学位論文要旨



No 129419
著者(漢字) 日野,明紀菜
著者(英字)
著者(カナ) ヒノ,アキナ
標題(和) マラリア原虫ミトコンドリア複合体IIの機能解析
標題(洋)
報告番号 129419
報告番号 甲29419
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第4152号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,洋史
 東京大学 教授 甲斐,知恵子
 東京大学 教授 渋谷,健司
 東京大学 准教授 馬淵,昭彦
 東京大学 准教授 野入,英世
内容要旨 要旨を表示する

緒言

マラリアは、アフリカを中心に年間70万人余の死者が報告されている原虫感染症である。ワクチンは未だに開発されておらず、既存の薬剤に対する耐性株の出現も深刻であることから、基礎研究の推進による新規薬剤標的の探索が必須である。

マラリアの感染は、マラリア原虫Plasmodium spp. がハマダラカAnopheles spp. によって媒介されることで成立する。マラリア原虫は二種類の宿主間を行き来する際に大きな環境変化に遭遇しており、原虫は代謝を大きく変動させることでそれらの変化に適応していると考えられる。その一つとしてエネルギー代謝の変化に注目した。

ミトコンドリアは、多くの好気性生物においてTCA回路および電子伝達系を通じた酸化的リン酸化によるATP産生の場として重要な細胞小器官である。しかし、マラリア原虫におけるミトコンドリアの重要性は以下の理由から不明なままであった。第一に、マラリア原虫は一細胞につき一つのミトコンドリオンしか持たず、またその形態はクリステが発達していない。第二に、マラリア原虫は解糖系からの炭素源をTCA 回路に取り込むための酵素であるピルビン酸脱水素酵素をミトコンドリアに持たない。これらの結果から、マラリア原虫は細胞質における解糖系のみに頼ったエネルギー産生を行っていると考えられてきた。一方で、TCA回路および電子伝達系に関わる酵素の遺伝子をゲノム上に全て有していること、メタボローム解析の結果TCA回路代謝産物が全て検出されたこと、また、ミトコンドリアが膜電位を形成していることからも、マラリア原虫においてTCA回路および電子伝達系が存在していることは確かと考えられる。それかかわらず、マラリア原虫TCA回路および電子伝達系の生理的機能はほとんど理解されてこなかった。一方で、哺乳類ステージと蚊ステージの移行期であるガメトサイトおよびそれ以降の蚊ステージの原虫ではミトコンドリアの形態が変化し、数も増加することから、TCA回路や電子伝達系の重要性が増すことが予測されているが、これらのステージを用いた炭素代謝に関する知見はこれまで全く得られて来なかった。

私はミトコンドリア酵素の中でも、TCA回路と電子電伝達系を直接結び、炭素代謝に重要な役割を果たす酵素であるミトコンドリア複合体II (コハク酸-ユビキノン酸化還元酵素: succinate-ubiquinone reductase: SQR) に注目して研究を進めてきた。 複合体IIは、TCA回路においてコハク酸を酸化しフマル酸を生成すると同時に、好気的環境での電子伝達系においてコハク酸酸化により得られた電子をキノンに伝達することで、複合体III、IVを介したミトコンドリア内膜プロトン濃度勾配の形成に寄与している。一方で、腸内に寄生するブタ回虫や腫瘍深遠部ガン細胞など嫌気的環境ではキノールの電子をフマル酸へと受け渡しコハク酸を生成する (キノール-フマル酸還元酵素: quinol-fumarate reductase: QFR)という、SQRの逆反応を行うことが知られている。一般的な複合体IIは以下の4つのサブユニットから構成されている: フラボタンパク質サブユニット(Fp、遺伝子名: sdha) 、鉄-硫黄クラスタータンパク質サブユニット (Ip、遺伝子名: sdhb)、シトクロムb大サブユニット (CybL、遺伝子名: sdhc)) 、シトクロムb小サブユニット (CybS、遺伝子名: sdhd) 。このTCA回路と電子伝達系の双方を直接結びつける酵素である複合体IIの機能欠損による影響を観察することで、TCA回路および電子伝達系の機能を検討することを試みた。基質の酸化還元が行なう触媒部位であるFpサブユニット遺伝子の遺伝子破壊株を作成し、その表現型解析により生理的役割の検討を行うことができると考えた。

遺伝子破壊株の作成は、ネズミマラリア原虫P. bergheiを用いた。ネズミマラリア原虫は遺伝子破壊の方法が確立されており、さらに原虫は宿主特異性が高いことから、ヒトへの感染の危険性を考慮せずに全てのステージの原虫を観察することが可能である。

以上の理由から、ネズミマラリア原虫P. bergheiミトコンドリア複合体II Fpサブユニット遺伝子破壊株の作製およびその表現型の解析によりマラリア原虫ミトコンドリア複合体IIの機能解明を試みた。

