学位論文要旨



No 129438
著者(漢字) 篠倉,潔
著者(英字)
著者(カナ) ササクラ,キヨシ
標題(和) 硫化水素 (H2S) 選択的蛍光プローブの開発とその応用
標題(洋)
報告番号 129438
報告番号 甲29438
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1479号
研究科 薬学系研究科
専攻 分子薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 大和田,智彦
 東京大学 教授 福山,透
 東京大学 教授 阿部,郁朗
 東京大学 准教授 富田,泰輔
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

硫化水素 (H2S) は腐卵臭を有する毒性の高い気体である。しかしながら、近年H2S が生体内において血管平滑筋の弛緩等の生理シグナルに関与していることが明らかになりつつあり、一酸化窒素 (NO)、一酸化炭素 (CO) に次ぐ、第三のガス性シグナル情報伝達物質として注目されている。これまでにH2S の検出方法として、メチレンブルー法やガスクロマトグラフィー、HS−選択的電極等が報告されているが、これら方法では生体内のH2S をリアルタイムに検出することは困難で、H2Sのダイナミックな生理機能を解析することは出来ない。本研究において私は、酵素系あるいは生細胞でH2S をリアルタイムに検出できる蛍光プローブを開発し、更にはそれを用いてH2S 産生酵素阻害剤の開発を行った。

【本論】

1. H2S 選択的蛍光プローブ (HSip-1) の開発と生細胞イメージング

細胞内でH2S を検出する際の最大の課題は、H2S に対する選択性と感度である。細胞内にはthiol 基を有する生体分子として、glutathione (GSH, 推定生体内存在濃度: 約1-10 mM) やcysteine (約100 μM)、タンパク質等が存在し、蛍光プローブはこれらとは反応せず、H2S に対してのみ反応する、高い選択性を有する必要がある。また、細胞内のH2S 濃度は明確には決定されていないが、10 μM-1 mM のH2S の添加により生理作用が引き起こされるという報告から、少なくとも10 μMのH2S を検出できる感度が必要である。そこで、10 mM GSH には応答せず、10 μM H2S のみに素早く応答する蛍光プローブの開発を目指した。

蛍光プローブの分子設計として私は、Cu(2+)とそれをキレートする環状ポリアミン構造を有した4 つのfluorescein 誘導体を設計・合成した (Figure 1)。環状ポリアミン構造はCu(2+)とキレート効果により安定な錯体構造を形成すること、また、Cu(2+)は近傍に存在する蛍光団の蛍光を強く消光すること、さらにはH2S がCu(2+)と強く結合することが知られている。これらの知見から、H2S がCu(2+)と結合することによってCu(2+)が環状ポリアミン構造から外れて蛍光強度が上昇するのに対して、GSHではCu(2+)が外れず蛍光強度の上昇が起こらないことを期待した。

はじめに各化合物の吸収・蛍光特性を評価した結果、いずれの化合物も490 nm 付近に吸収極大波長を、515 nm 付近に蛍光極大波長を示し、かつCu(2+)による強い消光のために蛍光量子収率が低く抑えられていた。次に、H2S およびGSH への応答性を評価した結果、TACN を用いた場合ではGSH を添加した際にも蛍光強度上昇を示し、十分な選択性が得られなかった。また、CyclamやTMCyclen を用いた場合でも、GSH に対するH2S への選択性は示したものの、H2S を添加した際の蛍光強度上昇は迅速では無かった。一方、Cyclen を用いたHSip-1 では10 mM GSH では殆ど蛍光上昇を示さず、10 μM H2S を添加した場合には、迅速な蛍光強度上昇を示した (Figure 2)。

これら結果は、H2S とGSH のpKa や分子自体の嵩高さ、TACN-Cu(2+)<Cyclen-Cu(2+)<Cyclam-Cu(2+)の安定度定数の違いに起因すると考えられる。また、HSip-1 は1 mM cysteine や1 mMhomocysteine、各種無機含硫化合物や活性酸素種、活性窒素種の添加によっても蛍光強度上昇は示さず、H2S に対して高い選択性を示した。

