学位論文要旨



No 129378
著者(漢字) 大木,健太郎
著者(英字)
著者(カナ) オオキ,ケンタロウ
標題(和) 小児悪性腫瘍におけるIsocitrate dehydrogenase (IDH) 1およびIDH 2の解析
標題(洋)
報告番号 129378
報告番号 甲29378
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第4111号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩中,督
 東京大学 准教授 辻,浩一郎
 東京大学 講師 張田,豊
 東京大学 講師 細谷,紀子
 東京大学 講師 熊野,恵城
内容要旨 要旨を表示する

要旨

ほとんどのがん細胞にあてはまる特徴として、増殖シグナルの自律性、増殖抑制シグナルの回避、アポトーシスの回避、無制限自律増殖能、血管新生、浸潤と転移の他に、近年細胞代謝の変化が新たに注目されてきた。細胞増殖や血管新生には、十分なエネルギーが必要であるが、エネルギー代謝において重要な役割を果たしているものに解糖系とTCA cycleがある。正常細胞においては、有酸素環境下で解糖系とTCA cycleの両方でエネルギーが産生され、低酸素環境下では解糖系がエネルギー産生の中心となるが、がん細胞においては、有酸素環境、低酸素環境のいずれにおいても解糖系が中心で、TCA cycleは抑制されている。近年、TCA cycle に関わる酵素の1つであるisocitrate dehydrogenase 1(IDH1)やIDH2の変異が様々な腫瘍で報告され、腫瘍の発症に関わる可能性が示されている。低悪性度神経膠腫や2次性神経膠芽腫の70%以上にIDH1の変異が、5%未満にIDH2の変異が報告され、腫瘍発症のメカニズムとしてIDH-dependent pathwayが提唱されている。成人急性骨髄性白血病や骨随異形成症候群、骨髄増殖性疾患において、IDH1およびIDH2の変異の頻度は4~15%で、変異症例ではIDH1およびIDH2以外に遺伝子変異や染色体異常が少ないこと、FLT3/ITD、NPM変異症例に多く予後不良であることが報告されている。報告されている変異は全てheterozygousの体細胞変異であり、IDH1およびIDH2の活性化部位とその近傍に変異が集中している。他の腫瘍に関しては小児急性骨髄性白血病を含めてIDH1およびIDH2の変異は非常に稀であることが報告されているが、小児悪性腫瘍におけるIDH1やIDH2変異の頻度や種類、予後との関連についてまだほとんど解明されていない。IDHの変異による造腫瘍性のメカニズムとして、通常のisocitrate(ICT)からα-ketoglutarate(α-KG)への反応が機能喪失し、低酸素状態で細胞の生存を高めるHif1-αの代謝が阻害され、造腫瘍性に関わる可能性や、変異IDHによりα-KGから2-Hydroxyglutarate(2-HG)への反応が機能獲得されることにより、エピジェネティックな変化による造腫瘍性を示す可能性が示唆されているが、IDH1やIDH2変異による腫瘍発生のメカニズムは未解明である。

私は、小児骨髄性腫瘍199検体、小児固形腫瘍407検体の計606検体を用いてIDH1およびIDH2の全コーディングエクソンについて変異解析を行い、新規に見いだされた変異により生じる変異IDH1/2蛋白の機能や腫瘍発生のメカニズムを明らかにするために、変異IDH1/2蛋白の酵素活性の測定と、TCA cycleや解糖系に関わる酵素と2-HGのメタボローム解析を行った。また、AMLサンプルでIDH1/2変異との関連が示唆されているNPM1と小児AMLの予後因子であるc-KITの変異解析、FLT3-ITDの検索を行った。IDH変異症例においては、SNPアレイ解析も行った。

