学位論文要旨



No 129392
著者(漢字) 山本,直子
著者(英字)
著者(カナ) ヤマモト,ナオコ
標題(和) HPVワクチンと子宮頸癌検診の本邦における費用対効果分析
標題(洋)
報告番号 129392
報告番号 甲29392
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第4125号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,廉毅
 東京大学 准教授 北中,幸子
 東京大学 准教授 秋下,雅弘
 東京大学 准教授 瀧本,禎之
 東京大学 講師 藤本,晃久
内容要旨 要旨を表示する

【背景】

ヒトパピローマウイルス(HPV)の持続感染が子宮頸癌の原因となっている。高率に癌組織に検出されるタイプが高リスク型、癌に殆ど検出されないものが低リスク型と分類されている。高リスク型HPVのうち、HPV16,18が海外の約70%の子宮頸癌発生に関わっていると推定されている。本邦では子宮頸癌で毎年2500人の女性が死亡しており、40歳以下の女性の中では3番目に多い死因となっている。子宮頸癌の年齢階級別死亡率はアメリカ合衆国、イギリスでは減少を認めているが、本邦ではこの20年間ほぼ横這いである。

これまで、子宮頸癌の対策としては、子宮頸部細胞診による癌検診が重要な国家戦略となってきた。しかしながら、日本では細胞診検診の受診率が10~20%と非常に低く、イギリスは81%、フランスは54%、アメリカ合衆国は>82%である。

HPV16,18型への感染を予防するHPVワクチンが認証され、本邦でも2009年12月より使用可能となった。新しいHPVワクチンは子宮頸癌に対する重要な国家戦略となりうるが、これに対する公費助成のあり方について議論が巻き起こった。また、本邦ではHPVタイプの分布が諸外国と比較しHPV16,18の占める割合が低く、他国と比較してHPVワクチンの有用性がより低いのではないかということが危惧された。そこで、HPVタイプ別、年齢別の感染率を組み入れ、異なる検診率とワクチンの有無を組み合わせた保健介入間の比較を分析し、本邦における医療経済学的に最も効率的なHPVワクチンと癌検診のあり方を検討した。

【研究目的】

本邦において子宮頸癌検診の検診率を現況の20%から50%、80%にあげた場合またこれに11歳女児全員への2 価ワクチンの接種を加えた場合の6種類の保健介入を比較し、費用対効果を分析する。

【研究方法】

マルコフモデルを使用し、HPV感染から子宮頸癌への進展、死亡までの自然史をシミュレーションする数理疫学モデルを作成した。25のマルコフステイトから成り、モデルの開始時点の対象はHPVに暴露されたことのない11歳女児とし、1か月毎に各移行確率に従い次のステイトに移動もしくは留まることとした。HPV非感染群からHPV16,18型DNA陽性群、他の高リスク型HPV DNA陽性群、低リスク型DNA陽性群に分かれ、其々子宮頸部の前癌病変である異形成・頸部上皮内腫瘍(CIN1,2,3)へと進行する。子宮頸癌検診は20歳以上2年に1回の頻度で受診するとした。診断を受けるとそのステージに応じた介入がなされる。本邦の平均退職年齢である60歳になるまで、もしくはそれ以前に死亡するまでをシミュレーションした。ワクチン群では11歳女児全員に加入時点でワクチン接種をすると仮定した。

ワクチン効果は8つのランダム化比較試験で検討されている。本研究モデルではHPV16,18の持続感染の相対危険率を0.12(95%CI0.03-0.48)、HPV16,18以外の高リスク型HPVの持続感染の相対危険率を0.5(95%CI0.3-0.7)として組み込み、後に感度分析を行った。移行確率に関しては、HPV非感染者からHPV16,18、他の高リスク型HPV、低リスク型HPVへの移行確率は、日本女性の年齢階級別HPVタイプ別感染率データを使用した。また、文献より各ステート間の移行確率を決定し、本邦における子宮頸癌のFIGO分類のステージ別の累積生存率データが存在しないため、妥当性を確認し、US SEER(Surveillance and Epidemiology and End Results)プログラムのデータを使用した。最終的に、子宮頸癌の年齢階級別罹患率を使用して補正を行い、子宮頸癌の年齢階級別死亡率を使用して適合度検定を行い、モデルの妥当性を検証した。