さらに、HSip-1 の生細胞イメージングへの応用を行った。まずHSip-1 に細胞膜透過性を付与するため、ジアセチル体であるHSip-1 DA を合成した (Figure 3A)。合成したHSip-1 DA をHeLa 細胞に負荷し、その後、H2S を細胞外液に添加したところ、HSip-1 は細胞質への局在を示し、添加したH2S濃度依存的に蛍光強度の上昇を示した (Figure 3B,C)。このように、HSip-1 を用いて細胞内においてもH2S を選択的に捉えることに成功した。

2. H2S 産生酵素3MST の選択的阻害剤の開発

哺乳類の生体内でのH2S 産生酵素としては、cystathionine β-synthase (CBS) やcystathionineγ-lyase (CSE)、3-mercaptopyruvate sulfurtransferase (3MST) が報告されている。また、CBS の選択的阻害剤としてaminooxyacetic acid (AOAA) が、CSE の選択的阻害剤としてpropargylglycine(PAG) が報告されている。一方、3MST の選択的阻害剤はこれまで報告されていない。そのため、3MST の選択的阻害剤の開発は、3MST の生理機能の解明に大きく貢献出来ると考えた。そこで私は、HSip-1 の持つH2S に対する感度と選択性、水溶性の高さに着目して、HSip-1 を用いた3MST 阻害剤のハイスループットスクリーニング (HTS) を行うこととした。

はじめに、マウス3MST の大量発現・精製方法の確立、および基質である3-mercaptopyruvate(3MP) とDTT から産生されるH2S のin vitro での検出系の構築を行った (Figure 4A-C)。さらに、本系を用いて大規模HTS (約17 万化合物) を行った (Figure 4D)。

その結果、10 μMの化合物濃度でHSip-1 の蛍光強度上昇を80-100%阻害する化合物を4 つ得ることに成功した (Figure 5)。そのうち、化合物1-3 はAr-COCH2S-pyrimidone の共通骨格を有しており、この構造が3MST 阻害に重要であると考えられる。

次に、ガスクロマトグラフィーを用いて本アッセイ系におけるH2S 産生量を評価した結果、これらの化合物の添加によって 3MST からのH2S 産生が90-100%低下しており、HSip-1 を用いた蛍光測定の結果と一致していた。また、マウス3MST を発現させたHEK293 細胞のセルライセートを用いて、H2S産生の阻害活性を評価した結果、セルライセート中においてもH2S産生を85-100%抑制しており、他の夾雑タンパク質存在下においても3MST の活性を選択的に阻害できることを明らかにした。さらにオフターゲットとして、他のH2S 産生酵素 (CBS やCSE) 、また、3MST と構造類似性 (アミノ酸配列の相同性 57.6%) を有するthiosulfate sulfurtransferase への阻害活性を評価した。その結果、化合物3 は、3MST 選択的な阻害剤であることが示された。

【結論】

本研究において、H2S 選択的蛍光プローブHSip-1 の開発、さらに、それを用いて世界初の3MST 選択的阻害剤の開発に成功した。本蛍光プローブの生細胞イメージングのみならず、HTSアッセイ系への応用を可能としたのは、HSip-1 の優れた感度と選択性に起因しており、HSip-1 は非常に有用な蛍光プローブである。今後はHSip-1 と開発した阻害剤を用いて更なるH2S の生理機能の解明を行っていきたい。

【発表文献】

Kiyoshi Sasakura, Kenjiro Hanaoka, Norihiro Shibuya, Yoshinori Mikami, Yuka Kimura, Toru Komatsu,

Tasuku Ueno, Takuya Terai, Hideo Kimura, and Tetsuo Nagano, J. Am. Chem. Soc., 2011, 133, 18003-18005.

