学位論文要旨



No 129377
著者(漢字) 内田,智之
著者(英字)
著者(カナ) ウチダ,トモユキ
標題(和) hairy and enhancer of split 1 (Hes1)による白血病発症機序の解析
標題(洋)
報告番号 129377
報告番号 甲29377
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第4110号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 東條,有伸
 東京大学 准教授 辻,浩一郎
 東京大学 講師 土田,晋也
 東京大学 教授 古川,洋一
 東京大学 准教授 高橋,聡
内容要旨 要旨を表示する

Hairly and enhancer of split 1 (Hes1)はbasic helix loop helix (bHLH)型転写抑制因子でNotchシグナルの標的遺伝子として知られている。Hes1は、他の活性型bHLH型転写因子のプロモーターに結合することで、その転写を抑制し、主として細胞の分化抑制に働く。Hes1を導入したマウス骨髄細胞は未分化性を維持し、IL-3依存的に増殖する細胞株になる。また、予後の悪い予後の悪い非小細胞性肺癌や神経膠腫、漿液性卵巣癌でHES1の発現量が高い。T細胞性急性リンパ性白血病の約50%でNotchシグナルの活性型変異が認められる。活性型Notchシグナルの下流でHES1の発現が上昇する。

当研究室では、慢性骨髄性白血病の急性転化症例の約40%でHES1の発現が上昇していることを明らかにした。この発現上昇は慢性期では認められないため、HES1が慢性骨髄性白血病の急性転化に寄与することが考えられた。実際、マウス骨髄移植モデル (マウスBMTモデル)において、慢性骨髄性白血病患者で特徴的に検出されるBCR-ABLとHes1は協調して慢性骨髄性白血病の急性転化に類似した白血病を発症させることを示した。

本研究の目的は慢性骨髄性白血病急性転化以外の白血病におけるHES1の役割を明らかにすることである。白血病患者骨髄サンプルにおけるHES1の発現量を解析した。HES1とBCR-ABL以外の遺伝子変異が協調して白血病に関与するかどうかをマウスBMTモデルを利用して検討した。

現在、白血病発症の機構としてtwo hit theoryが提唱されている。その説によると、白血病の発症には、細胞の増殖を誘導あるいはアポトーシスを抑制するClassI変異と細胞の分化を抑制するClassII変異の2つが必要である。ClassI変異にはBCR-ABL、FLT3-ITD、JAK2の活性化変異などがあり、ClassII変異にはAML1-ETO、PML-RARaなどがある。それぞれClassI単独変異では骨髄増殖性疾患が、ClassII単独変異では骨髄異型成症候群が発症するが白血病は発症しない。ClassI変異とClassII変異の2つが組み合わさることによって白血病が発症する。実際の白血病患者では、FLT3-ITDとPML-RARaやC-KITとAML1-ETOなどの一定の組み合わせが高頻度に認められる。骨髄細胞が未分化能と増殖能の両方を獲得することが白血病発症に必要である。

Hes1が導入されたマウス骨髄細胞は、未分化な状態を維持しIL-3依存的に増殖する細胞株になる。Hes1は細胞に未分化能を付加する遺伝子であると考えられる。Hes1は細胞の増殖能を付加するClassI変異のBCR-ABLと協調して白血病を発症させる。Hes1はClassI変異と協調して白血病を発症させると考え、急性骨髄性白血病において最も頻度の高いClassI変異であるFLT3-ITDに注目した。マウスBMTモデルを用いて、Hes1とFLT3-ITDが協調して白血病を発症させるか検討した。FLT3-ITDを導入した骨髄細胞を移植されたマウスと比べ、Hes1とFLT3-ITDの2つの遺伝子を導入した骨髄細胞を移植されたマウスは、より早期に白血病を発症し死亡した。Hes1とFLT3-ITDが協調して白血病を発症させることを明らかにした。

マウスBMTモデルにおいてHes1とFLT3-ITDが協調して白血病を発症させるため、急性白血病患者骨髄サンプルにおいてHES1の発現量上昇とFLT3-ITD変異がともに認められるか解析した。しかし、急性骨髄性白血病患者骨髄サンプルにおいて、FLT3-ITD変異の有無にかかわらず、HES1の発現量が高い症例は認められなかった。マウスBMTモデルにおいてHes1とFLT3-ITDは協調して白血病を発症させるが、ヒトにおいては有意に多い組み合わせではないことが示唆された。