費用計算にはプログラム費用と、時間費用を含んでいる。日本の医療保険制度で使用されている診療報酬よりプログラム費用を計算し、2007年8月から2009年11月の東京大学医学部附属病院の婦人科患者の診療費を用いて妥当性を評価した。

効用値は、異なる健康状態においてこれまでの研究で使用されている値を使用した。健康状態によって左右される生活の質を数字で評価し、1年間完全に健康である状態を1.0、死亡を0と表した。健康状態が変化することに伴ってこの値は変化し、その状態に留まった時間を掛け合わせ死亡時までの総和をQuality-Adjusted Life Years(QALYs)とした。これを使用することによって異なる保健介入を様々な条件下で比較することが可能となる。

6種類の保健介入を結果として得られた効果の順に並べ、増分費用効果をより効果が高い値のものと比較し、分析した。最も費用対効果に優れているのは、最も効果が高くかつ日本の増分費用効果比の上限値を450万円と仮定した際に、この値以下となる選択肢である。

【結果】

子宮頸癌の生涯罹患リスクは、細胞診検診率を現在の20%から50%、80%まで上げると45.5%(IQR 42.0-48.7)、63.1%(IQR 60.5-65.7)減少させることが分かった。HPVワクチン接種をこれに加えた場合検診率20%、50%、80%では生涯罹患リスクが66.1%(IQR 68.3-64.2)、80.9%(IQR 78.6-83.3)、86.8%(IQR 85.4-87.9)減少することが分かった。

保健介入別1人あたり費用に関しては、ワクチン接種を伴った保健介入では検診単独の保健介入と比較し約4倍の費用がかかる。

各保健介入における増分費用対効果を分析し、450万円を上限値とするとワクチン接種に加え、検診率50%の保健介入が最も費用対効果に優れていた。

ワクチン効果の感度分析では、ワクチン効果が最小である時は検診率80%とワクチン接種が最も費用対効果に優れていた。一方ワクチン効果が最大、または基本値の場合検診率50%とワクチン接種が最も費用対効果に優れていた。

【考察】

本邦において有効な子宮頸癌対策をたてる上で、子宮頸癌の細胞診受診率の低さ、HPVタイプ別罹患率が西洋諸国とは異なっていることを考慮することが必須である。本研究では最新のHPV型別年齢階級別罹患率を使用した。このデータでは若年年齢層においてHPV16,18の検出率がより高い。若年女性は平均余命が長いため、高い年齢層の女性と比較すると子宮頸癌を予防することでより多くのQALYsが得られる。結果としてHPV16,18への感染を予防するワクチン導入による効果は危惧されていたように低くはなかった。

本研究の結果より子宮頸癌検診率を50%に上げることによって子宮頸癌の罹患を半分に減らすことができ、費用も抑えることができた。HPVワクチンの導入により子宮頸癌の罹患を三分の一に減らすことができるが費用は4倍かかる。6通りの保健介入を比較すると本邦において最も費用対効果に優れているのは検診率を50%に上げ、HPVワクチン接種を11歳女児全員に行う戦略である。感度分析によっても望ましい検診率の値は50%から80%の間にあることが示唆された。国のワクチンプログラムが継続される如何に関わらず子宮頸癌検診の検診率を上昇させ子宮頸癌に対する戦略の効果を最大限引き出すべきである。

本研究において留意が必要な点は、まずワクチンによって一生涯持続する免疫を獲得するとしたことである。2価のHPVワクチンは近年使用が開始されたものであり、最新の研究では8.4年効果が持続していることが実証されている。将来的にワクチンの追加接種が必要となった場合はワクチン接種費用を過小評価したことになる。次に日本では子宮頸癌のステージ分類別の人口に基づく生存率のデータがないことが挙げられる。このようなデータはモデルを作成する上で必要不可欠であるが、本研究では日本の地域癌登録を使用して検証したUS SEERのデータを使用した。また、中学生の性交渉経験率は2-4%と低く、本研究における11歳女児全員がモデルに加入するとHPV罹患のリスクを負うという設定は若干早いと考えられる。本モデルにおいて15歳を加入開始年齢として分析を行ったところ11歳とした場合と大きな違いはなく、加入年齢を変化させると結果が大幅に異なることはないと考える。また、女児やその親がワクチン接種を拒否する可能性を考慮に入れていない。費用と効果はこれを考慮した場合と比較し過大評価されているが、保健介入間の比較には影響を及ぼさない。最後に、本モデルでは検診率やワクチン接種を促進するためのキャンペーン費用は含んでいない。このため、プログラム費用を過小評価していると考えられる。検診率上昇、ワクチン接種促進双方を進める上で追加の費用が必要となる。