Figure 1. Structures of four macrocyclic fluorescein–Cu(2+) conjugates.

Figure 2. (A) Schematic of the reaction of HSip-1 with H2S. (B) Time course of the fluorescence intensity change of HSip-1 with no addition (Non), addition of 10 mM GSH, or 100 μM H2S. (C) Fluorescence spectra of 1 μM HSip-1 before and after addition of 100 μM H2S.

Figure 3. Visualization of H2S inside live cells using HSip-1 DA. (A) Synthetic scheme of HSip-1 DA and strategy to introduce HSip-1 into the cell. (B) Differential interference contrast (DIC) and fluorescence (FL) images were captured before and after addition of 500 μM H2S to the medium outside cells. (C) Average FI20 min/FI0 min fluorescence intensity ratios in fluorescence images after addition of 0, 200, or 500 μM H2S.

Figure 4. (A) H2S biosynthesis catalyzed by 3MST. (B) Time course of the fluorescence intensity change of HSip-1 with GST-3MST or GST in the presence of 3MP and DTT as substrates. (C) SDS-PAGE analysis of GST-3MST and GST. (D) Flow chart of 3MST inhibitor screening.

Figure 5. Structures of 3MST inhibitors and assay data. These data were obtained from results of a fluorescence measurement and bgas chromatography.

審査要旨 要旨を表示する

篠倉 潔は、酵素系あるいは生細胞で硫化水素(H2S)をリアルタイムに検出できる蛍光プローブの開発、及びそれを用いたH2S産生酵素阻害剤の開発を行った。

硫化水素(H2S)は腐卵臭を有する毒性の高い気体であるが、近年H2Sが生体内において血管平滑筋の弛緩等の生理シグナルに関与していることが明らかになりつつあり、一酸化窒素(NO)、一酸化炭素(CO)に次ぐ、第三のガス性シグナル情報伝達物質として注目されている。これまでにH2Sの検出方法として、メチレンブルー法やガスクロマトグラフィー、HS一選択的電極等が報告されているが、これら方法では生体内のH2Sをリアルタイムに検出することは難しく、H2Sのダイナミックな生理機能を解析することは出来なかった。篠倉は、このようなH2Sに着目して、酵素系あるいは生細胞でのH2Sをリアルタイムに検出できる.蛍光プローブを開発し、更にはそれを用いてH2S産生酵素阻害剤の開発に取り組んだ。

篠倉は、まず初めにH2S選択的蛍光プローブ(HSip-1)の開発を行った。細胞内でH2Sを検出する際の最大の課題は、H2Sに対する選択性と感度である。細胞内にはthiol基を有する生体分子として、glutathione(GSH,約1-10mM)やcysteine(約100μM)、タンパク質等が存在し、蛍光プローブはこれらとは反応せず、H2Sに対してのみ反応する高い選択性を有する必要があった。また、細胞内のH2S濃度は明確には決定されていないが、10μM-1mMのH2Sの添加により生理作用が引き起こされるという報告から、少なくとも10pMのH2Sを検出できる感度が必要であると考察した。そこで、10mMGSHには応答せず、10μM H2Sのみに素早く応答する蛍光プローブの開発を目標として、プローブ設計を行った。

蛍光プローブの分子設計として、Cu(2+)とそれをキレートする環状ポリアミン構造を有した4つのfiuorescein誘導体を設計・合成した。環状ポリアミン構造はCu(2+)とキレート効果により安定な錯体構造を形成すること、また、Cu(2+)は近傍に存在する蛍光団の蛍光を強く消光すること、さらにはH2SがCu(2+)と強く結合することが知られている。これらの知見から篠倉は、H2SがCu(2+)と結合することによってCu(2+)が環状ポリアミン構造から外れて蛍光強度が上昇するのに対して、GSHではCu(2+)が外れず蛍光強度の上昇が起こらないと考えた。