結果と考察

P. bergheiミトコンドリア複合体II Fpサブユニット遺伝子 (Pbsdha) 破壊株 (Pbsdha(-)原虫)を作製するにあたり、最初にPbsdha 遺伝子の発現解析を行った。すなわちPbsdhaプロモーター制御下でAGFPを発現する原虫(Pbsdha::AGFP) を作製した。

Pbsdha::AGFP原虫の蛍光顕微鏡下での観察の結果、ミトコンドリアのマーカーであるMitoTrackerと共局在するAGFPシグナルを検出した。このことから、AGFPがミトコンドリアで発現していることが示された。さらに、このAGFPシグナルはリング期を除く全ての赤血球内ステージおよび蚊ステージにおいて発現が観察された。なお、リング期原虫はミトコンドリアが非常に小さいことが知られており、AGFP の発現も検出限界以下であったと考えられる。以上の結果から、マラリア原虫生活環の全てにおいてPbsdha 遺伝子が発現していることが示された。

次に、置換型二重交差相同組換えによるPbsdha遺伝子の遺伝子破壊株を作製した。5'UTR部位と3'UTR部位による相同組み換えにより、Pbsdha遺伝子と薬剤耐性マーカー遺伝子であるToxoplasma gondii ジヒドロ葉酸脱水素酵素 (TgDHFR) 遺伝子との置換を行った。サザンブロットおよびPCRによりPbsdha(-)原虫において目的部位での遺伝子置換が起こっていることを確認した。さらにウェスタンブロットにより、Pbsdha(-)原虫においてFpペプチドが存在しないこと、活性測定によりSQR活性が消失していることを確認し、以降この原虫を遺伝子破壊株として表現型解析に用いた。

マラリア原虫生活環に沿って、マウス体内の赤血球内ステージ、ガメトサイト、蚊体内のガメート、オーキネート、オーシスト、さらにその後の蚊からマウスへの原虫の伝播における表現型解析を行った。その結果、赤血球内ステージでは遺伝子破壊を行なったPbsdha(-)原虫は野生型と同様に増殖した。一方、Pbsdha(-)原虫は蚊ステージにおいて野生型と大きく異る表現型を示した。Pbsdha(-)原虫は、蚊中腸内におけるオーキネート形成数が野生型に比較して1/5に減少しており、さらに、オーシストを全く形成しなかった。以降のステージの観察の結果、Pbsdha(-)原虫は新規感染が観察されなかった。

これらのステージによる表現型の相違の原因として、生存環境の変化が考えられる。第一に、哺乳類宿主体内の主な糖はグルコースであるのに対し、蚊体内の糖はトレハロースである。マラリア原虫はトレハロースを解糖系の基質として用いることができないため、原虫はこの環境に適応する必要があると考えられる。しかも、蚊体腔液中にはプロリンなどのアミノ酸が豊富であることからも、これらのステージの原虫は炭素源をグルコースからアミノ酸に切り替えている可能性があり、TCA回路および電子伝達系を用いたアミノ酸を炭素源としたATP産生が原虫にとって必須となると考えられる。これらの経路が駆動されるためには、複合体IIがTCA回路をつなげ、さらに電子伝達系への電子の流入を行うことが不可欠である。第二に、蚊ステージであるオーシストやスポロゾイトは細胞外で生育することから、これらの原虫は好気的環境で成育すると考えられる。このことは、酸素を必要とする複合体IV活性が上昇する可能性を示唆しており、プロトン濃度勾配形成の増大、それによる酸化的リン酸化によるATP産生の増大が起こることが予測される。複合体IVへの電子伝達が活発に行われるためには、複合体IIによるコハク酸からの電子伝達系への電子の流入が必要であると考えられる。またこれらの結果は、赤血球内原虫がこれまで考えられてきた通りに、エネルギー代謝の多くをグルコースを炭素源とした解糖系に依存していることを支持している。しかし一方で、赤血球内ステージでもPbsdha遺伝子が発現していること、またSQR活性が検出されることからも、複合体IIが赤血球内ステージにおいても何らかの機能を持っていることが考えられる。