当研究室は、慢性骨髄性白血病の急性転化症例20症例中8症例においてHES1の発現量が高い症例がいることを報告している。そのため、骨髄増殖性疾患あるは骨髄異形成症候群から急性骨髄性白血病へ移行した症例でHES1上昇がみられるのではないかと考えた。しかし、骨髄増殖異型成症候群から白血病への移行症例18例中1例、骨髄増殖性疾患からの白血病への移行症例12例中1例、HES1の発現上昇を認めるのみであった。次に、それ以外の白血病骨髄サンプルについてHES1の発現量を調べた。全79症例中5症例でHES1の発現上昇を確認した。その中で、FIP1L1-PDGFR遺伝子変異を伴う慢性好酸球性白血病について注目した。

FIP1L1-PDGFR遺伝子変異は、4番染色体長腕 (4q12)上で起こる約800 kbの欠失の結果、セントロメア側に存在するFip 1 like 1 (FIP1L1)とテロメア側のPDGFR (Platelet derived growth factor receptor alpha)遺伝子が融合したもので、慢性好酸球性白血病の患者の約14~60%で認められる遺伝子変異である。FIP1L1-PDGFR はマウス造血幹細胞を好酸球へ分化誘導する能力を持つ。マウスBMTモデルにおいてFIP1L1-PDGFRを導入した骨髄細胞を移植しても、骨髄増殖性疾患を発症するのみで好酸球性白血病は発症しない。FIP1L1-PDGFR は白血病発症のClassI変異として考えられている。

FIP1L1-PDGFRを伴う慢性好酸球性白血病患者においてHES1の上昇が認められたため、マウスBMTモデルにおいてHes1とFIP1L1-PDGFRが協調して白血病を発症させるのではないかと考えた。まず、FIP1L1-PDGFRによってHes1の発現が誘導されないことを確認した。次に、Hes1とFIP1L1-PDGFRを用いてマウスBMTモデルを施行した。FIP1L1-PDGFRを導入した骨髄細胞を移植されたマウスでは発症までに約90日を要したのに対し、Hes1とFIP1L1-PDGFRを導入した骨髄細胞を移植されたマウスは約30日で白血病を発症した判断した。Hes1とFIP1L1-PDGFRが協調して白血病を発症させることを明らかにした。HES1とFIP1L1-PDGFRを導入した骨髄細胞を移植して白血病を発症したマウスの白血病細胞の表面マーカーを解析するとSiglec-F、IL-5Raが陽性であった。そのため、マウスは好酸球性白血病を発症したと判断した。さらに、この好酸球性白血病を発症したマウスの骨髄細胞は二次移植も可能であった。ヒトではFIP1L1-PDGFR遺伝子変異を伴う好酸球性白血病患者にチロシンキナーゼ阻害薬であるイマチニブが著効する。今回樹立した好酸球性白血病マウスモデルにイマチニブを投与したころ、非投与群では白血病を発症し死亡するのに対して、投与群において観察期間内に死亡例はなく生存が延長することが確認された。ヒト同様に好酸球性白血病マウスモデルでもイマチニブが著効することが示された。現在、FIP1L1-PDGFRにはイマチニブ耐性のT674I変異やD842V変異があることが知られており、その変異体に対する有用な治療薬の報告はされていない。このマウスモデルを用いることで、イマチニブ耐性変異体に対してどのような薬剤が有効であるかをin vivoで検討できる。今回樹立したマウスモデルを利用し好酸球性白血病の病態解明が進むことが期待される。

次に、細胞株についての検討を行った。Hes1を導入したマウス骨髄細胞はIL-3依存的に増殖する細胞 (Hes1導入細胞)株になる。BCR-ABLをHes1導入細胞に導入すると、その細胞はIL-3非依存的に増殖する能力を獲得する。今回、FIP1L1-PDGFRをHes1導入細胞に導入することでも、その細胞がIL-3非依存的な増殖能を獲得することを明らかにした。

次に、それらの細胞がIL-3非依存的に増殖するシグナルの同定を試みた。Hes1導入細胞の増殖にはIL-3が必要である。IL-3投与によって、その下流ではAKT、RAS、STATのシグナルが活性化する。BCR-ABLもFIP1L1-PDGFRもチロシンキナーゼの恒常的活性型変異であり、その下流でAKT、RAS、STATが活性化する。そこで、Hes1導入細胞に活性型変異体のAKT、RAS、STATをそれぞれ単独で導入してIL-3非存在下で培養可能かを検討した。しかし、いずれもIL-3非依存的な増殖能は獲得できなかった。次に、Hes1導入細胞に活性型変異体のAKT、RAS、STATを2種類の組み合わせで遺伝子導入をした。すると活性型AKTと活性型RAS遺伝子を導入したHes1導入細胞がIL-3非依存的な増殖能を獲得することがわかった。したがって、Hes1導入細胞のIL-3非依存的増殖能獲得にはAKTとRASシグナルの活性化が必要であることを明らかにした。このことから、HES1の上昇とAKTとRASの両シグナルの活性化が白血病の病態発症に寄与していることが示された。つまり、HES1が上昇していた患者症例で、AKT、RAS両シグナルが活性化するような遺伝子変異が存在している可能性が考えられる。

