学位論文要旨



No 129390
著者(漢字) 野村,滋
著者(英字)
著者(カナ) ノムラ,シゲル
標題(和) HIV-1 gag遺伝子に関連したウイルス複製能の経年変化の研究
標題(洋)
報告番号 129390
報告番号 甲29390
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第4123号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩中,督
 東京大学 講師 張田,豊
 東京大学 准教授 川名,敬
 東京大学 教授 俣野,哲朗
 東京大学 准教授 三室,仁美
内容要旨 要旨を表示する

ヒト免疫不全ウイルス1型Human Immunodeficiecy type I(HIV-1)は、宿主の免疫選択圧によって急速に進化する。一方、宿主では、細胞傷害性T細胞Cytotoxic T Lymphocyte(CTL)がHIV-1の免疫応答に重要な役割を果たしていると考えられている。CTLは、宿主のHLAに拘束されており、HIV-1 gag領域のエピトープはCTLの最も重要な標的とされている。日本人のHLA allelesの頻度は、HIV-1の研究が盛んな欧米諸国、患者が最も多いアフリカの人種とは異なっており、ウイルスにとっての宿主内の免疫的な環境が異なると考えられる。また、北米では、最近は同性間性交での感染に加え異性間性交での感染や、注射薬物使用による感染拡大もあり、HIV-1感染患者の多くが同性間性交である日本人とは社会的環境も異なっている。日本で流行が始まってから今日までに、HIV-1は欧米とは異なる進化をしている可能性がある。本研究では、HIV-1に感染したAIDSを発症していない慢性期にあり、未治療の177人の日本人を対象に、HIV-1 gagの塩基配列、subtypeを同定し、日本で流行しているHIV-1 subtype B Gagに関連したキメラNL4-3の複製能を調べた。177検体中168検体でgag-proteaseの増幅に成功しgagの塩基配列を同定することができた。168検体中158検体はサブタイプBであった。

サブタイプB以外のウイルス(n=8)、recombinantウイルス(n=2)、実験過程の汚染が疑われるウイルス(n=2)を除外し、計156人の未治療、慢性感染期の日本人のHIV-1感染患者を対象とし、複製能の実験、解析を行った。流行初期に分離されたHIV-1の機能的性質は、近年のそれと異なっている可能性があるが、ウイルス複製能の変化を調査した研究はほとんど見当たらない。本研究では、流行初期と近年とで、日本人から得られたウイルス由来のGag-Proteaseに関連した複製能を比較した。gag-proteaseをコードしたキメラNL4-3を作製するために、156人の未治療、慢性感染期の日本人156人から得られたHIV-1 subtype BからキメラNL4-3ウイルスを作製し、LTR-driven GFP-reporter T cell lineに感染させ、感染の増加率を計算し、複製能とした。その結果、キメラNL4-3の複製能は、診断された年と有意な負の相関を示し、ウイルス複製能は経年的に低下していることが示唆された。病期による影響を考え、病期の指標となる臨床マーカーであるCD4陽性T細胞数とウイルス量を加味した多変量解析を行い、同様の傾向を認めた。同様の考えから、比較的高いCD4陽性T細胞数を維持している患者由来のウイルスのみで解析を行い、複製能と診断された年の有意な負の相関を認めた。次に、本研究での対象期間内にそれまでとは異なる系統のHIV-1 subtype Bが日本に持ち込まれ、新たに増加し始めた場合の影響について検討した。Los Alamos National LaboratoryのHIV-1塩基配列データベースの北米の塩基配列を含めた系統樹を作成した。系統樹上で日本のウイルス由来の塩基配列のみで形成されるclusterがいくつか存在したが、HIV-1感染診断年に偏りは見られず、最も大きなclusterは55の日本人由来のウイルスで形成されていた。最も大きなclusterを形成した55の塩基配列に限定して複製能と診断年との解析を行ったが、やはり複製能と診断された年の有意な負の相関が認められた。これは、本研究での結果が、異なったlineageのsubtype B HIV-1が新たに日本に持ち込まれたためではないと考えられた。さらに、本研究ではバックボーンであるNL4-3のgag-proteaseを患者のgag-proteaseに置換しているため、NL4-3と患者のgag-proteaseとの間の遺伝的な不適合が経年的に大きくなり、その影響で複製能が低下している可能性がある。そこで、NL4-3と患者由来のgag-proteaseの遺伝的距離を計算し、NL4-3と患者由来の塩基配列の遺伝的距離とウイルス複製能の相関を調べた。その結果、遺伝的距離とウイルス複製能との相関はみられず、遺伝的距離を含めた多変量解析でウイルスの複製能と診断された年との有意な負の相関をみとめた。したがって、日本においてgag-protease関連のHIV-1複製能が経年的に低下傾向を示しているという結果は、NL4-3と近年の患者から得られたgagとの遺伝的な不適合が原因ではないと考えられる。ProteaseはGagのスプライシングに関連する酵素であり、GagとProteaseの適合の程度が複製能に影響する可能性があり、それを避けるために本研究では患者のproteaseを含んでいる。Protease阻害薬に対するmajor耐性変異は12個報告されており、本研究で対象となった156検体中140検体のprotease塩基配列を同定し、Protease阻害薬耐性変異は6検体で存在した。Protease阻害薬耐性変異が存在しない134検体で複製能と診断された年との相関を調べると、やはり有意な負の相関を認めた。このように、交絡因子を考慮した上での解析でも、ウイルス複製能と診断された年の有意な負の相関はみられ、日本でHIV-1の流行が始まってから今日までの間に、Gag-Proteaseに関連したHIV-1の複製能は低下してきていることを示唆する。

