学位論文要旨



No 129385
著者(漢字) 谷川,道洋
著者(英字)
著者(カナ) タニカワ,ミチヒロ
標題(和) 家族性乳癌卵巣癌原因遺伝子産物BRCA1の癌抑制機能を担う因子の同定及び機能解析
標題(洋)
報告番号 129385
報告番号 甲29385
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第4118号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤井,知行
 東京大学 准教授 北中,幸子
 東京大学 特任教授 井上,聡
 東京大学 講師 細谷,紀子
 東京大学 准教授 大西,真
内容要旨 要旨を表示する

1)緒言および目的

本邦において卵巣癌の推定罹患数は7,913で女性全癌死亡数の2.7%、部位別第10位である。死亡数は4,654で、部位別第9位である。診断・治療技術の進歩に伴い、同年代での粗死亡率は低下傾向だが、高齢者急増に伴い全罹患数・死亡数は増加しており、病因の解明と診断・治療につながる研究が急務である。卵巣癌の5-10%は遺伝性で、その70%程度で家族性乳癌卵巣癌原因遺伝子BRCA1の変異を認める。BRCA1は広範な生物学的役割をもち、ゲノムの安定性維持に寄与する。C末のBRCT領域は転写活性化能を有し、癌家系で見られる点変異でその転写活性化能が消失することから、癌抑制及び正常な細胞発育に重要である。近年BRCTのDNA損傷修復経路への寄与が解明され注目されている。我々はBRCT領域の機能解析を継続的に行っており、BRCA1が脱アセチル化酵素SIRT1のプロモーター上に存在し転写制御を担うという既報に着目し、BRCA1の転写抑制因子としてDBC1を同定し報告した。本研究ではBRCTの新規結合因子として、顔貌異常・知能発育遅延・心血管異常を主症状とする常染色体優性遺伝性疾患Williams-Beuren症候群の原因となる多能性転写因子TFII-Iを同定し、BRCA1を介したSIRT1転写制御を行うことを示した。またTFII-IとDBC1は複合体を形成していた。DBC1およびTFII-IがBRCA1の担う癌抑制機能をいかに修飾するかを明らかにすることで、卵巣癌・乳癌の治療へ向けた分子的解明を行うことを目的とした。

2)材料と方法

GST pull down assay

野生型BRCTを大腸菌内のタンパク発現ベクターに組み込み、グルタチオン-S-トランスフェラーゼ (GST) 融合タンパクとしてタンパク発現誘導を行いアフィニティーカラムとして使用した。GST融合BRCTタンパクと、HeLa細胞の核抽出液を、低温下にインキュベートし、結合したタンパクをSDS-PAGEで泳動し、バンドを解析した。

免疫沈降法、ウェスタンブロッティング

TFII-IとBRCA1の内在性複合体形成をみるために、HeLa細胞、HCC1937細胞を用いた。全細胞溶解液に特異的抗体を入れた後、Protein G Sepharose Fast Flowと混和し内在性免疫複合体を精製した。またCOS7細胞に発現ベクターをリポフェクション法でトランスフェクションし、全細胞抽出液をanti-FLAG M2 agaroseと混和しFlag epitopeに結合する免疫複合体を精製した。ビーズはともに十分洗浄した後にSDS-PAGEで泳動し、ウェスタンブロッティングを行った。同様にTFII-IとDBC1の複合体形成を、HeLa細胞、COS7細胞を用いた免疫沈降法にて検討した。

ルシフェラーゼ活性測定

COS7細胞、293T細胞に、ルシフェラーゼレポーターベクター、internal control用ベクター、発現ベクターをトランスフェクションし、Firefly luciferase活性を測定した。トランスフェクション効率是正のためRenilla luciferase活性も同時に測定した。

蛍光免疫組織染色

HeLa細胞、U2OS細胞、HCC1937細胞を4%パラフォルムアルデヒドで固定し、特異的一次抗体、二次抗体を用いて蛍光免疫染色し、共焦点顕微鏡にてBRCA1、TFII-I、DBC1、SIRT1の動態を検討した。

Chromatin immunoprecipitation (ChIP) assay

HeLa細胞を1.5%ホルムアルデヒドで架橋化し、超音波破砕し可溶性クロマチン画分の断片化を行った。特異的抗体で免疫複合体を形成し、DNA飽和したProtein G Sepharose Fast Flowと混和し免疫複合体を精製した。ビーズからタンパク・クロマチン複合体を溶出し脱架橋化を行い、得られたDNA断片にPCR反応を行った。

フローサイトメトリーによる細胞周期解析

siRNAでSW480sn3細胞の内在性TFII-I、DBC1のノックダウンを行い、ダブルチミジンブロック法及びノコダゾール処理にてG1/S境界及びG2/M境界に細胞周期を同調させた。血清添加して同調解除を行い、経時的に細胞を回収し、Propidum Iodide染色を行いフローサイトメトリーにて細胞周期解析を行った。

