学位論文要旨



No 129407
著者(漢字) 山田,浩司
著者(英字)
著者(カナ) ヤマダ,コウジ
標題(和) 清潔整形外科手術における術野汚染菌の特徴を探索するための術野培養研究
標題(洋)
報告番号 129407
報告番号 甲29407
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第4140号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 芳賀,信彦
 東京大学 准教授 竹下,克志
 東京大学 特任准教授 吉村,典子
 東京大学 准教授 秋下,雅弘
 東京大学 講師 山口,泰弘
内容要旨 要旨を表示する

【序文】

清潔整形外科手術の手術部位感染( surgical site infection, 以降SSI )は、米国で骨折手術が年間10万件、人工関節置換術が年間1.2万件発生していると推定される。SSIは人工関節再置換の最大の要因であり、その発生数、率共に増え続けている。また、SSIが原因の再置換術はその他の再置換術に比べ早期に脱落し、耐性菌感染でさらに成績が悪くなる。高い死亡率も報告され、患者の生死にも関わる問題と言える。確立した治療法があるとは言いにくく、予防こそ最善の対策であると考える。

米国疾病予防局( Centers for Disease Control and Prevention, 以降CDC )と世界保健機関( World Health Organization, 以降WHO )は術野汚染細菌がSSIの主因であるとしている。SSIの多くは術野汚染菌が術中創内に混入することで起こり、人工物を留置する際は少量でも感染が成立する。SSIリスクは汚染細菌量と細菌の毒性に比例すると考えられており、SSI予防を考える上で術野汚染菌量をどのように抑制するかは重要である。

代表的なSSI対策に、予防的抗菌薬投与、術野消毒、や術中洗浄がある。予防的抗菌薬投与は最もエビデンスレベルの高い対策であり、術野を汚染しやすい菌に対して抗菌活性のある抗菌薬が推奨される。術野消毒の目的は、術野皮膚常在菌を迅速に殺菌することでありポピドンヨードが良く用いられる。また、術中洗浄は術野汚染菌や異物を洗い流しその量を減らすことが目的であり、生理食塩水が好まれる。しかし、これらの対策後の術野汚染の実態について大規模に調査した研究はない。特に最終洗浄後閉創時の術野汚染は、SSI に直結する可能性があるにも関わらず、そのリスク探索は十分に行われていない。

さらに、メチシリン感受性黄色ブドウ球菌( Methicillin-sensitive Staphylococcus aureus, 以降 MSSA )やコアグラーゼ陰性ブドウ球菌( Coagulase negative Staphylococci, 以降 CoNS )は、その耐性化が世界的な問題となっており、SSI起因菌の中でメチシリン耐性黄色ブドウ球菌( Methicillin-resistant Staphylococcus aureus, 以降 MRSA )やメチシリン耐性コアグラーゼ陰性ブドウ球菌( Methicillin-resistant coagulase negative Staphylococci, 以降 MRCoNS )の占める割合は大きい。しかし、これらの耐性菌がどの程度術野を汚染しているかは十分に分かっていない。これらの菌が術野汚染菌として同定されるかどうかは、予防的抗菌薬の選択にも関わる問題であり、その実態を探索する意義は大きい。そこで私は、術野汚染菌の特徴を探索することを目的に、東京大学医学部整形外科・脊椎外科学教室関連病院の協力を得て多施設前向き横断研究を行った。

【結果】

<2施設共同研究>

清潔整形外科手術患者を対象に都内2施設で術野培養研究(以降 2 施設研究)を行った。計 1,347 名から術中3回( スワブ1:消毒直後、スワブ2:初回洗浄直前、スワブ3:最終洗浄後閉創時 )スワブ培養を採取し、3回とも検体が採取できた1259名( 93.5 % )を解析対象とした。タイミング別培養陽性数( 術野汚染率 )はスワブ1: 13 件( 1.0 % )、スワブ 2 : 48 件( 3.8 % )、スワブ 3 : 64 件( 5.1 % )であった。術中術野汚染率は初回洗浄直前( スワブ 2 )に増え、統計学的有意ではないもののスワブ 2 からスワブ 3 にかけて改善することなく、むしろさらに高率となった( P = 0.122 )。追加解析では、スワブ 2 で陽性となった 48 件中、洗浄後に陰性化したのは 10 件( 20.8 % )にとどまり、スワブ 2 が陰性であった 1211 件中、スワブ 3 で培養陽性となったものが 26 件( 2.1 % )あり、スワブ 3 陽性例全体の 40.6 % を占めた。多変量解析では、スワブ 2、3 共に検体採取時間と有意な関連を認めず、男性、及び脊椎手術( 骨折手術に対して )で有意となった。さらに、本研究の術野培養同定菌は CoNS が最多で(70 株)、一部にメチシリン耐性( MRCoNS )を認めた( 9 株: 12.9 % )。MRSA は同定されなかった。