IDH1およびIDH2の変異解析の結果、認められた変異は全てこれまでの報告と同様にheterozygousな変異であった。AMLの1例で既知のミスセンス変異であるIDH2 R140Q変異が認められた。同症例でNPM1やc-KITの変異、FLT3-ITDは認められなかった。小児固形腫瘍では、既知の変異は認められず、7つの新規変異が得られた。得られた変異と腫瘍との関連性について推測するソフトであるMutation tasterによる検討で、1種類はSNPが疑われ、7種類は腫瘍との関連が推測された。IDH1/2変異の頻度は、AML初発時検体でIDH2変異が0.9%(1/111)、神経芽腫新鮮腫瘍でIDH1変異が1.6%(2/124)、IDH2変異が0.8%(1/124)、横紋筋肉腫細胞株でIDH2変異が8.3%(1/12)、ユーイング肉腫新鮮腫瘍でIDH2変異が1.8%(1/55)、未分化神経外胚葉性腫瘍の新鮮腫瘍でIDH1変異が4.5%(1/22)、脳腫瘍細胞株でIDH2変異が11%(1/9)で認められた。小児悪性腫瘍におけるIDH1/2変異の頻度は成人に比べ、その頻度は低いと考えられた。神経芽腫の1症例で、IDH1にコドン143のアミノ酸がストップコドンとなるフレームシフト変異が認められ、横紋筋肉腫の細胞株1株で、IDH2にコドン160のアミノ酸がストップコドンとなるフレームシフト変異が認められた。フレームシフト変異により生じる変異IDH1/2蛋白は、いずれも活性化部位が失われる短縮型IDH蛋白となり、機能喪失型変異であると推測された。

IDH2変異が認められたAML症例は、12才の男児で予後良好因子であるt(8;21)を伴っていたが、通常の寛解導入療法後CRに入った後、11ヶ月後に再発し、その後の治療にも関わらず永眠された。SNPアレイ解析によるアレルコピー数の解析で7q、9q、16q、17qの欠失や12q、17q、22qの増幅等の複数の染色体異常を有しており、既知の予後不良因子であるFLT3/ITD、NPM、c-KIT変異は認められなかったにも関わらず、予後不良な経過を辿った。FLT3-ITDやc-KIT、NPM変異を認めないt(8;21)を有する小児AMLにおいて、IDH2変異が予後不良因子となっている可能性が考えられた。IDH1のフレームシフト変異を認めた神経芽腫症例は、9才の男児で原発部位は縦隔であり、診断時に多数の転移が認められていた。化学療法や腫瘍切除術を行ったが、転移巣が残存し、治療反応性は不良であった。患児のSNPアレイ解析の結果で既知の予後不良因子であるMYCNの増幅や1p、11qのLOHは認めなかったが、これまで報告のない10pのLOHや22qのgainなど複数の染色体のコピー数の異常を認めた。腫瘍性疾患をもつ家族歴はなかった。IDH1のフレームシフト変異は、児の末梢血でも認められ、生殖細胞変異であることが判明した。その後両親と姉3人において変異解析を行い、母から受け継がれた変異であることが示された。患児と父親、母親の尿中2-HG蛋白量のメタボローム解析を行ったところ、生殖細胞変異を認めた神経芽腫症例と母親の尿中2-HG蛋白量は、変異を有していない父親と有意差は認められず、新規のフレームシフト変異は機能獲得型変異ではないことが確認された。