各化合物の吸収・蛍光特性を評価した結果、いずれの化合物も490nm付近に吸収極大波長を、515nm付近に蛍光極大波長を示し、かつCu(2+)による強い消光のために蛍光量子収率が低く抑えられていた。次に、H2SおよびGSHへの応答性を評価した結果、cycienを用いたHSip-1では10mMGSHでは殆ど蛍光上昇を示さず、10pMH2Sを添加した揚合には、迅速な蛍光強度上昇を示した。これら結果は、H2SとGSHのpKaや分子自体の嵩高さ、安定度定数に起因すると考察した。また、HSip-1は1mMcysteineやlmMhomocysteine、各種無機含硫化合物や活性酸素種、活性窒素種の添加によっても蛍光強度上昇は示さず、H2Sに対して高い選択性を示した。さらに、HSip-1の生細胞イメージングへの応用を行うため、HSip-1を細胞膜透過性とするためジアセチル体であるHSip-1 DAを合成しHeLa細胞に負荷し、その後、H2sを細胞外液に添加したところHsip-1は細胞質への局在を示し添加したH2s濃度依存的に蛍光強度の上昇を示した。つまり、Hsip-1を用いて細胞内においてもH2sを選択的に捉えることに成功した。

さらに篠倉は、H2S産生酵素3MSTの選択的阻害剤の開発を行った。哺乳類の生体内でのH2S産生酵素としては、cystathionine β一synthase(CBS)やcystathionineγ-lyase(CSE)、3-mercaptopyruvate sulfurtransferase(3MST)が報告されている。また、CBSの選択的阻害剤としてaminooxyacetic acid(AOAA)が、CSEの選択的阻害剤としてpropargylglycine(PAG)が報告されている。一方、3MSTの選択的阻害剤はこれまで報告されていないため、3MSTの選択的阻害剤の開発は、3MSTの生理機能の解明に大きく貢献出来る。そこで篠倉は、HSip-1の持つH2Sに対する感度と選択性、水溶性の高さに着目して、Hsip-1を用いた3MST阻害剤のハイスループットスクリーニング(HTS)を行った。具体的には、マウス3MSTの大量発現・精製方法の確立、および基質である3-mercaptopyruvate(3MP)とDTTから産生されるH2Sのin vitroでの検出系の構築を行った。さらに、本系を用いて大規模HTS(約17万化合物)を行った結果、10μMの化合物濃度でHsip-1の蛍光強度上昇を80-100%阻害する化合物を4つ得ることに成功した。これら化合物はAr-COCH2S-pyrimidoneの共通骨格を有しており、この構造が3MST阻害に重要であると考察された。

さらに、ガスクロマトグラフィーを用いて本アッセイ系におけるH2S産生量を評価した結果、これらの化合物の添加によって3MSTからのH2S産生が90-100%低下しており、Hsip-1を用いた蛍光測定の結果と一致していた。また、マウス3MSTを発現させたHEK293細胞のセルライセートを用いて、H2S産生の阻害活性を評価した結果、セルライセート中においてもH2S産生を85-100%抑制しており、他の爽雑タンパク質存在下においても3MSTの活性を選択的に阻害できることを明らかにした。さらにオフターゲットとして、他のH2S産生酵素(CBSやCSE)、また、3MSTと構造類似性(アミノ酸配列の相同性57.6%)を有するthiosulfate sulfurtransferaseへの阻害活性を評価した結果、3MST選択的な阻害剤となる化合物を見出すことに成功している。

本研究は、新たなH2s選択的蛍光プローブHSip-1の開発、さらに、それを用いた世界初の3MST選択的阻害剤の創製研究であり、本蛍光プローブが生細胞イメージングのみならずHTSアッセイ系へも応用可能であったのは、HSip-1の優れた感度と選択性に起因している。開発した蛍光プローブ及び阻害剤は、今後のH2Sの生理機能の解明に貢献するものと考えられ、これら篠倉の成果は、博士(薬学)の学位の取得に値する優れた研究と認めた。

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