であるのは88%(22例)であった。36%(9例)が維持量の減量を、40%(10例)が副反応による受診を要した。

これらの結果から、急速経口免疫療法は食物の種類により有効性と安全性が異なることが判明した。牛乳症例では、一旦多くの量まで到達しても、その後の副反応の出現率が高く、鶏卵症例に比べて、治療効果の持続が不安定で、維持が困難である可能性が示唆された。

また、個体によっても有効性、安全性が異なったため、本療法の治療効果と副反応に対する予後予測因子の解明が必要と思われた。登録時のデータの中から予後予測因子となり得るものを検索したところ、中止・治療困難例の予後予測因子として、登録時の食物負荷試験における症状重症度、特異的IgE抗体価は高いほど、閾値は低いほど予後不良であり、これらを組み合わせた計算方法にて、さらに有意な予後予測が可能であった。また、登録時のオボムコイドドメイン3に対する好塩基球活性化反応が高いほど有意に予後不良であった。維持期開始1年後の除去後食物負荷試験における閾値低下例では、登録時の皮膚テストにおいて、ヒスタミン溶液に対する膨疹径が有意に大きかった。腸炎例では、オボムコイド特異的IgG4抗体価の上昇、変動が少なく、低値を推移する傾向があった。

より安全性と有効性を高めるためには、アレンジを加えた治療方法を模索していくことも必要であり、より安全な治療方法として、プロバイオティクスである乳酸菌を併用した急速経口免疫療法のプラセボコントロールを置いたランダム化比較試験をパイロット試験として2012年夏 より開始し、現在進行中である。

また、マウスでは、従来のマウスと比べ、ヒトでの発症機序に近いモデルとなる可能性が高い、アジュバントを用いずに経皮膚的に感作させることで作製した、新たな食物アレルギーモデルマウスを作製した。作製したマウスでは、OVA特異的IgEの上昇を認め、OVAの経口摂取により下痢症状を呈した。また、急速経口免疫療法は、本モデルマウスにも有効であり、本療法により、症状誘発閾値の上昇を認めた。経過中のOVA特異的IgEの変動は、ヒトにおいてみられる変動と同様の傾向を示し、本モデルマウスはヒトに近い食物アレルギーモデルとして有用であると思われた。今後はこのモデルマウスも用いてメカニズム解明を目指す。

本療法は1年後にも耐性獲得に至るわけではないことや副反応など多くの課題は残るが、 これまでの食物除去では一生涯除去を強いられた可能性の高い重症食物アレルギー症例の多くが、誤食によるアナフィラキシーの恐怖と不自由な除去食から解放され、QOLが有意に改善したことは、画期的なことであった。また、今後取り組むべき課題も本研究により明確となった。今後も、本療法の長期予後を追跡していくとともに、改善すべき課題について取り組むべく、 ヒト検体、マウスモデルの双方の利点を活かし、メカニズム解明を目指した解析を進めていきたいと考えている。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、食物アレルギーに対する新たな根本的治療法の確立と食物アレルギーの発症・治癒メカニズムを明らかにすることを目的として行われ、多施設ランダム化比較試験による食物アレルギーに対する急速経口免疫療法の客観的評価、患者検体の解析と、食物アレルギー発症モデルマウスを用いた研究を並行して行ったものである。本研究により、下記の結果を得ている。

1.ヒトにおける臨床研究

我が国で症例数が最も多くニーズの高い、鶏卵、牛乳アレルギー症例に対し、急速経口免疫療法の多施設共同ランダム化比較試験を行った。

(1)鶏卵アレルギー症例における結果

・鶏卵を対象とした試験では、45例(年齢平均7歳、登録時食物負荷試験 症状誘発閾値0.8 g、症状重症度grade 3、卵白特異的IgE 41.0 UA/mL)が二次登録され、このうち 23例が治療群に、22例が対照群にランダム化割付された。

・Primary endpointである治療群と対照群の比較結果では、症状誘発閾値は治療群でのみ 有意に上昇し、治療群のみにおいて、皮膚反応、好塩基球活性化反応の有意な低下、 特異的IgG4、IgAの有意な上昇を認めた。

・急速経口免疫療法を行った症例の88%(38例)が急速期終了時に鶏卵1個60 g以上の摂取が可能となり、その所要日数は16日であった。アドレナリン注射は7%(3例)で必要とされ、9%(4例)が副反応のため、急速期に治療を中止した。

