学位論文要旨



No 129387
著者(漢字) 冨尾,賢介
著者(英字)
著者(カナ) トミオ,ケンスケ
標題(和) 子宮内膜症に対するω3脂肪酸の病変抑制作用に関する研究
標題(洋)
報告番号 129387
報告番号 甲29387
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第4120号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 矢富,裕
 東京大学 教授 徳永,勝士
 東京大学 准教授 江藤,正人
 東京大学 講師 土田,晋也
 東京大学 講師 藤本,晃久
内容要旨 要旨を表示する

【序文】

子宮内膜症は、子宮内膜およびその類似組織が、おもに子宮以外の卵巣、ダグラス窩、腹膜等の場所で発育する慢性炎症性疾患である。罹患者数の最も多い婦人科疾患のひとつであり、月経困難症、性交痛、不妊症などを引き起こし、近年では子宮内膜症性卵巣嚢胞が卵巣がんのリスク因子としても注目され、女性のQOLの低下につながっている。病因として、卵管経由に逆流した月経血中の子宮内膜細胞が腹膜上に生着する"移植説"等が知られているが、いまだ発生や進展の全容は解明されていない。

ω3脂肪酸は、哺乳類では体内で独自に生合成することの出来ない必須脂肪酸である。代表的なものにエイコサペンタエン酸(以下EPA)、ドコサヘキサエン酸(以下DHA)が知られている。ω3脂肪酸の研究は、1970年代にDyerbergらによって報告された、ω3 脂肪酸が豊富なアザラシ肉を主食とするエスキモーに心血管系イベントが少ないことについての疫学調査に端を発する。その後の基礎研究から抗炎症作用を有することが明らかとなったが、分子レベルでの作用機序については未解明な点も多い。

ω3脂肪酸の抗炎症作用については、ω6脂肪酸のアラキドン酸(以下AA)からプロスタグランジン(PGs)やロイコトリエン(LTs)などの"炎症性メディエーター"が産生されるカスケードにおいて、EPAやDHAがAAに拮抗することで炎症が抑えられる機序が考えられてきた。さらに近年、EPAやDHAの代謝物として同定されたレゾルビンやプロテクチン等が、過度の炎症反応を抑制し、積極的に炎症を"収束"に導く働きがあることが明らかとなり、新規の"抗炎症性メディエーター"として注目されている。

このようなω3脂肪酸の抗炎症作用は、慢性炎症性疾患である子宮内膜症に対しても抑制効果を示す可能性があるが、これまでいくつかの臨床効果の報告はあるものの、明確なエビデンスは得られていない。また動物モデルでもEPAによって抗炎症作用を認め、病変の進展を抑制することが示されたとする報告等があるが、ω3脂肪酸とその代謝物の動向も含めた作用機序の詳細を、十分に検証した基礎研究の報告はない。

そこで本研究では、子宮内膜症に対するω3脂肪酸の病変抑制効果について、ω3脂肪酸とその代謝物の動向に着目しつつ、子宮内膜症に与える影響とそのメカニズムを解明し、さらには新規治療法への応用を探索することを目的とした。

【方法】

本研究では、腹腔内に子宮内膜症病変を発生させるマウスモデルを導入して、ω3脂肪酸の病変抑制効果の検証を行った。

ω3脂肪酸の効果を検証するためのマウスとして、fat-1トランスジェニックマウス(以下fat-1マウス)を使用した。ω6脂肪酸からω3脂肪酸への変換酵素をコードするfat-1遺伝子を全身性に発現するマウスで、食餌中のω6脂肪酸をもとに、全身でω3脂肪酸を高発現することが可能となる。これまでにも肝炎や腸炎などの炎症性疾患モデルで抗炎症効果が示されている。

子宮内膜症マウスモデルには、エストロゲン投与で腫大させたドナーマウスの子宮を細切し、レシピエントマウスの腹腔内に注入する方法を用いた。この方法では腹腔内に嚢胞状の病変が形成され、ヒトの子宮内膜症の病態に類似した動物モデルと考えられている。

fat-1マウスはヘテロで継代し、同腹仔でfat-1遺伝子をもたないマウス(以下Wild Typeマウス)をコントロール群として使用した。子宮を摘出するドナーマウスとして2匹、摘出した子宮を細切して腹腔内に注入するレシピエントマウスとして4匹、計6匹を1群として、同一群はすべて同じ種類のマウスで構成した。マウスの食餌には高ω6脂肪酸含有食を使用した。EPAを経口摂取させる群には、5%のEPAを添加して与えた。

エストロゲンの皮下投与2週間後にドナーマウスの子宮を摘出細切して、レシピエントマウスの腹腔内に注入した。さらに2週間後に屠殺、腹腔洗浄液を回収、腹腔内病変を観察、病変の摘出を行った。形成された嚢胞性病変の個数と重量を計測した。