本邦における子宮頸癌検診は老人保健事業において施行されていたが、1998年以降は市町村事業として実施されている。また、企業による検診も行われているが、実施義務は定められていない。検診受診率をあげるためにはイギリスのThe national call and recall system設立のように国をあげてのシステム作りが重要であると考えられる。 本研究ではHPVワクチンを11歳女児全員接種することによって一人当たり49000円の費用で子宮頸癌の罹患を現状100%とすると33.9%へ減少させることを示した。11歳女児全員にHPVワクチン接種を行うには337億円かかるが、この人々が一生を送っていく上で子宮頸癌から受ける経済的損失を分析すると明らかに現状の検診率20%のみの状況下で損失が大きくなる。本研究では本邦におけるHPVワクチン接種が費用対効果に優れていることを明らかにし、ワクチン接種によって将来の社会全体としての効用が増加することを示した。医学的そして経済的なエビデンスに基づいた政策の優先順位づけ、選択が重要である。将来的には、本研究でシミュレーションしたようにHPVワクチン接種が一定年齢の女児全員に施行され、HPV感染が抑えられた場合は検診間隔を延長、検診開始年齢を上げることなども可能となるであろう。HPV-DNAテストを検診に組み込んでいくことも検討が進められており、費用対効果を評価していく必要がある。

HPVワクチンの日本導入は他国と同様に費用対効果に優れていることが分かった。HPVワクチン接種施行と同時に細胞診検診率をあげていくことによって一層優れた費用対効果が発揮される。限られた医療資源を効率的、効果的に使用し、本邦における子宮頸癌の負担を最小限に食い止めるべきである。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、子宮頸癌対策としてこれまでの子宮頸癌細胞診検診に加え2009年12月より本邦でHPVワクチン接種が可能となったことを受け、限られた保健医療資源をどのように使うべきか費用対効果分析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.マルコフモデルを用いてHPV感染から子宮頸癌への進展、死亡までの自然史をシミュレーションするモデルを作成し、日本における11歳女児全員を対象に、60歳まで、もしくはそれ以前に死亡するまでのシミュレーションを行った。検診率を現在の20%から50%、80%へと上げると子宮頸癌の生涯罹患リスクを各々45.5%(IQR42.0-48.7)、63.1%(IQR60.5-65.7)減少させると推計された。ワクチン接種と検診率を組み合わせた場合、検診率20%、50%、80%で各々生涯罹患リスクを66.1%(IQR68.3-64.2)、80.9%(IQR78.6-83.3%)、86.8%(IQR85.4-87.9)減少させると推計された。

2.10万人あたりの総QALYsは検診率を上昇させ、またワクチン接種が追加されるとわずかに増加すると推計された。ワクチン接種を伴った保健介入は検診単独の保健介入と比べ約4倍の費用がかかると推計された。

3.各保健介入をQALYsのより多く得られる保健介入と比較し、増分費用対効果を計算した。アメリカ合衆国における費用対効果分析で長年引用されてきた支払意志額$50,000に照らし合わせ、450万円を本邦における上限値とすると、ワクチン接種に加え検診率50%の保健介入が最も費用対効果の高いことが示された。

4.ワクチン効果に関して感度分析を行った。ワクチン効果が最小である時は、80%検診率とワクチン接種が最も費用対効果に優れていることが示された。一方ワクチン効果が最大、または基本値の場合、検診率50%とワクチン接種が最も費用対効果に優れていることが示された。

以上、本研究は本邦の子宮頸癌対策について、20%、50%、80%検診率とこれにHPVワクチン接種を加えた場合の6通りの保健介入を比較し、一定の条件の下で最も費用対効果に優れているのは検診率を50%に上げ、ワクチン接種を11歳女児全員に行う保健介入であることを明らかにした。感度分析によれば望ましい検診率の値は50%から80%の問にあることが示唆された。本研究は、諸外国に比して検診率が低く、HPVタイプの分布が異なる本邦において検診率とワクチン接種を組み合わせた対策の費用対効果分析を行い有用な結果を得ている。本研究は本邦の子宮頸癌対策を考える上で重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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