今回、新規に見いだされたミスセンス変異について、変異IDH1/2蛋白の機能解析として、蛋白活性の測定とメタボローム解析を行った。IDH2野生株とI142L、R140Q、R172K変異体についてIDH蛋白活性を測定した。IDH2蛋白の発現量をWestern blottingで測定したところ、新規IDH2 I142L変異体と野生株、既知のR140Q、R172K変異体のIDH2蛋白発現量は同等であった。新規のIDH2 I142L変異体はICTからα-KGへの反応については、既知のR140QやR172K変異体に比べると活性は高いが、野生株に比べてIDH2の蛋白活性が有意に低下しており、機能喪失型変異であることが示された。次にα-KGから2-HGへの反応については、新規のIDH2 I142L変異体は野生株に比べてIDH2蛋白活性の亢進は認められず、酵素活性は有意に低下しており、機能獲得型変異ではないことが示された。IDH1野生株とR132H、I154V、S389C変異体、IDH2野生株とV8A、P23R、I142L、R140Q、R172K変異について、メタボローム解析で2HG蛋白量を測定し、αKGから2HGへの反応について、IDH1/2新規変異蛋白の機能の亢進がみられるか検討したところ、既知のIDH1 R132H変異体とIDH2 R140Q、IDH2 R172K変異体は野生株に比べて有意に2HG蛋白量が多かったが、新規IDH1/2変異体は野生株と有意差は認められず、新規変異はα-KGから2-HGへの反応の機能獲得がないことが示された。次にIDH1野生株とR132H、I154V、S389C変異体、IDH2野生株とV8A、P23R、I142L、R140Q、R172K変異について、メタボローム解析を用いて、細胞のエネルギー代謝で重要な働きを示すTCA cycleや解糖系に関わる酵素を測定したところ、既知のIDH2 R140QとR172K変異体は野生株に比べてTCA cycleの抑制と解糖系の亢進が認められたが、新規IDH1/2変異体はがん細胞の特徴であるTCA cycleの抑制と解糖系の亢進は認められなかった。

今回の私の検討で、小児悪性腫瘍におけるIDH1およびIDH2変異の頻度は低悪性度神経膠腫や成人AMLなどのこれまでの報告に比べて低いことが分かったが、少なくとも一部の症例では、IDH変異が見られることが分かった。IDH変異症例の詳細な検討や小児固形腫瘍で見いだされた新規変異の機能解析を行うことによりIDH変異による腫瘍細胞の代謝変化や腫瘍発生に関わるメカニズムの解明に重要な示唆を得ることができた。

審査要旨 要旨を表示する

がん細胞のエネルギー代謝において重要な役割を果たしているTCA cycleに関わる酵素の1つであるisocitrate dehydrogenase 1(IDH1)やIDH2の変異が、近年種々の腫瘍で変異が報告され、腫瘍の発症に関わる可能性が示されている。本研究は、小児悪性腫瘍小児悪性腫瘍におけるIDH1およびIDH2変異の頻度や種類、予後との関連を明らかにするため、小児骨髄性腫瘍195検体、小児固形腫瘍407検体の計602検体を用いてIDH1およびIDH2の全コーディングエクソンについて変異解析を行い、急性骨髄性白血病サンプルでIDH変異との関連が示唆されているNPM1とc-KITの変異解析、FLT3-ITDの検索を行い、新規に見いだされた変異により生じる変異IDH1/2蛋白の機能や腫瘍発生のメカニズムを明らかにするために、変異IDH1/2蛋白の酵素活性の測定と、エネルギー代謝に関わるTCA cycleや解糖系の酵素と2-HGのメタボローム解析を行ったものであり、下記の結果を得ている。

1.IDH1およびIDH2の変異解析の結果、AMLの1例で既知のミスセンス変異であるIDH2 R140Q変異が認められた。同症例でNPM1やc-KITの変異、FLT3-ITDはIDH2変異症例では認められなかった。小児固形腫瘍では、既知の変異は認められず、7つの新規変異が得られた。IDH1/2変異の頻度はこれまでの成人の腫瘍の報告に比べてまれであり、小児固形腫瘍においては変異の種類がこれまでの報告と異なっており、成人のAMLや神経膠腫における造腫瘍性とは異なる機序で発症すると推測された。

2.神経芽腫の1症例で、IDH1にコドン143のアミノ酸がストップコドンとなるフレームシフト変異が認められ、横紋筋肉腫の細胞株1株で、IDH2にコドン160のアミノ酸がストップコドンとなるフレームシフト変異が認められた。フレームシフト変異により生じる変異IDH1/2蛋白は、いずれも活性化部位が失われる短縮型IDH蛋白となり、機能喪失型変異であると推測された。