<多施設共同研究>

2 施設研究では、最終消毒薬、予防的抗菌薬投与や術中洗浄液以外の周術期SSI対策を統一することができなかった。また、参加施設数や症例数も限られ、検体採取時間は約12 % 欠損していた。そこで、これらの問題点を可能な限り改善し、5施設前向き研究( 以降 SSIPP )を行った。

計802名から採取できたスワブ数(採取率)は、スワブ 1 が 792 件( 98.8 % )、スワブ 2 が792 件( 98.8 % )、スワブ 3 が789 件( 98.4 % )であり、全てのタイミングでスワブが採取された 785 名( 97.9 % )を解析対象とした。検体採取時間の記載漏れは スワブ 2、3 共に1 % 以内であった。タイミング別培養陽性数(術野汚染率)はスワブ 1 が18 件( 2.3 % )、スワブ 2 が 47件( 6.0 % )、スワブ 3 が 70 件( 8.9 % )であり、消毒直後でも術野汚染を認め、洗浄後に有意に増加した( P = 0.027 )。スワブ 2 で陽性となった 47 件中、洗浄後に陰性化したのは 12 件( 25.5 % )。スワブ 3 で陽性となった 70 件中35 件( 50 % )は徹底した洗浄後( スワブ 3 )に初めて培養が陽性となった。術野汚染リスクは、スワブ2、3で共に検体採取時間と有意な関連を認めず、年齢、男性、及び脊椎手術( 骨折手術に対して )が有意となった。同定された細菌は CoNS が最多で( 69 株 )、そのうち MRCoNS は 18 株( 26.1 % )であり、MRSA は同定されなかった。

【考察】

術野汚染菌の特徴を探索するために2つの多施設前向き研究を行った。特にSSIPPでは、使用した予防的抗菌薬、洗浄液、培養法は2 施設研究と統一し、グルコン酸クロルヘキシジンによる仮洗い、最終消毒薬の乾燥、その後のヨード含有粘着ドレープ( 以降 アイオバンドレープ )使用、2重手袋( 手術チーム全員 )を新たに追加した。しかし、それでも消毒直後に術野汚染は確認され、徹底した洗浄を行っても有意な改善はなく、むしろ全体では洗浄後増悪した。また、2つの研究で術野汚染は検体採取時間と関連せず、男性と脊椎手術( 骨折に対して )が有意に関連し、概ね同様の傾向であった。また、最も多く同定された細菌は CoNS であり、一部はメチシリン耐性であり、2つの研究を通して MRSA は 1 株も同定されなかった。

SSIPPでは、全例仮洗いを行いポピドンヨードの乾燥を待ったが、それでも消毒直後の術野から細菌は同定された。また、消毒後残存菌対策として全例にアイオバンドレープを使用したが、これらの対策を行っても術野汚染率は増加した。追加対策として、両研究で術中生理食塩水洗浄を行った。しかし、共に洗浄後に明らかな術野汚染率の改善は認めず、SSIPP ではむしろ有意に悪化した。さらに、スワブ 2 で陽性となった症例のうち洗浄後に陰性化したのは両研究で全体の約 1/4 にとどまり、生理食塩水洗浄の有用性には疑問が残る結果となった。これらのことから、術中は生理食塩水洗浄の汚染菌除去効果を過信することなく、その他の対策も十分に行うことが重要と考える。

術野汚染リスク探索では、2 つの研究でスワブ 2 は検体採取時間と関連していなかった。むしろ性別( 男性 )や術式( 脊椎手術 )と強い関連を認め、スワブ 3 も同様であった。男性や脊椎手術の SSI 率は高いことが知られている。SSI リスクは術野汚染細菌量に比例することから、男性と脊椎手術は術野汚染細菌量の問題が大きく影響している可能性がある。一方、長時間手術もSSI リスクの一つであるが、本研究では検体採取時間は術野汚染率と関連していなく、術野汚染細菌量が増えることがその主因であるとは考えにくい。術野汚染リスクが明らかな要因に対しては術中術野汚染対策の強化を、明らかでない要因に対しては術野汚染以外の対策を含めた包括的な対策がより有用と思われる。