放射線感受性試験

siRNAでSW480sn3細胞の内在性TFII-I、DBC1、SIRT1のノックダウンを行った後、γ線照射(0~8Gy)を行った。照射した細胞は60 mm dish1枚あたり2×103cellsに調整して撒き込み、37℃・5% CO2の条件で14日間培養した後、4%パラホルムアルデヒドにて固定しギムザ染色した。コロニーをカウントして、0 Gyに対する生存率を計算した。

DNA相同性組換え修復能アッセイ

無機能ネオマイシン(G418)カセットを安定発現するSW480sn3細胞を用いた。このカセット内にはI-SceI認識部位があり、I-SceI発現により二重鎖切断される。遺伝子座内で相同組み換え修復(HR)がなされると、ネオマイシン耐性が生じてG418耐性を獲得する。内在性TFII-I、SIRT1、DBC1のノックダウン48時間後にI-SceI発現ベクターをトランスフェクションした。導入48時間後、G418(1mg/ml)の選択培地で60mm dish1枚あたり2×105cells の細胞を撒き込み、2週間後にコロニー形成効率を評価した。

3)実験結果

TFII-Iの、BRCT新規結合タンパク質としての同定

GST pull down assayにより、TFII-Iと野生型BRCTが結合することが判明した。

TFII-IとBRCA1の複合体形成

HeLa細胞ではTFII-IとBRCA1は特異的に共沈降し、内在性複合体を形成することが判明した。変異BRCA1を発現しているHCC1937細胞では複合体は形成されなかった。強制発現系での免疫沈降法で、TFII-IとBRCA1の複合体形成が確認され、TFII-IのC末を欠いた発現ベクターをトランスフェクションした場合、複合体形成が確認されないことからC末領域が結合領域であることが判明した。

TFII-IとBRCA1の細胞内における共存と、DNA損傷時の核内フォーカスの形成

BRCA1とTFII-Iが定常状態で核内に共在していた。γ線によりDNA損傷を惹起した細胞においてBRCA1とTFII-Iが核内集積にて共在し、TFII-IがDNAの二本鎖切断修復に寄与する可能性が示された。

TFII-IのBRCA1に対する転写活性増強効果

GAL4-BRCTのルシフェラーゼ活性がTFII-I発現により増強し、特異的増強効果を示した。BRCA1を介したSIRT1の転写制御に対し、TFII-Iが増強作用を示した。ChIP assayにより、SIRT1 promoter 1354-1902の領域にDBC1、BRCA1、SIRT1、TFII-Iの四者が存在することが判明した。

TFII-IとDBC1の複合体形成

内在性及び強制発現系で免疫沈降法を行い、DBC1とTFII-Iが複合体を形成すること、両者の複合体形成には互いのN末端が必要であることが判明した。また両者の相互作用が、BRCA1を介したSIRT1の転写制御に重要であることが判明した。

TFII-I及びDBC1の細胞周期制御への寄与

TFII-IのノックダウンによりG1→S期の移行が抑制され、DBC1のノックダウンによりG2/M期で停滞した細胞が増加することが判明した。p21、GADD45の発現制御に対しTFII-I、DBC1が関与することが、ルシフェラーゼアッセイにて示された。

DBC1およびTFII-Iは放射線によるDNA二本鎖切断修復に寄与する

U2OS細胞にγ線照射を行うと、TFII-IがγH2AXの集積と共在した。SW480sn3細胞を用いた放射線照射後のコロニー形成能評価では、TFII-I、DBC1をノックダウンすると顕著なコロニー形成能の低下が認められ、両者のDNA損傷修復経路への寄与が示された。

TFII-I、DBC1はHRに寄与する

DNA相同組換え修復能アッセイで、DBC1、TFII-IをノックダウンするとHR能の低下が認められたことから、両者がHRに関与することが示された。

4)考察

多能性転写因子TFII-Iは、BRCA1のBRCT領域に結合しその転写活性増強に働き、BRCA1依存性のSIRT1発現に寄与することがわかった。またSIRT1の脱アセチル化能抑制因子であり、我々がBRCA1の転写抑制因子として報告したDBC1とTFII-Iが結合し、BRCA1転写複合体を形成することが判明した。またTFII-I、DBC1が、細胞周期制御やHR機構に寄与することが新たに示された。DBC1はBRCA1の持つ抗腫瘍機序である転写活性化能を抑制し、生存促進因子SIRT1の発現を抑制することから癌促進的機序に関連すると考えられたが、本研究では癌抑制的な機能が新たに判明した。またTFII-Iの発癌メカニズムにおける寄与を示唆するものは本研究が初めてである。BRCA変異性乳癌卵巣癌においてHR経路は癌治療の有望な分子標的と考えられており、本研究が乳癌・卵巣癌の治療につながる分子的解明になることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は家族性乳癌卵巣癌の発癌メカニズムにおいて重要な役割を演じるBRCA1のBRCT領域の癌抑制機能を解析することを目的に、BRCT領域の新規結合因子として顔貌異常・知能発育遅延・糖尿病・心血管異常を主症状とするWilliams-Beuren症候群の原因となる多能性転写因子TFII-I(transcription factor II-I)を同定した。TFII-IがBRCA1の担う癌抑制機能をどのように修飾するかを明らかにすることで、卵巣癌・乳癌の治療につながる分子的解明を行うことを目的とし、下記の結果を得ている。