AAやEPA、DHA等の脂肪酸の代謝経路は、COX、5-LOX、12/15-LOXなどの酸化酵素を介して始まり、その下流には様々な脂肪酸代謝物のネットワークが形成される。本研究では、採取した病変と腹腔洗浄液を用いて、これらの脂肪酸とその代謝物の網羅的な解析(以下、メタボローム解析)を行った。それぞれの検体から脂肪酸代謝物を固相抽出したのち、高速液体クロマトグラフィー・タンデムマススペクトロメトリー(LC-MS/MS)を用いて検出を行った。

さらにマイクロアレイ分析法を用いて、fat-1マウスおよびWild Typeマウスの病変組織における遺伝子発現比を比較検討した。

次いで腹腔洗浄液中の白血球構成の解析のため、各種抗体と反応後、フローサイトメトリー法を用いて観察を行った。さらに腹腔洗浄液中の細胞成分からCD11b陽性マクロファージを単離回収し、腹腔マクロファージにおける遺伝子発現をRT-PCR法を用いて検討した。

【結果】

ω3脂肪酸を高発現するfat-1マウスでは、一個体あたりの病変の個数は有意に少なく(5±0.3個 vs 2±0.3個 p<0.05)、病変一個あたりの重量も有意に小さく(17.5±0.6mg vs 7.5±1.0mg p<0.05)、病変の形成は有意に抑制された。

病変組織のメタボローム解析では、EPAの12/15-LOX系代謝物である12/15-HEPEが、fat-1マウスで最も有意な上昇を認めた。またAAの代謝物は、fat-1マウスにおいて総じて低下し、12/15-HETEがfat-1マウスで有意に低下を認めた。腹腔洗浄液のメタボローム解析でも、病変組織と同様にfat-1マウスにおいて、EPAの代謝物の12/15-HEPEが有意に高値を示し、AAの代謝物の12/15-HETEは低下を認めた。以上の結果から、fat-1マウスにおいて最も有意な増加を認めた代謝物として12/15-HEPEが同定された。

12/15-HEPEと12/15-HETEは、ともに12/15-LOX系代謝物であることから、次に12/15-LOX ノックアウトマウス(以下12/15-LOX KOマウス)とWild Typeマウスで、それぞれEPAの経口摂取群と非経口摂取群における比較検討を行った。Wild Typeマウスでは、EPAの経口摂取によって病変の個数は有意に減少したが、12/15-LOX KOマウスでは、EPAの経口摂取の有無で病変の個数に有意差は認められず、Wild Typeマウスの非経口摂取群と同等の個数であった。腹腔洗浄液のメタボローム解析では、Wild Typeマウスの経口摂取群において、12/15-HEPEが有意に高値を示し、さらに近年新規に同定され、"抗炎症性メディエーター"の一つであるレゾルビンE3(以下RvE3)も有意に高値を示した。これらの結果から、EPAによる病変形成の抑制効果は12/15-LOX系代謝物に依存することが示された。

さらに病変組織におけるマイクロアレイ分析では、炎症性サイトカインの中でもIL-6が、fat-1マウスにおいて最も有意に発現が抑制されていた。IL-6の産生源として腹腔洗浄液中のマクロファージを単離し、RT-PCRにてIL-6の発現を比較したところ、fat-1マウスの腹腔マクロファージではWild Typeマウスと比較して5分の1に抑制されていた。

【考察】

本研究では、fat-1マウスとWild Typeマウスの子宮内膜症モデルで検証を行い、脂肪酸代謝物のメタボローム解析を行った。fat-1マウスで12/15-HEPEの上昇を認めたことから、12/15-LOX系代謝物に注目し、12/15-LOX KOマウスを用いて検討した。Wild TypeマウスのEPA経口摂取群で抑制効果を認めたが、このことはEPAそのもの、もしくはEPA由来の代謝物のいずれかに抑制効果があることを示していた。12/15-LOX KOマウスのEPA経口摂取群では、EPAの12/15-LOX 系代謝物の上昇は認めず、抑制効果は解除された。一方、Wild Typeマウスの経口摂取群では、EPAの12/15-LOX系代謝物である12/15-HEPEおよびRvE3が有意に上昇を示した。このマウスモデルの実験系においては、EPAそのものが単独で抑制効果の中心的役割を果たしている訳ではなく、EPAの12/15-LOX系代謝物こそが中心的役割を担っていると考えられた。