その機能については、複合体IIはTCA回路酵素であり同時に電子伝達系酵素でもあることから、複合体IIのどの役割が赤血球内ステージ原虫で機能しているのかはより詳細な検討を行う必要があるが、以下の可能性が考えられる。マラリア患者体内では、重症化に伴って低血糖状態になることが知られている。そのような状態におけるグルコースの代替炭素源として、TCA回路を利用してアミノ酸を取り入れた酸化的リン酸化を行なっている可能性が考えられる。また、通常の好気的環境におけるキノールからキノンへの再酸化は、ユビキノール-シトクロムc 酸化還元酵素 (複合体III) 、シトクロムc酸化酵素 (複合体IV) の一連の電子伝達によって行われる。しかし、低酸素状態では複合体IVが十分に機能しないためにこの再酸化が起こりにくいと考えられる。ユビキノールの再酸化は、ヘム生合成および核酸生合成といった原虫にとって必須である反応に必要であることが知られていることから、嫌気的環境におけるキノールの再酸化は、低酸素環境に生息する回虫ミトコンドリアなどと同様に複合体IIが通常の逆反応であるフマル酸呼吸のQFRとして機能することで補償されると考えられる。さらに、ヘム生合成の基質であるサクシニルCoAの合成に必要なコハク酸の供給源として寄与している可能性も考えられる。

展望

以上の結果から、マラリア原虫ミトコンドリア複合体IIは、マラリア原虫の環境変化に対応するための重要な要素として機能していることが明らかとなった。マラリア原虫TCA回路酵素の遺伝子破壊による影響の報告は本研究が初めてであり、この結果は、複合体IIのマラリア原虫TCA回路および電子伝達系での役割が蚊ステージ原虫において必須であることを示した。これにより、原虫の生存戦略に不可欠な炭素代謝の切り替えに複合体IIが機能していることを明らかにした。今後、他のTCA回路酵素、電子伝達系酵素遺伝子との多重遺伝子破壊株の作製、またそれらの原虫におけるメタボローム解析を行い、本結果と併せることでマラリア原虫炭素代謝の全容が明らかになると考える。そして、そこから得られる知見は新規抗マラリア薬や新規媒介阻止戦略の開発に大きく貢献すると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、マラリア原虫の生活環におけるエネルギー代謝変動についての新たな知見を得るため、マウスマラリア原虫Plasmodium berghei ミトコンドリア複合体II (コハク酸-ユビキノン酸化還元酵素: succinate-ubiquinone reductase: SQR) Fpサブユニット遺伝子 (Pbsdha)の遺伝子破壊株の作成およびその表現型解析を行ったものであり、下記の結果を得ている。

1. Pbsdha遺伝子の発現解析を行うにあたり、Pbsdha遺伝子プロモーター制御下でAGFPを発現する原虫 (Pbsdha::AGFP)を作製した。Pbsdha::AGFP原虫の蛍光顕微鏡下での観察の結果、ミトコンドリアのマーカーであるMitoTrackerと共局在するAGFPシグナルを検出した。このことから、AGFPがミトコンドリアで発現していることが示された。さらに、このAGFPシグナルはリング期を除く全ての赤血球内ステージおよび蚊ステージにおいて発現が観察された。なお、リング期原虫はミトコンドリアが非常に小さいことが知られており、AGFP の発現も検出限界以下であったと考えられる。以上の結果から、マラリア原虫生活環の全てにおいてPbsdha 遺伝子が発現していることが示された。

2. 置換型二重交差相同組換えによるPbsdha遺伝子の遺伝子破壊株を作製した。5'UTR部位と3'UTR部位による相同組み換えにより、Pbsdha遺伝子と薬剤耐性マーカー遺伝子であるToxoplasma gondii ジヒドロ葉酸脱水素酵素 (TgDHFR) 遺伝子との置換を行った。

3. Pbsdha(-)原虫において遺伝子置換が起こっていることを確認するため、サザンブロットおよびPCRを行い、目的部位での遺伝子置換が起こっていることを確認した。さらにウェスタンブロットにより、Pbsdha(-)原虫においてFpペプチドが存在しないこと、活性測定によりSQR活性が消失していることを確認した。

4. マラリア原虫生活環に沿って、マウス体内の赤血球内ステージ、ガメトサイト、蚊体内のガメート、オーキネート、オーシスト、さらにその後の蚊からマウスへの原虫の伝播における表現型解析を行った。その結果、赤血球内ステージでは遺伝子破壊を行なったPbsdha(-)原虫は野生型と同様に増殖した。一方、Pbsdha(-)原虫は蚊ステージにおいて野生型と大きく異なる表現型を示した。Pbsdha(-)原虫は、蚊中腸内におけるオーキネート形成数が野生型に比較して1/5に減少しており、さらに、オーシストを全く形成しなかった。以降のステージの観察の結果、Pbsdha(-)原虫は新規感染が観察されなかった。

以上、本論文はマラリア原虫ミトコンドリア複合体II が蚊ステージオーキネートからオーシストの形成にかけて重要な機能を持っていることを明らかにした。この結果は、生活環におけるエネルギー代謝の変動というマラリア原虫の生物学的にも興味深い結果を示しただけでなく、複合体IIが新規な伝播阻止型薬剤の標的となりうることを示しており、今後のマラリア制圧対策に大きく貢献すると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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