3.IDH2変異が認められたAML症例は、予後良好因子であるt(8;21)を伴い、SNPアレイ解析によるアレルコピー数の解析で7q、9q、16q、17qの欠失や12q、17q、22qの増幅が認められ、既知の予後不良因子であるFLT3/ITD、NPM、c-KIT変異は認められなかったにも関わらず、予後不良な経過を辿った。FLT3-ITDやc-KIT、NPM変異を認めないt(8;21)を有する小児AMLにおいて、IDH2変異が予後不良因子となっている可能性が考えられた。

4.IDH1のフレームシフト変異を認めた神経芽腫症例は、SNPアレイ解析の結果で既知の予後不良因子であるMYCNの増幅や1p、11qのLOHは認めなかったが、これまで報告のない10pのLOHや22qのgainなど複数の染色体のコピー数の異常を認め、治療反応性が不良であった。フレームシフト変異は、児の末梢血でも認められ、腫瘍で初めての見いだされた生殖細胞変異であることが判明した。その後両親と姉3人において変異解析を行い、母から受け継がれた変異であることが示された。腫瘍性疾患をもつ家族歴はなかった。患児と父親、母親の尿中2-HG蛋白量のメタボローム解析を行ったところ、変異を有する患児と母親の尿中2-HG蛋白量は、変異を有していない父親と有意差は認められず、新規のフレームシフト変異はα-KGから2-HGへの機能獲得型変異はないことが示された。

5.新規に見いだされたIDH2 I142Lミスセンス変異について、IDH2蛋白活性の測定を行ったところ、新規IDH2 I142L変異蛋白はICTからα-KGへの反応については、既知のIDH2 R140QやR172K変異蛋白に比べると活性は高いが、野生株に比べてIDH2の蛋白活性が有意に低下しており、機能喪失型変異であることが示された。次にα-KGから2-HGへの反応については、新規のIDH2 I142L変異蛋白は野生株に比べてIDH2蛋白活性の亢進は認められず、酵素活性は有意に低下しており、機能獲得型変異ではないことが示された。

6.IDH1野生株とR132H、I154V、S389C変異体、IDH2野生株とV8A、P23R、I142L、R140Q、R172K変異について、メタボローム解析で2HG蛋白量を測定し、αKGから2HGへの反応について、IDH1/2新規変異蛋白の機能の亢進がみられるか検討したところ、既知のIDH1 R132H変異体とIDH2 R140Q、IDH2 R172K変異体は野生株に比べて有意に2HG蛋白量が多かったが、新規IDH1/2変異体は野生株と有意差は認められず、新規変異はα-KGから2-HGへの反応の機能獲得がないことが示された。

7.IDH1野生株とR132H、I154V、S389C変異体、IDH2野生株とV8A、P23R、I142L、R140Q、R172K変異について、メタボローム解析を用いて、細胞のエネルギー代謝で重要な働きを示すTCA cycleや解糖系に関わる酵素を測定したところ、既知のIDH2 R140QとR172K変異体は野生株に比べてTCA cycleの抑制と解糖系の亢進が認められたが、新規IDH1/2変異体はがん細胞の特徴であるTCA cycleの抑制と解糖系の亢進は認められないことが示された。

以上、本論文は小児悪性腫瘍におけるIDH1/2遺伝子の変異の頻度や種類を明らかにし、IDH変異症例の詳細な検討や小児固形腫瘍で見いだされた新規変異の機能解析を行うことにより、新規に見いだされた変異IDH1/2蛋白のエネルギー代謝や腫瘍発生に関わる機能を明らかにした。本研究はこれまで未知に等しかった小児悪性腫瘍におけるIDH1/2変異の頻度や種類、予後との関連に加えて、IDH1/2変異による腫瘍細胞のエネルギー代謝の変化や腫瘍発生に関わるメカニズムの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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