さらに、Hes1の細胞を未分化維持する能力について検討した。Hes1はbHLH型転写抑制因子である。Hes1のWRPWドメインにコリプレッサーであるGrouchoが結合する。そこにHDACがリクルートされ、標的遺伝子を脱アセチル化する。このHDACによる作用でHes1は標的転写の転写を抑制する。HDAC阻害剤を作用させると、Hes1による細胞の未分化性の維持が障害されるのではないかと考えた。HDAC阻害剤を作用させたHes1導入細胞は、核が分葉化した細胞となり、Gr1、CD11bの発現が上昇した。今回、HDAC阻害剤によってHes1導入細胞が分化することが明らかにした。HDAC阻害剤がHES1の高い腫瘍細胞に対する治療薬になり得る可能性が考えられる。実際に、HDAC阻害剤であるSAHAを投与するとFIP1L1-PDGFRを導入したHes1導入細胞の増殖障害が起きることを確認した。

本研究では、Hes1とFLT3-ITDが協調して白血病を発症させること、Hes1導入細胞がIL-3非依存的な増殖能を獲得するにはAKTとRASシグナルの活性化が必要であること、Hes1導入細胞はHDAC阻害剤により分化誘導がされることを明らかにした。さらに、FIP1L1-PDGFR遺伝子変異を伴う慢性好酸球性白血病患者でHES1の発現量が上昇していることを見出し、Hes1とFIP1L1-PDGFRを導入した骨髄細胞を移植されたマウスが好酸球性白血病を発症することを示した。この好酸球性白血病マウスモデルはヒト同様にイマチニブが有用であることも確認された。今後、好酸球性白血病の病態解明に今回樹立したマウスモデルが役立つことが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、白血病の発症に重要な役割を演じていると考えられるHES1の白血病発症を明らかにするために、白血病患者の骨髄サンプルにおけるHES1の発現量の解析やマウスBMTモデルを用いてHes1と協調する遺伝子変異について解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.マウスBMTモデルにおいてHes1とFLT3-ITDが協調して白血病を発症させることが示された。白血病発症患者においてはFLT3-ITD変異を有する患者においてHES1上昇例は認められなかった。ヒトにおいてはFLT3-ITD変異とHES1上昇が高頻度に認められる組み合わせでないことが示唆された。

2.白血病発症患者の骨髄サンプルを用いたHES1発現量の解析から、一部の白血病でHES1の上昇が認められた。一部の白血病患者において、HES1上昇が白血病の病態形成に寄与している可能性が示された。

3.白血病患者の骨髄サンプルの解析からFIP1L1-PDGFR遺伝子変異を伴う慢性好酸球性白血病患者においてHES1が上昇していることが示された。マウスBMTモデルにおいてHes1とFIP1L1-PDGFRが協調して好酸球性白血病を発症させることが示された。さらに、好酸球性白血病マウスにイマチニブを投与すると、非投与群と比べ有意に生存が延長した。好酸球性白血病発症マウスはヒト同様にイマチニブが著効することが示された。

4.Hes1を導入するとマウス骨髄細胞はIL-3依存的に増殖する細胞株 (Hes1導入細胞)となる。FIP1L1-PDGFR遺伝子を導入するとHes1導細胞はIL-3非依存的な増殖能を獲得する。Hes1導入細胞がIL-3非依存的な増殖能を獲得するにはAKTとRASの活性化シグナルが必要であることが示された。

以上、本論文はHes1がFLT3-ITDと協調して白血病を発症させること、Hes1導入細胞がIL-3非依存的な増殖能獲得にはRASとAKTの活性化シグナルが必要であることを明らかにした。特にFIP1L1-PDGFR遺伝子変異を伴う慢性好酸球性白血病患者症例でHES1の発現上昇を見出し、マウスBMTモデルにおいてもHes1とFIP1L1-PDGFRが協調して好酸球性白血病を発症させることを明らかにした。本研究により、Hes1上昇の寄与する白血病の病態の一部が解明された。なかでも好酸球性白血病発症モデルマウスを樹立したことは好酸球性白血病の病態解明に重要な貢献をなすと考え、学位の授与に値するものと考えられる。

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