・維持期開始1年後の時点で、急速経口免疫療法を行った症例の84%(36例)は鶏卵 1個で維持可能であった。

・維持期開始1年後の除去後の食物負荷試験では、47%(18例)は閾値の低下を認めな かったものの、53%(20例)は軽度/明らかな閾値の低下を認め、脱感作の状態であると考えられた。

・急速経口免疫療法により、有意なQOLの改善を認めた。

・血漿中特異的IgE抗体価は、急速期終了1年後から有意な低下、

特異的IgG4抗体価は、急速期終了時から1年後まで有意な上昇、

特異的IgA抗体価は、急速期終了時から2ヵ月後まで有意な上昇、

好塩基球活性化反応は、急速期終了時から1年後まで有意な低下を認めた。

唾液中分泌型特異的IgA抗体価は、1年後まで有意な変化を認めなかった。

・中止・治療困難例の予後予測因子として、登録時の食物負荷試験における症状重症度、特異的IgE抗体価は高いほど、閾値は低いほど予後不良であり、これらを組み合わせた計算方法にて、さらに有意な予後予測が可能であった。また、登録時のオボムコイドドメイン3に対する好塩基球活性化反応が高いほど有意に予後不良であった。

・維持期開始1年後の除去後食物負荷試験における閾値低下例では、登録時の皮膚テストにおいて、ヒスタミン溶液に対する膨疹径が有意に大きかった。

・腸炎例では、オボムコイド特異的IgG4抗体価の上昇、変動が少なく、低値を推移する傾向があった。

(2)牛乳アレルギー症例における結果

・牛乳を対象とした試験は、現時点でまだ登録募集中であるが、32例が二次登録を終了し、このうち30例が割付まで終了している(年齢平均7歳、登録時食物負荷試験 症状誘発閾値1~3 ml、症状重症度grade 3、牛乳特異的IgE 55.0 UA/mL)。

・Primary endpointである治療群と対照群の比較結果では、症状誘発閾値は治療群でのみ有意に上昇した。

・急速経口免疫療法を行った症例の82%(23例)が急速期終了時に牛乳200 ml以上に 到達した。その所要日数は34日であった。18%(5例)がアドレナリン注射を要し、 7%(2例)が副反応のため、急速期に治療を中止した。

・維持量到達後の運動負荷試験では、50%(13例)は誘発症状の出現を認めなかったものの、31%(8例)は Grade 3~4 の症状を認めた。

・維持期開始2ヵ月後までに、牛乳200 ml以上で維持可能であるのは56%(14例)、牛乳40 ml以上であれば維持可能であるのは88%(22例)であった。36%(9例)が維持量の減量を、40%(10例)が副反応による受診を要し、24%(6例)がアドレナリン注射を要した。

(3)ヒトにおける臨床研究(鶏卵、牛乳)からまとめた結果

・急速経口免疫療法は食物の種類により有効性と安全性が異なることが判明した。

また、本療法は個体によっても有効性、安全性が異なることが判明した。

2.モデル動物における研究

・従来のマウスと比べ、ヒトでの発症機序に近いモデルとなる可能性が高い、アジュバントを用いない皮膚感作による新しい食物アレルギーマウスモデルを作製した。

・作製したマウスでは、OVA特異的IgE抗体価の上昇を認め、OVAの経口摂取により 下痢症状を呈し、大腸組織において炎症所見を認めた。

・急速経口免疫療法は、本モデルマウスにも有効であり、急速経口免疫療法により、症状誘発閾値の上昇を認めた。OVAの経口摂取を続けることにより、OVA特異的IgE抗体価の低下を認め、同時に、大腸組織の炎症所見の改善を認めた。

・急速経口免疫療法中のOVA特異的IgE抗体価の変動は、ヒトにおいてみられる変動と同様の傾向を示し、本モデルマウスはヒトに近い発症機序による食物アレルギーモデルとして有用であると思われた。

以上、本論文は、ヒトとマウスの双方から、食物アレルギーの発症・治癒メカニズムと新たな根本的治療法である急速経口免疫療法について科学的に取り組んでおり、日本で初めての多施設共同ランダム化比較試験を行い、その臨床的結果を得るとともに、予後予測因子など世界的にも未知である検体解析結果を得ている。マウス研究においても、新たなモデルマウスの作製が完了し、メカニズム解析が進められている。これらは、食物アレルギーに対する新たな根本的治療法の確立や食物アレルギーの発症・治癒メカニズムの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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