HLA class I allelesを介する免疫選択圧が、本研究で認めたウイルス複製能の経年的低下に関与している可能性について検討した。ある特定のHLA class I allelesの有無でウイルスの複製能を比較したが、HLA class Iの発現とウイルスの複製能に有意な相関をみとめるHLA allelesは存在しなかった。しかし、HIV-1の診断された年で、流行初期(2002年以前)と近年(2003年以降)とで2群に分けて解析を行うと、流行初期ではHLA-A24を発現している患者から得られたウイルスの複製能は、HLA-A*24を発現していないウイルスの複製能より有意に低下していた。そして、近年では、HLA-A*24の発現の有無でウイルス複製能に有意差はなく、流行初期でのHLA-A*24を発現している患者から得られたウイルスと同程度に複製能は低かった。このような現象は、他のHLA allelesではみられなかった。A*24関連逃避変異により複製能の低下したウイルスが、A*24を発現していない患者に伝播し保持されることによって、集団レベルで日本人集団内に増加していったという可能性が考えられた。最後に、本研究でのデータを用いて、ウイルス複製能に関連するアミノ酸変異の同定を試みたが、統計学的に有意な関連を示すアミノ酸変異は存在しなかった。

本研究では、過去15年間で、日本で流行しているHIV-1のgag-proteaseに関連したHIV-1複製能が有意に低下してきていることを示した。多くの交絡因子が存在する可能性があるため、主な交絡因子に関して検討を加えた。本研究での結果が日本特有な現象なのか、一般的な現象なのかを調べるために、より大規模な研究を行い、他の地域や宿主集団でも確認する必要があるだろう。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、日本におけるHuman Immunodeficiency Virus type 1(HIV-1)の免疫の影響による経年的変化を明らかにするために、未治療、慢性感染期のHIV-1感染者の血漿検体から得られたgag-proteaseをNL4-3のgag-proteaseと置換させたキメラウイルスを作製し、複製能を調べ、HIV-1感染症と診断された年との相関を調べたものであり、下記の結果を得ている。

1.計177人のHIV-1感染者由来の血漿からウイルスの抽出、gag塩基配列の同定を行ったところ、168人の塩基配列を決定することができ、そのうち、158人がサブタイプBであった。

2.キメラウイルスの作製と複製能の解析は、日本人のHIV-1感染者の主流であるサブタイプBのみを対象とし、2人を除く156検体で複製能の測定が成功した。156人の複製能は、患者のHIV-1感染症と診断された年と、統計学的に負の相関を認めた。また、検体採取時の血漿ウイルス量とCD4陽性細胞数を加えた多変量解析でも、複製能は診断された年と負の相関を認めた。HIV-1の複製能は経年的に低下していることを示唆する。

3.免疫による影響以外の複製能に影響を及ぼす可能性がある交絡因子について検討した。病期が進行することによって複製能が変化している可能性を除外するために、比較的CD4数が高く保たれている患者検体のみに限定し同様の解析を行い、それでも複製能は診断された年と負の相関を認めた。本研究での対象期間内にそれまでとは異なる系統のウイルスが集団内に移入し感染拡大した場合、その異なる系統のウイルスの影響を受けているかの性がある。そのため、本研究から得られたウイルスと、Los Alamos National Laboratoryのデータベースから得られた他の地域からのウイルスを含めた系統樹を作成し、系統樹上で日本由来のウイルスのみで形成されるclusterに含まれる55検体のみで同様の解析を行ったところ、それでも複製能は診断された年と負の相関を認めた。また、本研究では、比較的初期の実験株であるNL4-3をプラスミドとして使用しており、プラスミドと挿入した患者由来のgag-proteaseとの不適合が年々増加し、結果として複製能を低下させている可能性がある。そのため、NL4-3と患者由来のgag-proteaseとの遺伝的距離を計算し、複製能との相関を調べたところ、両者の間には相関は見られず、バックボーンとの不適合の影響は大きくないと考えられた。さらに、ProteaseはGagタンパク質の切断に関与しているため、患者由来のProteaseを使用している。Protease阻害薬耐性変異をもたない134検体のみで同様の解析を行ったが、それでも複製能は診断された年と負の相関を認めた。

4.HLAの発現の有無と流行初期と近年とで4群に分けて複製能の比較をしたところ、流行初期では、HLA-A*24を発現していない群では発現している群よりも複製能は有意に高く、近年では、HLA-A*24を発現している群と発現していない群では有意差はなかった。流行初期でのHLA-A*24を発現している群は、近年の感染者由来のウイルス複製能と同等に低かった。HLA-A*24の免疫による影響を受けたウイルスは複製能が低く、HLA-A*24を発現している群の複製能を低下させている可能性があり、また、近年で、HLA-A*24を発現していない群の複製能が低くなっているのは、HLA-A*24の免疫による影響を受けた複製能の低いウイルスが、感染拡大とともに、HLA-A*24を発現していない群にも感染拡大し、その性質を維持し、集団内で蓄積してきている可能性を示唆する。また、HLA-A*24以外のHLA allelesでは、このような減少は見られなかった。HLA-A*24は、7割以上の日本人に発現しており、最も頻度の高いHLA allelesである。このような頻度の高いHLAの免疫に関連する影響は、集団内でHLA関連変異体の蓄積を促進させている可能性がある。

以上、本論文は免疫の影響によるHIV-1の経年的変化をGag-Prptease関連キメラウイルスを作製し複製能を比較し解析することによって調べたものである。複製能と診断された年は、負の相関を認め、日本におけるHIV-1の実験室的な複製能が経年的に低下している可能性があることを示唆している。その直接的な原因に関してはまだ推論の域を出ていないが、HLA関連変異の集団内における蓄積の影響を受けている可能性を示した。実験室的な複製能の経年的変化を示した論文はほとんどなく、日本におけるHIV-1の進化についての見解に、重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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