本研究で最も多く同定されたのはCoNS であり、主要術野同定菌は両研究で再現性を認め諸家の報告と同様であった。また、同定された CoNSのうち 12.9 ~26.1 % がメチシリン耐性であった。CoNS は主要SSI 起因菌の一つであり、起因菌の約 60 % がメチシリン耐性と報告されている。CoNSやMRCoNSは術野から同定され得ることから、これらの菌による感染は術野汚染が原因である可能性がある。CDC は、MRCoNS を SSI起因菌として認める施設で抗 MRSA 薬の予防的抗菌薬投与の検討を提唱している。本菌による SSI が多発する施設では、先に術野汚染対策の改善に着手し、その上で抗 MRSA 薬の予防的投与を検討すべきであろう。また、2つの研究で計 2,044 件の手術( 合計 6,132本の術中培養 )からMRSA は同定されなかった。本研究と同様のプロトコールで術前準備を行う限り MRSA 感染は術中汚染に起因するものとは考えにくい。MRSA感染については、これまで術前鼻腔保菌、全身保菌、及び術後要因との関連を示唆する報告があり、本菌のSSI 予防には術前後の介入がより有効である可能性がある。

一連の研究から、現在のSSI対策における様々な問題が明らかとなり、様々な仮説が浮かび上がった。今後は、より検証的な研究を行い、より効率的で有用なSSI対策の実現につなげていきたい。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は清潔整形外科手術の手術部位感染の主因と考えられている術野汚染菌の特徴を探索するため、清潔整形外科手術患者を対象とした 2 つの大規模な前向き横断研究( 2 施設研究 と SSIPP )の解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.ポピドンヨードを最終消毒薬として用いた場合、術野は消毒直後から低率ではあるが一定の確率で汚染されている( 2 施設研究)。これは、直前にグルコン酸クロルヘキシジンによる仮洗いを徹底し、ポピドンヨード消毒後の乾燥を待ってから検体を採取しても同様であった( SSIPP )。

2.消毒後残存菌や落下細菌など様々な要因により増える術野汚染細菌量の改善を目的に行った術中生理食塩水洗浄は、洗浄後に術野汚染率が改善していなく、2 施設研究では統計学的有意ではないもののむしろ増悪し、SSIPP では統計学的有意に増悪した。

3.また、初回洗浄直前の術野培養で陽性となった症例のうち洗浄後に陰性化したのは、2つの研究で約 1/5 ~ 1/4 であり、生理食塩水洗浄の有用性には疑問の残る結果となった。これらのことから、術中術野汚染対策としての生理食塩水洗浄の汚染細菌量抑制効果には限界があり、何かしらの改善策が必要と思われる。

4.術野汚染リスク探索では、2 つの研究でスワブ 2 の術野汚染は検体採取時間と関連していなかった。むしろ、男性や術式(脊椎手術)と強い関連を認め、スワブ 3 も同様であった。また、SSIPP ではスワブ 3 で新たに年齢が術野汚染と有意な関連を示した。術野汚染リスクが明らかな要因に対しては術中術野汚染対策の強化を、明らかでない要因に対しては術野汚染以外の対策も含めた包括的な対策がより有用と思われる。

5.術野汚染菌として最も多く同定されたのは CoNS であり、その 12.9 - 26.1 % がメチシリン耐性であった。メチシリン耐性 CoNS は手術部位感染の主要起因菌の一つであり、さらなる対策が必要と考える。

6.2 つの研究で、合計 2,044 件の手術(合計 6,132 本の術中培養)から MRSA は同定されなかった。本研究と同様のプロトコールで術前準備を行う限り、手術部位の術後 MRSA 感染は術中汚染に起因するものとは考えにくい。

以上、本論文は清潔整形外科手術の術野汚染の特徴について、術野汚染率という視点からその傾向と、リスク要因について、また術野汚染菌についてはその耐性率という視点から詳細に分析が行われている。一連の研究から、現在の手術部位感染対策における様々な問題が明らかとなった。得られた結果は、今後の手術部位感染対策の発展に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考える。

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