1.TFII-Iと野生型BRCTとの結合をin vivoにおけるGST pull down法にて確認した。内在性のBRCA1とTFII-Iの結合を見るために免疫沈降法を行い、TFII-IとBRCA1がHeLa細胞内で内在性複合体を形成していることが判明した。また、変異BRCA1が発現しているHCC1937細胞での免疫沈降法や、強制発現系での免疫沈降法によりこの複合体形成にはBRCT領域が必須であること、TFII-IのC末端がBRCA1との結合領域であることが明らかになった。

2.TFII-IがBRCTの転写活性化能に与える影響をルシフェラーゼアッセーにて検討したところ、GAL4-BRCTのルシフェラーゼ活性がTFII-I発現によりおよそ2倍に増強され、特異的増強効果を示した。BRCA1は脱アセチル化酵素SIRTのプロモーターに結合し転写制御を担うことは既知であるが、本研究ではSIRT1-lucを用いたルシフェラーゼアッセーを行い、BRCA1のSIRT1に対する転写活性化能をTFII-Iが増強することを示した。クロマチン免疫沈降法により、SIRT1のプロモーター 1354-1902の領域にBRCA1、TFII-I、SIRT1、私の共同研究者がBRCA1の転写抑制因子として同定していたDBC1(deleted in breast cancer 1)の四者が存在し、転写複合体を形成している可能性を示した。

3.我々が新規に同定したBRCA1結合タンパクであるDBC1とTFII-Iが複合体形成することを免疫沈降法にて示した。発現ベクターをトランスフェクトした強制発現系の免疫沈降法により、両者の複合体形成に互いのN末端が必要であることを示した。また、SIRT1-Lucを用いたルシフェラーゼアッセイにより、両者の相互作用がBRCA1によるSIRT1の精緻な転写制御に重要であることが判明した。

4.TFII-I及びDBC1の細胞周期調節能をフローサイトメトリーにて解析した。G1/S境界、G2/M境界への細胞同調はそれぞれDouble Thymidine Block法及びNocodaole処理を用いた。内在性のTFII-Iをノックダウンすると、G1→S期への移行が抑制され、内在性DBC1をノックダウンするとG2/M期で停滞した細胞が増加した。また、BRCA1が転写制御を担うp21、GADD45の転写制御にTFII-IおよびDBC1が関与することが、各々のルシフェラーゼアッセイにて示された。

5.TFII-IとBRCA1の細胞内における共存を蛍光免疫染色法にて検討したところ、γ線によりDNA損傷を惹起した細胞においてBRCA1とTFII-Iが核内において集積を形成し共在することが観察された。また、TFII-IはDNA二本差切断部位(DSB)を示すγH2AXの集積とも共在することから、二本鎖切断修復に寄与する可能性が示された。またSW480sn3細胞を用いた放射線照射後のコロニー形成能評価では、内在性のTFII-I、DBC1、SIRT1をノックダウンするとコロニー形成能の低下が認められ、三者のDNA損傷修復経路への寄与が示された。

6.BRCA1がDNA二本鎖切断の相同組み換え修復経路において重要な役割を担う事、またDBC1及びTFII-IがBRCA1を介した転写制御をするSIRT1の脱アセチル化能が同経路で重要であることが近年報告されていたため、新規のBRCA1共役因子であるDBC1及びTFII-Iの相同組み換え修復への寄与を検討した。相同組み換え修復能はMohindraらが樹立した大腸癌細胞株SW480sn3細胞を用いた相同組換え修復能アッセイで評価した。内在性のSIRT1・DBC1・TFII-Iをノックダウンすると相同組み換え修復能の低下が認められたことからTFII-IおよびDBC1は相同組み換え修復能があることが判明した。

以上、本論文は新規にBRCA1のBRCT結合因子としてTFII-Iを同定し、既に私の共同研究者が同定していたBRCA1の転写抑制因子DBC1と相互作用し、BRCA1の新規の発癌抑制機能として注目されている脱アセチル化酵素SIRT1の転写調節の上流制御機構を担うことを明らかにした。またBRCA1の新規共役因子であるTFII-IとDBC1がゲノム恒常性維持のためにBRCA1が担う細胞周期制御機構及び相同組み換え修復能に寄与する可能性を示した。本論文により、BRCA1の持つ抗腫瘍機序である転写活性化能を抑制するため、癌促進的機序に関連すると考えられていたDBC1の癌抑制的な側面と、TFII-Iの発癌抑制機序への関与が新規に示された。また近年癌に対する分子治療の有望な標的として注目されている相同組み換え修復経路にBRCA1の転写共役因子が寄与するというこれまでにない知見が初めて示された。本論文は、学位の授与に値するものと考えられる。

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