また、マウスにおいて12/15-LOXを発現する細胞のほとんどは腹腔マクロファージであり、ヒトの子宮内膜症患者においても腹腔マクロファージが増加し、炎症性サイトカインの主たる産生源でもあることから、子宮内膜症の発生や進展にも関与すると考えられている。fat-1マウスでは、腹腔マクロファージそのものがω3脂肪酸とその代謝物を高発現していると考えられ、この代謝物の抗炎症効果によって病変形成が抑えられている可能性がある。

EPAの経口投与でも一定の抑制効果は認められたが、よりターゲットを絞った脂肪酸代謝物を同定することが出来れば、実際にその代謝物を投与する際の投与方法や投与経路も含めて今後の研究課題ではあるが、子宮内膜症の新規治療薬の開発につながる可能性がある。本研究では、マウスモデルを用いて子宮内膜症の病態における脂肪酸とその代謝物の動向を初めて検証し、その結果からEPAの12/15-LOX系代謝物が、子宮内膜症を抑制する鍵となるメディエーターとして示された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、子宮内膜症に対して抑制効果を有すると考えられるオメガ(ω)3脂肪酸の病変抑制作用機序を明らかにするため、ω3脂肪酸の代謝系に関連する遺伝子改変マウスを利用した子宮内膜症マウスモデルの系を作成して、子宮内膜症病変の評価および腹腔洗浄液のメタボローム解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1. fat-1トランスジェニックマウス(以下fat-1マウス)は、ω3脂肪酸合成酵素であるfat-1を細胞レベルで発現させることで、全身の組織中でω3脂肪酸を高濃度に発現するマウスである。高ω6脂肪酸含有食を摂取させた同系野生種マウス(以下Wild Typeマウス)と子宮内膜症マウスモデルを作成し比較することで、ω3脂肪酸の病変形成に対する抑制効果を検証した。fat-1マウスでは、内膜症病変の個数、重量ともに有意に少なく、ω3脂肪酸が病変形成に抑制的に働いている可能性が示された。

2. 子宮内膜症マウスモデルにおける病変組織および腹腔洗浄液のメタボローム解析を行ったところ、病変形成が抑制されたfat-1マウスでは、エイコサペンタエン酸(EPA)の12/15-リポキシゲナーゼ(12/15-LOX)系の代謝物である12/15-HEPEが有意に上昇を示した。一方、アラキドン酸(AA)の12/15-LOX系代謝物である12/15-HETEは有意に低下を示した。fat-1マウスを用いたマウスモデルで示された病変形成の抑制効果は、EPAの12/15-LOX系代謝物によってもたらされている可能性が示された。

3. 12/15-LOX系代謝物の抑制効果を検証するために、12/15-LOXノックアウトマウス(以下12/15-LOX KOマウス)とWild Typeマウスについて、EPAの経口摂取群と非経口摂取群でマウスモデルの比較を行った。Wild TypeマウスではEPAの経口摂取により病変の個数は有意に減少したが、12/15-LOX KOマウスではEPAの経口摂取群でも病変の個数は減少せず、Wild TypeマウスのEPA非経口摂取群と同等であった。12/15-LOX KOマウスでは、EPA摂取による抑制効果は解除されることが示された。

4. さらに腹腔洗浄液のメタボローム解析を行ったところ、病変形成が抑制されたWild TypeマウスのEPA経口摂取群では、EPAの12/15-LOX系代謝物である12/15-HEPEが有意に上昇を示したが、12/15-LOX KOマウスのEPA経口摂取群では上昇を認めなかった。一方、AAの12/15-LOX系代謝物は有意差を認めなかった。さらにWild TypeマウスのEPA経口摂取群では、EPAの12/15-LOX系代謝物であり抗炎症性メディエーターのひとつとして近年同定されたレゾルビンE3も有意に上昇を示した。以上より、EPAそのものが単独で病変形成の抑制効果を示しているのではなく、EPAの12/15-LOX系代謝物が抑制効果の中心的役割を担う脂肪酸代謝物であることが示された。

5. 病変組織のマイクロアレイ分析法を行ったところ、病変形成の抑制されたfat-1マウス群では、炎症性サイトカイン経路は総じて抑制されており、特にIL-6の発現の抑制が顕著であった。IL-6の産生源である腹腔マクロファージにおいても、IL-6の発現は同様に顕著に抑制されており、かつfat-1マウスでは腹腔マクロファージの細胞数も有意に減少していた。ω3脂肪酸およびその代謝物は、腹腔マクロファージを介した抗炎症メカニズムによって、マウスモデルにおける病変形成の抑制効果を担うことが示された。

以上、本論文は子宮内膜症マウスモデルにおいて、脂肪酸代謝物のメタボローム解析から、病変形成の抑制効果にEPAの12/15-LOX系代謝物が中心的役割を担っていることを明らかにした。本研究は、子宮内膜症に対するω3脂肪酸およびその代謝物の与える影響とメカニズムの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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